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第13回

今回は、以前に別の名前の頁に展示してあったものの、再録です
2000年1月発表した当時ののネームは『なつかし写真館(2)』でした

私のホームページも形式も変わり、展示物も増え
ネームが似合わなくなって来ましたので
『瞬間芸』に引越して来たのです

そんな訳で、見たことのある画像で申し訳ないです

では・・・・・・・・・・・・・


 昭和35年/1960年の4月、私は、とある商社に入社しました。月々のお小遣いも、そこそこ使える様になりました。そこで時々はカラーフィルムなんかも買える訳です。ところが、ゆっくりと写真を撮る時間が無くなってしまったので、カラーでの、まとまった写真が無いのです。1960年当時の写真は、あっても、オリンパスペンで撮ったハーフ判のヤツです。ま、その中からランダムに引っ張り出して、展示して見ました。当時から発色は一寸おかしかったのですが、さらにフォトショップで修正しようとしたのですが、中々うまく行きませんでした。


 その1960年の4月に、ふらりと横浜まで出かけました。どう云う用件だったのかなんて、まるっきり覚えてません。多分、カラーで電車でも撮ろうとでも考えたのだと思うけど。フィルムはフジカラーリバーサルです。

◆ 京浜川崎駅が未だ地平にあった頃です。車庫もあって通る時は、何が居るかと期待したものです。車庫の一番品川寄りに小さな変な格好の赤く塗った木造車の車体が置いてあったことがありましたっけ。
 一番右は大師線で写ってる車は確か290番代のナンバーが付いていたような。
 高性能車が1両も写っていないのが良いですね。

◆ 京浜急行、700系4連の特急です。多分730ではないと思います。当時はMc+Tcの編成を2ユニットで走ってました。大きなヘッドライトと窓枠無しの大きな二枚窓にアンチクライマでキメた前面、冷房装置の無いスッキリした屋根、私の大好きな編成でした。

◆ 横浜駅を出て東京に向けて最後の力走に入った国鉄の看板列車、「こだま」。大きな連結器カバーの付いていない初期のスタイルです。

◆ 横浜駅の保土ヶ谷駅よりでスカ線の電車を待っていたら、モハ43を先頭にしたのが来ました。次位はサハ48と来ては堪らないですね。

◆ 横浜駅前を横浜市電が行き来しています。ハマのPCCといわれた1150型です。左は1100かな?向うから来るのは単車の600でしょう。ひょっとしたら木造単車の500かもしれないですが。横浜市電の方向幕はローマ字入り、電車線を支える電柱は鉛丹の赤でした。系統番号と行く先の関係も40年経つと殆ど忘れてしまいました。


 私の会社は入社後約2ヶ月の倉庫勤務(商品知識の習得)と、そのあとには約1ヶ月の配送作業をやりました。今、考えても結構良い事やらされたなあ、なんて思いますけど。そう云うわけで、配送車の助手席に座って、約半日は車の中です。私の乗った車はオースティンのバンで如何にもイギリス風の車でした。その仕事中にオリンパスペンで写したのが、次ぎの写真です。フィルムはサクラカラー(リバーサル)です。

◆ 乗ってるオースティンのボンネットが写ってますが、芝の田村町です。今は西新橋ですか。右の八洲電機もでかいビルになってここに有ります。ソニーのサービスステーションも写ってますが、今は有りません。左遠方のタワーは日本放送協会の放送会館です。ルノー4CVとヒルマンミンクスが懐かしい。都電は6224です。

◆ 目黒行きの1000型1052が当時の迎賓館、今は何だっけ、都立の何とか公園ですか、の脇を走ってる所ではないかと思います。私は、この1000型と1100型が好きでした。目黒の終点の脇には車庫が有って通りから直角に引込み線が入っていました。

◆ 会社の近くの銀座通りです。室町三丁目から日本橋方面に向かう6000型6012。右のトラックはトヨペットだったと思いますが。方向幕は銀座三田になっています。

◆ 上と同じ場所で8000型の8108。1系統の上野駅行きが室町三丁目停留所に向かっています。

 それにしても、道路には車は少ないし、駐車し放題、現在から見ると別世界ですね。


今回は、そんな訳で再録版でした
では、 次回まで・・・・・


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