第4回 「ミック・ドゥーハン その強さの秘密」


 前回の内容については、想像していた以上に肯定的かつ前向きな感想を頂いて、うれしく思っています。ここで、頂いたご意見・ご感想についてちょっと触れてみようと思います。
 まず、「バイク人口が少ないというのもあるのでは」というご意見。たしかにそれも影響大きいのは事実だと思います。とはいえ、フォーミュラマシンも我々が日頃乗っている「車」とはかけはなれているわけで、純粋に「競技の楽しさ」を目的にレースを観る人はかなりいるのではないか、となると露出度の違いが一番の原因なのかなと思っているわけです。でも、おっしゃる通り「バイク人口の少なさ」が影響している面もあることは否定しません。多分、この二つが大きな原因で、併せて 80% くらいを占めていると思いますよ。
 次に、WGPに限らず2輪レース自体の放映が少ないのも遠因では、というご意見。たしかに、GP以外だと8耐とTBCビッグロードレース、スーパークロス(オフロードレースです。バイクが空飛びます)くらいしかありませんし、全日本ロードレースも「モーターランド2」(これまたテレビ東京系ですね。ありがとうございます)でダイジェストが流れるくらいですからね。二輪レース自体が目に止まる回数が増えれば人気も出てくるかもしれないですね。
昔は全日本ロードも全線中継あったんですよ。WOWOW ですけど。
 それから、日本人 GP500 チャンプの誕生のためには全日本 GP500 クラスの再会をというご意見。私は、有利な条件にはなるけれど、必要条件ではないと思っています。だって、歴代のチャンプはみな WGP に来てはじめて GP500 に乗っているわけですからね。とはいえ、GP500 を国内で見たいという純粋な要求はあります。現状は公式には「休止」ですから、NSR500V(市販レーサーです)も出たことですし、そろそろ復活してもらいたいですね。 >MFJ
 これからも、ご意見、ご感想、ご質問をお待ちしております。それでは、今週のQ&Aに行ってみましょう。今回は回答が長くなったので、一つだけですが、ご勘弁ください。

Q:どうしてドゥーハンはあんなに強いのですか?
  あと、ドゥーハンの名前はなぜマイケルからミックになったのですか?
A:
 まずは名前の話ですが、ミックというのは愛称ですよね。Michael → Mick で、それを表だって使うようになったということではないかと思います。

 で、どうしてドゥーハンがあんなに強いのか。これは私の考えなのですが、彼の経験と、彼が勝負して勝てなかったライバル達が、あまりにも強大だったからなのでしょう。ちょっと、現在のドゥーハンの礎となっているであろう '90 年代前半を振り返ってみましょう。

 実は、彼は今の黄金季を迎える前に一度、チャンピオンを取るチャンスがありました。'92 年シーズンがそうでした。このシーズンは彼の4連勝で幕を開けました。彼はその後も着実にポイントを重ね、このままチャンピオンを獲ると思われました。ところが、その矢先に転倒、大きな怪我をおってしまいます。しかも多くの不運が重なり一時は右足を切断という事態まで進んでしまったのです。幸いにも切断は免れましたが、復帰は大幅に遅延。その間にも、ライバルである昨年の王者、ウェイン・レイニーは着実にポイントを重ねていき、積み上げたポイント差は縮まっていきます。そして最終戦、彼は満足に動かない右足を引きずって、わすかな望みに掛けて出場しました。しかし、結果はノーポイント。結局、この年はレイニーの3連覇という結果で幕を閉じたのです。その後、彼は満足に動かない右足と地獄のような格闘を続けることになります。

 '93 年シーズンの彼は怪我との闘いでした。シーズンを終えるころには1勝を挙げ、本来の力を取り戻していきましたが、チャンピオン争いとは無縁でした。一方、この年のチャンピオン争いは悲劇的な結末を迎えます。'93 のシーズンは、お互いを「ライバル」と認めあい、激しいレースを展開していたケビン・シュワンツとウェイン・レイニーのものでした。二人の争いはシーズン終盤までもつれましたが、意外な形で決着が付きました。なんとイタリアGPでレイニーが転倒、シュワンツがあっけなくチャンピオンを獲得したのです。そして、この転倒で脊髄を損傷したレイニーは下半身不随となってしまい、引退を余儀なくされます。また、シュワンツも念願タイトルは獲得したものの、最大の、そして最高のライバルを失うことになってしまいました。

 翌 '94 年、ライバルを失ったシュワンツはモチベーションの低いシーズンを送ります。2勝はしたものの左手の怪我に泣かされ、ランキング4位に終わりました。そして '95 年のスペインGPで引退を発表したのです。

 一方、ドゥーハンは '94 年には怪我を克服して初のチャンピオンを獲得し、今に続く黄金時代の幕を開けました。しかし、目標でありライバルであったレイニーやシュワンツと互角の争いをすることなく獲得した王座。彼の心の中には満たされないものが未だにあるように思えてなりません。私は、彼が4連続タイトルを取った今でも当時のレイニーやシュワンツを追いかけてレースをしているように見えるのです。そして、それが彼の強さの秘密だと、私には思えるのです・・・。

 なお、この時代、レイニーとシュワンツの活躍を中心に WGP が回った '89〜'93 のシーズンは私が見始めたシーズンで、なおかつもっとも好きな時代ですので、近いうちにゆっくりご紹介したいと思います。お楽しみに。

***WGP選手名鑑***
 「WGP の有名ライダーを紹介してください」ですとか「選手のエピソードが知りたい」というご要望が結構ありましたので、今回から選手を2〜3名ずつ紹介していくことにしました。この部分だけ Cut&Paste で集めれば、選手名鑑の出来上がり(ほんとか?)。最初は HONDA の GP500 レーサー編です。

 HONDA は現在、GP500 にはワークス体制で4名のライダーを参戦させています。

○マイケル(ミック) ドゥーハン(Michael Doohan)
・'65 年 6 月 4 日生 オーストラリア出身
・'89 年 WGP GP500 参戦
 '94 年 WGP GP500 チャンピオン
 '97 年現在もタイトル4連続防衛中
・太い眉毛がトレードマークの陽気なオージー。
 タイトル取ってから白髪が増えた気が。
 彼は怪我の影響で右足が自由にならないため、リアブレーキは左グリップ部にレバーを設けて左手で操作しています。意外と扱いやすいらしく、岡田選手も使っているとか。
'90 年に先行するバイクとまったく同じタイミングでハイサイド転倒するという面白い芸当をやってくれました(笑)。

○アレックス クリビーレ(Alex Criville) ・'70 年 3 月 4 日生 スペイン出身
・'88 年 WGP GP80 参戦(註 現在 GP80 はありません)
 '92 年 WGP GP500 参戦
 '97 年 WGP GP500 ランキング4位
・WGP 人気が最も高いスペインの期待の星。
 地道に登ってきた苦労人らしい。現在もドゥーハンの後ろで苦労してます。
 '96 年のスペインGP、ファイナルラップでドゥーハンをパスしてトップに立つが、これに興奮した観客がコースに乱入。この影響で、ファイナルラップ最終コーナーで転倒リタイア(可哀相 (;_;))。今年は借りを返した!?

○岡田 忠之(Tadayuki Okada)
・'67 年 2 月 13 日生 日本 茨城県出身
・'93 年 WGP GP250 参戦
 '96 年 WGP GP500 参戦
 '97 年 WGP GP500 ランキング2位
・HONDA の日本代表。愛称はタディ(Taddy)
 全日本時代は '89〜'91 GP250 連続王座。それを止めたのが当時の原田哲也でした(ホンダは全日本を連覇しないと GP に連れてってくれないのか?)。
 家庭では二児のパパさん。長女の杏奈ちゃんが小学校入学のため、来シーズンは“単身赴任”とか。

(参考文献:「RIDING SPORTS 増刊 '97 日本GP」)

青木拓磨選手は「青木三兄弟」の回(予定)でお送りします。


当コーナーで取り上げてほしいテーマなど、ご要望は下記までメールにてお寄せください。
e-mail : nakamu@qb3.so-net.or.jp


Index  Home