特別編 「神々のバトル 〜'90代 WGP 名勝負〜」
第1話:「新時代の予感 〜 '89 日本 GP 〜」


はじめに:
 予告した通り、今回から WGP の過去の名勝負を紹介していきますが、今まで読んでいただいたQ&Aとは趣が異なりますので、「特別編」ということでお送りします。
 「神々のバトル」とは、ときおり WGP の GP500 を指して使われる表現です。およそ2輪で走る乗り物で GP500 ほど強烈な乗り物はなく、それを手足の延長のように操れるライダーを神と称え、抜きつ抜かれつのドッグファイトが展開されることから、こう呼ばれています。

それでは、特別編をお楽しみください。

第1話:「新時代の予感 〜 '89 日本 GP 〜」
 1989 年 3 月 26 日。この年も WGP は日本から始まった。桜の咲き始めた鈴鹿に、2ストローク V4 エンジンの雄たけびが、春の訪れを告げる。WGP、コンチネンタルサーカス、初演の幕はここから開く。

 シーズンオフの話題 No.1 は、昨年のチャンピオン、エディ・ローソンの移籍だった。YAMAHA から HONDA に移籍。チャンピオンがチームはおろかメーカーすらも変更するというのは、尋常ならざる事態だった。「速いのはマシンではなくて自分だ」。彼はそれを証明したかったのかもしれない(そしてそれは証明されたのだが)。ともかく、開幕戦となる日本 GP はローソンと NSR の相性を占う意味で、注目を集めていた。
 もう一つ、メディアの注目を集めていたのは、“天才”フレディ・スペンサーの復帰だった。ケニー・ロバーツと死闘を演じた伝説 '83 シーズンは当時からもう語り種になっていたが、その全盛時の走りが復活するか注目されていた。こちらも、当時の HONDA から YAMAHA に乗り換えての復帰だった。
 大方の予想は、チャンピオンのローソンと No.2 のガードナーの対決。これに新鋭のレイニーやシュワンツ、そして日本の平がどう絡むかというところだった。特に、シュワンツは '88 の日本 GP でも優勝していたこともあって、注目が集まっていたが、二人ともまだ「新鋭」という扱いの域を出てはいなかった。それもそうだろう。二人ともレギュラーシーズンで参戦して今年が2年目だったのだから。だが、レースはまったく予想もしなかった展開を見せることになるのだった。

 ポールポジションは日本のエース、平忠彦(YAMAHA YZR)。以下、レイニー(YZR)、シュワンツ(SUZUKI RGVΓ)、ガードナー(HONDA NSR)と続く。ローソンは NSR との相性にまだ難があるのか6番手。当時の NSR は、今の戦績からは信じられないことだが、クイックな旋回性に難のある、難しいマシンであり、決して常勝マシンではなかったのだ。
 シグナルグリーンで一斉にスタート。レイニー、そして9番手のスペンサーが絶妙のスタートを見せる。その後ろに平、そしてシュワンツというオーダー。レイニーは1周目からペースを上げ、みるみる後続を引き離す。後に“レイニーパターン”と呼ばれ、彼の必勝パターンとなった作戦の片鱗は、この頃からうかがえた。2周目に入る頃には2位スペンサーとすでに 1.5 秒差を付けていた。こうしてレイニーが逃げていく。スペンサーのペースは上がらない。平を抜いて3位にいたシュワンツは2周目のヘアピンでスペンサーをパス。レイニーの追撃体制を敷いた。そしてここから、伝説のレースが幕を開けた。
 2位に上がったシュワンツは「120%の走り(福田照男)」で逃げるレイニーを追った。レイニーとの差はじわりとしか縮まらないが、しかし、後続との差はみるみる開いていく。レースは完全に二人のものだった。10 周目、ついにシュワンツはレイニー追いつき、そして、バトルは始まった。
 10 周目シケイン。一つ目の In 側をついたシュワンツは二つ目のアウトから強引にかぶせる。このパッシングでレイニーは失速し、シュワンツとの差が若干開く。普通のバトルだと、抜かれた側はそこで遅れていくことが多いのだが、この二人のバトルは違っていた。続く周回でレイニーは差を縮めると、130R の突っ込みでシュワンツをパス。以後、トップはめぐるましく交代する。

 13周目 シケインの突っ込みで、シュワンツ
     シケインの立ち上がり〜最終コーナーで、レイニー
 14周目 ストレートのスリップから、シュワンツ
     2コーナーの進入で、レイニー
     再びシケインの突っ込みで、シュワンツ
 15周目 1コーナー突っ込みで、レイニー
 16周目 ストレート〜1コーナー突っ込みで、シュワンツ
     2コーナー進入で、レイニー
     スプーン立ち上がりで、シュワンツ、そしてレイニー(交錯)

 数周の間に、実に11 回もトップが入れ替わる。「横にならんだレイニーをメンチ切ってる(清水國明)」ほどにライバル意識むき出しでシュワンツが走る。レイニーもダンロップコーナー立ち上がりでフル・カウンターを当てるほど攻め込む。まさに「マッチ・レース」という言葉が相応しかった。

 TV 放送映像では、この壮絶なトップ争いの中、無粋にも CM が入った。このレースから、現在も WGP をシリーズで放映する TV 大阪が映像制作・中継を担当していたが、民間放送なので CM も仕方ないところだった。しかし、このとき WGP を初めて中継していた TV 大阪アナウンサーの千年屋俊幸は「なんで(CM を)入れるんやぁ!」と机を叩いて怒鳴ったという。このレース展開に、ポーズではなく本気で興奮していたのだった。

 18 周目あたりから、レースは1位レイニー、2位シュワンツの膠着状態となる。シュワンツは様子を見始めたのだ。つかず離れずの状態でラップを刻んでいく。そしていよいよ勝負は最終ラップに。1コーナーで狙い澄ましたようなブレーキング、シュワンツが前に出る。コーナーというコーナーでリアを震わせ、ウィリーでスライドを止める。もてる武器をすべて使い、宿敵を倒すべく、二人のアメリカンが火花を散らす。一瞬、スプーンの立ち上がりでシュワンツはリアタイヤを大きくスライドさせた。このときレイニーはスリップについたかに見えた。しかし、ついにシュワンツを抜き去ることはできなかった。シュワンツはレイニーを最後まで押さえ切り、日本 GP 2連覇を達成した。

 ウィニングラン。そこには喜びを爆発させるシュワンツがいた。マシンの上で直立し、両手でガッツポーズを作る。前輪を高々と挙げてウィリー。何度も、何度も、何度も、ギャラリーに向かってガッツポーズ。まるで無邪気な子供のような勝利者だった。シュワンツとレイニー、WGP は今後この二人を中心に回っていく。そんな予感を感じさせてくれた、すばらしい開幕戦だった。

・・・・・・・・・・・

 この年のチャンピオンシップはエディ・ローソンが連続で獲得して幕を閉じた。ローソンはこの日本 GP でもいつの間にか3位を獲得。シーズンを通してコンスタントな成績を残し、見事に連覇を達成した。レイニーはローソンと終盤までチャンピオン争いをするが、惜しくも2位に終わった。しかし、この年の経験が、彼をその後の3連覇へと導いたのだろう。時代は確実に変わりつつあった。そしてシュワンツ。彼は優勝こそ6回を数えたものの、「優勝か、リタイアか」というムラのある成績に終始し、結局ランキング4位に終わる。だが、皮肉にも、そのアグレッシブな走りは多くの人の心をつかむことにもなった。
 その後、レイニーはより完璧な強さを求め、シュワンツは速く・強くなるために堅実さを得ようと模索する。もちろん、お互いを打ち負かすために。そして、WGP は短い「レイニー・シュワンツ時代」へと移っていく。

レースの思い出:
 これです。私を WGP の世界にのめり込ませるきっかけになったレース。当時バイクに乗り始めた私は、最初に買った愛車を駆って、バイク屋をおとずれては店の社長や(常連)客と話をしていました。このレースの話題が出たのは、たしか4月。「あの展開、絶対この前の日本 GP 見て書いたんだよ」。それは当時少年マガジンに連載されていた「バリバリ伝説」のことでした。「バリ伝」は知っていたものの、現実のレースの世界はわからなかった(でもケニーとフレディの名勝負は知っていた、なんでや?)当時の私は、非常に興味を持ち、バイク屋からビデオを借りてきました。そこに収められていたのが、このレースだったのですが・・・はまりましたね、一発で。こんな凄いスポーツがあったんだと、心底思いました。

 実はこのレースがなかったら、TV 大阪は年間中継を始めなかったかもしれないのです。初めて中継したレースがこの内容だったのですから、こんなものが毎レースあるならば絶対に数字(視聴率)が取れると思い、中継にふみきったのだそうです。実際は、こんなレースめったにないんですけどね(笑)。ともかく、年間中継は始まったのですから、我々はシュワンツとレイニーにもっと感謝しなければなりませんね。


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