特別編 「神々のバトル 〜'90代 WGP 名勝負〜」
第4話:「駆け抜けた神々 〜'93 WGP〜」

 「ついに来た。今年こそ、チャンピオンを狙える。」

 第1戦、オーストラリアGPで優勝を収めたケビン・シュワンツは、確かな手応えを感じていた。昨シーズン直後から、精力的にマシンテストを繰り返したシュワンツと SUZUKI は、これまでにない良い状態で RGV-γを仕上げ、シーズンに望んだ。RGV-γは確実に、シュワンツの手足になっていた。
 一方のレイニーは、なかなか仕上がらない YAMAHA YZR に苛立ちをかくせなかった。昨シーズン終盤に負った怪我の影響で、シーズンオフのマシンテストを予定通り消化できなかったこともあったのだろう。この年、大幅なフレームを変更した YZR は、レイニーの手足とはなり得ていなかった。開幕戦ではセッティングが当たり、予想以上の走りで2位は確保できたものの、不安要素は消えていなかった。レイニーの3連覇には、開幕から早くも暗雲が漂っていた。

 フレームに問題を抱えながらも、レイニーは着実なリザルトを残していく。例年のように着実にポイントを挙げ、ランキングトップを守っていた。
 しかし、一つだけ違っていたものがあった。それは、ケビン・シュワンツの成績だった。開幕こそ優勝したものの、続くマレーシア、得意の日本・鈴鹿でもレイニーの後塵を拝する形となった。しかし、着実に表彰台をゲット、いつでもレイニーを撃墜できるポジションを保持していた。そしてそれは、第5戦に現実のものとなる。スペインで2勝目を挙げたシュワンツは、その勢いで連勝、一気にランキングトップに立った。
 そしてこの頃、レイニーは抱えていた問題が顕在化する。フレームに影響されたハンドリングの問題である。この問題の影響か、ランキングをシュワンツに逆転されたのと時を同じくして、2戦続けて表彰台を逃している。一方のシュワンツは、その2戦に2位、そして優勝と、確実に得点差を広げる。第7戦ダッチTT(オランダGP)を終わってポイント差は 28 。流れはシュワンツに傾いていた。

 「これ以上離されるわけにはいかない。」
 レイニーと TEAM ロバーツは大きな賭けに出た。問題の解決しない YAMAHA のフレームに見切りをつけ、YAMAHA エンジンをベースに開発された市販レーサー ROC のフレームを採用し、これに YZR のエンジンを載せたのだ。適度に剛性の低い ROC フレームはレイニーのライディングにマッチし、第8戦ヨーロッパGPでは久々の“レイニー・パターン”で優勝を飾る。
 一方、シュワンツも慌てずに3位表彰台を確保し、ポイント差のアドバンテージをいたずらに浪費しない。続く第9戦サンマリノGPでは、レイニーの一つ前の2位でフィニッシュし、再びポイント差を回復する。残り5戦でポイント差は 23 ポイント。チャンピオンの行方はいまだに混沌としていた。

 だが、GPの神はシュワンツにもう一つの大きな試練を用意した。第10戦イギリスGP決勝、1周目。シュワンツはドゥーハンの転倒に巻き込まれて転倒、ノーポイントに終わるだけでなく、右手に亀裂骨折を負い、古傷であった右手の痛みの症状を悪化させてしまった。レイニーが2位でフィニッシュしたため、かろうじてランキング1位は守ったが、その差は 3 ポイント。今まで築いたポイント差は一気に縮まってしまっただけでなく、大きなハンデを背負ってしまった。そして次戦チェコGPでもシュワンツは精細を欠き、5位でフィニッシュ。一方、レイニーは優勝し、ランキングトップに返り咲く。

 シュワンツは右手の怪我をひた隠しにしていた。怪我を負っていることをレイニーに知られれば、それだけでも相手を精神的に優位に立たせてしまうからだ。彼の怪我は、チームの中でも極一部のものしか知らなかった。何事もないかのように、精力的に RGV-γ を走らせる。しかし、右手の症状は確実に彼の戦闘力を奪っていた。この時の彼には、5位を確保するのが精一杯だったのだ。

 こうしてタイトルの行方はますます混迷を深め、運命の12戦イタリアGPを迎える。

 レースは、カダローラとレイニーの Marlbor YAMAHA 2台の1,2で始まった。シュワンツも負けじと追撃を始める。5周目にはその時点のファステスト・ラップをたたき出し、レイニーから 1.5 秒差にまで近づく。しかし、それに呼応するかのようにレイニーがペースアップ。7周目にファステスト・ラップを記録すると、後続を徐々に引き離し始める。やはりV3チャンピオンの実力か。タイトルに向けての大きな流れはレイニーに向き始めたような気がした・・・。
 映像がオンボードカメラから切り替わる。相変わらず、レイニーはトップをひた走っていた。が、いつもよりマシンの挙動が激しい。およそ彼らしからぬライディングで、シュワンツを引き離し、タイトルを確実なものにしようとしていた。

 そして、10周目。

 切り替わった映像。そこには、グラベルに横たわった Marlboro カラーのマシンがあった。
 「ゼッケン7番カダローラ転倒!」
TV 大阪の千年屋アナが絶叫する。そうだろう、だれも、あのレイニーが転倒するとは思わなかった。次の瞬間、転倒したマシンのオンボード映像が映し出される。“RAINEY YAMAHA" の文字・・・転倒はレイニーだった。担架に乗せられて運び出されるレイニー。彼は少しも動かない・・・。容体が思わしくないことは容易に想像できた。
 しかし、である。オンボードカメラを見る限りは、簡単なハイサイド転倒と思えた。私はこの瞬間、不謹慎ではあるが「よし!」と思ってしまった。これでまた、シュワンツにタイトルの可能性が出たのだ。このレース、このまま2位で終わっても再逆転1位。おそらく次のレースまではレイニーは出られないだろう。残り2戦。難なくこなせば十分に勝機はある。私はシュワンツのタイトルを確信した。
 しばらくして、コースサイドで行われているレイニーの応急処置の映像が映った。なにかおかしい。あんなところで処置をするなんて、通常では考えられなかった。レイニーは相変わらず動いていない。少し容体が気になったが、それでも単なる骨折程度だろうとしか思えなかった。少なくとも、その時は・・・・。
 レースはカダローラが、追いついてきたドゥーハンを押さえ切って優勝、地元に錦を飾った。シュワンツはそのドゥーハンに抜かれ3位でフィニッシュ。だが、この時点でレイニーを再逆転、再び1位に返り咲いた。

 第 13 戦 U.S.GP 。カリフォルニア、ラグナセカ。ホーム GP にレイニーの姿はなかった。イタリアGPからの1週間、様々な情報が流れた。脊髄骨折、下半身麻痺、引退、・・・。確かな情報は、彼がイタリアからここ、カリフォルニアの病院に移送されたことだけだった。そして最終戦、F.I.M. GP。とうとうレイニーは戻ってこなかった。彼は永年のライバル、ケビン・シュワンツにその王座を譲り、WGPの舞台から去っていった。

 こうして、ケビン・シュワンツは念願のゼッケン1を手に入れた。「34 に戻ることはもうないだろう」。最終戦は3位表彰台。満面の笑みで彼はインタビューにこう答えた。だが後に彼はこうも答えている。

 「僕にとってチャンピオンをとるということは、重要なことじゃなかった。そんなこ
  とより、ウェインが歩けて、レースを続けてくれるほうが、ずっと大事だったさ。
  僕は2位でよかったんだ。彼があんなことになるくらいなら・・・」

彼にとって、ゼッケン1を手に入れた代償はあまりにも大きかった。


レースの思い出:
 ごめんなさい。この年は伝えたいことが多すぎて、自分でもうまくまとめきれませんでした。お見苦しい点も多かったと思いますが、ご容赦ください(イタリアGPのビデオと総集編を見直したんですが、思わず涙が出てきました。どーも年とって涙腺ゆるくなったようです)。
 思い出してみると、はしゃぎ、悲しみ、喜び、様々な感情を発露したシーズンだったように思います。その中の一つが、この宿命の対決の終焉でした。1レースごとに一喜一憂し、まるで自分のことのように喜び、悔しがっていました。少なくとも、イタリアGPまでは・・・。
 文中でも触れましたが、レイニーの転倒を、一瞬私は喜んでしまいました。が、その後の映像、そして入ってくる情報で(といっても当時はインターネットなぞ一般的でなく、TV 大阪の毎週の中継だけがほぼリアルタイムな情報でしたが)事の重大さを知り、一 瞬でも喜んだ自分を恥じ、レイニーの復帰を強く願いました。結局、その願いは届かなかったのですが・・・。
 もし彼が無事だったら、そしてV4を達成していたら・・・考えるのはばかげているのはわかっています。でも、もしそうだとしたら、シュワンツはもっと現役を続けられたのかもしれない。もっと喜びに満ち溢れたゼッケン1を獲得できたかもしれない。ドゥーハンも現在のようなどこか寂しげなレースをしなくて済んだのかもしれない。そして、我々ももっと面白い GP500 を堪能できたのかもしれない。そう思うと、ただ、ただ、残念でなりません。
 ウェイン・レイニーは現在、チーム・レイニー YAMAHA の監督として GP 界で活躍し、ノリックらの指導をしています。その姿は F1 のフランク・ウィリアムズを彷彿とさせます。また、ケビン・シュワンツはアメリカでモータージャーナリストの仕事をしたり、ストックカーレースに参戦したりしています。二人とも、充実した第2の人生を歩んでいるようです。個人的には、シュワンツにはぜひ8耐を“楽しんで”走って欲しいと思いますが、本人はそれを望まないでしょうね。

 この年はほかにもいろいろとドラマがありました。GP250 では原田哲也が参戦1年目にして王座獲得。片山敬済以来の 16 年ぶりの日本人チャンピオンが誕生しました。また、GP125 では坂田和人がダーク・ラウディスと熾烈なチャンピオン争いを展開、惜しくも2位になりましたが、素晴らしい走りで我々を魅了しました(翌年、彼は GP125 世界チャンピオンになりました)。彼らの話はまた別の機会にでもお話できれば、と思っています。

 もうすぐ今年のシーズンが始まります。昔話はこれくらいにして、新しい歴史が誕生する瞬間を目の当たりにできる、長いシーズンを楽しみましょう。

参考文献:
1)Number No.419,420 「汝自身の神」
2)CYCLE SOUNDS 増刊 WGP '93-'94

当コーナーで取り上げてほしいテーマなど、ご要望は下記までメールにてお寄せください。
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