特別編 「神々のバトル 〜'90代 WGP 名勝負〜」
第5話:「原田とカピロッシとゼッケン1 〜'93 FIM GP〜」

 '93 WGP、GP250 クラス。衝撃的なデビューを飾った原田哲也は、デビューイヤーでのチャンピオンを目の前に、苦境に立たされていた。
 第10戦イギリスで転倒・負傷した原田は、イタリアの新鋭ロリス・カピロッシにそれまで築いてきたポイント差を一気に詰められ、逆転を許していた。最終戦 FIM GP を迎えた次点で、ランキングは2位。トップとのポイント差は10点。チャンピオンを取るためには、原田が優勝したとしても、カピロッシが4位以下でなければならなかったのだ。
 最終戦のハラマはアップダウンが激しく、マシンのパワー差がまともに出るレイアウトだが、原田の駆る YAMAHA TZ-M はカピロッシの HONDA NSR に比べて明らかにパワーは劣っていた。しかもカピロッシはハラマが得意。唯一、原田に付け入る隙があるとすれば、クリッピングポイントに下って進入するレイアウトだった。フロントタイヤに負担のかかるこのレイアウトで、タイヤの消耗をコントロールして抜け出すくらいしか、なかった。
 こうして、16年ぶりの日本人チャンピオン誕生に向けてのレースウィークは、逆風の中スタートする。

 ポールはカピロッシ。こちらも自身初のGP250 タイトルに向けて全力の走りを見せる。以下、ルジア(Aprilia)、ロンボニ(HONDA)、レジアーニ(Aprilia)と続き、原田は5位。セカンドローながらも、カピロッシの真後ろという好位置を取る。
 スタート。プレッシャーに負けたのか、いきなりカピロッシが出遅れる。原田ら後方のライダーの先行を容易に許してしまった。思えば、勝負はこのとき既についていたのかもしれない・・・。再びストレートに戻ってきたとき、トップはレジアーニ。以下ルジア、岡田、ロンボニ、ビアッジ。原田は9番手で、カピロッシはその後ろ10番手だった。
 最初の出遅れを取り戻すために猛烈にチャージするカピロッシ。その走りは通常の彼ではなかった。一方の原田は、いつものスムーズな、加速ラインを多く取る独特の走りで着々と順位を上げる。序盤を終っての順位は、原田4位、カピロッシ5位。しかし、先行する3台よりも速いペースで、二人はチャンピオン争いを展開していた。
 原田はここまで、非力な TZ-M をよく走らせていた。他とは違う、長い加速ラインを取るライン取りによって、トータルでは速い走りをしていた。しかし、ストレートでの絶対的パワー差はいかんともしがたい。9周目の1コーナーでカピロッシにあっさり並ばれた原田は、続く3コーナーで遂にかわされる。
 そう、カピロッシは原田を抜いた。
 なぜ抜いたのか?
チャンピオンを取るのに、彼は原田の前に行く必要はなかった。そのまま後ろで原田にプレッシャーを掛けつづければよかったのだ。若干20歳という年齢がそうさせたのだろうか? いや、彼は既に GP125 でチャンピオンを取った、“ベテラン”だ。多少なりとも駆け引きは心得ていたはずだ。ではなぜ?…
 実はカピロッシはタイヤにトラブルを抱えていた。選んだタイヤのコンパウンドが柔らかすぎたため、最後まで持たないと読んでいたのだ。おそらく、タイヤのグリップがあるうちに原田の前に出て、ペースをコントロールする作戦だったのだろう。しかし、その作戦は不幸にも原田の観察力を計算に入れていないものだった。
 先行する3台、そしてカピロッシの状態を後ろから観察していた原田は、慌てることなく周回を重ねる。ときおり、後ろからカピロッシにチャージをかけながら。恐らく、タイヤの消耗を促進させていたのだろう。20周目、トップを走っていたルジアが転倒。これをトリガーにして、レースが再び動く。原田が本格的にカピロッシにチャージをかけ、22周目1コーナーで3位に。こうなると、もはやカピロッシに原田を抜き返す力はなかった。ブガッティヘアピンへの進入でコースアウト。タイヤが限界に来たのだ。リタイアこそ免れたものの、原田に大きく差を空けられてしまった。
 しかし、原田のレースはこれでは終らない。トップを獲る。獲らなければ、チャンピオンは無い。神懸り的な速さで先行するビアッジ、レジアーニを次々とパス、24周目には遂にトップに立った。次の周回、中継の千年屋アナが叫ぶ。
 “原田! チャンピオンまで残り2周!”

 もはや、原田に追い付けるライダーはいなかった。勝利に向け、チャンピオンに向けて、ひた走る。その走りは、まるで、先のスペインGPで事故死した若井伸之(原田は兄のように慕っていた)と一緒に走っているかのようだった。後ろを一度も振りかえることもなく、ただ前だけを向いて走る。そして振り下ろされたチェッカー。優勝、原田哲也。一方のロリス・カピロッシは5位でフィニッシュ。こうして、片山敬済以来 16 年ぶりの日本人チャンピオンは誕生した。

レースの思い出:
 今回のコラムを書くために、昔のビデオを引っ張り出して見たんですけど、また泣いてしまいました。(<ばか) いやー、千年屋さん(テレビ大阪のWGP実況アナ)、泣かせるのが上手い。「若井と一緒に走るファイナルラップ」だなんてもう号泣もんです。
 それにしても、あの二人が以前はこんなにクリーンで面白いレースをしていたんですからね。結構ハラハラしますが、強引にインに飛び込むこともなければ、強引にかぶせることもしない。当時からカピロッシは突っ込みが鋭いライダーで、このレースでも原田は苦労してましたけど、あそこまで無謀な突っ込みはしてませんでした。何が彼をあそこまでけしかけたんでしょうか・・・。

 先に触れたように、この年のGP250 は原田哲也、岡田忠之、そして青木宣篤のデビューシーズンでして、シーズン当初は 250に復帰したコシンスキーが優勝候補筆頭だったりしたのですが、初戦の原田の優勝、第2戦の宣篤の優勝と、日本人ライダーが台風の目として注目されました。欧州ラウンドに入っても力を発揮した日本人ライダーはこの後、一つの勢力として認識されます。そしてそれを揺るぎ無いものにしたのが、原田のチャンピオン獲得だったと言えるでしょう(そして、この年、国内では阿部典史が GP500デビューでチャンピオンを獲得しています)。
 それから、文中に出てきた若井伸之選手は、'91 から上田選手や坂田選手とともに GP 参戦。この年は GP250で SUZUKI RGV-γを駆って参戦していましたが、スペインGPの予選中、ピットに飛び出た観客を避けようとして転倒、ピットウォールに激突し、他界されました。その人柄から、ライダーやメディアにも人気がある方でした。今、ヘレスサーキットには彼を偲ぶフラミンゴ(若井選手のトレードマークでした)のモニュメントが設置されています。スペインへお出かけの際はぜひお立ちより下さい。

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