アメリカ進駐軍のための慰安所

 どの国の軍隊にも慰安婦がいたわけではなく、日本軍ほど大々的な性的慰安所を持った例は他にありません。しかし「軍隊には慰安婦が必要」は日本軍にしみわたった常識でした。そこで終戦のわずか3日後にもう日本政府は、進駐してくるアメリカ軍のための慰安所を作ることを考えています。ほかにもいろいろ考えることがありそうなものですが、まず考えたことが慰安所の設置だったという発想がはずかしいですね。「一般婦女を米兵の強姦から守るため」としていますが、占領すればすぐ強姦を始める日本軍の行状を知りすぎていたから、この様な発想になったのでしょう。

 8月18日付けで「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒」が出ており、各都道府県の警察に対して米兵慰安所の急設を指示しています。朝鮮半島での慰安婦強制連行には慰安婦の証言に警察官がよく出て来ますが、やはり政府から見ても警察が慰安所の担当であったようです。

 慰安所の設置の仕方は、警察が指導して業者にやらせる方式で、各地に「特殊慰安施設協会(RAA)」が設立されました。東京銀座街頭に「新日本女性に告ぐ」と募集広告をだしたのも、もちろん警察のバックアップがあってのことです。広島などの例をみると、当時の金で県費36万円を追加計上し、「資金は立て替える、女は警察が募集する」と業者に持ちかけています。県警保安課は設営第一、設営第二、接遇第一、接遇第二と係をわけてまで慰安所開設に専念したほどです。

 このようにして、かなり大々的な慰安所設置が行われ、この結果、戦後の混乱の中で食料の確保にも事欠く家庭の女性たちを売春へと走らせることともなりました。日本政府のサービスに応じて、アメリカ兵にも慰安所は大人気ではありましたが、連合軍司令部は12月15日に慰安所への立ち入り禁止令を出しました。ついで、翌1月21日には公娼制度全体の廃止を指令しています(SCAPIN642)。3カ月で慰安所は閉鎖されたわけですが、この間に「政府の努力」で増加し、1万人に達した慰安婦たちは、路頭に迷い、非公認の街娼となって行きました。パンパンガールと呼ばれている人達です。

 「慰安婦はどこの軍隊にもあって、戦後のアメリカ軍も上陸するやいなや慰安婦1万名を差し出せと命令した。」と反論のメールがあったのでその実態を調べてみました。どうやら、その根源は日本政府の方にあったようです。

 参考文献
吉川春子「従軍慰安婦・新資料による国会論戦」あゆみ出版(1997年)