偽物太平記

●伊勢国清光 
 数日前のことである。さる刀屋へ遊びにいくと、いきなり一本突きつけて、鑑定せよ、という。半錆でよくはわからぬが、なんだか桑名打ちらしい。「桑・・・・・・・・」、と言いかけて気がついてみると、傍にお客様がいる。持主に違いない。「桑原桑原・・・・・」、変なゴマ化しをいいながら、紙片へ、「清光」、肩へ小さく「伊勢国」と書いて渡すと、
「同然、祐定也、ハハハ・・・・・」
 という答えが来た。「ハハ同然」という答法は初めてであるが、鑑定が複雑になると、いろんな「同然」も要るわけで、清光、祐定が「ハハ同然」とすると、同列と宗兵衛宗次(新新刀)などはさしあたり「異母同然」で、桑名打ちのさらに大阪打ちとなると、こんどは「セミ同然」とでもいう次第であろう。
 筆者はこの伊勢国何光について、永い間の疑問を持っている。観照の歪みというか、それとも自分の製作的良心がとくに鈍いのか、この桑名打ちなるものに対して、どういうものか、あまり反感が持てない。むしろそれに「人間」を見、自分自身の洞察をひそかに省みるような癖がある。
 桑名打ちはいうまでもなく偽物である。偽物も偽物、偽作すべく偽作された正真正銘の偽物であるに相違ないが、不思議なことには、実によく切れる。折れ曲がりもまず大丈夫なようである。もちろん統計に基いた成績というではないが、古老の話をきいても、自らの経験に徴しても、相当役に立つものとして大過ないように思う。概して「偽作」にしては、過ぎたる実用効果のあるのがある。どうかすると、本物を超す場合があるようであるが、本物以上ともいえるこれらの利刀が、なぜ偽物でなければならなかったのか−。
 需要はつねに供給に先行する。「廉くて上等な長船」に対する過当な需要が、このころ旺んに燻っていたのである。もちろん問屋どもも初めは「長船」を集め、「長船」を売っていたには違いないが、既製品はそうそうは種が続かぬ。
「サア、困った。他のものでは売れ遠いし、まして土地の新作ぢゃ顧てくれない。どうでもこれは長船を製造するほか致し方あるまい」
 となって、鍛冶屋へ小あたりに当たってみると、職人だって相当困っている矢先だから、
「仕方がありません。では打ち卸し無銘をこれこれでお渡しいたしましょう」
 というので、さしあたり材料提供が行われることになり、銘切りなどの仕上げ工作は当分、問屋の手で行われたか、と想像される(想像の理由はいわなくてもよかろう)が、やがてその声価が高まるにつれて、作人の偽作意識はまつたく稀薄になり、打つ槌は知らず識らず鍛冶の本然を行っていた。だから、「本物以上の偽物」、という世にも不思議なものが生まれたのではないか、と思う。
 うすうすは気がついていたかもしれない侍でも、切れるから買い、丈夫だから指したのではないか、と思う。廉くて品のよい和製ロンドン・メイドが、世界の涯まで進出するように、「実質」が理屈を蹴散らしたのではないか、と思う。そして鍛冶屋はどこそこメイドに関係なく、その腕いっぱいを揮ったのではないか、こんな風に思う。
 どういうものか、私は桑名打ちを見るごとに、「なーんだ、桑名か」、とつぶやきながらも、すぐ「嘘から出た誠」らしいものに懐かしみ、これだけのものに自銘を切り得なかった人たちを、気の毒に思う気持ちをどうすることもできないのである。桑名打ちは果たして真底からの偽物であろうか、観刀が鑑刀を引き具して、それをハッキリと読み得るまでに、高まることは不可能であろうか−。(刀剣工芸・昭和十一年六月号所載)

●無銘の偽物
 「ノウヘイ刀を大摺り上げにして、穴を四つほどあけ、丁寧にも鉛で埋めて、さらに格好を修整し、肉置き豊かに研いでおきますと、すぐ売れます。ノウヘイぢゃ、いかなることにも売れませんからねえ」
 と誰やらがいった。なにかしら甘そうなものに見せたからには、強いていえば偽物であるが、ノウヘイでも後生大事と持ってくれれば、刀は浮かぶわけだから、この場合、功罪相償うともいえるが、同じ大摺り上げ無銘でも、ずいぶんタチの悪いのがある。売立などでかなり名のある正宗・貞宗や、さては"正宗十哲"の誰彼といったようなところに、明らかな初期新刀と思われる大摺り上げを見ることがある。
 ノウヘイ刀のように、ただ売れないから上げ物にしておいたのが、いつの間にやら出世したものか、あるいは恩賞政策を行うため、当時のいろんな機関がタイアップして、半官的に製造したものか、さっぱりわれわれには判らないが、いずれにしても、いわゆる偽臭プンプンたるものナカラズ、という次第で、「掟」にそうあるから、一応は引き下がるものの、どうも心からは頭が下がらぬ。
 第一、在銘物と無銘物とがあまりにも作風の異なることである。おそらく誰でもが思うことであろうが、それにもかかわらず世間ではあまり無銘だから偽物などというとをいわぬ。無銘だから偽物がないとはかぎるまいに、アイマイな材料から抽かれた掟がものあったら、ずいぶん厄介な掟であろうに・・・・・・・・。
 私は今流行の偽物研究が、やがては無銘偽物にまで及ぶであろうことを感じる。そして事によると、ますます刀というものが解らなくなり、結局、理智が神秘の前にうなだるるに至って初めて、刀心相照の心境がわずかに、その扉を開くのではなかろうか、と思う。が、なんにしても刀の世界は夜が長そうだ。待ち遠い黎明ではある。(刀剣工芸・昭和十一年六月号所載)

●偽作留帳
 最近(昭和十一年)大阪刀剣会から出版された『鍛冶平真偽押形』は、厳密な意味での批評ではないが、近頃なかなかおもしろいものである。どんなにおもしろいのか、といって、とにかくおもしろい。悪童の仕草を物陰から見ているようなおもしろさがある。解説者の洞察が深く、人間鍛冶平(細田平次郎直光)に向けられているため、そうなるのかもわからぬが、どうも私には彼平次郎における「悪」よりも、その人格的脆弱が目につく。「困った奴だ」くらいにしか思われない。そして不思議なことには、その悪戯ぶりを見ているうちに、「平公ダメだ。俺に訊けばも少しは巧くできたのに−」
 というとんでもない教唆者に、私自身がなっていることに気付いて、われながらびっくりしたのである。・・・・・変だナこれは。俺のほうがことによると、平公の上ワ手かもしれない。俺は「行わぬ悪玉」かもしれないぞ・・・・・
 今は昔、東京にMという刀鍛冶があった。器用な男で、刃物・包丁・樋・彫物、一ト通りは何でもできるから、一部の刀屋にとってはまことに重宝な存在である。ここへ一日遊びに行ったことがある。伴れが一人。相当許し合った仲間で、Yという男。
 三人ともまだ若い。それにお互い心易い間柄だから、話は初めからアケスケである。
「樋のなかへ後から浮き彫りを浮かせる手品を知ってるかい?」
「なんでもないさ。別の板へ彫って、それを埋めればよかろう」
「うん、そうだ。だが、それだれではおもしろくないから、俺はちょっとイタズラをしておく。板の裏側へ頼んだやつの名を切っておくのだ。嵌めたものはいつかは離れるから、後で浮き彫りがポッカリ除れる。オヤッ、とびっくりして拾ってみると、裏面に『依何某之需 M彫之』。どうだ。おもしろいぜ」
 Mはとうとうその偽作留帳を持ち出して来て、盛んに説明をやり出した。ずいぶん多数の押形であったが、その大部分がかなり丹念な全身押形である。ろくでもない拵えものの押形をとっておいて、どうするつものなのだろう、と思ったが、その詳細な書き入れを見るに至って、ハハアなるほど、とうなずかれた。
 何年何月どこそこのだれから頼まれて、この浮き彫りを彫った。この埋め金をした。竜を一匹、不動様を一体、もともとはかくのごとし、といったぐあい−。だんだんページをめくっていくと、なんと驚くべし。かく申す筆者の名前まで出てくるではないか。
「オイ、冗談じぁないぜ。後樋や埋め金くらいのことは、閻魔帳へ書かんでもいいじゃないか」
「イヤ、自分として必要があるから、そうするんだ。君などは別に厭がる理由はないが、○さん、□さん、△さんなど、人扁ご下命の御方となると、あとでずいぶん困るぜ。この帳面が遺ると・・・・・・」
 などといって笑っている。頼むやつが悪いので、頼まれる自身はなんでもないような言い草である。
(訝しいナ、一体どういう心理状態なのだろう、この男は−?)
と、不思議でならなかったことがあるが、爾来いろんな実際にぶつかってみると、偽作という事柄も、その事柄自体を考えてみる日になれば、われわれにとってまんざら他山の石でない場合もあるようである。
 いくら蛇蠍のごとく偽物をののしったり、二言目には偽臭々々と、さも嗅覚鋭敏なようなことをいったところで、ご当人の鼻の先に臭いものがくっ付いたり、ないしは鼻ツンボで生来があったりしたのではいっこうにつまらん。ニセ物と本物とが本来異なる二個である限り、見る眼で見れば、きっとわかるに違いないが、実はその見る眼があまりにも多過ぎる。五年十年の刀いじりや、痛い目知らずの鑑刀遊戯が、漏れなく「見る眼」を作るものだから、かえって手頃?の偽作が横行するようなことにもなるのではなかろうか、という気もしないではない。
 "昭和刀"などという売国的棍棒は論外として、すこし偽物らしい偽物の製造は、あながちものほしさばかりで行われるとは限らないようである。天狗の鼻の突っ張り合いから行われることもあれば、模倣やイタズラというような本能のデヴイルが、それをやらせる場合もあるらしい。動機はもちろんいけないが、その活動様態はあえて芸術的とはいえないまでも、製作本能的ではあるところの活動ぶりにおいて行われる場合が、実はかなり多いのではないか、と私には思われる。
 話がそれたが、偽作談に夢中のMは、盛んに怪焔をあげるものの、さていくらもらったとか、儲けたとか、そんな金のことなど、感心に一言半句もいわない。いわないところをみると、定めしタンマリ儲けたのだろう、と試みに訊いてみると、なんとつまらないことよ。わずかに気の利いた日当にしか当たらない。そしてまた注目すべきことには、自分自身の発意でやったものは一本もない。みな「たのまれ」である。
 鍛冶平の場合は、その環境からみていくぶん「手張り」もあったかと思われるが、Mの場合はことごとくが受動である。頼むから切って「やった」のだ。俺のせいじぢゃない。だから、こうしていちいち閻魔帳に留めておくのだ、というような身勝手や潔癖や、どうだ巧いだろう! というような自惚れや、そんなふうのお互いにウラハラのものものが、混沌としてあるがごとく思われたのである。
 自己の犯行をみずから証拠立てる記録・偽作留帳−鍛冶平のでもMのでも、そのほか出せばたくさんあるだろう。どれでも−なるものは、なかなかにおもしろいものである。技術的にはさほどないにしても、一人の人間記録としておもしろい。悪行記にして同時に弁明書であり、同時にまた剔抉録でもあるところのこれら偽作留帳は、われわれ無明人の小照のように思われてならない。(刀剣工芸・昭和十一年九月号所載)