公園通り.2000


なぜ「動物園・・・」なの?


 この5月から、住む街の文化センター主催「動物園の今を探る」という講座を受講している。5月から9月まで月2回、全8回のカリキュラムで、動物園の歴史、役割、トラの飼育、ゴリラの飼育、ライオンの飼育、像の飼育について専門家の講義を聞き、上野動物園、多摩動物園と2回の見学会も組み込まれている。

 昨年11月に、精神的に不安定なままの娘を送り出した。ひっこし間近に、今のような状態では心配だと引き止めたが、もう決まったことだからと、1時間以上も離れた所にひっこしていった。

 「一人きりの場所で、思いきり悩み苦しむことによって、きっと良い方向を見つけてくれるだろう」
 「環境が変わって気分転換したら、新しい道が開けるはず、信じよう、とにかく今は余計な手をだすまい」

 昼となく夜となくそう自分に言い聞かせた。しかし元来が心配性の私は、不安や心配から自分を解放させることができず、沈んだ気持ちで過ごす毎日で、12月の中ごろから体のバランスも乱れ始めた。
 「一人になって寂しいんでしょ!」
 そう言って笑う人が多かったが、たとえ一人で住んでいても、私は独りぼっちではないし、一人でいる時間を愛するタイプだから、寂しいという気持ちはない。出ていったときの娘の精神状態と体を思い、ただただ「心配、不安」、それだけだった。

 落ち着いてはまた医者通いを繰り返しながら、年も明けて春を迎えた。
 そんなときの、同僚・チカちゃんの見かねたような言葉は、優しくても痛烈だった。そしてようやく、親心という大義名分のもと、けっきょくは、一生懸命生きている子を認めもせず、信じてもいないに過ぎないことに気づかされた。
 「deckyさんを見ていると、親ってこうなんだなぁ、うちの親達もこうやって心配してくれてるんだろうなって、親の気持ちがすごくわかる。でも娘の立場からいわせてもらうと、バカなことは絶対しないから、自分の子供をもっと信じて欲しいって思う。彼女もお母さん見て心配してますよ」
 チカちゃんは娘と同い年である。

 愛しいわが子だもの、ましてや交通事故による障害を抱えている、心配をするなというほうが無理というもの。でも「いらぬ不安に振り回される」のはよそう。女は弱しされど母は強し、私はお母さんなんだ、強くならなくちゃ、しっかりしなくちゃ。

 チカちゃんの言葉で、やっと自分自身に目を向けるゆとりを取り戻せたように思う。娘が巣立って4ヶ月半が過ぎていた。

 不思議なことに、そんな呪縛的な思いから脱した途端に、娘は愛する人との生活をスタートした。8月には彼の実家への挨拶も済ませ、しばらくの間、勤めを辞めて、今は主婦業に専念している。

 自分に目を向け始めた頃、テーブルの上にあったのが「動物園の今を探る」講座のお知らせ。気分転換にいいかもしれない、思うとせっかちな私は、即、申込書をFAXした。これで一安心!

 そうなると、今度は開講がやたら待ち遠しい。あれやこれやを回りに言いふらすのも私の常。会社にチラシを持っていって、同僚にも触れ回った。その時に、なんと締め切りを1ヶ月も過ぎていたことに気づき、いったんは諦めざるをえなかったが、運良く空きがあり、受講生に仲間入りした。

 格別に動物が好きなわけでもないし、興味があったわけでもない。しかし回を重ねるごとに、自分でも信じられないほど、ぐんぐん動物達の世界に入り込んでしまった。

 友人・知人達が尋ねる。

 「何故、動物園なの?」
 「だって、おもしろそうじゃない!」
 そう答えながら「ねっ!」って自分に同意を求めると、やっと静かに娘を見守れるようになった私がいる。





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