風・光る町…



  「いのちの絆をつないで」
          〜日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故に関するフォーラム〜



627日(土)、藤岡市民ホールにおいて「日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故に関するフォーラム」が開催された。

1985812日、大阪行きJAL123便が羽田空港離陸後、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、乗員・乗客520名の命が一瞬にして奪われた。その事故から、今年で24年の歳月が流れようとしている。
事故当時、さまざまな機関や医療関係者、そして上野村、藤岡市はもとより近隣の多くの人たちが、公私にわたって不眠不休で遺族の対応にあたった。しかし24年の歳月は、事故の悲惨さ、遺族の計り知れない苦しみ、悲しみの記憶を少しずつ薄れさせ、また直後の過酷な状況に関わった人もだんだん少なくなりつつある。

「命の絆を語り継ぐこと……事故にかかわりを持った地として、この多野藤岡地区で起こった事故を振り返り、風化させずに、後世に語り継いで行きたい。命の大切さ、尊さを訴え、警鐘を鳴らし続けていきたい」。
フォーラムは、このような願いがこめられ、事故当時まだ少年だった若い人たちによって開催されたもの。

基調講演:美谷島邦子(被災者家族の会事務局長)

宮島さんは9歳の息子・健君を亡くされた。プールで25m泳げたご褒美の、初めての飛行機一人旅だった。
事故から3日目の朝、健君の着替えとジュースを持ち、這うようにしてたどり着いた現場は正に地獄絵。健君の乗っていたであろう部分にジュースをかけると、ジューッと音が立ち、事故の大きさをあらためて確認したと言う。着ていた緑のシャツの切れ端、チケットの切れ端、そして右手、それが家につれて帰った遺体の全てだった。
その後、事故から4ヵ月目に遺族相互の支えあい、事故原因の究明促進、公共輸送機関の安全性の追及、世界の空が安全になることを願って、被災者家族の会「812連絡会」を結成。
「事故を忘れないこと」それが再発防止に繋がると信じ、文集「茜雲」や機関誌「おすたか」の発行を核として遺族間の絆を強めるとともに、原因究明、再発防止を訴える活動は現在に続いている。
今、日本航空内でも世代交代が進み、事故を直接知る人間が少なくなったが、宮島さんたちの思いが叶い、事故後20年目には、日航に「安全啓発センター」ができた。機体残骸の一部や潰れた座席、遺書、遺品が残され、教訓がパネルになって、事故を後世に残すための場所が確保されたのだ。


対談:美谷島邦子、坂上シゲヨ(ふじおかおすたかふれあいの会会長)、コーディネーター、神田和生

事故の一報が入ったときから、藤岡市は事故対応の最前線となり、賑やかに盆踊りの相談をしていた市民たちは一変、婦人会、ボランティアなどとともに遺族の面倒を引き受けることになった。

急きょ待機所となった冷房施設の無い小学校の体育館や教室に、不眠不休で氷柱を置いたり、悲痛な思いで遠路を駆けつけてきた人たちに、冷たい麦茶やタオルを差し出したりしたと言う。
皆さんのその後が気になって頭から離れない(坂上)。
遺族のその後を気遣ってくれている、どんなふうに励ましたらいいか考えてくれているのが分かった(美谷島)。
双方の思いは、やがて「一緒に慰霊したい」と一つになり、平成元年に、8.12連絡会、藤岡のボランティア、高崎アコーディオンサークルの3つの組織により「ふじおか、おすたか、ふれあいの会」が結成された。
ふれあいの会は、コンサートや資料展、講演会などで再発防止を訴え、平成8年からは毎年811日に上野村の河原で灯籠流しを行っている。
この行事は、回を重ねるごとに犠牲者の慰霊ととともに、各地に離れて暮らす遺族の交流の場にもなってきている。


対談の中で、「手伝えることはありますか?」との問いかけに、美谷島さんは感謝の言葉と共に「語り継いで欲しい。藤岡の皆さんが、あの日、私たちと同じふうに感じてくれたことを、身近に語っていって欲しい」と応えた。
坂上さんは「若い人たちから今回の話を聞いて嬉しかった。自分たちは年をとったので、これからは皆さんが伝えっていって欲しい。次の世代の方々、よろしくお願いします」と、意思を託し、フォーラムは終了した。

遺体安置所となった体育館は現在は市民ホールとなり、隣接の藤岡公民館には記念碑が建立されている。


 
質疑応答で、当時日航のスチュワーデス
だったという人が立ち上がった。


パイロットはトラブッたとき、第1システム、それがダメなら第2システム、それでもダメなら第3システムというふうに、マニュアルのもとで操縦している。事故機もそのような対応をしていた。
それでも10万回に1回は事故は起きる。
事故に合うか否かはその人の運命なのだ。
交通事故や病気で誰かを亡くしても、7回忌までくらいには悲しみも癒えてくるのではないか。
あなた方はいつまで「悲しい、悲しい」と言い続けるのですか?
日航という大きな組織を相手にしての思いがあるように感じられる
が…。

概ね、このような発言があった。
美谷島さんの講演をしっかり聴いていれば、けっして「悲しい、悲しい」ではなく、事故を振り返り、風化させずに語り継いで行くことで、再発防止に繋げていきたい、との気持ちが伝わったはずなのに、どうしてこのような発言になったのか。
大切な人を失った悲しみは人それぞれ。7年も経てば…このような言葉がどうして言えるのか? 本人に面と向かって。


2009.6.27   
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