私のサイトは信越線を題材にしている関係から、これまで何度か
マニアな文献に巡り会ったこともございます。
そのいくつかをここに紹介させていただきます。
一部のものは然るべき施設で保管されているものもございますので
いつの日かお目にかかれる機会もあるかもしれません。(’02.8.1更新)

(写真をクリックすれば拡大して見られます)



広報まついだ臨時号 第465号
「信越本線横川軽井沢間鉄路存続問題の経過」
松井田町発行

平成8年(1996年)3月に刊行されたもので、
横川・軽井沢間鉄路存続運動黎明期から
「在来線廃止反対対策協議会」解散までの経過を報告したものです。
碓氷線は何故廃止されるのか、その発端と難題への取り組み、
結果的に廃止に至る無念と今後の新しい課題解決への取り組みについて
地元松井田町が編さんしております。


鉄道ジャーナル ’72 2月号(通巻58号)
「特集・電気機関車を運転する」
鉄道ジャーナル社発行

昭和47年(1972年)2月に刊行されたものです。
「602列車 出発進行」というタイトルで、EF62の牽引する「白山」の
長野から横川まで至る同乗レポートが掲載されています。
当時長野−軽井沢間はまだ一部単線区間を残しておりました。
また峠を越える新型特急電車「489系」の試運転のワンカットがあり、
新しい時代の到来を予感させております。
私の知人T氏の蔵書にあったものをお譲りいただき、
松井田町に寄贈しました。
現在は碓氷峠鉄道文化むらに保管されています。


adieu 思い出の信越線
(株)ミヤガワ発行

え、こんなのあったの、と唸らせた一冊。
長野の出版社が刊行した本です。
横川から軽井沢に至る碓氷峠、そしてしなの鉄道に移管された
軽井沢−篠ノ井、長野間を主に取り上げています。
今は無き特急あさまやEF63のカットに加え、
長野方面を中心にこれら区間の歴史を
当時の写真を交えて紹介しており、
また、軽井沢から長野に至る沿線の各駅について
その誕生の背景から細かく紹介しているのが興味を引きます。


鉄道ピクトリアル ’63 8月号(通巻148号)
「信越線電化特集」
鉄道図書刊行会発行

昭和38年(1963年)8月に刊行されたものです。
この雑誌が刊行された当時は、碓氷線新線(上り線)が
開業しつつも
碓氷旧線ED42との併用運転がまだ行われており、
また長野−軽井沢間の電化開業を7/15に控え
EF62や165系の試運転たけなわだった様子です。
この2ヶ月後にED42は姿を消すことになります。
御代田でのD50のワンカットも印象的です。


軽井沢ハイキング地図(昭和30年頃)
軽井沢観光協会発行

昭和30年頃に刊行されたものです。
このホームページに紹介しております
「軽井沢観光地図」のオモテ面がこれです。
軽井沢や浅間山周辺の観光案内が英語併記で
紹介されていたり、浅間高原から「電車」に乗るあたりが
当時を偲ばせます。
現在は旧軽井沢駅舎記念館に保管されています。



鉄道ピクトリアル ’60 7月号(通巻108号)
「創刊9周年記念号」
鉄道図書刊行会発行

昭和35年(1960年)7月に刊行されたもので、
表紙でわかる通り、アプト式鉄道時代のものです。
裏妙義を背景に走行するED42、先頭から見た
丸山信号場の様子など、当時が偲ばれます。
その一方で、着工が決定された新線工事の概要が
紹介されているのですが、当時の検討案の中に、
丸山から御代田まで25パーミルのトンネルを15キロ
建設し、軽井沢に地下350mの駅を作るという
途方もない計画が紹介されてました。
廃止された草軽電鉄の写真や乗車記も紹介されてます。


鉄道ファン ’72 4月号(通巻132号)
「碓氷峠の一日」
交友社発行

昭和47年(1972年)4月に刊行されたものです。
碓氷峠の1日という題目で、横川から軽井沢と、
熊ノ平から横川まで下りた体験記が書かれています。
当時は廃止された熊ノ平の木造駅舎がまだ残っており、
車で乗りつけられた様子です(現在は進入禁止)。
別の項で、奥多摩は青梅線支線の廃線跡の写真が
紹介されているのですが、まさか巻頭の碓氷新線までが
廃線になるとは当時は夢にも思わなかったでしょうね。


鉄道ファン ’88 1月号(通巻321号)
「碓氷峠電化75周年記念特集」
交友社発行

昭和63年(1988年)1月に刊行されたものです。
碓氷峠電化75周年を記念して動態復元された
ED42 1号機の復元工事の特集が紹介されて
おります。
苦労の末、自力走行を果たしたED42の復元ですが
いつの日かまた文化むらで見たいものですね。
この本は碓氷峠鉄道文化むらへ寄贈し、
当地で保管されています。





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