1.バンコクとイサーン人のかかわり
バンコクに暮らすタイ人には2種類の人間が存在します。
ズバリ、金持ちと貧乏人です。日本のような中産階級は存在しません。
贈与税も相続税もないタイでは、生まれたときから受け継いだ資産を
着実に増やし続ける人と、生まれた時から死ぬまで贅沢に無縁な人の2種類に分けられてしまいます。
わかり易い例をひとつ挙げると、タイには資産運用のための金融商品がありません。
日本では蓄えたお金を少しでも増やそうとする人(中産階級)のために様々な金融商品が
販売されているのに対し、タイではそんなまどろっこしい低金利に預金などせず、不動産や株あるいは
企業そのものに大金を投資する金持ちと貯金などと悠長なことを言ってられない、
明日の生活にも追われた貧乏人の2種類しか存在しないからです。
元本補償・低金利型のような金融商品が根付きにくいと言われているのは、このためです。
大学出のサラリーマンの中には給料が6万円しかないにも拘わらずBMWやベンツで出勤する者も
多く、働く必要もないのにステータス代わりに外資系企業に身を置き、
別投資で資産を増やしてる人も少なくありません。
ここで言う金持ち層とはいわゆる小金持ちではなく本当の金持ちで
日本の雇われサラリーマン社長よりも遥かに資産を持っています。
しかもその数はほんの一握りではなく国民の20%がそれにあたります。
言ってみればバンコクには大金持ちがゴロゴロ居るというわけです。
金持ちはそれなりにいるだろうけど、所詮アジアなんだからそういった連中はごく少数
だろうと思っていたら大間違いってやつです。
ここで生活してみればすぐに解かる事ですが、日本人の駐在員なんて中流の上(じょう)でしかありません。
決して上流の下(げ)にも混ぜてもらえない世界が確実にあるのです。
当然、こういった方々は汚れ仕事や肉体労働はしません。
涼しい快適な場所でアタマだけ使う仕事が大好きなわけです。
自分で会社経営でもしてれば良いのですがエリート意識が強いため
外資系企業で要職につきたがります。
(アタマでっかちで扱い難いこと、この上ないのですが・・・・・・・。)
しかし実際にはバンコクにはアタマ以外を使う、様々な仕事の需要が存在します。
大都会だから当然ですよね。
建築、ウェイトレス、運搬、イベント補助・・・・・・などなど。仕事はいくらでもあります。
じゃ、誰がそれを担っているのか?って話です。
その殆どの人が貧しい農村部から出稼ぎに来ている人たちです。
とりわけ東北地方(イサーン)から来ている人の数が多く、
この人たちなくしてはバンコクは存続していけません。
そこで、今回は東北人(イサーン人)の心に迫ることでバンコクを別の角度から考えてみたいと思います。
タイの社会は完全な学歴社会です。学歴が全てと言っても過言ではありません。逆に人種差別などは
あまりないのですが、この学歴社会が人間を2極化させてしまっているのです。
貧しい東北部では子供は重要な働き手です。小学校を卒業したらすぐに働くのが一般的です。
仮に神童と呼ばれるような子供が出生したとしても、その子供を大学まで行かせたいという発想は
過去にはありませんでした。(最近は少子化が進み子供の進学を考える若い夫婦も珍しくはないようですが・・)
そもそも子供を大学まで行かせられるということは、学費プラスその子供の働きブチを充てにしなくて
良いだけの経済状況が家庭内にあるということですから、それはハナからその家庭が
そこそこの金持ちであることに等しいのです。
結局、学歴社会=金持ちのための社会、と言えなくもない構造に加え、農村部では
実際に仕事にありつける機会も少なく農家の次男以降が自ら生計をたてるのは困難な状況となります。
そんなわけで、ろくに学校も出てない農村部の人間が金を稼ごうと思ったらバンコクに出て来て、汚れ仕事や
簡単な雇われ仕事をするのが一番手っ取り早い方法となります。
いや、むしろそれしか金を稼ぐ手段が残されていないと言った方がよいでしょう。
当然彼らはバンコクの雇い主達から足元を見られ、ひどく安い賃金で雇われることになります。
例えば同じ会社の中の正社員同士であっても大学出の営業職と
小学校しか出ていない田舎出身者のメッセンジャー職では給料が6倍以上も違います。
そもそも、前者は親元の家庭が裕福な筈なので資産的には何百倍も違うことになります。
これが現実です。
こんな状況で違う人種が同じ会社の中で働いていたりしたら、卑屈になったり恨んだり
人間関係がギクシャクしたりするのが普通だと我々日本人は考えがちです。
ところが彼らは立場や状況を受け入れ、さもそれが運命のような割り切りをもって明るく接して
いるのです。これは総中産階級と言われる日本人には全く理解できない文化と言えます。
仮にアタマの良い優秀な田舎出身者を日本人のエゴで要職に登用しようとしても、それは決して
周辺幹部から受け入れられないのと同じように、我々がこの国全体の雇用制度や習慣を変えようと
願っても結局は徒労に終わってしまうのだろうということを痛感せずにはおれません。
カースト制度があるわけでもないのに不文律として弱者が、あるいは生まれ育ちによって人生を
決められてしまう不可思議さには、とても理解が及びません。
で、あるならば、いっそ彼らの懐に飛び込んでその心豊かな人生の受け止め方を理解してみよう。
と、考えるようになりました。
そんな思いが私を実際にイサーンの地へと誘(いざな)うこととなったのです。
2.シーサケットへ
東北部(イサーン)の一部には、雨乞いを願って行われるバンファイ(ロケット)祭りという
習慣が古くから残っています。雨季の前(5月2週目)に行われるこの祭りはイサーン
の重要な財産でもあり、村人が心待ちにする年に一度の楽しみでもあります。
かねてよりイサーン人の心を理解したいと願っていた私にとって、この祭りの情報は大きな機会
となりました。ここからお届けするのはその祭りの全貌とそこに見たイサーン人の素顔です。
今回私が訪れた場所はウボンラチャタニ(東北の大きな街・ラオス国境近く)の隣にあるシーサケット県
のマインガーム(美しい樹)という小さな村です。人口500人程度のこうした村々は周辺に1,000以上もあるそうですが
この村はロケット祭りの規模の大きさで群を抜くと共に不作の年でも祭りを続けて来たという
長い歴史と伝統を誇っていることから最も有名な場所として地域の人々に親しまれています。
それゆえ、当日は周辺からもたくさんの人が訪れ、500人の村は一挙に20,000人以上の人で膨れ上がります。
メインは月曜日(祭日)のロケット打ち上げですが、
イベント自体は前日の日曜日から様々なプログラムとともに行われます。
私も前日の日曜日の早朝に現地入りし、村を訪れました。
バンコクで働いている人は日本人を見たこともありますが、他の人は初めて
であろうし、そもそも日本人がこの村に足を踏み入れたのが有史以来初めて
ということなので、それ自体が驚きとなってしまったようです。
この村の労働人口の6割がバンコクに働きに出ているため、様々な準備や
運営は村に残った女性や長男連中、あるいは顔役達によって行われます。
バンコク労働者組はチャーターした観光バス5台に分乗してこの祭りのために
村に戻ってきます。みんな違う場所で違う仕事してるのに、ちゃんと万障繰り合わせて来るのが凄い!
お寺でタンブン(願いを込めたお祈り)を済ませ、村の顔役に挨拶した後
近隣の川に出かけて一休みすることにしました。
ここは村周辺の人の憩いの場所で、”海の家”みたいなところです。
ビール、料理などをレンタルスペースの中に運んでくれます。
3.狂気の沙汰!炎天下の大パレード
昼寝の後、日曜日の大イベントに参加するため村へと戻りました。
ロケット祭りのプレイベントの目玉がこのタイ舞踊パレードです。
各女性チームがオリジナルの衣装と振り付けを披露し合い
審査を伴った上で賞品が授与されるという仕組です。
私も特別審査員という形でこのイベントに参加することになりました。
ということで、炎天下の中、午後2時から始まったパレードも無事終了し
夜の屋外コンサートと余興のムエタイを待つ間、一旦シーサケットの
町のホテルに戻ることにしました。
シーサケットの町はマインガーム村から車で30分、数軒の
ホテルの他ショッピングセンターやケンタッキーなども有する比較的大きな地方タウンです。
村の人は街までくれば大抵のものは手に入るので日本の山奥の
村よりよっぽど便利かも知れません。
物価はバンコクの半分程度で、とにかく安いです。
大金がなくても、ある程度のお金があれば十分生活できることが解かりました。
ちなみにビール60円、ペプシ23円でした。やっし〜〜〜〜〜〜〜。
そして、夜になり村人待望のコンサートタイムがスタートします。
わずか2日の間に、パレード、コンサート、ムエタイ、ロケット祭りと様々なプログラム
を詰め込んで楽しむのがイサーン流。すごいエネルギーを感じます。
4.怒涛のオールナイトイベント
いよいよ時刻も9時に迫り、特設会場が設けられた村の境内には人が集まりはじめます。
村人とその親戚やゲストは無料ですが他の村人からは50バーツの料金を徴収します。
他の村ではここまで運営母体がしっかりしていないため自分達では大掛かりなイベントが
仕込めないのです。
二日間のイベントや賞品などに伴う支出は全部で100万円だとのことでした。
村の人にしたらこれでも大金ですが、年に一度の祭りのために協力して支出を賄うのです。
会場内には多くの屋台が軒を並べ日本の縁日状態になりますが、ここで日本と最も違うのは
お祭りの日はいつもより料金が安くなることです。せっかくの掻き入れ時なのに!と思われる
かも知れませんがそれがイサーン人の心の豊かさなのです。
みんなが集まり楽しい時を過ごすのだから、少しでも安く分けたいと願うのが
イサーン人にとって普通の感覚なのです。これには少し驚かされました。
このコンサート会場の後ろには特設ムエタイリングが作られ、同時に
夜中まで熱いバトルが繰り広げられます。当然全カード賭けの対象となり
祭りの前夜祭は音、酒、賭けで熱く染められていくのです。
5.ここは戦場か !? 壮絶なロケット祭り
朝まで続いた大狂乱のコンサートをバックに踊り続けた村人達は、
短い仮眠をとった後すぐさまメインイベントの準備にとりかかります。
それはこの日のために仕事の合間をぬって作った自慢のロケットを打ち上げる
ための準備です。
会場である乾燥した田んぼの中に入ってみると、
そこには既に巨大な発射台が備え付けてありました。
6.私の結論
というわけで一連の祭りイベントに参加し、イサーン人と触れ合った
2日間でしたが、私なりに何かが見えてきたような気がしました。
イサーンは貧しくとも豊かなのです。
プラネタリウムよりも美しい180度の星降る空、豊かで清らかな川の流れ、
バンコクよりも旨い料理の数々、そして人間。
彼らは必要に迫られ1年の大半を出稼ぎという形でバンコクで過ごしますが
いつでも想いは郷里にあり、いつかは戻ることを前提に都会で生活をしています。
そして本当に豊かなものが何かを知っているためバンコクにある贅沢と思われる
モノや金持ち連中には羨望は生まれないのだと思います。
素晴らしきイサーン文化と人間に敬服致します。
来年、もう一度この地を訪れることを誓いながら帰路についた私でした。
最後に主なイサーン語を紹介しておきましょう。TVの普及率がほぼ100%に近いタイでは
どこへ行ってもほぼこちらのタイ語を伝えることは可能です。
しかし相手は方言で話してくるので全然解かりません。
多少なりとも単語を覚えておくと会話が広がります。是非試してみて下さい。
何もわざわざ地方へ行かなくともバンコクにはイサーン出身者がゾロゾロいますから
街じゅうで試すことは可能です。
ちなみにクラブやバーで女の子にイサーン語で話し掛けてあげると、いきなりツカミはOK状態になります。
イサーン語を操る日本人はそうそういないですから・・・・・・・・・。
| 日本語 |
|
|
| 私 | チャン | コイ |
| あなた | ター | チャオ |
| 愛する | ラ(ック) | マ(ック) |
| おいしい | アローイ | セープ |
| たのしい | サヌ(ク) | ムァン |
| 〜です | クラップ(男性) カー(女性) | ドォー |
| 〜ですか? | マイ? | ボー? |
| ちがいます | マイ・チャーイ | ボー メーン |
| 話す | プー(ト) | ウォウ |
| 本当に | チンチン | イリィ |
| とても | マー(ク) | ライラーイ |
| する | タム | ヘ(ット) |
| そうそう | ヤン・ナン・レ | チャン・サン・ラ |