ヒライスト番長
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8マンレポート第一弾
1992.12.03 初出:NIFTY-Serve
 さて、ドームで行われた8マンの初日でありますが、予想通り閑散としておりました。私の発売初日に買ったチケットは11番ゲートだったのですが、実際に行ってみると25番ゲートに変更されておりました。つまり、ゲートの数を減らしてしまう程、客の入りが少ないんであります。
 で、一応S席のチケットは持参したのですが、8マンオフということで、アキラさんのタダ券に群がる(失礼)方々と一緒に観ようと思い、私もご招待券をいただき、22番ケートをくぐったのでありました。そしたらなんと、招待券にはS席と記されているにも拘らず、そこはドーム球場本来の観客席で、どう考えてもA席。こりゃあないぜとボヤキながら、グラウンドに設置されたアリーナ席を眺めたのでありました。まあ、ここで買ったチケットの席に移動してもよかったのですが、せっかくみんなと一緒なのだし、それにどうせ明日もアリーナで観るのだから、ここから観てみるのも一興と、そこにいることにしました。
 ところで、A席に座っている人々は我々同様、招待券で来ている人がほとんどだったらしく、上映中、席を立つ人が絶えませんでした。こちらも予想通り、つまんない映画だったんで、無理もありません。ただ、8マンの走りが滑稽で、かなり笑えるのが、救いと言えば救いですね。・・・・言えるかっ!!(笑)
 そんな訳で、観客動員数はわずかで、しかも招待客がかなりの割合を占め、イベントも映画もつまらなく、いやぁGanさんホントに来なくて良かったですねと言ったところです。言霊に見離されたリム出版の冥福を祈りましょう。
 上映終了後に松沢さん(この人の場合、注釈がいらないのが凄い)や佐々木君紀さんに会えたのはラッキーでした。こんなことがあるんじゃないかと、これも予想しておりましたが(^_^)。懐かしい面々が集まって、悪口大会となったのは言うまでもありません。
 で、先程申しましたが、私、物好きにも、本日(3日)もドームに観に参ります。それでは8マンレポート第二弾、お楽しみにっ。

8マンレポート第二弾
1992.12.03 初出:NIFTY-Serve
 仮面ノリダーには笑ってしまった。
 3日、ドームで会った友人I山氏の、クライマックスの決闘シーンを評しての弁である。確かに、あの滑稽さ加減はノリダーそのものだ。他にも色々な不手際はあるが、このシーンさえなければ、これほど無残な作品にはならなかった筈である。
 私は、この映画版「8マン」の基本コンセプトを知った当初、大変期待を抱いていた。夜と雨のシーンをふんだんに用い、全編を通じてキャロル・キングのナンバーをカバーしたジョー山中の歌が流れる。このアダルトな雰囲気。都会の暗部に漂う哀愁。これこそ8マンの世界そのものである。これが世間の話題となれば、従来お子様向けとされてきた特撮ヒーローのジャンルに、新風を吹き込むことができるかもしれない。そして何よりも、平井和正の知名度を飛躍的に高め、映画「地球樹の女神」の大きな布石となるであろう、と。
 だが、現実はそれほど甘くはなかった。なにしろこの作品、肝心なところでツボをハズしまくっているのだ。さち子さんを人質にとったミッキー・カーチス演じる悪人と東八郎が対決する場面がある。なんと、ここで東八郎は、拳銃でこの悪人を片付けてしまうのである! いくら警察に協力しているからとはいえ、私立探偵にすぎない東がなぜピストルを所持しているのか、さち子さんが不思議に思わないのはともかくとしても、これでは変身サイボーグの悲哀を描いている意味がない。
 本来なら、こうあるべきだ。
「さち子さんを救うには8マンに変身しなければならない。だが、もしそうすれば、私の正体が彼女に知れてしまう・・・・」
 こうした葛藤が、ドキドキハラハラの緊張感をもたらし、ドラマを盛り上げるのだ。拳銃であっさり埒を開けられてはたまらない。それにしても、素人の私でもやらないポカをれっきとしたプロ集団が犯してしまうのは何故なのだろう。これでは、せっかく役作りのために前歯を二本抜いたミッキー・カーチスが可愛そうだ。
 そして、ラストの仮面ノリダーだ。はっきり言うが、超人バロム1レベルのちゃちなコスチュームを白日のもとに曝したのは完全な失策である。なんのために、ここまで夜と雨の暗いシーンを通して来たのだろう。ああカッコ悪る。さっぱりわやや。
 さて、関東圏の深夜テレビをご覧の方はご存じだろうが、この二大・大ボケシーンをCMスポットにしてしまったことからも、スタッフの間抜けぶりが伺える。これは逆効果というもので、まともな8マンファンなら観る気が失せる。3日の興行はさすがに大勢入っていたが、私の見立てに間違いなければ、銭を払って観に来た客の大部分はSFマニアかジョー山中のファンだ。
 本当はもっといい作品になるはずが、要所をハズしてしまったがために、台なしになってしまったことは残念でならない。映画についての感想はこれに尽きる。

 2日と3日の違いと言えば、舞台挨拶のメンバーとコメントが若干変わっていたぐらいで、特筆すべき事はない。この日はアリーナの最前席で観たが、スモークだの風だのといった立体音響効果については、やはり「だからどうした」という程度のものでしかなかった。
 結局、アニメ「幻魔大戦」と同じく「歌だけは良かった」としか言えないようだ。なんか空しいなあ。ビデオの購入をお考えの方は、ジョー山中のプロモーション・ビデオのつもりで買うことをお勧めします(^_^;)。

私を応援してくれる人々へ
1992.12.05 初出:NIFTY-Serve
 私の名は8マン。
 最近、私の偽物が東京ドームほか各種メディアに出没し、諸君らを困惑させているようだ。
 だが、信じてほしい。あれは私ではない。
 私はあんな火星の人面岩のような、はっきりロボットと分かる顔をしていない。
 TVアニメ版「光線銃レーザー」に、水沢博士とのこのようなやりとりがある。

 水沢博士 「8マン、あなたはロボットね」
  8マン 「なにっ! どうしてそれが分かった」
 水沢博士 「ほほほ。私はこれでも科学者のはしくれよ」

 このように、科学者でなければ、私の正体を見破ることはできないのだ。だから、殺し屋かまきりやサタンの兄弟は、私のことを変な格好をした(これは正義のヒーローの宿命なのだ。勘弁してほしい)兄ちゃんだと思っていたにちがいない。
 あの変なロボットが私ではないことが、これで分かってもらえたと思う。
 また、私は東八郎であることをやめた後、谷博士に自己の抹殺を申し出たことはないし、仮にそうしたとしても博士は決して承諾しないだろう。この世に悪がある限り、私に安息が許されることはない。つまり、8マンAFTERも真実ではない。
 では、さらばだ。私には、次なる事件が待っている。

註)カナメ>8マンにチャネリングして書きました(^_^;)。

 「8マン」は、いい加減な物語である。
 いい加減とは、デタラメということではない。何事も突き詰め過ぎず、ちょうど良い加減という意味である。

 たとえばである。8マンは素人目には生身の人間にしか見えないことは以前述べた。それは漫画の中のこんなセリフからも窺い知ることができる。
「おれの目にくるいがなければ、こいつはロボットだ」
「えっ、こいつがロボットだと?」
「そうだ。人間が火えん放射機の火をあびて生きていられるとおもうか。やつはまだうごいている」

「怪人ゲーレン」より
 では、さち子さんは、いつ頃から8マンをロボットだと認識したのだろうか?
 最初、さち子さんは8マンを人間だと思っていたようだ。
「8マン? どういう人だね?」
「すばらしい超人よ」
「サタンの兄弟」より
 それがロボットだと、はっきり認識を改めたのは、007との戦いを目のあたりにしてからである。
「もし東さんが8マンだったらどうしよう」
「すごいな。所長があのすばらしい8マンならば…」
「よしてよう、東さんは東さんよっ。東さんがロボットだなんていやだわ、ぜったいいやよ」

「怪力ロボット007」より
 ところが、さち子さんは、「決闘」の中でケンと出会った時、彼を8マンだと思っている。8マンをロボットだと知っているなら、こうは思わないはずだ。つまり、この時、さち子さんは8マンを人間だと思っていたということになる。
 「サタンの兄弟」と「怪力ロボット007」は時間的に連続したエピソードである。従って「決闘」が「怪力ロボット007」より時間的に前だという解釈は成り立たない。

 「8マン」がいい加減だと言う理由が、おわかりいただけただろうか。こうしたディティールが、実に曖昧なのである。肝心なことは、その曖昧さが、物語を面白くするのに役立っているということだ。
 もし仮に、8マンはロボットなのにどうして人間のそっくりさんがいるのかしら? などと、さち子さんが考えたら物語はオジャンである。

 私はリアルなのにつまらない物語より、いい加減だけど面白い物語が好きだ。だから、昔の「8マン」は好きだが、今のリバイバル版「8マン」は好きになれない。
 次回は、現代風リアルバージョン「8マン」が、何故かくもつまらないのか、その理由について、旧作「8マン」の“いい加減”さに着目しつつ、検証してみたい。

続く…と思う

 「8マン」最大の謎は、8マン誕生の経緯において、田中課長が死に瀕した部下を谷博士のもとに連れていったことである。田中課長はいかにして、谷博士との知遇を得たのだろうか。
 そもそも、谷博士はアメリカの軍事機密に関わる研究に携わりながら、そこから逃れてきた人間である。当然、米政府から追われる身であるわけで、地下に潜伏している筈である。よって、ロボット工学の権威として、世に出ることはできない。にも関わらず、田中課長は谷博士の存在を知っていた。何故だろうか?
 この件については、旧作はもとより、リメイク版においても明らかにされてはいない。唯一、須甲和彦氏の小説「8マンbefore すべての寂しい夜のために」にのみ、田中課長と谷博士の出会いが描かれている。ただし、こちらはストーリーそのものが旧作とは異なるため、謎解きにはならない。
 謎はまだある。谷博士は膨大な額に登るであろう研究費をどうやって工面しているのだろうか。地下に潜伏していたのでは、パテントを取ることもままならない筈なのだが。

 私はマニアのはしくれとして、こうした謎である“いい加減”さを排除した、リアルバージョン「8マン」の設定を考えてみた。

 谷博士の資金源は警視庁である。自分の開発したサイボーグ・ロボットを軍事目的にではなく、警察官のような世の中に役立つ存在にしたかった博士は、警視庁と接触をもつ。資金提供の見返りとして、優秀かつ正義感あふれる殉職警官を《8マン》として甦らせることを約束するのだ。

 どうだろうか。多少の無理は勘弁していただくとして、これで田中課長が谷博士を知っている一応の説明にはなるだろう。まあ、これで警視庁が8マンを誕生させるために、故意に適任者を死に追いやったとなると、これはもう「サイボーグ・ブルース」の世界である。

 こうして考えてみると、曖昧なディティールを突き詰めていくほどに、「8マン」の世界が、実にドライな殺伐としたものと化していくことに気付く。かつて多くの子ども達に夢を与えた、正義のヒーロー物語としての「8マン」像はそこには無い。
 若き日の平井和正が「8マン」をある程度“いい加減”にした、あるいはせざるを得なかったのは、こうした理由によるものではないだろうか。
 確かに、哀切でクールな大人向けハードボイルド調「8マン」も悪くない、と思う。しかし、そのように創られたリメイク版「8マン」が、「サイボーグ・ブルース」に遥かに及ばないばかりか、奇妙な滑稽感さえ漂わせているのは一体どうした訳なのだろうか。その理由について、次回に述べることにする。

続く…んでしょうねえ

 東八郎が変身せず、8マンを名乗ることもなく、超スピードで敵と闘う。もし、そんな物語が描かれたとして、これが新作の「8マン」ですと言われたら、やはりファンは激怒するに違いない。仮に、作品自体が素晴らしい出来であったとしても、誰もそれを「8マン」と認めはしないだろう。「8マン」という物語にとって、一番大事な欠かすべからざる要素こそ、胸に「8」のマークをいただくスーパーロボット、8マンにほかならないいからだ。
 子どもばかりか大人まで魅了する、その華麗なフォルムは、まさにロボットマンガ界の最高傑作と言っても言い過ぎではあるまい。「8マン」にとって8マンは物語の主役であり、そしてそれ以上に作品のシンボルなのだ。だから、「8マン AFTER」のように、東八郎が世を去り、別の人間が8マンとなっていても、それは「8マン」として認知される。だが、その逆は有り得ない。8マンのいない「8マン」などあってはならないし、そんなものは「8マン」ではない、ということだ。
 無論、ただ一人の例外を除けば、「8マン」の新作と称して、8マンの登場しない作品を描く作家はいまい。そういう発想が頭をよぎることすらないだろう。だが、この「メカニカルなロボットに“変身”する」という絶対の条件こそ、実はリアルな「8マン」を描くうえで、最大の癌となっているのである。

 何故なら、変身ヒーローとはそれ自体、極めて不条理な存在と言えるからだ。何故、変身しなければならないのか。わざわざ、派手な格好で闘う理由がどこにあるのか。内的必然性などありはしない。要は、それが変身ヒーローものというジャンルに属する物語のしきたりであり、様式であるというだけだ。
 無論、変身ヒーローものに対して、そうした疑問を抱くこと自体ナンセンスである。つまらない理屈など考えず、変身を遂げ、悪と闘うヒーローなりヒロインのカッコ良さに痺れているのが正しい。それはファンタジー・ワールドであって、幻想の空間だからである。科学の常識を覆す超人や怪人の存在が、一般市民にさえ知れわたっている世界。相手が悪人とはいえ、明白な殺人を犯しながら、警察に追われることのない世界。そうした不条理な世界であるが故に、世界征服を目論見ながら幼稚園児を誘拐するなどというセコイ真似をする悪者や、恥ずかしくないのかと言いたくなるようなコスチュームで地球の平和を守るヒーローが、生存を許されるのである。

 だが、リメイク版「8マン」の舞台は、物事すべてに必然性を問われるガチガチの現実性を帯びた世界である。高橋悦史扮する渋みの効いた田中課長と麻薬密売組織との抗争、そこに8マンが現れるとき、何とも言い様のない違和感が生まれる。まるで「太陽にほえろ」に宇宙刑事が登場するかのような滑稽さ。この感覚には覚えがある。池上遼一が劇画を描いた日本版「スパイダーマン」である。
 日本版「スパイダーマン」もまた、シリアスなドラマとグロテスクなヒーローとの間に、異様なアンバランスを招いた作品である。ストーリーを担当した平井和正は、遂にスパイダーマンの登場しない「スパイダーマン」、『虎を飼う女』を発表する。
 8マンの登場しない「8マン」を描くかもしれない、ただ一人の例外とは、無論 平井和正のことだ。このひとならやりかねない。そうする必要があり、それが正しいことなら、躊躇うことなくやってのけるだろう。いや、むしろ、ある意味で彼はそれを既にやってのけたと言える。それが「サイボーグ・ブルース」なのである。
 「サイボーグ・ブルース」こそ、平井和正の描いた《変身しない「8マン」》だ。設定、登場人物、ストーリー、そしてタイトル。それら全てが異なるために、別の作品になってしまっただけだ。未来社会が舞台である方がサイボーグの存在に説得力があるし、また加速状態に入るためにいちいち変身する必要もない。「8マン」にリアリズムを求めるなら、ここまでやらなければ駄目だ。リメイク版は、要するに中途半端なのである。
 それもこれも、変身ロボット《8マン》の存在にこだわったがためだ。結論を言えば、8マンは古き良き時代のヒーローであって、この殺伐とした現代のリアルな物語には合わないのだ。だからこそ、そこから脱却しないことには、真に優れたサイボーグ・ヒーローを生むことはできない。平井和正が本当に凄いと思うのは、このように一見常識外れな無茶苦茶をやらかしてファンを裏切っているようでいて、その実それが見事なまでに理にかなっているということだ。
 「8マン」は“いい加減”なままが良い。下手にいじると台なしになってしまう。そのくらい、微妙な“いい加減”さによって、「8マン」ワールドの均衡は保たれている。だからこそ言う。「8マン」をアレンジするな。もし「8マン」に感動し、同時に若干の不満があるなら、オリジナルのサイボーグ・ストーリーに挑むべきだ。それこそが真に「8マン」の魂を継承することになるはずである。

 もう一度言う。「8マン」は“いい加減”が良い。刑事課長とはとても思えない オッチョコチョイの田中課長や、自分もサイボーグのくせに8マンにばかり悪を退治させる谷博士、ラーメンばっかり食ってる一郎君に、ろくに仕事もない探偵事務所に何故だか秘書を勤めるさち子さんらに囲まれて、8マンは時代を超え、世代を超えて、永遠に愛され続けることだろう。

- 完 -

「パプワくん」と「地球樹」
1993.01.31 初出:NIFTY-Serve
 TVで「南国少年パプワくん」をたまたま観ていたら、「2つの玉(秘石)を手に入れた者は世界を支配する」という言い伝えが登場し、びっくらこいてしまいました。何故、私が驚いたのか、わからない方に解説しますと、「地球樹の女神」にこれと同じコンセプトが存在するからです。
 考えてみれば、確かに、「パプワくん」には、「地球樹」とよく似た一面があります。パプワくんの住む孤島は、まさに「地球樹」で言う《異界》そのものであって、そこに訪れるある者を島は受け入れ、ある者を排除する。とりわけ、邪な意図をもって侵入する人々は、そこに棲息する非常識な生物達によって追い払われる。

 やはり、これが“時代の潮流”というものなのでしょうか。全く性質の異なる物語に、ある種の共通部分が生じて来る。たとえば、「セーラームーン」の作者は、日渡早紀の「ぼくの地球を守って」のことをおそらく意識はしていないでしょうが、2つの作品の間には極めてよく似た傾向が存在します。
 こうしたことは、なにも創作に限ったことではなく、発明の世界においても同じ事が起きています。ライト兄弟が初めて空を飛んだ頃、日本では二宮忠八が飛行機を考案していました。アメリカでテレビの開発が進んでいた頃、高柳健次郎は「電気映像」の研究に取り組んでいました。エリシャ・グレーが電話を発明し特許を申請したのは、グラハム・ベルが同じ特許をを申請した、そのわずか数時間後のことでした。
 同じ時代、同じ時期に、なんら情報の伝達もない者の間に、同じインスピレーションが訪れる不思議。現代の常識では説明不可能な、こうした事例について考えるとき、人智を超えた意思の存在に思いを馳せずにはいられません。優れた創造的営為にそうした大いなる意思が介在することは、もはや疑問の余地はないでしょう。

 ですから、たとえそれが自分にとって至高のものであったとしても、現在の平井和正に、過去の作品、過去の作風を求めるのは誤りであるし、無意味です。何故なら、ウルフガイがあれほど多くの人々から愛され、人気を博したのは、平井和正の創作活動が大いなる意思とともにあったからです。形だけウルフガイを真似た作品は幾らもありますが、ウルフガイの足元にも及ばないものばかりだったことが、それを証明しています。そして、そんな作家だからこそ、彼は「幻魔大戦」を書いたし、「地球樹の女神」を書いたと言えます。
 その平井和正がいままたウルフガイを書く。一体、どんな物語になるのか全く想像もつきませんが、空前絶後の小説になることだけは保証付きです。もっとも、それがかつてのウルフガイファンに受け入れられるかどうかは、また別問題なのですが。

 それにしても、「パプワくん」を観て、神について考えるというのも妙なものです(^_^;)。

CD−ROMで全集を
1993.02.21 初出:NIFTY-Serve
 かつて、平井和正の本がハードカバーで出版されたとき、「高い」と言う読者がいて、憤慨したことがあります。確かに、わずかな小遣い銭しか持たない中高生には無理もない話ですが、しかし、映画やレコードには平気で金を出す人間が言うとなると、これは首を傾げずにはいられません。
 読書(=本)は、娯楽の中でも、異常に安価な部類に属するでしょう。千円前後という安さもさることながら、それで一生楽しめる訳ですから、コストパフォーマンスの高さは郡を抜いていると言えます。例えば、舞台演劇など、高いものでは1万円以上もかかって、観れるのは1回きりです。ですから、本当に面白い小説なら、読む度に銭を払ってもいいとさえ、私は思うわけです。むしろ、めんどくさがりの私としては、読み終えた本を保管するよりは、古本屋に売るなりして処分し、読みたくなったら、また書店で買う方が、保存場所の確保や、管理の手間が省けて良いのです。
 しかし、残念ながら、それは不可能です。単行本は出版されてから、ものの数ヶ月もしないうちに書店から姿を消すのですから。文化遺産ともいうべき優れた書物が、まるで新聞や雑誌のような一時的な読みものと同じように扱われるのは、しゃくにさわるものの、さりとてこの現状を変えることなどできるはずもなく、仕方なく大枚はたいてスライド式書棚を買い、それでも本を置く場所がなく頭を抱えるということになるわけです。
 買うには安いが、かさばるうえに脆弱(なんせ紙ですから)で、そのくせダンボールにまとめると異常に重い、この本というやっかいな媒体に替わる、なにか新しいメディアはないものか。そこに現れた救世主が、CD−ROMなのです。

 CD−ROMの容量は、約500メガバイト! 単純計算でいくと、400字詰め原稿用紙で60万枚以上の文章が記録できる。これは一人の作家の一生分の作品を楽に収めることのできる大きさです。あの置き場に困る数十冊に及ぶ全集や百科辞典が、たった1枚のCDに収まってしまう。なんという素晴らしいことでしょう。部屋の模様替えや引っ越しの度にしんどい思いをせずに済むのです。
 CD−ROMの利点は、それだけに留まりません。必要な分だけプリントアウトすることで、どこへでも気軽に持っていくことができます。新書や文庫ならともかく、全集のどれか1冊を持っていくとなると、結構大変です。そこへゆくと、プリントアウトした紙なら軽いし、汚したり無くしたりしてもへっちゃらです。
 また、作品の調査・分析も容易です。例えば、「光のネットワーク」という語句が『幻魔大戦』の何巻から登場するかを、コマンド一発で調べることができるのです。また、ある語句がどの作品に何回現れるかグラフで表示する、なんてことも可能です。同様に、特定のキャラクターが登場するシーンだけを連続して読むことも簡単です。
 あるいは、音声ソフトを使って、作品の朗読をさせることも不可能ではないでしょう。他にもまだまだ、応用方法はあると思われます。
 このように、小説のCD−ROM化は、従来の単に読んで楽しむという以上の面白味を与えてくれるのです。こうして考えると、本に書かれた小説って、ずいぶん原始的に思えてきません?

 大体、現役の作家の全集って、「全集」にならないんですよね。全巻を一度に出すわけにはいかないので、せいぜい月に1〜2冊。そうすると、数年がかりの出版になるのですが、その間に事情が変わって、出版が打ち切りになったりする。運よく、全て出し終えたとしても、その頃には初期の巻はなかったりする。また、その間に出された新作も相当あるわけで、それを追加収録できるかどうかは保証の限りではない。
 その点、CD−ROMなら、全作品を一挙に収めることが可能だし、新作についても、定期的にバージョンアップを加えることで、解決できる。
 文化遺産を後世に伝えるという意味でも、平井和正全集は是非ともCD−ROMで、と繰り返し訴えたいと思います。皆さんは、どう思われますか。

今年はアニメ幻魔公開10周年
1993.02.25 初出:NIFTY-Serve
 角川映画『幻魔大戦』がLDになっていることをご存知でしょうか。パイオニアLDCより2枚組¥8,320で発売されています。物好きにも、先日、これを買いまして、久しぶりにアニメ幻魔を観ました。
「間違っていた。俺はひとりなんかじゃないんだ。この動物達も、ルナ達も、生まれるずっと前から仲間なんだ。みんなこの地球という惑星が永い時をかけて育んだ、命なんだ。姉さんが言ったのはそのことだ」
〈忘れないでほしいの。あなたを支えるのは、結局、愛だけなのよ〉
「そうなんだ。幻魔の破壊から地球を護る力は、怒りや憎しみからではなく、仲間達へのこの想いから湧いてくるんだ」
 私はアニメ幻魔について、その内容とは別に、PRとしての社会的インパクトという点で大いに評価していました。私も含め、この映画がもとで、平井ファンになった人は、かなりの数に上るものと思われます。「8マン」や「ウルフガイ」は、いまひとつ存在感に欠け、PRとしての効果は望み薄です。
 いや、しかし、今回あらためてアニメ幻魔を観るに及んで、結構いいところもあるじゃないかと、認識を新たにしました。まあ、何しろ、いきなりあの大友克洋のキャラで強烈なラリアートを食ってしまっては、あまり細かい部分までは記憶に残りません。
 セリフの端々から、確かに脚本陣が原作を理解していることが伺えます。りんたろうが、いらん横槍さえ入れなければ、かなりいい映画になったのではないかと思います。そもそも、『幻魔大戦』は人間同士の対立や憎悪を克服していくところに重要なモチーフがあるのに、それを今時流行らないからといってカットしてしまうあたり、完全に「幻魔」の監督として失格と言えるでしょう。凡庸なアニメ監督の感性が、この作品を台無しにしたというところでしょうか。

 それにしても、あれからもう10年経つんですねぇ…。

気になる「幻魔宇宙」4の表紙
1993.02.26 初出:NIFTY-Serve
 『真幻魔大戦』の未発表の続編について、ちょっと気になることがあります。「幻魔宇宙」4の表紙です。
 戦艦と対峙する黄金の獣神の図を描いたこのイラストは、言うまでもなく「真幻魔」のクライマック・シーンに他ならないのですが、ひょっとしたら未だ活字化されていない“続き”を描写しているのではないかと、思えてならないのです。
 「幻魔宇宙」4の表紙をご覧下さい。手元にない人は思い出して下さい。見たことがない人は……あきらめて下さい。m(_ _;)m peko
 横たわるクロノスのそばで、ドナーがむっくりと身を起こしてますよね。本編でドナーが意識を回復する記述はありません。このイラストの場合、イメージではなく、リアルな一場面の描写ですから、生頼氏が勝手に想像を膨らませて描いたとは思えないのです。原稿もしくはゲラを読むイラストレーターが、実際に発表されるより先の部分を読むことは充分に考えられます。
 もし、「幻魔宇宙」4の表紙がそのようにして描かれたイラストだとすれば、この地面に転がった犬の生首は、いったいなんなんだ? 獣神の前にヘフスイはいない……

CD検索始末記
1993.03.28 初出:NIFTY-Serve
 CD総合カタログ(CDCTLG)で「真幻魔大戦」のイメージアルバムを検索したところ、生産中止/廃盤の表記がなかったので、試しに注文してみたら、やっぱり生産中止でした(^_^;)。
 角川アニメ「幻魔大戦」のサントラの方も検索してみたのですが、こちらは探し出せませんでした。たぶん、CD化されなかったのでしょう。その検索の課程で、変なモノがいっぱい引っかかってきました。とりわけ、
ドニゼッティ:歌劇「ヴェルギのゲンマ」
には、笑ってしまいましたね。ほかにも、「ゲンマ,ゲンマ(行こ,さ,行こ!)」を収録した「ウィーナーリート7〜ウィーンわが愛のまち」があります。
 「幻魔」という用語を直接使ったものとしては、
 フェニックス!地獄を見た戦士〈一輝対星矢〉第14話「敗れたり!幻魔拳」より (「聖闘士星矢」メモリアルBOX)
 幻魔の館 (「魁!男塾」音楽集)
があります。
 もうひとつ、傑作だったのは、「日本の音風景」ですね。最初、なんでこれが検索されたのか解らなかったのですが、よく見たら「玄米パン売り」というのが入っていたのでした(^_^;)。

映画「狼の紋章」あれこれ
1993.04.07 初出:NIFTY-Serve
 先日、LDでも発売された、映画「狼の紋章」ですが、この映画についての面白い論評を見つけたので、まずはご紹介したいと思います。
 全編に漂うのは徹底して日本精神への嫌悪感だ。悪の番長、羽黒(松田優作のデビュー作)は桜、さらし、日本刀、と日本の記号を全身にまとった大和の象徴。彼の配下の農民どもがファシズムを体現する場面には、象徴的に桜が舞い散る(どうも皇居周辺でロケしているように見える)。羽黒がヒロインの女性教師を犯す場面の映像美は三島由紀夫の『憂国』を意識したものだという。
 対する犬神明(志垣太郎)は手塚治虫の『バンパイア』と同じく、天皇中心の歴史が隠蔽してきた「異人」だ。二人の闘いはそのまま、大和農耕民族と、それに抑圧されてきた「まつろわぬ民」との闘争になる。
町山智浩
別冊宝島「このビデオを見ろ!」第4集 ファンタジー・SF・ホラー篇 JICC出版
 …なるほど、こういう見方もあるのかと、ちょっと感心してしまいました。松田優作演じる羽黒が日本刀をかざす博徳学園の屋上から皇居が見えていたり、犬神明の路上に流れた血の赤が、学園の国旗の日の丸の赤に転じるシーンなど、やはり監督の松本正志の日本精神に対する嫌悪の現れなのでしょうか。
 以前、中島紳介というひとが、同じような論旨をどこかで述べていたと記憶していますが、見るひとが見れば、奥の深いパフォーマンスを見抜くことができるということなのでしょう。
 私はと言えば、ただひたすら陰鬱で退屈な、そのくせ妙に滑稽感漂う作品だと思うばかりでした。陰鬱で退屈なのは日本映画の一般的特徴ですが、滑稽なのはなんと言っても、生徒集会が襲撃されるシーンに尽きるでしょう。間の抜けた演奏をバックに、ヘルメットをかぶった不良生徒達が「それいけー」「とつげきー」「かかれー」と声をあげ、襲いかかる様は、まさにコメディー。いくらなんでも、「とつげきー」はないと思うんですがね。しかも、生徒集会には何故か応援団がいるのですが、その応援団が荒れる集会も知らぬ気に、平然と踊り続けるというシュールさ。この滑稽さは、到底私の言葉で言い表せるものではありません。機会があれば、是非観ていただきたいと思います。きっとこのシーンを観れば、大笑いするか唖然とすることでしょう。
 ほかにも、犬神明をリンチするのに、わざわざ柔道着を着て柔道の技で責めてみたり、剣道の格好をして竹刀で痛めつけてみたりと、不思議なシーンがいっぱいです。陰惨であるべきシーンをどういう訳でギャグにするのか、真意をはかりかねるのですが、全体的には陰鬱なトーンで彩られているので、余計に目立ってしまうのですね。

 どうも、平井和正原作の映像化作品には、ろくなものがないようです。

「ウルフガイ 燃えろ狼男」を観た
1993.04.25 初出:NIFTY-Serve
 それは安岡力也の絶叫で始まった。
「虎だっ。虎に殺される!」

 この映画のストーリーは、一応「虎よ! 虎よ!」がベースとなっています。主人公、犬神明を演じるは、アクション俳優の大御所、千葉真一。当時30代。
 評判に違わぬ、無茶苦茶な映画でした。どのくらい無茶苦茶なのか、ストーリーの紹介かたがた、かいつまんでご説明いたしましょう。

 街中で青年が眼に見えぬ“虎”に襲われ死んでしまう様を見た犬神明は、この事件を追ううち、この“虎”の正体が、新人歌手緒方ミキの怨念であり、さらにその原因が彼女の所属プロダクション、マナベプロの卑劣な陰謀にあることを知る。犬神明はミキを慰めるが、マナベプロ社長は暴力団を使って、ミキを葬り去ろうとする。
 ここまでは、とりあえず「虎よ! 虎よ!」の通りだ。さて、凄いのはここからである。緒方ミキを襲ったヤクザは、突如何者かの銃弾に倒れてしまう。撃ったのは、内閣情報部のエージェントであった。内閣情報部は、犬神明と緒方ミキの超常能力に関心を持ち、組織の人間兵器としての利用を目論んでいたのである。
 内情の実験材料にされる明とミキ。洗脳を受けたミキは、内情の命じるままに総理大臣の政敵を殺してしまう。一方、満月の夜、満を侍して犬神明は実験台の鎖を断ち切り、脱走する。満月時の狼男に敵はない。脱走成功と思えたその時、思わぬ強敵が立ちはだかる。それは、実験の課程で明の血を輸血し、疑似狼人間となったエージェントだった。ここで、「人狼、暁に死す」ばりの死闘が展開される。だが、敵は血液の拒否反応により、あっさり死んでしまうのだった。
 そして、舞台は唐突に犬神の郷へと移る。殺伐とした闘いに嫌気がさした明は、生まれ故郷に帰ってきたのだ。だが、そこにも彼の安息はなかった。明はたちまち、内情の命を受けた村の猟師たちによって、取り囲まれてしまう。捕われの明を救ったのは、村娘たかであった。犬神衆の帰依者であった母を持つたかは、犬神の生き残りである明を助け、慰謝を与えるのだった。
 やがて、内情の戦闘部隊が到着し、二人に襲いかかる。犬神明は猟銃で迎え撃つ。これがまた、やたらと上手い。犬神明は銃の名手だったのだ(おいおい)。戦闘部隊は全滅したが、そこに現れたのは内情の操り人形と化した緒方ミキだ。嫉妬に狂ったミキは、明とたかに向けて“虎”を解き放つ。しかし、何故かミキは血飛沫をあげて倒れてしまう。たかが猟銃をミキに撃ったのである。しかし、たかも“虎”に引き裂かれ、息絶えてしまう。

 …とまあ、こんな内容なんですが、どうです? 凄まじいストーリーですね。ここまで無茶苦茶だと、かえって清々しい心地がします。どうせ原作をないがしろにするなら、ここまでやらなきゃダメです。アニメの「幻魔大戦」も、これに比べると中途半端ですね。いやあ、楽しませていただきました。

チーフスンはスキンヘッド?
1993.04.25 初出:NIFTY-Serve
 「犬神明」読みました。
 「黄金の少女」編に比べると、テンポアップしてて、旧作のファンにも受け入れ易いんじゃないでしょうか。
 今回の400枚は「地球樹の女神」執筆以前の作品なのですが、「地球樹の女神」後のウルフガイがどうなるのか、今から楽しみです。

 ところで、チーフスンのイメージイラストは、相変わらずスキンヘッドですねえ。CIAの非合法工作員ともあろう者が、サンプラザ中野みたいな目立つヘヤースタイル(?)をしているはずがないと思うのですが。
 言うまでもなく、生頼範義の挿し絵がイメージを植え付けたのでしょうが、しかし、それは間違っています。チーフスンがピッカリ君(笑)でないことを証す記述が、小説中にあるのです。
「きさま、西城!」
 インディアンの血相がみるみる変わった。黒く剛い頭髪が、ばりばりと音を発して逆立った。

「狼のレクイエム第一部」より
 まあ、レクイエム以前からイラストを担当している生頼さんはしょうがないとしても、泉谷さんまでチーフスンを禿頭にしたのはいただけませんねえ。などと、細かいことを言ってると嫌われますね(^_^;)。

映像化賛成派の主張(^^;
1993.06.06 初出:NIFTY-Serve
>>観たらきっと腹が立つに違いないという勘が働いたので、絶対に観ない事にしています。<<

 賢明な姿勢ですね。がっかりすると分かっているのに、それでも観ずにはいられないのは、哀しい性というやつでしょうか。とはいえ、私個人に限って言えば、こうした映像化作品に対して、腹を立てるということは全くありません。なってない作品には、むしろ笑ってしまう方です。ちょっと前にUPした「ウルフガイ 燃えろ狼男」など、ゲラゲラ大笑いしてしまいました。
 電気ドリルの件(※)もそうですが、大真面目に不条理なことをしでかすというのは、なまじウケを狙っておちゃらけるより、よっぽどオモシロイものがあります。例えば、「タイガーマスク」で主人公を助けるために、ジャイアント馬場がマスクをかぶって謎のレスラーとして登場するシーンがありますが、あれなんかも思い出す度に笑いの衝動がこみ上げてきます。だって、馬場が仮面をしたって、あの身体を見れば誰だかわかりそうなもんじゃないですか。ところが、アナウンサーをはじめ、観客の誰一人として彼の正体に気付く者はなく、あいつは何者だと不思議がっている。仮面の馬場は、タイガーマスクの敵にキックを放とうとするのですが、16文キックをして自分の正体がバレるのを恐れて、思いとどまってしまう。…それ以前の問題だと思うんだけどなあ(^_^;)。やっぱり、馬場がマスクをすれば、わからないことにしないといけないのかな。改めて、ジャイアント馬場って、偉大なレスラーなんだなと、感心したりして(笑)。

 余談はこれぐらいにして、話を元に戻しましょう。映像化された作品というのは、あくまでも別の作品であって、原作は素材でしかありません。私はよく平井作品を映像化したアニメや映画について批判しますが、それは1つの作品として出来が悪いからであって、原作と違うからではありません。
 だからこそ、映像化作品が原作を貶めることなど有り得ないし、自分のイメージを壊すこともありません。従って、腹も立ちません。アニメや映画だけを観て、……ってこの程度か、などと言う連中には、言わせておけばいいと思っております。PRとしての効用がありますから、私はむしろ映像化には賛成です(無論、出来には期待しませんが)。
 でも、どうせ作るなら、ただ呆れるだけの作品よりも、笑わせてくれる作品の方がいいですね。もちろん、マジで感動させてくれるのが一番いいのですが。

※OVA「ウルフガイ」において、CIA日本支部突入の地下掘削に、こともあろうに電気ドリルとおぼしき非人力の駆動式ドリルを使用していた件を指す。虎4が暴れるよりウルサイやんけ! とツッコミを入れたのはオレだけではあるまい。

たまには「地球樹」ネタも
1993.06.12 初出:NIFTY-Serve
 アブナイなあ。アブナイ、アブナイ(^_^;)。
 でも、天皇家って確かにミステリアスだ。始まって以来、2000年近くも他国の嫁を取らず、時の権力の変遷と、そして第二次大戦の敗戦を乗り越え、いまなお存続する奇蹟は尋常ではない。
 一説によれば、日本民族の祖はバビロン帝国に追われたイスラエルの失われた十氏族であるという。とすれば、初代神武天皇は、大陸から逃れてきたユダヤ人ということか。余談だが、神武天皇は日本を治める許可を得るために、玉置神社を参詣したという。平井さんの弁によれば、玉置の神はエホバである。
 その一方で、海に没したムウ大陸の生き残りが、日本に渡来したという説もある。先住民族として、1万年もの縄文時代を謳歌したのがムウ人。後からやって来て、天皇制大和国家を築きあげたのがユダヤ人。ムウの末裔とユダヤの末裔。この二つの血脈と霊脈の確執が、日本の歴史にどのような陰を落とし、そして、落としていくのか。
 いやあ、SFって面白いですね(笑)。

東丈、ムエタイの選手に?
1993.08.10 初出:NIFTY-Serve
 実は私も「8マン after」のCFをまだ観ておりません。ま、バンダイがスポンサーをやってる番組を観ていないんだから、あたりまえか。「キャシャーン」のCFなら、よく観るのですがねえ。
 アニメと言えば、先日、懐かしのアニメの人気ランキングをあるTV番組でやっていたのですが、SF部門ではアトムや鉄人が上位に位置していたにも関わらず、あの「エイトマン」がベスト10から外れておりました。ちなみに10位は「勇者ライディーン」。ちょっと納得がいきませんでしたね。誰に聞いたんだ(^_^;)。まあ、平井さんが再度のTV放映を嫌って、再放送がほとんどされなかったことも影響しているのでしょう。それにしても「勇者ライディーン」より……ま、いいか。
 アニメの話題ついでに、もうひとつ。先日、ファミコンソフトをドラマ化したアニメ「餓狼伝説」をTVでやっていたのですが、その中の登場人物でムエタイの使い手の名前が「ジョー・ヒガシ」。これには笑ってしまいましたね。どこに消えたと思ったら、こんなところにいたのか(笑)。

用語差別のナンセンス(改題)
1993.08.15 初出:NIFTY-Serve
 『地球樹の女神』が見つかってよかったですね。
 「人間の魂は電球のように、本来光輝いているが、すすが付いているため真っ黒に見える」とする性善説の『幻魔大戦』に対して、『地球樹の女神』では「ケダモノの魂を持つ者はケダモノに還る」とハッキリ言っております。もし、「地球樹」が「幻魔」のように売れたら、問題視されるかもしれませんが、幸か不幸か「地球樹」は、ハードカバーということもあってか、「幻魔」ほどには売れていないようです。書店に置いていないのは内容的な問題ではなく、単に売れないからだと思います。1ヶ月経って在庫が残っていると、版元に返してしまうのですから、書店から姿を消すのも当然ですね。書物もいまや雑誌と同じ消費材になってしまい、10年以上売れ続けるであろう作品が、短期的にパッと売れるものと同じように葬り去られるのは残念なことです(T T)。

 差別用語に関しては、私も同感です。こうした問題については、ノンフィクションと物語は分けて考えるべきではないかと思っています。確かに新聞でメ*ラという言葉を使うのはよくないでしょうが、例えば『座頭一』で登場するゴロツキが主人公を罵倒するのに「眼の不自由な方」などと口にするのは、やはり妙であります。
 そもそも物語の中では、殺人はもとより、強姦、窃盗など反社会的行為を描かなくては、文字通り話にならない訳ですから、差別という行為をタブーにすることは、それだけ物語の幅を狭めてしまうことになります。それとも、犯罪を助長するという名目で、一切の法律違反をストーリー上から禁ずる、という恐ろしい時代がやがて来るのでしょうか。

「マスコミだけが特殊な社会じゃないさ。現在の社会全体から男性的規範が失われているんだ。PTAママ的規範が趨勢を占めたから、建前と本音の乖離が激しくなり、二重人格になってくる。PTAママ的規範は偽善だ。(中略)偽善を憎むのは人の情だが、男性的規範が欠けていると、遣り口がひどくセコいものになる。(後略)」
『真幻魔大戦』「非・円滑化現象」より

「エイトマン AFTER」のCFを観た
1993.08.16 初出:NIFTY-Serve
 いまさっき、観ました「マクロスII」。やってましたね、「エイトマン AFTER」のCF。それにしても、CFを流していた番組が「Vガンダム」に「マクロスII」というのは、なんとも象徴的だ。もはやアニメ界は過去のヒットネタにすがるほかなくなったのだろうか。そもそも、「マクロス」が凄かったのは、あの巨大な“ノアの箱舟”の中で人々が街を作り、地上と同じような平和な生活をしている一方で、その分厚い壁を隔てた宇宙空間では、外敵との熾烈な戦闘が展開されているというところが示唆的だったわけで……ま、そんなことはどうでもいい。

 桑野信義が歌う主題歌が、前田武彦作詞のあのテーマソングだったとは正直意外でした。どうせ愚にもつかんポップ歌謡だろうと思っていたもので。そうそう、バンダイビジュアルの広報冊子によると、桑野信義のお父さんはテレビの「エイトマン」の主題歌で、トランペットをやっていたのだそうです。

コレクター度テスト
1993.08.29 初出:NIFTY-Serve
 これはあなたのコレクター度をチェックするテストです。Yes,Noでお答え下さい。君はどれくらいかな〜(笑)。

(1)同じ作品を既に持っていても、違う装丁、違う出版社の本を買わずにはいられない。(註1)
(2)角川文庫の『狼男だよ』は、第6版以前のものと、それ以降のものを両方持っている。(註2)
(3)角川文庫の『幻魔大戦』は、生頼、加藤、大友の表紙の本を全て揃えている。(註3)
(4)単行本未収録のエッセイ、対談等があると知るや、掲載誌を手に入れるべく奔走する。(註4)
(5)単行本化された作品であっても、掲載誌を(古書店等で)買ってしまう。(註5)
(6)過去に観た映画等(平井作品)も、ビデオ等が出れば買うことにしている。(註6)
(7)劇画版『新幻魔大戦』を掲載した「SFマガジン」を全て持っている。(註7)
(8)漫画版『ウルフガイ』の「怨歌」に相当する部分を全て持っている。(註8)
(9)改ざん版『狼男だよ』を持っている。(註9)
(10)皮装丁の『HIRAIST』を持っている。もしくは、限定20部なら2万8千円払っても惜しくないと思う。(註10)

《診断》  Yesの数は幾つありましたか?
あなたは普通の平井ファンです。
1〜2 コレクターの気があります。出費にご用心。
3〜5 正真正銘のコレクターです。頑張って下さい。
6〜9 相当なコレクターです。お友達になりたいわぁ。
10 コレクター・キングの名にふさわしい。人はあなたの住まいを“資料の館”と呼ぶことでしょう。

(註1)多数の出版社を股にかけているといえば、なんといってもウルフガイシリーズだろう。ウルフチャートに記された全ての本を持っている人は、私の他に何人いるのだろうか……
(註2)「屠殺人夫」という表現が問題となり、第6版より改訂された。
(註3)表紙が違っても、版によっては中身のイラストが以前のままのものがある。ご用心。
(註4)未だ角川春樹との対談を掲載した「野性時代」を入手できずにいる。不思議なことに、「野性時代」は古本屋で見たことがほとんどない。以前、「幻魔宇宙2」での角川氏との対談と併せて「ハルマゲドン対談」として出版される話もあったが、お蔵入りとなってしまった。角川氏の神懸かりは凄まじく、さしもの平井和正も閉口していたと聞く。数々のスキャンダルの末、とうとう逮捕されてしまった。合掌。
(註5)扉のイラストまでは単行本に収録されない。これがなかなかの力作だっりするのである。
(註6)TVアニメ『エイトマン』もLD化された。これで、ソフトになっていない映像化作品は『ウルフガイ 燃えろ狼男』と『宇宙人ピピ』だけとなった。ソフト化が望まれる……と言ってるのは私だけか(^_^;)。
(註7)10年間にわたって単行本化されなかった幻の劇画。徳間書店よりアニメージュコミックスとして出版されたが、全編にわたって描き直しがなされている。ちなみに、描き直された方がヘタクソである(^_^;)。
(註8)これを全部揃えるのに、一体いくらかかるのだろう(^_^;)。
(註9)平井和正の本の中で、最も高値がついている。聞くところによれば、10万前後するという。もっとも、手塚治虫に比べればかわいいもので、私はある古書店で、ショーケースの中の40万の値のついたマンガを見たことがある。
(註10)詳しくは知らないが、20部限定の特別装丁版として出版された。販売の告知は、愛蔵版『幻魔大戦』を全巻セットで注文した人に葉書で行われた。既に全巻が発売され、それを買った(であろう)後、更に全巻セットを注文するような人はリッチな方々だったようで、またたく間に売り切れたという。

漫画作品うだ話
1993.09.19 初出:NIFTY-Serve
 もし、実写版の「8マン」にデーモン博士が登場するとしたら、配役はかの怪優天本英世をおいて他にいないでしょう。もっとも、「仮面ライダー」と勘違いされるかもしれませんが……。デーモン博士はロシア人でしょうから、日本人が演ずるのも変な話ですが、どうもロシア人というと、“太っちょ”のイメージが個人的にあって、骸骨に皮一枚張り付けたかのような痩せきせすのデーモン博士にはそぐわないという気がします(もちろん、痩せたロシア人だっているに決まっているのですが)。余談ですが、食糧難という割には、映像に写る買い出しに行列しているロシアの方々は、ずいぶんと肥えてらっしゃいますねぇ(^_^;)。
 アニメのデーモン博士には娘がいたのですね。「デーモン」の娘が「カーミラ」とはまた、なんともはや怪しい親娘ですなぁ(^_^;)。確かに、デーモン博士の正体が実は吸血鬼だった、というのはあまりにもハマリすぎているのですが。
 アルカードとはまさしくドラキュラのアナグラムでありまして、漫画版『幻魔大戦』にも、トランシルバニアのコウモリ男(吸血鬼?)アルカード伯なる人物が登場しております。

 ところで、田中課長のフルネームをご存知ですか。LD−BOXのブックレットによると、田中善右衛門なのだそうです。田中善右衛門というと、変身ロボット犬マンガ『超犬リープ』にレギュラーで登場する警視総監と同じ名前だったりします。絵の顔は全く違うのですが、ひょっとすると作者は後に出世した田中課長のつもりだったのかもしれません。
 『超犬リープ』というのは、『8マン』と人物配置が非常に似た作品で、主人公のロボットがいて、博士がいて、警察の偉いさんと少女と少年がいるという、主役が犬になった「8マン」を思わせます。実際、登場人物の千波と次郎は、さち子と一郎にそっくりで、まさに名コンビの再来です。
 主人公のリープは、やがて千波と次郎に自らの正体を知られてしまうのですが、8マンと違い、それによってより絆を深めてゆくんですね。このあたり、正体を知られることで破局を招いた8マンの未果てぬ夢を作者はロボット犬に託したのではないか。そんなことを考えてしまう訳です。

感情移入なき復讐譚(改題)
1994.01.10 初出:NIFTY-Serve
 ホントだ。『エイトマン アフター 4』に『エイトマン NEW GENERATION』(*1)のパンフが入ってる。中身ぐらい見ないといけませんね(^_^;)。ブラック・エイトマンですか。やはり、8マンの敵は8マンしかいないということでしょうか。確かに、トニーは8マンの敵としては、いささか役不足でありました。こういうのは、いくら設定上で強力な戦闘力を持たせたところで無駄でありまして、キャラクターの醸し出す“存在感”に全てが懸かっています。トニーは悪人として、あまりにも凡庸であって、デーモン博士のような強烈な存在感に欠けていました。もっとも、凡庸という点では、悪徳警官に妹を殺された(*2)警察嫌いの私立探偵という、絵に描いたような平凡なヒーロー、羽座間も同様でありまして、互角の勝負だったのかもしれません(苦笑)。むしろ、ハイテク技師としての熱が高じるあまり、自ら大型コンピュータとなったエディ・シュミットの方が、不気味だし興味深いものがあります。最終巻で遂に登場したと思ったら、あっさり死んでしまって残念でなりません(^_^;)。
「僕みたいに据え置き式になればいい」
このセリフは最高でした(笑)。

(*1)製作希望快調と謳われた『エイトマン アフター』次回作「NEW GENARATION」は結局、その後の話を聞かぬまま、いまにいたるも発表されずにいる。ちなみに、ログアウト冒険文庫から出た『8マン ニュー・ジェネレーション』は、「アフター」の焼き直しである。

(*2)妹殺しの因縁については、いただけない。名前はおろか、性格や羽座間との精神的なつながりすら明らかにされない「妹」が殺されたと説明されたところで、観ている側の感情にはなんら訴えるものがない。当然の帰結として、羽座間の怒りも復讐劇も、こちらのハートには届かず、空回りしてしまう。このあたり、アダルトウルフガイ『魔境の狼男』と比べると、違いがよくわかる。受け手を傍観者の立場で「羽座間は妹を殺されて、怒りに燃えているのだな」と思わせてはダメであって、主人公と同じように「テメーら、全員ぶっ殺したるっ」と思わせねばなりません。よく言われる感情移入というヤツですが、これができない物語はスカでありカスです。結局、羽座間とトニーとの対立を盛り上げるために、最も説明の簡単な「妹」を登場させ、ろくな描写もせずに殺してしまう。この安易さが決定的な敗因でしょう。

エイトMANZAI
1994.09.13 初出:NIFTY-Serve
(1,トミタ)トミタでーす。
(1,カナメ)カナメでーす。
(1,トミタ)2人合わせて…
(1,カナメ)      …冨田要でーす。
(1,トミタ)まあ、懐かしいじゃありませんか。久々の漫才モード。
(1,カナメ)大麻でラリった勢いで書いたPROF以来ですね。
(1,トミタ)おいおい…(^_^;)。ところで、ご覧になりましたか。今月のMANBO。
(1,カナメ)マンボー? 耳掃除するやつ?
(1,トミタ)そりゃ、綿棒。しょーもないこといいな。MANGA BOYSやがな!
(1,カナメ)怒鳴んかてええやろ。ちょっとボケてみただけや。
(1,トミタ)天然ボケがなにいうとんねん。いやぁ、遂に始まりました。
(1,カナメ)丸尾末広『犬神博士』
(1,トミタ)ちゃうっちゅうねんっ。『エイトマン』やがなっ。
(1,カナメ)え、イトマン?
(1,トミタ)誰が疑惑の話をせえっちゅうた。


(1,トミタ)ところで、この『エイトマン』、かの白黒アニメと同じく、オールカタカナです。なぜなんでしょうねえ。本当のタイトルは『8マン』の筈ですが。
(1,カナメ)左様。
(1,トミタ)なんやまた、えらい古めかしい言葉使こてから。
(1,カナメ)8マンとは八幡神の化身。よって、“8マン”と書くのが正しい。
(1,トミタ)ひえ〜、あのスーパーロボットが八幡様ですか。南無8マン大菩薩ちゅう、ただの地口や思とりました。
(1,カナメ)平井和正の言葉に洒落はない。あるのは常に、洒落にならないことだけだ。
(1,トミタ)なるほど。そしたらなんでまた、カタカナの『エイトマン』なんでしょう。
(1,カナメ)『エイトマン』とは、そもそもTBSがテレビ放映するに当たり、「8」という文字を嫌って付けた名前。従って、考えられる理由はひとつ……。
(1,トミタ)ははあ。つまり、テレビアニメ化する計画がある。そういうことでんな!
(1,カナメ)うーん。無理やろなぁ。
(1,トミタ)どないやねん。


(1,トミタ)しかし、この『エイトマン』の舞台設定。思い切った事をするじゃないですか。旧作から100年後ですよ、100年後! いままで、続編で100年後なんてありましたか?
(1,カナメ)400年前の『新幻魔大戦』というのはあるけどな。
(1,トミタ)まあまあ、それはええとして。普通、100年後いうたら、登場人物全員死んでるわけですよ。
(1,カナメ)100年後だよ、全員死亡ぉぉぉぉ。
(1,トミタ)ツッコミようのないボケはやめなさい。“マザー”に管理され、感情を喪ってしまった人間達の住む都市“CITY”。そして、無法と退廃に蝕まれた街“SLUM”。まるで『メガロポリスの虎』を彷彿とさせるような舞台じゃないですか。
(1,カナメ)世の中、いつまでたっても世紀末ちゅうことですな。
(1,トミタ)そういう社会を正すために8マンは闘うんじゃないですか。
(1,カナメ)あー無理むり。
(1,トミタ)無理むりて、そんな身も蓋もないことを。
(1,カナメ)一介のスーパーロボットが、いくら犯罪組織を叩き潰したところで、世の中は良くなったりせんの。徒手空拳のヒーローの活躍で世界が救われるなら、バチ神様はいりません。
(1,トミタ)そういうけど、8マンが八幡様の化身や言うたんはアンタやないか。
(1,カナメ)Zzzz・・・
(1,トミタ)寝たふりすな(^_^;)


(1,トミタ)「うちのじいさんも言ってた。エイトマンはいつか、生身の肉体を持った人間として生まれ変わるってな……」。田中部長のこの科白、ジーンときますねぇ。
(1,カナメ)生まれ変わって、また、8マンやらされたりして。
(1,トミタ)なんちゅう残酷なことを。
(1,カナメ)宿世は繰り返す……
(1,トミタ)第一話を見る限り、どうやら8マンは「抜け殻」のようです。まあ、100年経っている訳ですから、当然といえば当然です。しかし、ラストに現れた、谷と名乗る男。彼はいったい何者なんでしょう?
(1,カナメ)谷さんでしょう。
(1,トミタ)そりゃ分かっとる(怒)。谷博士とどういう関わりを持つ人間かと聞いとんのや。
(1,カナメ)谷博士でしょう。
(1,トミタ)しかし、100年後ですよ。まだ生きてるんですか?
(1,カナメ)谷博士もサイボーグなんです。だから、生きていても不思議じゃありません。
(1,トミタ)息子かなんかじゃないんですか?
(1,カナメ)それはないな。…まあ、あのヒゲ面の人物が娘やったらおもろいけど。
(1,トミタ)しょーもないこといいな。
(1,カナメ)谷博士に子どもはおらん。ケンという息子がおったけど、8マンとの闘いで死んでしもた。
(1,トミタ)ふーむ。それやったら、なんで谷博士は自ら8マンとなって悪と闘わんのやろ?
(1,カナメ)面倒臭がりなんちゃう。
(1,トミタ)………………

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