アバウト170   #5 誰よりも高く!(承前)

 ペコを見た。
 彼女はそんな優の心中に気付く余裕もなく、親指の爪を噛みながら、一心不乱に何事か考え込んでいる様子だった。そんな癖があるとは知らなかった。きっと現状を打開する方策に、頭をフル回転させているのだろう。
 なんとか、力になりたかった。彼女の役に立ちたい。だが、自分にはどうすることもできない。バスケ部はやめる。それでも、この試合で彼女の足を引っ張ったまま、去ってゆくことが切なかった。

「河村、ちょっと来い。監督が呼んでる」
 言われるままに、白井についてゆく。監督は、自分に何を言うつもりなのだろう。お前には向いてない、やめちまえ。そんな引導をくれる気なのだろうか。だとしたら丁度いい。
「しょぼくれた顔してんなあ」
 ニヤニヤしながら、升田は言った。
「迷子のガキみてえだぜ。どうせバスケ部をやめて、バレー部に鞍替えしようなんて考えてたんだろう」
(う……)
「図星か? わかりやすいんだよ、お前は」
「そこまでお見通しなら、話は早いです! 私、今日限り、バスケ部を辞めさせていただきます。お世話になりましたッ」
「だとよ」
 半笑いの顔を白井に向けた。
「俺はまだ、何の世話もしちゃいねえよ。そう急(せ)くんじゃねえよ。お前にはまだバスケのバの字も教えてねえ。何もできなくて当然、ヘタッピで当たり前なんだよ」
(そこで散々大笑いしてたくせに……)
 優はむっと気色ばんで、監督の言葉に逆らった。
「あなたに教えてもらったら、どうなるって言うんですか? いまの試合で、よくわかりました。私、バスケに向いてません。今からどんなに頑張ったって、ペコみたいには、なれっこありません」
 升田が大笑いした。
「聞いたかよ、ビンコ。大きく出たよ。ペコみたいにはなれっこないとよ!」
「まあ、あいつみたいには、私もどんなに頑張っても、なれないだろうね」
 白井が苦笑いして言った。
「ペコみたいにはなれっこない。その通りだ。お前にゃムリだ。どんなに頑張ったってな」
(………)
 自分でわかっていても、他人からそう言われるのは癪だった。
「けどな、ペコだって、お前みたいにはなれねえんだぜ。どんなに頑張ってもよ」
「……どういうことですか?」
「プレーヤーには、タイプがあるってことだよ」
 白井がその問いに答えた。
「お前は肝心なところで勘違いをしてる。そいつを正す前に、質問に答えてやる。俺に教えてもらったらどうなるか、だったな? まず、ここでお前にちょっとしたアドバイスを授ける。するとどうなる? 敗色濃厚なこのゲームに、お前のチームは勝てるんだよ」
「え……」
「勘違いしてんのはな、向いてないって言ったことだ。……ところでお前、名前はなんてんだ?」
「ですから、河村ですッ」
「おめー、名前っつったら、ふつー下の名前だろうが」
「河村 優。字は優勝の優」
 白井が本人に代わって答えた。
「いい名前だ。親に感謝しろ、優」
 なぜこの男に気安くファーストネームで呼ばれなければならないのか。自分をそう呼ぶのは、某名作テニス漫画ような美形の青年コーチでなければならなかった。
「この人はね、自分が認めた人間はファーストネームで呼びたがるんだよ」
「余計なことを言うんじゃねえよ、ビンコ」
「ついでに私のこともいい加減、敏江(ビンコ)じゃなく敏江(としえ)と呼んでもらえませんかね?」
「ルビがねえと訳わかんねえセリフはやめろい」

 真顔で升田が言った。
「おめーは中学時代、バレーではひとかどの選手(プレーヤー)だったはずだ」
(!)
「調べたわけじゃねえ。おめーとは、今日初めて会ったばかりなんだ。その身体を見りゃあわかる」
(触ったくせに……)
「よく鍛えているが、硬くない。柔軟で、バネみてえな良質の筋肉だ。おめーのミスは、自分がやるはずの部活について、よく調べもせず進学先を選んだことだ。ここのバレー部の弱小ぶりを知って、おめーはガッカリしたはずだ。だから、ペコに誘われるままに、バスケ部に入った。違うか?」
 その通りだった。
「そして、この俺の前に現れた……」
(………)
「これはよ、お前。天命だぜ」
「天命?」
「天はお前に、バスケをしろって言ってんのさ」
(ハアッ?)
「時間がねえ。ちいと詰め込むが、しっかり頭に叩っ込め。その前に、ひとつ言っておくことがある」
 声を一オクターブ上げて、升田が優に告げた。
「お前はバスケのド素人だが、俺はこの道四十年の大ベテランだ。その玄人の俺が断言してやる。お前はバスケに向いてる! 向いてるんだよ、優!」

 10分間のハーフタイムが終わり、選手達はそれぞれコートに配置についた。
「驚くべき推理力、洞察力というべきですが、さっき舞台裏に引っ込んでたのは、いったい何をしておられたので?」
 白井は升田の前半戦のさなかの行動について尋ねた。
「いやなに。ちーとあいつの担任に出身中学を聞いてな、そこに確認の電話を入れたってわけよ」
「そんなことだろうと思いましたよ。やっぱり調べてるじゃないですか」
「裏を取っただけさ。あそこでハズすわけにはいかねえだろうよ」
「お陰であいつも、けっこうその気になってますけどね……」

 再び、センターサークルに米子と優が相対する。優が両の掌で、自分の頬を叩く。
(気合い入ってるな。監督になにか言われたな……?)
 米子の勘は当たっていた。もうさっきまでの、自信をなくし、バスケ部をやめようと思っていた優ではなかった。後半戦、第3Q(クォーター)の幕を開けるトスが上がった。
 優のジャンプが一瞬早かった。わずかに遅れて、米子が続く。
(あの高さに届くの!? こいつ)
 驚きに見開いた米子の眼は、自分の手の遙か上で、優の手がボールを叩くのを見た。
「ナイス、優ッ」
 今度は正確に、ペコの手にボールが渡る。

「米子と同じくらい跳ぶのか、あいつ!?」
「それ以上さ」
 驚く白井の言葉を升田は訂正した。
「俺にはわかってた。あいつが本気でジャンプしたら、ここにいる誰も届きゃしねえよ。一人を除いて、だがな」

 だが例によって、ボールを持ったペコには、米子を含む3人マークがピタリと取り囲む。
 ペコ、迷わずその場でジャンプシュートを撃つ。場所は、センターラインからさほど離れていない。
「ヤケっぱちのロングシュートか? こんな遠くから撃って入るか!」
 案の定、ペコの放ったボールは、リングに当たって跳ね返る。
「いいの」
(!)
 そのボールをゴール下からジャンプした優の両手が、しっかりと掴まえていた。

(囲まれたら、構わずそこでシュートして)
 後半開始間際、優はペコにそう耳打ちした。
(私がゴール下にいるから。必ず、こぼれ球を拾う)
 曇っていたペコの表情が、一気に晴れわたった。
(オッケイ!)

 優の両脚が、コートに着地する。
(着地するときは、両脚同時にだ。ピボットの軸足を選べる)
 優は頭の中で、さっき受けた升田のレクチャーを反芻した。
(軸足を決めたら、そっちは床から離すな。歩いたらトラベリングでアウトだ)
 右脚を軸に、ピボットでターンし、コートを見渡す。
(シュートはするな。どうせ入りゃしねえ。必ずフリーになるやつが現れる。そいつにボールを回せ)
「ヘイッ」
 ペコがマークを振り切って、インサイドに突進してくる。それに向け、ボールを放る。パスを受け取ったペコが、電光石火のレイアップシュートを決めた。
「イェイッ」
 優とペコのハイタッチが、ふたりの掌を鳴らした。

 ペコチームのディフェンス。米子のシュートが、リングを外れる。
 そのボールに向かって、優が跳ぶ。

「お前の武器はなんだ?」
 ハーフタイム中のレクチャーで、升田は優に訊いた。
「その恵まれた背と」
 優の頭をポンと叩き、
「バレーで鍛えた、その脚力だろうが」
 優の脚をつま先で軽く蹴った。
「お前は誰よりも、高く跳べるんだよ。制空権は、お前のもんなんだよ」
「お前みたいな素人が、地べた(コート)這いずって、闇雲に追っかけ回してボールが獲れるか。お前が確実にボールを獲れる場所がある。それが……」
 ホワイトボードに手早くコートの見取り図を描く。
「ココと、ココ!」
 両サイドのゴールを叩く。
「攻めるときは、自陣のゴール下。守るときは、敵陣のゴール下だ。常にこの二箇所を往復して、張りついてろ。そこがお前のポジションだ!」
「シュートってのはな、入るより外れる確率のほうが高いんだ。そいつを拾え!」
「覚えとけ。これがリバウンドだ」

 誰も届かない高みで、優の両手が米子のシュートのこぼれ球をキャッチした。
 優は思わず叫んでいた。
「身長170センチ・リバウンドーッ」

  #6 パワー勝負!

「ナイス、リバン」
 ペコがカウンターで速攻を決め、米子チームのスローイン。反対コートに戻りながら、優の背中を叩いてペコが言った。
「だけど、別に技の名前を叫ばなくてもいいんだよ?」
 エヘヘ、と優が笑った。
「つい口から出ちゃって。あれを言うと、力が出る気がするんだよね」
「だったら、いいこと教えたげる。リバウンドはね、リバン、って縮めると語呂がいいよ」

「身長約170センチ・リバーンッ」
 またも、優がリバウンドを獲った。
「ヘイッ」
 獲ったボールをカウンターでペコに繋ぐ。
「行かすか!」
 米子ら三人が、素早く戻って囲む。カウンターの速攻を許さない。この間に、優は相手コートのゴール下につく。
 ペコがシュートモーションを起こす。
「何度も同じ手を食うか!」
 米子が自慢のジャンプで、ペコのシュートコースを塞ぐ。
「バーカ」
 と、白井が呟く。
 シュート体勢から一転、ペコは米子が跳んだ空隙を突いて、ドリブル突破した。
(しまった)
 ペコは止めに来たもう一人のプレーヤーを難なくかわし、さらにもう一人のプレーヤーが来ると、ノールックでフリーの味方にパスを回し、追加点をあげた。

「河村がセンターとして活きることで、ペコへの三人マークが、かえって不利になってきましたね」
 ふふん、と笑みを浮かべて升田が白井の評に応えた。
「さすがに米子も、その辺は考えたようだぞ。今度は対応が早え」

 またしても、ペコを三人で取り囲む。だが、そのメンバーが一人、違っていた。
(え……?)
 ゴール下の優のもとに、米子がやってきた。
「お前は私がマークする!」
(!)
「もう好きにはさせないよ。リバウンド獲り放題、ってわけにはいかないからね」
(負けない。負けるもんか。身長でもジャンプ力でも、私が勝ってる。リバウンドだって、負けるはずがない……)

「単純に高く跳べることが、勝負の決め手にならないところが、リバウンドの面白れぇところだ」
 スポ根にふさわしく、升田が不気味な予言をした。
「ジャンプボールのようなわけにはいかねえぞ。クセ者の米子に勝てるか? どうする、優……?」
 もやもやと立ち籠める黒い霧を、白井のセリフが一瞬で掻き消した。
「ゴール下なら『確実にボールを獲れる』んじゃなかったんですか?」
「うるせえな、状況が違うんだよ。ムードをブチ壊すんじゃねーよ」

 彼の予言どおり、優がリバウンドを獲れなくなった。
(リバウンド!)
 ボールがリングを跳ねる。それへ優と米子が跳びつく。
「とりーッ」
(え……?)
 ボールは米子がキャッチしていた。
「ヘヘッ、どんなもんよ」
(………)

 次のリバウンドも。
「とりーッ」
 その次も。
「とりーッ」
(なんで? どうして……?)

「そういえば、スクリーンアウトについては、教えてませんでしたね」
「そこまで時間がなかったからな」
 升田が白井に答えた。
「それに、なんもかも教えちゃあ、面白くねえ。少しはてめーで考えさせねえとな」

 優は考えていた。
(どうして獲れない……?)
 ボールはボードとリングに当たり、いままさに宙を舞っている。
 真ん前にいる米子に、背中で押される。その圧力を避けて、無意識に後ろに下がってしまう。
(そうか……!)
(場所を取られてるんだ。ボールを獲るのに、一番いい場所を)
 ならば、どうすればいい?
(押し返す……? いいのかな?)
(米子先輩だってやってるんだから、同じことやり返したって、いいよね?)
 優は後ろから米子の背を押した。
(……む。ようやく気付いたか。でも、譲らないよ!)
「とりーッ」
 またも、リバウンドは米子の手に渡った。

(うーん……)
 身体の正面では、いまいち踏ん張りが効かなかった。
(胸も邪魔だし……)
 なら、自分が前に出ればいい。
 だが、米子はそれを許さなかった。
(前に回り込みたがってるな。そうは問屋が卸さないよ!)
 米子の左右に広げた両腕が、優の行く手を阻んでいた。

「ポジション取りのカラクリには気付いたみたいですが、なかなか思うように場所が取れないようですね」
「米子だって、あれでなかなかの試合巧者だ。ド素人のバカ力だけじゃあ、太刀打ちできねえよ。これでゲームが面白くなってきた。……あん?」
 そのとき、升田が眼を真ん丸に見開き、次いで大笑いした。
「こりゃいいや! 見ろよ、ビンコ。あいつ、押しくら饅頭やってやがる! 恐れ入ったよ、あいつの発想にはよおッ」

(だめだ、前に出れない……)
(どうすればいい? どうすれば……?)
 あるひらめきが、優の頭をよぎった。
(そうだ!)
 くるりと後ろ向きになり、米子と背中合わせになる。
 優の曲げた状態の脚が、油圧の重機のように伸ばされてゆく。一歩、また一歩と、後ろ歩きで背中越しに米子を押してゆく。
(ボール、よこせ〜〜〜ッ)
 米子も踏ん張るが、優の圧倒的パワーの前には抗するすべもなかった。
「ああ〜ッ」
 しまいには、そんな悲鳴をあげて、前によろめいてしまう。
 優の両掌に、ようやくボールが還ってきた。
「やったあッ、獲れたあーッ」

 そのとき、思い思いの格好で、床に腰を下ろしてこのゲームを観戦するニ・三年生のなかのひとりが、すっくと立ち上がった。周りの者が、丈高い彼女を見上げた。その背は、身長170足らずの優をはるかに凌いでいる。
 彼女はコートを迂回し、反対側の升田のいる舞台に歩み寄る。
「キャプテン……」
 何事かと白井が呟く。
「よお、赤城。どうしたぃ?」
「監督、米ちゃんに替えて、私(わたくし)を試合に出していただけませんか?」
「ええっ!?」
「おいおい、お前の出る幕じゃねえだろうよ」
「いいえ。もう、米ちゃんでは、彼女を抑え切れません。彼女を抑えられるのは、この中では、もう私(わたくし)しかいないと思います」
「ちょっと待ってください!」
 堪りかねて、白井が口を出した。
「これはド新人の一年生の紅白戦ですよ? 全日本ジュニア代表まで務めた、キャプテンが出るようなゲームでは……」
「そのような、つまらない体面にはこだわりません」
 彼女は白井の制止を一蹴した。
「それに、彼女を見ていると、疼くんです。彼女と勝負してみたい、と。高校バスケの厳しさを、彼女に教えてあげたいと思います」
 フッ、と升田は笑いを漏らした。
「お前はセンターとしちゃ、超高校級だ。そいつはちぃと、厳しすぎやしねえか?」
 朔方桜木商業キャプテン、赤城 愛(あかあい)。三年生。全日本ジュニアにも選ばれた、日本を代表するセンターである。現在のチームの強さは、間違いなく彼女によって支えられている。文句なしの、朔商のエースセンターである。
 その体格と、ダイナミックなプレイとは裏腹な、私と書いて「わたくし」とルビを振らねばならない丁寧な言葉遣いから、“デカいお○夫人”とも秘かに呼ばれている。身長、181・5センチ!

 序盤のリードを中盤、米子にリバウンドを獲られて点差を縮められたが、終盤再び盛り返して、ペコチームの10点リードで第3Q(クォーター)を終えた。
 赤城キャプテンが、コートに歩み寄る。
「米ちゃん、お疲れさま。次のピリオド、交替よ」
「誰とですか?」
私(わたくし)とよ。最終ピリオド、私(わたくし)が出ます!」
「――え!?」
 そのとき、優の顔面の上半分に、無数のたて線が走ったのはいうまでもない。



第1稿 2007.01.22