アバウト170   #6 パワー勝負!(承前)

(お、大きい……!)
 こうして目の前で対面すると、あらためてそう思う。
「ちゃんとご挨拶するのは、これが初めてね。キャプテンの赤城 愛といいます。よろしく」
「河村 優です。もちろん、赤城キャプテンのことは、存じ上げています」
 この部では、新入部員が諸先輩全員に正式に紹介されるのは、基礎トレ期間を終了してから、というのが伝統的なしきたりとなっていた。三桁に達する入部者達を覚えることはできない上に、その多くは基礎トレ期間で辞めていくからである。新人教育係である二年の白井敏江と大鳥米子を除けば、優ら一年生は、まだ先輩達とまともに言葉を交わしたこともなかったのである。
 それでも、厳しいトレーニングに励むかたわら、先輩達の練習風景を眼にする機会はいくらもあった。とりわけ、自分よりも大きい彼女のことは、気にならないはずがなかった。
 並外れた長身であると同時に抜群のスタイルを持ち、その上シャープな美貌を兼ね備えていた。それは優自身がこうなりたいと望む理想像そのものであり、秘かな憧れの対象でもあった。彼女、赤城キャプテンの輝かしい実績については、ペコが教えてくれた。
(全日本ジュニアっていうのは、簡単にいうと18歳以下のオールスター。世界のジュニアチームと戦うための、日本代表ってわけ。二年でその正センターに選ばれたんだから、大したもんよね。高さとパワーでは、桃花のヤンに一歩譲るけど、巧さでは間違いなく日本のトップにいるセンターよ)
(あの人が現役でいるうちは、優のレギュラー入りは、ちょっとムリかもね。まあ三年だし、一年後にはいなくなってるけどね)
 よろしくお願いします。と、挨拶とお辞儀をした。そのとき、優は余計な一言を発した。
「……どうか、お手柔らかに」
「河村さん」
「はい?」
「なにをふざけたことを言っているの?」
「は、はい……?」
「これは試合なのよ? 本戦だろうと、紅白戦だろうと、試合は試合。真剣勝負よ。相手に手心を求めるなど、恥を知りなさい」
「す、すみませんでしたッ」
 優が深々と頭を下げる。
「勝負とは、書いて字のごとく、勝つか負けるか。やるかやられるかよ。あなたが初心者の一年生だからといって、手加減はしないわ。あなたも相手が先輩だからって、遠慮なんかしなくていいのよ。コートで向き合えば、先輩も後輩もない。敵同士なのだから」
(いいこと言うじゃん)
 不敵な笑みを浮かべて、ペコが小声で呟いた。一方、舞台わきの白井は――。
「赤城さん、すっかり本気モードだ」
「当然だ。でなきゃ、わざわざやらせろなんて言わねえよ」
 升田がそれに応えた。
「火がついちまってんのさ、真っ赤によ。あいつはひょっとすると、俺より優のことを買ってるのかもしれねえな」
 そして、優もまた。
(なんて、凄いひと――)
(そばにいるだけで、気迫でヒリヒリしそう。鬼のように厳しくて、誇り高いひと。私のバカバカ。なんて恥ずかしいことをこのひとに言っちゃったんだろう)
(このひとに、とても勝てるとは思えない。それでも――)
(このひとに、認めてほしい。軽蔑だけは、されたくない……!)
「さっき言ったことは、取り消します。私、頑張ります。全力で、向かっていきます!」
「よろしい」
 ニッコリと微笑んで、赤城が言った。
「では、はじめましょう。最後の勝負を!」

 赤城のチームのスローインで、第4Qが始まった。ちなみに、ジャンプボールでスタートするのは、第1、第3Qだけである。スローペースで、赤城チームが上がっていく。
 優はペコの予想以上によくやった。ここまでを10点リードで迎えることができたのは、彼女がリバウンドを獲りまくり、米子ともほぼ互角に競り合ってくれたからこそだ。
(でも、相手があの人じゃ、分が悪すぎる)
(10点のリードなんて、ないのも同然)
 だからって、負けるのは死ぬほど嫌いなペコだった。ならば、どうする。
(あの人に、ボールは渡さない)
 ペコの手が、赤城へのパスをカットした!
 最後は、必ずインサイドの赤城にボールを集める。そのコースをペコは読んでいた。ドリブルでゴールに疾走する。
 だが、ペコのワンマン速攻は阻まれた。ゴール前、赤城の巨躯がペコに立ちふさがっていたからだ。
(なんて戻りが速いの!? このガタイで!)
 やむを得ず、バックハンドでパスを回す。パスをもらった味方が、その場でシュートを撃つ。
「フンッ」
 赤城の大きな手が、そのボールを叩き落とす。まるで、バレーのスパイクのように。
 それを別の味方が拾う。即シュート。
「フンッ」
 これも赤城が叩き落とす。そのボールを今度は、ペコが拾った。
(コイツを落とせるかよ)
 ペコが後方にステップしながらシュートを放つ。フェイダウェイ・ジャンプショット。
「ヤアアーッ」
 ペコに向かって突っ込むようにジャンプした赤城は、目一杯伸ばした右手で、今度はそのシュートボールを叩き落とさず、リバウンドをもぎ取るように、懐に抱え込んだ!
「っシャアアアッ」
(バケモンか、この女……!?)
「インサイドで仕事ができると思わないで、ルーキーさん。この10分間、1本だって中からは入れさせないわ」
(上等……!)
「入れますよ、必ず。インサイドから、最低1本。ゲーム終了までに」
「向こうっ気も超一流ね。さすがだわ。それができれば、だけど」
 赤城とペコ、三年と一年が眼と眼で火花を散らせた。

 一方――。
「さすが、赤城キャプテン。三連続ブロックなんて!」
 相手チームの一年の言葉を優は耳にした。
(ブロック……)
(そうか。ずっとシュートのこぼれ球を拾うことばかり考えてたけど、ああいう止め方もあるんだ……)
(あれも、できるかもしれない)

「さあ、10点差、ひっくり返すわよ!」
「ハイッ」
 赤城の号令にチームメイト達が元気に応える。キャプテン赤城のスーパープレイが、俄然チームの志気を高めていた。
 ゴール前の赤城にパスが通る。カットを警戒した、高いパスだった。
 ターンした赤城がジャンプシュートを撃つ。フェイクもなにもない。シンプルなシュート。だが、身長で10センチ以上も上回る赤城の打点に、優の手は届かない。赤城が難なく、2点を入れた。
(身長だけじゃない。このひと、ジャンプ力もある)
「どうしたの。それがあなたの全力?」
「………」
 点差は8点に縮まった。残り時間、8分強。
(てっぺんまで跳ばれたら、届かない。叩くなら、跳び切る前……!)

 赤城のゴール下からのジャンプショット。優は今度はそのボールに触れることに成功した。赤城のジャンプが頂点に達する前だった。
 まったく動じないかに見えたが、優のそのディフェンスは、ショットの軌道をわずかに変えていた。ボールはリングに弾かれる。
 優は反転して、リバウンドの体勢に入る。自分が前で、赤城が背後。理想的なポジション!
 だが、優の背に、肩を押しつけた赤城の猛烈な圧力が襲いかかる。
(なんて、もの凄いパワー!)
(でも、負けるもんかーッ)
 歯を食いしばって、赤城のプッシュに耐える。踏ん張った脚はプルプルと震えながらも、まだ位置を変えていない。
(思ったとおり、なかなかの力持ちさんね。でもね――)
 突然、優の背中の圧力が消えた。優は思わず、たたらを踏みそうになる。
(力だけでは、勝てないのよ)
 スルリ、と赤城に前を取られてしまう。
(あっ……!)
 バランスを崩したところへ、赤城の大きな背に圧され、あっさり優は倒されてしまう。ジャンプさえすることなく、赤城がリバウンドをキャッチ。労せず、続くシュートを入れた。
「あら、いたの?」
 コートに尻餅をついている、優を見て言った。
「あんまり歯ごたえがないから、気付かなかったわ」
 このとき、相手が大先輩のキャプテンであり、高校女子バスケ界のスターであることも忘れて、優の心の闘志に火がついた。
 点差は6点。残り時間、約7分。

 その後、ペコは繰り返し、果敢にインサイドからゴールを奪おうとするが、ことごとく赤城の鉄壁のディフェンスにブロックされる。一方で、優は赤城のシュートをブロックに行っては弾き飛ばされ、リバウンドを競っては彼女のパワーに圧倒され、テクニックに翻弄された。
 ペコチームは味方のアウトサイドからの3点シュートなどで追加点をあげるものの、赤城は着実にゴールを重ね、その差は3ポイントまで迫っていた。残り時間は2分。逆転可能というには充分すぎる、点差と時間だった。そして――。
 リングからボールがこぼれる。赤城は優を阻みつつ、これを空中でタップして、リングに押し込んだ。これで1点差。逆転まで、あと一手。
「………」
 優は彼女のパワーと技に舌を巻きながらも、そのプレイのひとつひとつをじっと見つめ、自分の眼と頭に焼き付けていた。それはまるで赤ん坊がつぶらな瞳で、周囲のあらゆる物事を観察し学習するように……。

「大丈夫かなぁ」
 白井が心配そうに呟いた。
「なにが?」
「河村ですよ。あいつ、せっかく自信を取り戻したのに、今度は赤城さんにコテンパンにやられて、やっぱり自分には向いてなかったなんて言い出したりしませんかね?」
「その心配なら無用さ、ビンコ。よく見てみろよ、あいつの顔をよ」
 白井は細い眼をさらに細くして眼を凝らした。ゴール下で赤城と競り合う優を見つめる。
「……あいつ、笑ってる!?」
 ヘヘッ、と升田が笑いを漏らした。
「おめーも言ったろ。ペコと優は、プレーヤーとしてのタイプがまるで違う。車に喩えりゃ、ペコはF1マシンで、優はダンプカーみたいなもんさ」
「言い得て妙ですね」
「ダンプカーの優は、超一級のF1マシンのペコを見て、すっかり自信をなくした。自分にはとてもこうはなれない。こんな連中に混じって、とても勝てっこない、ってな」
「ええ」
「その認識は、ある意味正しい。ダンプカーがF1レースに出て、勝てるわけがねえからな。ただ、あいつが認識不足だったのは……」
「バスケは、フォーミュラマシンだけで争う競技ではない、と」
「その通りさ、ビンコ。あいつは、目標を見つけたんだ」
「目標……」
「死にもの狂いで頑張れば、いつか自分もこうなれるかもしれない。こうなりたいと思える相手だ。あいつは自分と同じ種類の、それも、ひと回りもふた回りもでっけえダンプカーに出会ったんだ。自信喪失? とんでもねえッ。あいつはいま、いちばん燃えてるだろうぜ!
 あんな虫も殺せねえ顔してたってな、あいつだって根っ子の部分じゃ俺達とおんなじさ。戦うことを生き甲斐とし、勝つことを歓びとする人間だ。考えてもみろ、あいつは楽にエースになれる弱いバレー部じゃなく、ろくに経験もねえ強いバスケ部を選んだ。そういう女なんだよ。優ってやつは」

 ぶつかっては、弾き飛ばされ。
 押しては、ひっくり返され。
 そのせめぎ合いのさなか、河村 優の魂の奥底から湧き上がる感情は――歓喜だった。
(これが、バスケットボール……!)
 中学まで、バレーをやっていた。
 仲間が拾い、上げたボールを、渾身の力を込め、相手コートに叩きつける。そのしびれるような快感は、格別のものだ。
 だが、いまここで味わっているもの。それはまるで別世界の感覚だった。
 敵と味方が同じコートを入り乱れ、時に激しくぶつかり合い、密着する。荒い息づかい、筋肉のうねりさえもはっきりと感じ取れる、ゼロの至近距離でボールを巡って繰り広げる攻防。それは球技でありながら、まるで格闘技さながら。
 知らなかった。このスポーツが、こんなスポーツであることを。こんな世界があることを。
 優にはっきりと自覚した信仰があるわけではない。それでも運命に導かれるように、自分をこの世界へといざなった何者かの意志がもしあるならば、彼女はそれに感謝を捧げたかった。それが神と呼ばれるものであるならば、神様ありがとう――と。

――これはよ、お前。天命だぜ。
――天はお前に、バスケをしろって言ってんのさ。
――お前はバスケに向いてる! 向いてるんだよ、優!

 あの男のいう通り、向いているのかどうか、自分ではわからない。
 ただひとつ、はっきりと言えることがある。
(私、バスケが好き!)
(大好き!)
 優の全身が、細胞のレベルで、そのひとつひとつ、全細胞が賦活化し、燃え上がった。
(アアアァァァァァァッ)
 赤城 愛が驚愕した。
(どうなってるの!? ここへ来てパワーが増した! このコは一体……)
 そのパワーに抗することに、気を取られ過ぎた。
(――不覚!!)

「赤城さんが、前を取られた――!?」
 白井が驚きの声をあげるそばで、そいつは――。
「あれを赦さなかった私は、もしかして赤城キャプテンより上?」
 米子の延髄に、升田の回し蹴りが炸裂した。
「アホかッ。なワケねえだろ!」
「ひ、ひどい……」
 床に這いつくばって、泪を流す。
(つくづくバカだ……)
 白井が首を振った。
「あのヤロー、試合をしながら、巧くなってやがる……」

「身長約170センチ・リバァァァンッ」
 ついに優が、赤城からリバウンドを奪った!
(すげえッ)
 ペコもまた、優のこのファインプレーに驚喜した。
(すごいよ、優! まさかあんたが、ここまでやるなんて思わなかった)
(今度は、私の番!)
「こっちよ、優ッ。ボールを!」
 優のパスが、ペコに通る。ゴールに向けて、疾る。それを赤城が追う。
(どうせ猛ダッシュで回り込むんでしょ。わかってる。でも、今度は決める!)
 ゴール前、ペコの視界に赤城の巨躯がフレームインする。
(そら来た。コイツを喰らえ!)
「ここだ! 来るぞ。よおく見とけ!」
 升田が白井と米子に言った。

 ――その少し前。白井と升田が、こんな話をしていた。
「遮二無二、インサイドから攻めていきますね」
「インサイドから一本もやらねえと言われたら、あえてインサイドから獲りにいくのが、ペコの流儀なのさ」
「――青い。外から確実に得点すべきです。挑発に乗るなんて、愚の骨頂。赤城さんの、あれじゃ思うツボだ」
「クールなおめーらしいな、ビンコ。だがよ、あれは布石だ」
「布石?」
「ああやって、単調なシュートに慣れさせておいて、どっかで仕掛ける気だ。もちろん、そんな狙いは赤城もわかってる。どっちが勝つか、見ものだぜこれは」

「さあ、来なさい! 木村理絵!」
「――理絵じゃない」
 疾りぬける勢いのままに、ジャンプ。ボールを頭上に掲げる。シュートモーション。
 ジャンプした赤城、右手でそのシュートコースを塞ぐ。塞ぎつつ、叩く。
 その右手が、空を切った。
「私は、ペコだ!」
 ペコのボールはまだ彼女が両手に抱えたまま、いったん下がり、赤城の右手をやり過ごしたところで、再び上昇した。ボールがペコの掌を離れて、リングに向かう。

「ダブルクラッチ!!!」
 白井と米子が、同時に叫んだ。
 だが、赤城のプレーは、さらにふたりを驚嘆させた。
(味な真似を!)
「ヌンッ」
 赤城はなんとそのボールを打撃系格闘家のバックハンドブローのように後ろに振った右腕で、弾き飛ばした!
 ボールはボードを跳ね返って、コートに転がる。ボールはまだ、生きている。
「ルーズボール、拾えェェェッ」
 体勢を崩し、仰向けに倒れた赤城の叫びに、チームメイトが呼応する。間一髪、赤城チームの選手が拾ったそのボールは、パスで繋がれ、反対側のゴールに入った。

「これで、逆転。私の勝ちよ。――ペコちゃん」
 乾坤一擲のダブルクラッチを破られ、ばたりとその場に膝をついたペコは、堅く握り締めた拳をコートに叩きつけた。

「NBAでも、見たことない。こんなプレー……」
 唖然とする米子の呟きに、升田が応える。
「漫画でも、お目にかかったことはねえよ。もっとも、漫画でこんなシーンを描いたら、ありえねえって、読者から文句が来そうだがな」
「このプレーは実在する。とでも注釈しとけば、とりあえず納得するでしょうよ」
 白井敏江がそう言った。彼女のコメントは、しばしばミもフタもない。

続く

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第1稿 2007.01.22