アバウト170   #6 パワー勝負!(承前)

 ペコチームはここで、タイムアウトを取った。赤城はタオルで額の汗を拭った。
(もう、こんなに汗を……)
 平静を装ってはいるが、赤城はかなり消耗していた。それほどにペコのオフェンスと、優のデフェンスをひとりで相手取るのは、赤城 愛をもってしても、大きな負担だった。
 特に先刻のダブルクラッチを破るために費やした極度の精神集中は、それだけで彼女の体力を絞り取った。コートに立って9分弱。こんなにも早く、タイムアウトがありがたいと思ったことはなかった。
 よくぞ止めた、と思う。自惚れる性質ではないが、今度ばかりは自分を誉めてやりたい気分だ。

「大したものだわ。高校一年で、あれができるプレーヤーは、そうはいないわ」
 額に玉の汗を浮かべて、赤城はペコに言った。
「そのセリフ――」
 ペコは赤城に訊き返した。
「裏を返せば、全国には何人もいるってことですか? 私ぐらいのが」
「ええ、いるわ。あなた以上の人もね」
 赤城が答えた。
「私はそういうプレーヤー達と渡り合い、負けた悔しさも味わってきた。その経験がなければ、あれにやられていたわ。負けて強くなりなさい。あなたも。――この、私(わたくし)のように」

「いいセリフだけど――」
 フッ、と口元に笑みを浮かべて、
「まだ、決着はついてませんよ」
 ペコが言葉を返した。
「終了の笛が鳴るまでは、勝負の結果は出ない」
「そうね。あなたの言う通りだわ。たとえ――」
 赤城はここで、タイムキーパーを務めるマネージャーの五井(ごい)に、残り時間を尋ねた。「残り40秒です」と、彼女は答えた。
「あと40秒しかなくてもね」
「40秒あれば、充分ですよ。点差は1ポイント。逆転できる。逆転してみせる」
「言っておくけど、まだインサイドからは1本も取られていないわ。そのことは、忘れないでね」
「………」
 そのとき、タイムキーパーの五井に、河村 優が尋ねた。
「あ、あの、タイムって、取っていいんですよね?」
 五井がそれに頷き、宣告した。
「チャージド・タイムアウト。白チーム」
 こうして、この試合で初のタイムアウトとなった。
 ヘッ、と升田が笑った。
「タイムの取りどころまで、わかってやがる」

(彼女は、もう一度インサイドから仕掛けてくるかしら……?)
 この期に及んで、さらに無謀な勝負を仕掛けてくることは、普通なら考えられない。だが、ペコの気性なら、有り得ないことではない。その可能性を、赤城は少しだけ吊り上げた。わずかな確率でも、勝つためにあらゆる手を打つ。それが赤城のやり方だった。インサイドから攻めてくるなら、守りきる絶対の自信があった。先ほどのダブルクラッチを破ったことが、さらにそれを強固なものにした。
 もし、ペコが無難にアウトからゴールを奪ったとしても、それはそれで構わない。ペコとの一騎打ちは、自分の勝ちということになる。
 そして赤城には、いまの1点のリードを守って勝とうなどという気は、更々なかった。
(どの道、あのコには、借りを返さないといけないのだから……)
 優に対するスクリーンアウトが、徐々に難しくなってきていた。一度使った手は通用せず、逆に驚くべき飲み込みの早さで、自分に仕掛けてくる始末だ。しかも、パワーは更に増して、もはや自分と互角ではないかと思えるほどだ。最後にはポジション取りで前をとられ、リバウンドを奪われた。
 末恐ろしい。だからこそ、頼もしい。
(やっと、私の後継者が現れた……! 先輩として、キャプテンとして、こんな嬉しいことはないわ)
(歓迎するわ、河村 優さん。あなたを一人前のセンターとして、立派に育ててみせる)
(でもね――)
 それでも、チームメイトの後輩に対する想いと、試合を戦う一プレーヤーとしての感情は、自ずと別だった。
(勝負は、あくまでも勝負――)
(朔商キャプテンのプライドに懸けて、勝利は譲れないわ!)

 カリカリとペコが爪を噛んでいた。
 中学時代は、ずっとこうだった。
 地区予選なら、自分ひとりで勝てた。だが、県大会クラスになると、徹底マークで潰され、一〜二回戦が関の山だった。そんな負け試合のベンチで、ペコはいつも爪を噛んでいた。だが、どんなに頭を絞ってみても、チームの総合力の差は、どうにもならなかった。
 勝てないのは、チームメイトに恵まれないせい。そう思って、自分を慰めてきた。強いチームに入りさえすれば、自分のスキルは活きる。日本一にだって、なってみせる。
 そんな無邪気な自信が、井の中の蛙のそれに過ぎなかったと、思い知らされた。
――全国には何人もいるってことですか? 私ぐらいのが。
――ええ、いるわ。あなた以上の人もね。
――私はそういうプレーヤー達と渡り合い、負けた悔しさも味わってきた。その経験がなければ、あれにやられていたわ。
 ペコは赤城を通じて、日本の広さの一端を垣間見たのだった。
――まだインサイドからは1本も取られていないわ。そのことは、忘れないでね。
 赤城 愛。なんと怖ろしい人物だろう。残り時間はわずかだ。ここは意地を捨て、確実にアウトから得点すべき局面だった。そうすれば、まだ充分に勝ち目はある。だが、それでは、インサイドから必ず1本入れてみせると大見得を切った自分の、負けを認めてしまうことになる。そうした自分の気性まで見抜いた上で、赤城はダメ押しのひと言を発したのだ。
 こうなった以上、どうあってもインサイドからゴールしないわけにはいかない。だが、絶対の切り札だったダブルクラッチさえ通用しなかった相手に、どう攻めればいいのか? ペコにはまるで見当もつかないのだった。

 その腕を優が掴んだ。
「その癖、治したほうがいいよ」
「……うるさいな。こうしないと、落ち着いてものが考えられないの」
「大丈夫。ペコなら、勝てるよ」
 そんな気休めを、とペコは思った。
「私も、力になる。力になるから」
「………」
 あらためて、優の顔を見る。ママを慕うこどものような顔だとペコは思った。その顔を見ていると、ピンと張りつめた緊張の糸がほぐれるのを感じた。
「優ってさ、中学んとき、バレーでどこまで行ったの?」
 ふと思いついて、ペコは訊いてみた。
「県大会で優勝して、全国大会に出たよ。ベスト8まで行った」
「ハアッ!?」
 さすがに唖然とした。
「そこまで実力があって、なんでこんな学校に来たの!?」
「静岡の高校からスカウトがあったんだけど、お父さんお母さんと離ればなれに暮らすのがイヤで、断っちゃった。それで地元の学校選んだんだけど、でもバレー部がこんなに弱いと思わなくて、ビックリしちゃった」
「あんたの考え無さにビックリだよ! つーかコドモかッ。その歳で!」
「だってえ……」
 ああもういいよ、と話を打ち切る。こんな際だというのに、笑いがこみ上げてくる。
「私もバカだけど、あんたはその上をいくバカだ。超スーパーウルトラバカだ」
「ひどーい」
(こんなバカ同士、コンビを組めば、なんかデッカイことが、できそうな気がするよ……)
 五井がタイムアウト終了の合図を告げた。
「さあ、行こう! 優を見てたら、いいコト思いついた」

 ペコチームのスローインで、ラスト40秒のゲームが再開した。
 スローなドリブルで、ペコがフロントコートへと進んでゆく。

(ペコよ、お前がどういう人間なのか、このプレーで見せてもらう)
 これまでにない真面目な面持ちで、升田はペコを見つめていた。
(もし、無難にアウトから点を取りにいくような人間なら、ただの優等生だ。そんときゃ、俺の眼鏡違いだったってことだ)
(ビンコなら間違いなく、そうしろって言うだろうが、俺が神奈川中探して歩いたのは、そんな掃いて捨てるような、お利口さんじゃねえ。あの赤城にさえ向かってゆく、熱いバカの血が流れてる、そういう奴だ)
(こればっかりは、俺が教えてどうにかなるもんじゃねえ。はじめっからそいつを具えてる奴でないとな。あの桜井の娘を超えるには、まずそいつが必要なんだ!)

 センターラインを越したところで、ギアをトップに入れる。最初のマークをかわし、続くディフェンスを一人二人かわして、フリースローレーンに突入する。
(来た!)
 赤城の血が沸いた。
(さあ、どう来る? なにをしようが、止めてみせる!)
 ゴール前、攻めるペコと、守る赤城が同時にジャンプする。ペコのボールを持つ手は、ゴールに対して、大きく後ろに伸ばされていた。
 フックショット。そう見えたペコのシュート体勢は、ボールを投じる寸前、背中を赤城に向け、完全にゴールに対して後ろ向きになっていた。それは見る者に、先だって優が米子をスクリーンするのに用いた、押しくら饅頭戦法を思い出させた。
 それもそのはず。ペコは優のあの戦い方にヒントを得て、このシュートを着想したのだった。
(コイツを落とせるもんなら、落としてみなよ!)
 ペコの身体に阻まれ、シュートの打点に赤城の手は届かない。そして、ボールの軌道は――。
 高さにして、バックボードの上端を越える高みに投げ上げられたボールは、急角度の放物線を描いてリングを目指す。これも赤城には届かない。
(入れェェェッ!)
 実戦はおろか、練習だってしたこともない、ぶっつけ本番の大技である。成功率は二割を切るだろう。だが、赤城に対してインサイドからゴールを奪うとすれば、これしかなかった。そのわずかな瞬間、ペコはただ祈るしかなかった。
(お見事。素晴らしいわ)
 落下するボールを見上げ、自らも落下しながら、赤城は思った。
(これは私にも、手も足も出ない)
(ああ、でも残念ね。少し距離が、短かったわ)
 ボールは無情にも、リングの先端を直撃し、さらにボードを跳ねて宙に飛んだ。
 そのリバウンドを獲るべく、赤城が膝をためたそのとき。
 赤城の視界に、ボールに向かって跳ぶ、丈高いシルエットが映った。
(河村 優――!)
 だが、赤城に焦りはなかった。初心者の優にシュートはない。撃ったとしても、入りはしない。ペコにボールを渡すことさえ阻止すれば、得点はできない。その赤城の眼が、驚愕に見開かれた!

 ボールに手を伸ばす優の思考を、言葉にすればこうなる。
(私に、シュートはできない。でも――)
(こういうことなら、私にも、できそうな気がする……)
 十本の指先に、ボールが触れる。掌で掴むのではなく、指先。その十本の指先が一瞬、ボールを柔らかく受け止め、次の瞬間、ポンと弾き返す。ボールはリングをくぐり、ネットを揺らしながら、コートに落ちた。

 赤城が、ペコが、コート上の選手達が、審判が、観戦する二・三年が、五井が、米子が、そして升田が――。そのプレーに声も発せず、眼を瞠っていた。ただひとり、白井だけが、こう漏らした。
「あいつ、リバウンドのボールをリングに向けて、トスしやがったよ……」

「いまのゴール? ゴールだよね?」
 優がペコに訊く。キョロキョロと、静まり返ったコートを見渡す。
 タイムキーパー兼得点係の五井が、ハッとして得点板のペコチームのポイントをめくる。2点が追加され、再びペコチームの1点リードとなった。
「やッ……たあァァァッ。初得点〜ッ」
 優が飛び上がって喜ぶ。そこへペコが抱きついた。
「凄いッ、凄いよ、優! もう、どこまで驚かせたら、気が済むんだよ! あんたゼッタイ大物になるよ!」
 そして、ペコは振り返り、まだ茫然としている赤城に向かって言った。
「どうっすか、センパイ。決めましたよ、約束通り。インサイドから1本。試合終了までに」
「……あなたの手柄じゃないでしょ。でもまあ、そうね。あなたは自分の手で――と言ったわけではないものね。まさに一本とられたというわけね」
(これで借りは二つ……。どうでも返さなくては、いけなくなったわ。ひとつは、この試合に勝つため。もうひとつは――)
(この私(わたくし)のプライドのために――)

「監督……? どうかしましたか」
 舞台では、升田が組んだ両掌を額に当てて俯いていた。不審げに白井が問うた。
「どうもしねえさ。ただ、嬉しくってよ……」
 ペコは見事、升田の期待に応えてみせた。そればかりか、もう少しでシュートを決めるところまで、赤城を追いつめた。そして、予想外の収穫が、河村 優だった。
 センターとしての資質があることはわかっていた。それでも、米子相手にリバウンドを獲れただけでも上出来すぎた。それがまさか、赤城からもリバウンドを奪い、さらにはこんなゴールまで決めてしまうとは。
(これでバスケ未経験の、初心者だっていうんだぜ? こいつが一人前のセンターになったら、いったいどうなるっていうんだ。想像もつかねえよ!)
 升田にはひとつ、不安材料があった。それは赤城が三年だということだった。ペコは桃花学園の桜井まどかに対抗し得る逸材だと信じている。まだヒヨっ子だが、そこまで育てるつもりでいる。昨年の敗戦以来、打倒・ヤンに燃える赤城は、現時点で彼女にぶつけるに足る実力の持ち主だ。
 だが、その赤城は今年で卒業してしまう――。来年、まどかとヤンは三年生。ペコは二年。ここで、ヤンに対抗できるセンターが不在となる。……はずだった。
(それがどうだい。無名の中学に埋もれてたペコを拾ってきたら、そいつがとんでもねえセンターのタマゴを連れてきやがった! 間違いなく、あれの器は、赤城を超える!)
(不信心者の俺だが、俺は人生の節目節目で、何度も天の導きってやつを実感してきた。だが、今日ほど強くそれを感じたことはねえ)
(今年は赤城の年になる。来年。来年の夏だ。てめーのご自慢の駒に、あの二人をぶつけてやる。桜井――)
(首を洗って待ってろ!)

「五井さん、残り時間は?」
 ゲームの時間は、刻一刻ときざまれる。いつまでも、驚き、歓びにひたっている余裕はない。すでに優とペコも、反対コートに戻り、配置についている。スローインのボールを受け取った赤城は、タイムキーパーに残り時間を尋ねた。
「あと、20秒です」
「20秒ね。オーケイ」
 ドリブルをしながら、ゆっくりと、歩く。マークはついているが、一定の距離を保って、下がり続けている。高いドリブルだったが、それを奪おうとする者はいない。それを赦さぬオーラのようなものが、彼女の全身から放射されていた。

「赤城さん、時間いっぱい使うつもりですね」
 舞台わきで、白井が言った。それに升田が答えた。
「てめーのチャンスは一回こっきり。そのかわり、敵に反撃の時間も与えない。そういう作戦だ」
「残り10秒!」
 静まり返り、赤城のドリブルの音だけが響く体育館に、五井のカウントがこだまする。

「河村 優!」
 足を止めた赤城が、ゴール下で待つ彼女の名を呼んだ。
「はいッ」
「リバウンドと、さっきの味なゴールの借りは、ここで返すわ。勝負しなさい!」
「望むところです!」
 優が腰を落とした。
「5秒!」
 赤城が一気に距離を詰め、ゴール下、優の前で、腰をためる。

 赤城 愛と河村 優。ふたりが雌雄を決したこの紅白戦ラストの対決は伝説となり、朔商女子バスケ部で、こののち長く語り継がれることになる。
(いくわよ、優! 勝負!)
 赤城の脚がコートを蹴る。重力に逆らい、その巨体が宙に浮かぶ。ボールを頭上高く掲げて。全身全霊を込めた、赤城のジャンプシュートだった。
「身長約170センチ――」
 同時に、優も跳ぶ。いままでで最も高く、最も雄々しいジャンプだった。
 中学時代はバレーをやっていた。ポジションはウイングスパイカー。その優がありったけの力を込め、赤城がいままさに放たんとするボールを叩く。
「ブロォォォォォック!」

続く

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第1稿 2007.01.22