アバウト170   #7 強敵

「続いて、7番――」
 そして、季節はめぐり――。
 夏のインターハイ。秋の国体。冬のウインターカップを戦い、一年でスタメン入りして以来三年間、攻守の要として朔商のセンターを張り続けた赤城 愛は、高校バスケを引退した。朔商の、ひとつの時代が終わった。
 それはまた、朔商女子バスケ部の、新たな時代の幕開けでもあった。次の主将(キャプテン)には、白井敏江が就任した。
 その新キャプテンの白井が、新チームの今後を占う重要な前哨戦となる、練習試合のスターティングメンバーを発表していた。
「河村 優ッ」

「……私?」
 自分の顔を指さし、信じられないという表情でキョロキョロする。
「優、あんたが7番なんだよ。スタメンなんだよ、スタメン」
 優の肩を叩いて、ペコが言った。
「私が、スタメン……?」
「驚くことじゃないよ、優」
 キャプテンの白井は言った。
「ウインターカップの時点で、お前はよそなら充分にセンターを張れる実力はあった。ただ、後身に道を譲らず、ウインターカップまでセンターとキャプテンの座を手放さなかった邪魔者がいたからねえ」
「そんなこと……」
「それは悪かったわね。邪魔者が手放さなくて」
 部室のドアを開け、前キャプテンである赤城 愛の巨躯が姿を見せた。
「優、なんて失礼なことを」
 ぬけぬけと白井が言い、ブルブルと優が首を横に振る。
「あなたの声は、聞き間違えようがないのよ。どの口がそんな口をきくのかしら、ビンちゃん?」
 赤城の二本の指が、白井の幅広の唇をつまむ。
「ふ、ふみまへん……(つか、そこで立ち聞きしてたんすか?)」
「罰として、この役目は、私(わたくし)に譲らせてもらうわ」
 赤城が7番のユニフォームを手に取った。
「7番、河村 優。受け取りなさい。これは、あなたのものよ」
 優が両手で、そのユニフォームを受け取る。瞳には、涙が浮かんでいた。
「あ、ありがとうございますッ」
「あなたがいるから、私(わたくし)は安心して、卒業できるのよ。私(わたくし)を超えてちょうだい」
「そんな……」
 にっこりと笑って、赤城は言った。
「忘れたの? あなたは入部早々、私(わたくし)をコートに叩きつけた人なのよ」

 そう。ほぼ一年前の、あの紅白戦。
 タイムアップ寸前、シュートする赤城と、それをブロックする優とが、激しくぶつかり合った。
 その瞬間のことを優はよく覚えていない。我に返ったとき、最初に意識したのは、ノイズのように耳につく、自分の荒い息の音だった。そして次の瞬間、眼に飛び込んだのは、目の前でコートに仰向けに横たわる赤城だった。聞けば、赤城も自分の身になにが起きたのかわからず、なぜ視界の正面に天井のライトがあるのか、訝しんだという。
 自分が叩いたはずのボールが、反対コートを転がり、エンドラインを通り越して、体育館の壁に跳ね返るのを優は見た。
(あの赤城さんを――)
(オーバー180の巨体を――)
(全日本ジュニア代表センターを――)
(ブッ倒したァァァッ!!)

 ハッとした優が、倒れた赤城に駆け寄る。
「あの、大丈夫ですか!?」
「どうもしないわ。私(わたくし)、けっこう頑丈なのよ。ただ、少し驚いてただけ」
「すみません……私、つい、夢中で……ホントに、ごめんなさいッッッ」
「莫迦ね、なにを謝ってるの? これは勝負じゃないの。お互い、やるべきことをやったまでよ。私(わたくし)も、あなたも」
 そう言うと、赤城は優の身体を抱き締めた。
「!」
「素敵よ、優ちゃん! あなた、最高だわ。私(わたくし)の、妹にしたいぐらいよ」
「あ……ありがとう……ございます……」
 憧れのキャプテンにそう言われて、顔を真っ赤にする優だった。

「おいおい、ノーサイドには、ちぃと気が早いんじゃねえか?」
 コートのサイドライン際までやって来て、赤城にそう言った升田は、
「おい、審判!」
 と、主審を務める女子部員を呼びつけた。
「はい」
「はいじゃねえよ。いまの判定は?」
「あっ……そうでした。ディフェンス・ファウル、河村ッ」
 はあ〜ッ、と試合を見守ってきたギャラリー達から、ため息が漏れる。
「――ま、そんなこったろうよ」

 その後、赤城はファウルによる2本のフリースローを危なげなく決め、紅白戦の勝ちをもぎ取った。ペコが地団駄踏んで悔しがったのは、言うまでもない。
 だが、この試合で河村 優は一躍、初心者ながら木村ペコと並んで、一目置かれる存在となったのだった。あの赤城キャプテンをコートに叩きつけた女――として。

「この一年間、本当によく頑張ったわね。あなたの努力は、ここにいる皆が認めているわ。そうでしょう? 皆さん」
「ホント、よくがんばったよ!」
「頼りにしてるからね!」
 部員達が口々にそう言った。
「おめでとう、優。あらためて、これからもヨロシク」
 ペコが優と握手を交わす。
「うん、ありがとう」
「おめでとうッ」
 白井がそう言って、拍手する。部員達がそれに続く。
 暖かい拍手に祝福され、
「ありがとうございますッ。ありがとうございますッ」
 そう言って、何度も何度もお辞儀を繰り返す優だった。

 その雰囲気をぶち壊すかのように、そいつは現れた。
「いやあ、悪りぃ悪りぃ。遅れちった」
(このバカが……)
 白井が心の中で罵った。
「米ちゃん……!」
 赤城が怖い顔で、遅れてやってきた米子を睨みつけた。
「ハッ、キャプテン……じゃなくて、その……」
「あなたのその遅刻癖は、いったいいつになったら改まるのかしら? あなたはもうすぐ最上級生で、しかも副キャプテンなのよ!? そんなことで、後輩に対して示しがつかないじゃないの!」
「はっ、誠にその、申し訳なく……」
「試合当日に遅刻したら、いったいどうするつもり?」
「いやそんな、いくらなんでも試合には遅れないっすよ」
「だったら普段は、たるんでるってことね? 尚更ゆるせないわ!」
「いや、それはその……」
「この5番のユニフォーム、どうしましょうかね……?」
 米子に渡すはずのユニフォームを手に、白井が言った。
「あ、あ、それ、私の……」
「5番? このコが5番? もったいないわ! 十の位に『1』を刺繍して、15番にするのが丁度いいわ」
「いやいや、そんな……」
「それならいっそ『9』にして、95番ぐらいにしたほうがいいですよ」
「高校バスケで、95番って……」
「いや、そんな手間をかけるよか、やっぱり捨てちゃいましょうか。これ」
「それはダメ、それはダメだって……」
「そうね。確か校庭に使われなくなった焼却炉があったはずだから、そこで焼いてしまいましょう」
「それだけはご勘弁を……ていうか、いまどき焼却炉って……」
 赤城と白井の掛け合いと、それにうろたえる米子に、部員達は全員、声をあげて笑った。


「ジャーン」
 帰宅後。自室でさっそくユニフォームに着替えた優は、姿見に自分を映してみた。正面、後ろと、丹念にポーズまでつける。
(ニャー)
 ベッドで寝ていた猫が、主人に気付いて、足もとにすり寄る。
「ナナエモーン、どう? 似合う? カッコいいでしょう? 一桁ナンバーだよぉ、スタメンなんだよぉ。すごいでしょう?」
 猫のナナエモンは、そのことを理解したのかしないのか(していないに決まっている)、「ニャー」と啼いた。
「ナナエモンもそう思う? うれしいッ」
 ちなみに、ナナエモンの名前が、優の愛読書である某名作テニス漫画の主人公のペット「ゴエモン」に由来することは、言うまでもない。5の次の6ではなく「7」なのは、単に語呂がよかったからだ。

「ヨシ!」
 湧き上がる衝動に堪えきれず、マイボールを抱えて、部屋を飛び出す。
「どこ行くの? もうすぐご飯よお」
 ドタドタと玄関へ走る娘の足音を耳にして、母親が言う。夕食の支度に忙しい母親は、娘がどんな格好で外出しようとしているのか気付かない。
「すぐ戻るッ」
 そう言って、玄関を飛び出す。
 季節は真冬。腕、脚を付け根から晒す出で立ちに、通りを歩く人々がギョッとして振り返る。が、そんなことは一向に気にしない、気にならない。肌を刺すような二月の冷気さえも。白い息を吐きながら、ただ夢中で近所の公園に向かう。これまで毎朝、毎晩、シュート練習を続けた、いつもの公園へ。

 いくつかのベンチと、バスケットのボードだけが設えてある簡素な公園には、人っ子ひとりいない。すでに日は暮れ、街灯が公園を照らしている。
 その公園の入り口から、優は持参したボールで、低いドリブルを刻んだ。暖機運転をするように、そこでしばらく小気味良いリズムでドリブルを続けると、最初はゆっくりと、そして徐々に加速をつけて、ボードに向けて走りだした。その姿は堂に入っている。約一年前、へっぴり腰のドリブルでボールを蹴飛ばした素人臭さは微塵もない。
「身長約170センチ・シューッ」
 優のきれいなフォームのレイアップシュートは、その速い動きに関わらず、手から離れたボールだけは緩やかに、まるでそこに“置いてくる”ように、リングとネットをくぐり、ゴールを決めた。
「ヨシッ」

 この一年の優の成長には、部内の誰もが眼を瞠った。もともとバレーで、全国ベスト8まで行った選手である。彼女の運動能力とセンスは、多くのものを驚くべき早さで吸収していった。日一日、やればやるだけ上達する。そのことが優には嬉しく、楽しくてしょうがなかった。
 その優が、ことのほか好んだのが、シュート練習だった。部活でその練習が始まってからというもの、優は毎日のように、朝晩この公園でシュート練習を欠かさなかった。その甲斐あって、無論ペコのようなレベルには遠く及ばなかったが、充分にセンターとして実戦に耐えるだけの、シュート力を身につけていたのである。

 背も、少し伸びた。
「その、身長約170センチなんとか――ってやつ、もう“約”は要らないんじゃないの?」
 優の身長が170ジャストに達した当時、いつものように「身長約170センチ・シュート」(セリフ付き)を決めた彼女に、ペコが指摘した。
「でも、もうこれで馴染んじゃったから」
 うーん、としばらく思案して、優はそう答えた。
「好きにすればいいよ。別に間違いじゃないし」
 ペコはそう言い、
「175を超えるまではね」
 と付け加えた。
 まだ、その身長には届いていない。それでも近い将来、それを超える日が来るかもしれない。二月現在、優の身長は、171センチに達していた。
 いつか、尊敬する赤城先輩のようになりたい。優のその願いは無論、トータルな選手像としてだが、そこには身長も含まれている。赤城のようなオーバー180センチが、彼女の理想だった。
「私も入部当時は、あなたぐらいの背丈だったわ」
 紅白戦でうちとけたあと、赤城が優にそう言ってくれたのを覚えている。それは優の励みであった。ボードの支柱に手を伸ばし、どこまで届くかを見る。それはこの公園での、優の日課だった。
 そのことで、今日のミーティングで久しぶりに顔を合わせた、赤城先輩のことを思い出した。彼女は卒業後、スカウトされた大学女子バスケの強豪、天島女子大学へ進学する。

(天島――どんなところなんだろう)
 遠く神奈川の南東、房総半島沖の洋上に浮かぶ人工島に想いを馳せるように、その方角の空を見上げた。
 赤城 愛はこの春、バスケ王国と呼ばれる、その地に赴くことになる。
 そして奇しくも、今度の練習試合の相手もまた、その島からやってくる。
(どんなチームなんだろう……。ああ、ウズウズする。早く、試合がしたい!)

「しつもーん」
 スタメンとベンチ入りのメンバーを、やや滞りがありつつも、発表し終えたそのミーティングの場で、ペコが手を挙げた。
「肝心の、対戦相手をまだ聞いてないんですけど」
「ああ。そういえば、まだそいつを言ってなかったね……」
 白井の深刻な面持ち(には見えないのだが)が、それまでの和やかなムードを一気に張りつめさせた。よほどの強豪が相手なのか……?
「浄善女学院――。説明の必要はないよね? それが今度の練習試合の対戦相手」
 おお……。とその場の部員達から小さく声が漏れた。
 全国でも名の知れた、天島の強豪である。だがその声には、ややホッとしたニュアンスも含まれていた。白井の様子から察して、もっと格上のチーム――桃花学園のような――でもおかしくなかったからだ。しかも、相手は一年生だけでやって来るという。
「赤城さんがいた頃の、週刊バスケットの格付けランキングでは、うちとほぼ同格。けど、そんな過去のデータは全くアテにならない。一年生チームだからって、ゆめゆめ侮ってもらっちゃ困る。――今年のあそこの一年は、ハンパじゃなく強いよ!」

アバウト170 前半戦 了 





第1稿 2007.01.22
第2稿 2007.11.11
■後半戦 予告
PG 加地あい
G 加地のぞみ
SG 富山梨華
PF 伊東真希
C 西澤仁美
関東一円の強豪校が軒並み、このチームに“喰われ”ていた。次なる標的は、神奈川の優勝校。
バスケ王国・天島。その天島で、常に王者・天島女子大附属に阻まれ、万年二位の座に甘んじてきた浄善女学院。だが来年こそは、その序列を覆すだろうと言われている。彼女ら驚異の一年生が、チームに加わったからである。
新生・朔商女子バスケ部の前に、あいつらがやって来る!