ダブルスコア


  いきなりエピローグ

 いつものように自転車で学校へ行く途中、いつものように朝の犬の散歩をしている近所のおばさんといつもの場所ですれ違う。
「おはようございまーす」
「今日も朝練? 偉いのね。辛くない?」
「平気です。この子のお散歩といっしょ。身体を動かしてないと、かえってイライラしちゃって。ラッキーもそうだよねー?」
 人懐っこくハァハァ言いながらわたしを見上げる、ゴールデンレトリバーのラッキーを撫でながらわたしは言った。
「だって昨日、試合があったばかりでしょう?」
「……あ、はい」
 わたしの表情は、少し曇ったのかもしれない。おばさんの顔が、しまったマズイことに触れたという一瞬の表情をわたしは見逃さなかった。
「それじゃ、車に気をつけてね」
「ハイ。行ってきます」
 自転車を漕ぎ出したわたしの背中をバウバウというラッキーの野太い吠え声が送ってくれた。それはまるでラッキーが「がんばれ! くじけるな!」そう言って励ましてくれているように、わたしには思えた。

 朝のひんやりとした空気を裂いて、自転車を疾ばすこのひとときが、わたしは好き。あと数時間もすれば、イヤになるほど狂おしい灼熱の太陽が、この巨大な人口の島を焦がす。
 ご紹介が遅れました。わたしの名前は上田 茜。通称、アカネ。天島県立日之出が丘高校二年、バスケ部所属、16歳。身長、152センチ。バスケをやれば、背も伸びるかな〜って、甘い期待もしたけど、ちっとも伸びません。なお、スリーサイズはナイショとさせていただきます。
 ところで、天島県という県名、みなさんには、耳慣れない地名ですよね。日本の四十八番目の都道府県、東京湾沖約百キロの洋上に浮かぶ、人口約270万人を抱える巨大な人工の島。それが天島県なのです。

 さて、ここで地の文を本作の主人公アカネの一人称から、ワタクシこと作者に引き継ぎ、本作の設定事項について、若干の補足を加えておきたい。
 天島県は、その十字型の形状から、オーシャンズクロスとも呼ばれる、巨大な人工島をその版図とする。バブル最盛期に計画された、東京ベイ・アクアポリス構想の一環として築かれた壮大なプロジェクトの産物は、21世紀の第一期完成を迎えてなお、東京都の巨大なお荷物であり続けた。
 コストパフォーマンスの悪過ぎる広大な倉庫街でしかなかった東京都天島市を、財政逼迫に喘ぐ東京都は放棄。国がこれを引き取る形となり、日本に新しい県、天島県が誕生したのである。
 皮肉なことに東京が手放したのち、米軍基地ならびに国際空港一部移転、テーマパークのオープンに伴って、天島県は自治体としての息吹を吹き込まれることになる。さらにその勢いを駆って開催された「天島万博」の成功が、東京神奈川に次ぐ、関東第三の経済圏としての地位を不動のものにした。
 天島県と本土は、一方を房総半島に結んだ全長約50キロのギャラクシーブリッヂによって繋がれ、道路および私鉄特急・アクアライナーが、行き来する人々の足として利用されている。

 よろしいですか? わたしが天島に生地の長野から父の転勤で越してきたのは、小六のとき。あの当時は、なにもかもが斬新でお洒落なこの街に夢中でハシャいでいました。でも、いまは、熱過ぎる太陽と鼓膜の破れそうな米軍機とジェットの爆音を浴びる度、故郷の信濃の山々が恋しく思えます。
 ここはたぶん、日本のどの都市(まち)よりも、緑がふんだんに盛り込まれている。だけど、この都市(まち)に、山はないから。

 バスケを始めたきっかけは、ここに越してきたばかりの頃、あのひとのスーパープレイを見てしまったから。転校した小学校の体育館で行われた、中学地区予選決勝。大会の準備の手伝いに駆り出されたわたしは、その試合を目の当たりにすることになり、そしてそれが、わたしの運命の転轍機を切り換えてしまったのでした。
 当時、まだ一年生の彼女は、3人のマークをものともせず――一年生相手に、三年が3人ですよ!? 鮮やかなフットワークで翻弄してみせ、シュートを決めまくった。その華麗なプレイを見て、わたしはバスケをやることを決めた。あんな格好いいプレイをわたしもしてみたかったから。あのひとのように、わたしもなりたかったから――。
 天羽七海恵。それがそのひとの名前。いまは県下一の強豪、天女(アマジョ)――天島女子大附属のキャプテンにしてエース。「天島に天羽あり」と謳われる、ここ天島でバスケをやる高校女子なら知らぬ者はいない、天島バスケ界の女王。誰もが認める、天島ナンバー1プレイヤー。わたしの憧れであり、目標でもあるひと。
 中学は学区が違って、同じ学校には行けませんでした。そして高校も、残念ながら私学に行かせてもらえる経済的余裕が我が家にはなく、地元の公立校に進学せざるを得ませんでした。「昭和名作アニメ劇場」で観た『エースをねらえ!』の岡ひろみのように、憧れのお蝶夫人と同じ学校には、わたしは通えなかったのです。

 ……などとアカネは申しておりますが、とんでもない。ワタクシは真実を存じております。なにしろ作者でありますから。授業中の居眠りの名手であるアカネは、高偏差値の名門、天島女子の入試に受かるだけの学力など、とてもとても持ち合わせていなかったのであります。
 身の程知らずにも志望校を「天島女子」と口にして、進路指導の教員に鼻で笑われたことも、ちゃーんと存じております。なにしろ作者ですから。

 うっせーよ! ……でも、違う学校だからこそ、試合で対戦する可能性だってあるんだよね。いつの日か、天女に挑戦したい。天羽さんと、マッチアップしてみたい。それがわたしの夢。インターハイ予選では、その夢はかなわなかったけれど……。
 天羽さんは三年。この夏で引退するのだろうか。うちの三年生、キャプテンのリサ姉や、チカ姉のように……。それとも、天羽さんほどのひとなら、有力な大学からスカウトが来て、受験の心配もなく、ウィンターカップまでバスケに専念できるだろうか? そうであってほしい。このまま、憧れのまま終わるのはいや。
 でも、憧れや頑張りだけではどうにもならない、圧倒的な力の差というものを、昨日の試合でわたしはイヤというほど思い知らされたのでした……。


 体育館の扉を開けると、綺麗な弧を描いたボールが眼に飛び込んできた。リングをくぐるパスッという小気味よい音が、しんと静まり返った体育館にこだまする。
「ナイッシュッ」
「センパーイ! おはようございまーすッ」
 かわいいコーハイが笑顔で駆け寄ってくる。一年の篠塚萌美。通称、モエミ。部員の誰もが一目置くロングシュートの名手。がんばり屋で朝練の常連。その努力と実力が認められて、一年にしてスタメン入り。といっても、三年が二人、二年がわたしも入れて二人の我がチームでは、一年から誰かひとりを選ばなければしょうがないのだけど。
「脚、大丈夫ですか?」
「うん、平気。一時的なケイレンだったみたい」
「よかったあ。アカネセンパイまで休まれたら寂しくなるから。……リサセンパイにチカセンパイ、やっぱり引退するんですかねー?」
「それは、やっぱり受験もあるし……。そういえば、わたしがあんなことになって、ヒカルとすぐ病院へ行っちゃったから、ちゃんとした挨拶もまだしてないんだよね」
 通常、夏の大会の敗退をもって、三年の引退式となる。そこで挨拶をし、キャプテンが次期後継者を指名する。ついでに言うと、そのあと日之出が丘のケーキ屋さん「彩紋」に全員でくり出し、貸し切り状態で過ごす。それがうちの去年までの恒例のセレモニーだった。
「いまでも「ベンチが弱い」って言われてるのに、主力選手が二人も抜けたら、痛い戦力ダウンですよね」
「一年を鍛え上げるしかないよ。愚痴っても始まらない」
「使えないもんな〜。うちの一年坊」
「あんた、自分が一年だって忘れてない?」
 ちょっと苦笑い。
「だって、朝練だって来やしないし。やる気あんのって言いたくなりますよ!」
「強制はできないよ。遠いコもいるし」
「アカネセンパイ、甘いッ。やる気のないヤツなんてこっちで願い下げですッ。ついて来れる者だけついてくればいいんですッ」
 やる気のないヤツなんてこっちで願い下げ、か。去年のわたしも同じ科白を言っていたのを思い出す。モエミはプレイヤーとしては対照的だけど、性格的にはちょっと似たところがある。
「一年だって6人しかいないんだよ? これ以上減っちゃったら、部の存続に関わるよ」
「ああもう、こんなに頑張ってるのに、どうして報われないんですかね。ろくな指導者もいないし、ハゲヅラだってただ籍を置いてるだけだし」
 ハゲヅラというのは、女子バスケ部顧問の蔭妻先生のことだが、誰も本人の前以外ではそうは呼ばない。吹き出すのを堪えるのに一生分の自制心を必要とするバレバレのカツラを頭頂に乗せており、みんなからハゲヅラハゲヅラと呼ばれている。困ったことに、○ゲヅ○先生ご本人は、その秘密(口の悪いリサ姉キャプテンに言わせると、「ちっとも秘密になってない。あれはカムアウト以外の何物でもない」ということになるのだが)が周知の事実であることを想像だにしていないのだ。
「いないよりはマシ。そう思うことにしよ。顧問がいなきゃ公式戦にも出れないんだし。
 それに。今年も結果、出せなかったしね……」
「クジ運が悪かっただけですよ! うちはベスト4狙える実力あるんですから! いきなり緒戦の相手が、浄善女学院なんて……」
「そういう言い訳、通らないのよねー。……わたしだってそう」
「………」
「あそこで、あんなことになってしまったのは、不運でも何でもない。自分の責任。わたしの鍛え方が足りなかった。ただそれだけのこと」
「センパイッ、凄いです! 尊敬します! わたし篠塚萌美、ずっとずっとアカネセンパイについて行きますッッッ」
「おう、ういやつういうやつ。ういういうい」
 そう言って、モエミの髪をくしゃくしゃに掻き回してやる。わたしより十センチも高いこのコのことが、ときどき忠実な仔犬のように愛おしく思えるのはこんなとき。こういう可愛いヤツなのだ。モエミは。
「さっ、練習しよ。1オン1、やろーぜ。昨日の鬱憤、バクハツさせちゃる。覚悟しときな」

 アカネがモエミのディフェンスをかわして、十本目のシュートを決める。
「た〜、またやられた〜。平面の勝負じゃ、アカネセンパイに敵わないッス」
「わたしも上を行かれると弱いけどね」
 モエミも六本のゴールをアカネから奪っていた。だがそれは、全て身長差とジャンプ力を利した「上」からのポイントだった。平面の勝負では、自分だけでなく、PG(ポイントガード)のキャプテン・リサを含めて、アカネに勝てる者は部内にはいないだろう。
 それが問題なのだ。と、モエミは思う。昨日の対浄善戦、アカネは伊東、西澤に、得意とする平面の勝負で、完膚無きまでに敗れている。これが人一倍負けん気の強いアカネにとって、悔しくないはずがない。屈辱でないはずがない。
 彼女らを見返してやるためにも、もっともっと強い相手との練習を望んでいるに違いあるまい。決して口に出したりはしないが、物足りなさを感じているだろう。鍛えれば、まだまだ伸びる、県内屈指の資質を持ちながら、練習相手に恵まれない、チーム全体のレベルが県内トップクラスには及ばないが故に、壁に突き当たっている。モエミには、そう思えるのだった。

「おっはよーッ」
 二人きりの体育館の扉を開けて、新たなメンバーが顔を見せた。
「おはよーございまーすッ」
「ヒカルぅ、おせーよ」
 二年のヒカルこと、斎藤 光である。
「渋滞でバスが遅れちゃって。おまけに隣のオヤジがすんげー油ギッシュで、ピッタリくっ付いて、ニオイは臭いは気持ち悪いは、もう超最悪」
「うわあ、イヤイヤ」
 潔癖気味のモエミが露骨にイヤな顔をする。
「脚は大丈夫そうね?」
「ノープロブレム!」
「よかった。元気そうで。厭な気持もぜんぶ、涙といっしょに洗い流せたみたいだね」
「ヒカルぅぅぅぅぅぅぅぅ」
「あ〜、やっぱりアカネセンパイ泣いたんだあ。おかしいと思ったあ」
「お前ってヤツぁ、どーしてコーハイの前でそおいうコト言うかなー」
「いいじゃん。どうせ隠したって、みんなわかってるって。“泣き虫アカちゃん”」
「アカちゃんって言うなーッ」
 お恥ずかしいハナシですが、わたしが泣き虫なのはホントウです。辛いトレーニングで吐きながら泣いたことも、一年のとき、自分が出ていない先輩の試合で負けて泣いたこともあります。極めつけは、国語の授業で教科書の朗読をしながら、悲しい場面で泣いてしまったこと。さすがにこのときは、なんでそれで泣くかなとみんなから莫迦にされました。その珍事はクラスに留まらずクラブにも伝わり、ついた渾名が“泣き虫アカちゃん”。それは泣き虫なのは事実だし、認めるけど、「アカちゃん」はヒドイと思いません?
「私の胸でよければ、いつでも貸してあげるよ」
 ニヤニヤしながらヒカルがそう言って自分の胸を突き出す。
「へーんだ。お前の薄ッい小骨の刺さりそうな胸なんぞ、もう用はないわい。今度泣くときは、モエミのホーマンなパイオツにするー」
 そう言って、モエミに抱きつく。ヘンなシュミはないが、女の子の柔らかな感触は好きだ。
「あ、あたし平均ですよ」
「貧しすぎてバストが破産してるアカネに言われたくないなー」
「そこまで言うかあ!?」
 体育館に響く三人の嬌声を突如、ダムダムというドリブルの音が引き裂いた。

 そいつはゴール下に到達するや、豪快なダンクを決めた。ビリビリと振動するボードの余韻が、静まり返った朝の体育館にいつまでも響きわたる。
 二年生ながら男子バスケ部のエース、貴城孝士(たかし)。あいつも朝練の常連。もっとも、男子で朝練をしているのは彼だけだけど。わたしたち女子部と違い、やる気のない同好会的な部活でしかない男子部だけど、彼の実力だけは認めないわけにはいかない。それに、ルックスの良さも。だけど――
 性格は、最ッッッ悪。

「そのぶんやと、落ち込んではおらんみたいやな」
 夏の天島に、雪でも降るんじゃないかとわたしは思った。あいつはいつだって、わたし達のことなんか視界に存在しないかのように、黙々と独り練習をするのが常だったからだ。
 それが今朝に限って、あいつからこっちに声を掛けてきた! 雪が降る! 夏の天島に雪が!
「悔しくないわけ――ないだろッッッ」
 わたしは彼の顔面めがけ、手にしたボールを投げつけた。ヒカルとモエミがギョッとした顔を見せる。こう見えてもコントロールはいい。よけなければあいつの顔面を直撃する。
 ところが、あいつはよけなかった。驚いた表情ひとつ見せず、涼しい顔で手にしたボールでブロックする。
 ちょうど真上に弾いたボールを空いた手で受け止める。やることがいちいち小面憎い。
「誉めたつもりなんやけどな。……昨日の試合、惜しかったな」
「嫌味のつもり? ダブルスコアの、どこが惜しいんだよッッッ」
「結果やない。上田、お前をプレイを言うとんねん」
「え……」
「さあ。時間もない。さっさとやろか」
「やろかって、何を?」
「何をて。お前が頼んだんやろ」
 それを聞いたモエミが小躍りする。
「じゃあ、引き受けてくれるんですか!? やったあ、良かったですね、アカネセンパイ! 貴城さんが、引き受けてくれるんですよ!」
「おう。トレーナーの件、引き受けたるわ。まあ、情けない話やけど、うちの男子部よりは見込みありそうやしな」
 あまりにも意外な展開に、わたしのアタマはついてこれなかった。だってだって、それは絶対に、金輪際あり得ない可能性だったから。
「信じらんない。どういう風の吹き回し?」
「伊東真希をブッ倒したいんやろ? けど、お前らだけでなんぼがむしゃらに頑張ったって、あいつには勝てん。そやから」
 ムッと気色ばみそうになるのをグッと堪える。ただ、がむしゃらに頑張っても彼女には勝てない。悔しいけど、確かにわたしも心の奥底で、そう実感していた。
「俺が教えたる」
 わたしの投げつけたボールを、そう言って放り返して寄越す。
「けどなあ。伊東を超えるんは、ハンパやないぞ? 覚悟しとけよ。泣いたって手加減はせえへんからな」

いきなりエピローグ 了 

次回予告
「伊東は、あんたに任すからね」
 キャプテン・リサの言葉を聞いた、アカネの戦慄にも似た驚きの表情は、やがて不敵な喜色へと顔つきを変える。
 インターハイ県予選、第一回戦の相手は、ポスト天羽の呼び声高いスーパーエース・伊東真希を擁する県下ナンバー2の強豪、浄善女学院だった。それを知り動揺する部員達のなか、ひとり闘志を漲らせるアカネだったが……。
 次回、「第1Q 小さなエース」 対浄善戦に向けた戦いのドラムが、いま静かに撃ち鳴らされ始めた。

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第1稿 2002.02.14
第2稿 2002.03.14
第3稿 2003.01.28
第4稿 2003.08.06