7

 マロンクリームと生クリームとスポンジを程良いバランスでスプーン掬い取って、口に運ぶ。その瞬間、三者の濃厚で芳醇な甘味がお口いっぱいに絶妙のハーモニーを奏で、とろけるような官能的な愉悦にわたしをいざなうのでした。
「お、お・い・ひ〜」
 うっとりと謳うように呟く、わたしのその様子を祐子お姐さんに、じ〜っと見つめられているのに気付いて、ちょっとテレてしまう。
「やだ。お姐さんてば、そんなに見ないでくださいよ。恥ずかしいです」
「アカネちゃんって、うちのケーキ食べるとき、ほんっと幸せそうな顔してるから、嬉しくって」
「彩紋」の店長でケーキ職人の長沢祐子さんが、ニコニコしながらそう言った。
「だってもう、サイコーですもん! ここのモンブラン食べたら、よそのモンブランなんてモンブランって呼べません。ただの「そばが乗ったやつ」です」
「彩紋」はうちの学校近くにある、小さなケーキ屋さんだ。わざわざ本土からやって来る熱心なリピーターもいる評判のお店で、テレビ・雑誌の取材の申し入れも敢えて固辞しているという。自分一人でやっていくには充分繁盛しているし、すでに手一杯だから、だそうだ。
 店頭売りが主だが、店内でいただくスペースもある。祐子お姐さんが煎れる紅茶が、また絶品なのだ。
 校則では、下校時の飲食は禁じられている。その触れは、近隣の飲食店にも回っていて、制服姿での入店は断るように言われているのだが、意に介さずわたしたちを受け容れてくれる。その話のわかる太っ腹ぶりが、わたしたちから「お姐さん」と呼ばれ、親しまれている所以である。
 祐子お姐さんが、わたしたちをことのほか可愛がってくれるのは理由がある。お姐さんは元バスケット選手なのだ。閉店後の店内で、遅くまでバスケ談義に耽ったこともある。

「……でさー、男子部のキャプテンが言うワケよ。『その代わりってわけじゃないけど、合コンの件、考えといてくれない?』だって。カンベンしてよだよなー」
「男子バスケ部って、運動部っていうより、サークルって感じですもんね」
 チカ姉と一年3名を交えたわたしのいるテーブルのメンバーの話題は、いつしか男子部の悪口大会になっていた。男子部をボロクソに貶すのは、わたしたちのおしゃべりテーマの頻度ベストスリーに入る。
「まあ、うちらが入部したときは、こっちも似たようなもんだったけどね」
 チカ姉が紅茶を啜りながら、ボソッと呟く。そうなのだ。女子部を勝てるチームに変えたのは、現三年のリサ姉とチカ姉だ。ふたりが二年のとき、つまりわたしとヒカルが入部した年、部の主導権を握ったふたりは、トレーニングの質・量の大改革を断行した。もちろん周囲から猛反発があったが、押し通した。そのお陰で、いまの強いわたしたちがいる。もっともその結果、現在の二年三年は、それぞれ2名ずつにまで、部員を減らしてしまったのだけど。
「でも貴城さんが参加するんなら、やってもいいなー」
 一年のひとりがノーテンキなことを言う。
「まあ男子部のなかでは唯一、認めてやってもいいヤツではあるがなー。ヤツひとりじゃなー。それにあいつ、仮にやるとして、合コンなんて参加するかあ?」
「そういえば、あのひと、男子部のなかでも浮いてますよね」
「来る学校を間違えたよ、あいつは。もっと強えー高校行きゃ良かったのにさー。あたら身長と身体能力を無駄に終わらせてるよな」
「でも普段無口でブスッとしていて、たまに喋ると関西弁っていう、あのギャップがたまんないのよねー」
「無口な関西人っているんだね」
「そりゃいるでしょ」
「ねえねえ上田センパイ、貴城さんてどんなひとですか?」
「おれだってお前ら程度にしか知らねーよう。ヒカルに訊いてみれば。同じクラスだし。――なあ、ヒカルぅ。貴城ってどんなヤツよ?」
 わたしは真後ろに位置するヒカルに話を振った。
「貴城君? よくわからない。彼、あまり友達とかもいないみたいだし。おっかない感じだけど、いわゆる不良とも違うし」
「な? そういうヘンなヤツなんだよ」
「あと、ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「彼、体育の授業、ときどき休んでるの。休むっていうより、エスケープなんだけど。それもマラソンとか、キツい授業の日に限って」
「おおかた、生理が重いんだろ」
 クスリとも、ウケが取れなかった。
「恵まれた素質はあっても、しんどいのはイヤな練習嫌いか。ケッ、見損なったぜ。まあ、ヤツも所詮は立派な男子部の一員ってこったな」

「紅茶、おかわりする?」
 祐子お姐さんが、頃合いを見計らって訊いてくれた。お姐さんは、わたしたちにはサービスがいいのだ。
「ぜひぜひ」
「お願いしまーす」
「わたしもー」
「はいはい。じゃ、ちょっと待ってね」
 祐子お姐さんが奥に去ると、リサ姉が立ち上がって、注目ーッ、と一声を発した。
「みんな、ケーキはもう食べ終わったよね? えー実は、さきほど蔭妻先生にお会いしまして――」
 ん? と全員が不審に思った。リサ姉がハゲヅラのことを本人ならびに他の教員の前以外で、本名で呼ぶことは稀有だ。
「これをお預かりしてきました」
 カバンの中から茶封筒を取り出し、そこから一枚の紙を抜き取った。トーナメントの組み合わせ表だ!
「なーんだリサ姉ってば、それで遅かったんだあ。もー勿体ぶらずにさっさと言ってくれればいいじゃん」
 アカネはそう言ったが、ヒカルは厭な予感がした。なぜわざわざ皆が食べ終わるのを待って、このことを告げたのか? 考えるまでもない。ケーキが不味くなるようなことが、そこに書かれているからだ。キャプテンの様子も、そう考えれば全ての符節が合う。
 果たして、ヒカルの予感は的中した。リサから渡されたトーナメント表を眼にした部員全員が凍りついた。
「ああ。終わった。わたしの夏は終わったあ」
 チカがそう言ってテーブルに突っ伏した。
「ウソでしょー!? 一回戦の相手が、浄善女学院ンンンッ」
 ――浄善女学院。その言葉を耳にした、ポットに紅茶を入れる長沢祐子の手が止まった。

  8

 浄善女学院。天島女子大附属に次ぐ、県下ナンバー2と言われる強豪である。いや、今年の浄善は天女を凌ぐ、という声さえある。ポスト天羽の呼び声高い、二年生のスーパーエースの存在によってである。
「ついでに言っておくと」
 呆然とする部員達に、リサが続ける。
「試合会場は、東天島区・浄善女学院体育館ッ。完ッ全なアウェーね!」
 手にした茶封筒をテーブルに叩きつける。部員達はもはや声もない。
 沈黙を破ったのは、やはりアカネだった。
「でもさー、このブロックって、浄善以外は大したとこないじゃない? とゆーことはよ。浄善さえ倒せば、あとはすんなり行けそうじゃん。天島の代表枠は2校。つまり、浄善を破れば、全国が見えてくる!」
「あんたのその超弩級の楽天家ぶり、羨ましいよ」
 頬杖をついたチカが、当然過ぎるツッコミを入れる。
「チカ姉ってばもう、そんな弱気な科白は聞きたくないよ。去年のベスト8が最高位の、うちの目標はなに? モエミ、言うてみ」
「ベスト4、決勝リーグ進出ですッ」
 握った拳を眼前に突き出してモエミが答える。
「そうでしょうが。運が良くたって決勝リーグに進めば、どうせ天女、浄善には当たるんだよ? どうせいつかはぶっ倒さなきゃならないんだから、遅いか早いかの違いでしかない!」
「どうせなら決勝リーグで当たりたかったなー」
「まあ全国はともかく、アカネの言う通りだよ。勝ち進めばいつかは当たるし、当たったからには勝たなきゃならない。決まった組み合わせに愚痴っても始まらないんだし、浄善対策、早急に考えないとね。それに」
 チカに向いて一言、付け加えた。
「一回戦で引退、したくないでしょ? お互い」
「当ったり前でしょー」
 いくぶん、ムッとしたようにチカが言い返す。
「言われるまでもないよ、そんなの。ただ、あたしは誰かみたく景気の良すぎる発想ができるほど、お気楽じゃないだけ」
「う。チカ姉、しどい……」
「ケーキ屋さんだけに――」
 秋月キャプテン、後ろからヒカルの口を塞ぐ。

   9

「ごっつぁんでーす」
 アカネがティーカップに紅茶のおかわりを注いでくれた祐子にお礼を言う。
「なんか、みんな急に静かになっちゃってますけど、気にしないでくださいね。一回戦の相手が浄善女学院だっていうんで、みんなブルーになっちゃって」
「……そう。大変ね」
「祐子さん、ご存知なんですか? 浄善女学院」
 ヒカルが尋ねる。
「知ってるも何も……」
 少し躊躇われたが、こうなっては黙っているのはかえって不自然に思えた。肚を決めて口を開く。
「私、卒業生なの。浄善女学院の。これでもキャプテンだったのよ、一応。もう十年も昔の話だけどね」

 一瞬の間を置いて。
 えーッッッ、と驚きの声があがった。
「祐子お姐さんが――」
「浄善の卒業生――」
「ということは……あの伊東真希の大先輩!」
 伊東真希。天才・天羽に対して、怪物・伊東と並び称される、浄善女学院のスーパーエースである。
「あの、伊東真希って、どんなやつなんですか?」
 アカネが思わずこんな尋ね方をする。同じ学校の先輩に対しては、不穏当な口の聞き方であることに、本人は気付いていない。
「いくらなんでも知らないでしょ」
 またしても、チカが的確なツッコミを入れる。先輩といっても、十年も前の卒業生が、現在の生徒について知らないのは当然と言えた。だが、
「いい子よ」
 祐子のいらえは違った。
「素直で。明るくて。負けん気が強くて。アカネちゃんに、ちょっと似てるかな、そういうとこ」
 なぜ自分が彼女のことを知っているのか。その当然の疑問に答えるように、問わず語りに祐子は続けた。
「真希ちゃん、ここの常連なのよ。よくここのケーキ買いに来てくれてね。いつだったか、すっかり仲良くなった頃に、お互い同じ学校のバスケ部の先輩後輩だって判ってね。もうビックリ。それ以来、あのコが来るたんびにキミッチャン――ああ、浄善の監督さんね。君津監督。――君津監督の悪口言い合ったりして」
「そんなにしょっちゅう来てるんですか? 誰か見たひといる?」
 アカネの問いにうんと答える部員はいない。
「休日にしか来ないもの。みんなは普段日でしょう」


「ごちそうさまでしたー」
「ケーキ、美味しかったです」
「また来まーす」
 ひとしきり祐子とお喋りをして、お開きとなった。
「くぉら一年ッ、お前らの勘定を払ってやった先輩への感謝はどうしたッ?」
「そおいうあんたが先に、本来あんたが全部持つべき代金を分担してやったうちらに礼を言わんかい! このこの」
 チカがアカネをヘッドロックにかける。
「あう。ギブギブ。感謝してます感謝してますぅ、チカ姉さまあ」
 いつものドタバタ劇には取り合わず、リサが尋常に祐子に挨拶する。
「ごちそうさまでした。今日はいろいろ貴重なお話が伺えて、感謝してます」
「別に大したことは言ってないけどね。遠慮しないで、また来てよね」
「はい」
「今度来るときは、対浄善戦の勝利報告を携えて参りますッ」
 ヘッドロックを解かれたアカネが、またしても不穏当なことを口にして、リサに拳固を喰らう。
「あにすんだよお」
「だからアンタは莫迦だって言うの! 祐子さんが辛い複雑な立場だって、わかんないのかよ」
「そっか……。そうですよね。ごめんなさい」
「いいのよ。試合、頑張ってね。あなたたちのことも、私、応援してるから」
「ありがとうございます。全力を尽くします」

 アカネたちを見送りながら、祐子は苦い想いを噛み締めていた。
 ひとつは彼女たちに嘘――というには語弊があるが、ある事実を話さなかったことだ。それは、伊東真希との付き合いが、単にケーキ屋と常連客との関係には留まらないことだ。実は伊東との出逢いをきっかけに、店の定休日にケーキを差し入れに行くほどの深い交流が、現在の浄善バスケ部との間にはあったのである。だから、いまの浄善の実力の程も、つぶさにその眼で見て知っている。
 日之出女子バスケ部のプレイを実際に見たことはない。だが、話をしているだけで、彼女たちの実力も、かなりのレベルであろうことは察しはつく。あるいは、君津監督が就任したばかりの、自分たちの代のチームが戦ったなら、相当に苦戦を強いられたかもしれない。だが、いまの浄善は――。
 君津監督就任以来、県下ナンバー2の強豪の名をほしいままにしてきた。だがそれは、裏を返せば、この十年間、ナンバー1の天女の壁だけは、超えられなかったことをも意味する。今年の浄善は、遂にその壁を超えると言われている。県下一の強豪、天女の歴史の中でも最強と言われる、天才・天羽七海恵を擁する、あの天女をである。それほどに、いまの浄善は、強い。
 あの子たちに、万に一つも勝ち目はあるまい。それが祐子をさらに気鬱にさせた。「怪物」と渾名される伊東のプレイヤーとしての実力は、まさに超高校級と言ってよい。彼女を敵として迎え討つ対戦者の、敗北感、挫折感はどれほどのものだろうか。
 さしたる努力もせず、ゆえに実力もない者はまだいい。そういう選手は、まさに怪物を見る眼で途方に暮れるか、もしくは尊敬し憧れるであろう。だが、血の滲むような努力を重ね、そのことに自負とプライドを持つ選手が、あっさりとそれを否定される痛みは、想像するに余りある。
(今度来るときは、対浄善戦の勝利報告を携えて参りますッ)
 勝ち気なアカネちゃんらしい。彼女がエースプレーヤーだとすれば、ポジションから言っても、伊東とマッチアップする可能性は高い。彼女が味わうであろう苦悶、悔しさを想像すれば、祐子は心を痛めないではいられなかった。

  10

 遅くまで地上を照らした初夏の太陽もすっかり地平線の下方へと没し、控え選手のような月の青い光が中天に輝いている。その月のあかりと街灯が照らす夜の公園に、アカネとリサはいた。電車にバスに、家路へとつく部員たちと別れたあと、話があるからとリサがアカネをここまで連れてきたのである。
「なんですか、話って……」
 リサを前に、アカネは久々にキンチョーしていた。いまでこそ、拳固をもらいながらも気安い軽口を叩ける間柄だが、入部当初からそうだったわけではない。一年のときの二人っきりの居残り特訓の日々が蘇ってくる。
 まさか、特大ウ○コが流れなかったというジョークを根に持って、ヤキを入れられるということもあるまいが、だいいち本人はそのときいなかったのだから、そんなことはあるまいが、それにしてもリサのいつにない深刻な様子はただごとではない。
「これをアカネに渡しとこうと思ってね」
 カバンから一枚のビデオディスクを取り出す。さいぜん、蔭妻教諭から渡されたものである。
「なんですか、これ?」
 渡されたディスクの表裏を見ながら訊く。ラベルにはなにも書かれていない。
「去年の新人戦決勝。――そこに、伊東真希が映ってる」
「!」
「蔭妻先生がね、ほうぼうつてを当たって、借りてきてくれたらしいよ。バスケはシロートの、名ばかりの顧問だけど、けっこういいとこあるよね。だから、今晩だけは口の悪いアダ名はなし」
 今晩だけ、と限定するところが、いかにもリサらしい。
「でも、どうしてわたしに……?」
「アカネが先に見な。伊東は、あんたに任すからね」
「……!」
 戦慄にも似た驚きの表情は、やがて不敵な喜色へとアカネの顔つきが変化していく。
「……はい」
 このコは、こんなとき本当にいい表情(かお)をする。と、リサは思った。生意気で。向こう見ずで。チカの意見はまた違うだろうが、リサはそんなアカネが好きで、頼もしく、また可愛く思えてならなかった。
 体格も気質も自分に似たアカネを、リサはしごきにしごき抜いた。アカネはすぐに泣き、音を上げたが、そのくせ決して挫けることはなかった。そして、二年に上がる頃には、1オン1でリサを凌ぐほどに成長を遂げた。
 このコは、与えられた負荷が重ければ重いほど、敵が強ければ強いほど、それをも呑み込んでより大きく成長するだろう。ごく冷静に考えて、今度の対浄善戦に勝つのは奇蹟的と言っていい。だが、アカネならば、あるいはそんな奇蹟さえも起こしてくれるのではないか。何かしら、とんでもないことをやってのけてくれるのではないかという、かすかな期待をアカネには抱いてしまうのだった。
 余談だが、迎える浄善戦で、実際アカネは「とんでもないこと」をやらかしてしまうのである。だがそれは、リサが期待したのとは、まったく性質を異にする形で。無論、作者ならぬ身に、そのことを知る由はなかったのだが。
「伊東がどんなに凄い奴でも、ダブルチームなんて贅沢な真似はできないからね。浄善相手に誰ひとりマークを外すなんてできないんだから。あんたが抑えんだよ。ちっとはアテにしてるんだからね。しっかり頼んだよ、小さなエース!」

第1Q 小さなエース 了 

次回予告
「真希ちゃんね、ジャンプしてリングを掴めるんだって」
 アカネが視たビデオに映る一年前の彼女の姿は、長沢祐子の語った伊東真希の恐るべき身体能力を裏付けしていた! 危機感を覚えたアカネは、男子バスケ部の長谷川博に、ある相談を持ち掛ける。
 次回、「第2Q ラバーボーイ」。少女を想う少年の気持ちは、若さゆえラブゲーム(無得点)に終わる!?

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第1稿 2002.02.23
第2稿 2002.03.14
第3稿 2002.04.15
第4稿 2002.07.16