16

 早朝の体育館にひとり、わたしは頭上のリングを見上げていた。
「たっけ〜」
 男子用のリングは、コートから3メーターと5センチの高みにある。わたしの身長の、ほぼ倍にあたる。あらためて実感するその高さに、思わずそうひとりごちていた。
「うりゃッ」
 手を伸ばし、ジャンプしても、ネットに触れることさえできない。当たり前だ。でも、伊東真希は――。
 アレに飛びつくことができるというのだ。

「真希ちゃんね、ジャンプしてリングを掴めるんだって」
 祐子お姐さんは、伊東の身体能力について、そう説明してくれた。
「女子用じゃないのよ。れっきとした男子用のリングにね」
「伊東選手って、身長はどのくらいですか?」
 リサ姉が尋ねる。
「そんなに高くないわよ。68センチぐらいじゃないかな」
 さすがは元浄善キャプテン。背丈の見立てが細かい。
「実際に、ご覧になったんですか?」
「この眼で見たわけじゃないわ。彼女が自分でそう言ってただけ。でも、そんなことでウソを言うとも思えないけど」
「1メーター68センチで、リングを掴める。男子用の!? ヒカル、あんたできる?」
 わたしは部内で最も高く跳べるヒカルに訊いてみた。
「ゼッタイ無理」
 問答無用でかぶりを振る。
「男子だって滅多にいないよ。70たらずの身長でリングを掴めんのは」
 チカ姉がそうコメントを加える。
「跳べる高さは約1メートル。まさに“怪物”ね」
 これはリサ姉。高校バスケ選手の平均的ジャンプ力は、全国大会クラスで70〜80センチ程度と言われている。1メーターを跳べる選手は、男子でもそうはいない。
「男子用のリングに手が届くということは、女子用なら……」
「ダンクが、できる……?」
 モエミの呟きにヒカルが応えた。

 ここで解説を加えておく必要があるだろう。
 2010年。FIBA(国際バスケットボール連盟)は、2000年のそれに勝るとも劣らぬ大胆なルール改正を行い、女子バスケット界を根底から揺るがした。その最大の変更点は、女子のゴールのリングの位置を男子のそれよりも20センチ低い、2・85メートルにするというものだった!
「女子にもダンクを」。この掛け声とともに登場した改正案が出された当時、関係各方面からは強い反対が表明された。男子と女子とでゴールの高さを変えるということは、当然いままでは共用でよかった設備に、新たに女子用のゴールが必要となり、経済的負担を強いられるからである。
 このため、過渡期的移行措置として、大会で統一する限り、従来通りのゴールを使用可とする条項を設けて施行された。しかし、いま現在、女子のゲームで3・05メートルのリングのゴールを使用するケースは払底している。日本においても、IH(インターハイ)、国体、選抜(ウィンターカップ)と、各主要大会が女子用ゴールの採用を決定したからである。
 大会で使用されれば、従来のゴールで練習する女子は極めて不利である。必然的に各学校・クラブチームでも、女子用ゴールがまたたく間に導入されるに至った。現在、男女兼用に高さを調節できる可変式ゴールが、設備の主流として普及している。

 天島高校界にも、ダンクのできる女子がいないわけではない。有名なところでは、「白虎のタイボク」こと、白虎四高の大木ゆかり(189センチ!)などがそうだ。でもそれは、雲突く1メーター80超級の、まさにバスケをやるために生まれてきたような選手をして初めて可能な技だ。
 70に満たないバスケ選手としては決して高くはない身長で、ダンクを決められるとすれば、伊東のジャンプ力はまさに超高校級だ。その脅威は、単に高さのみに留まらない。それを可能にする身体能力とは、いったいどれほどのプレイを可能にするのか。その凄さは、昨夜視たビデオで目の当たりにした。しかも、あれは去年の新人戦なのだ。あれから約一年、どれほどの成長を遂げていることか。
 高さでは、どう足掻こうが敵うはずもない。ならば、平面なら勝てるのか? わたしに、伊東が抑えられるのか?
 その不安を確かな勝算に変えるためにも、あれをやらねばならないのだ。
 ちきしょう。もうちっと背があればなー。180とは言わない。せめてあと10センチ。欲を言えば、さらにもう5センチ。といっても、こればかりはどうにもならない。
(嫌いな牛乳、毎日飲んでるのになー)
「ほッ」
 いまいちど、手を伸ばして跳び上がる。
(くそッ。軽く40センチは負けてるか)
 そのとき。背後に気配を感じた。

(う……)
 そこに貴城孝士がいた。よりによって、男子用ゴールに跳び上がっているところを見られてしまったのだ! 案の定、怪訝な顔をしている。顔から火が出そうだ。
「ども。お、おはよー」
 たぶん引き攣っていたであろう作り笑顔を浮かべて、そう挨拶する。
「おはようさん」
 ぶっきらぼうにそう返して寄越す。考えてみれば、まともに言葉を交わしたのは、これが初めてだ。毎朝のように、顔を合わせているというのに。
 男子用ゴールを貴城に空け渡し、女子用ゴールのある反対側へと移動する。手と足が同時に出ていたかもしれない。
 チラ、と貴城のほうを振り返る。すると、彼もわたしを見ていて、一瞬、視線が絡み合った。
 貴城は目線を頭上のリングに移し、一瞬の予備動作でジャンプすると、両手に挟んだボールを上からリングに叩き込んだ! お前にゃ無理だ。そうわたしに見せつけるように。
 これだ! これなんだ。……ちょっとヤな感じだけど。
 これができるプレーヤーが、どうしても必要なんだ。伊東を、浄善を倒すために!

   14

「ああ〜もう、何かと思って来てみれば、そんなムチャクチャな……」
 わたしの話を聞くなり、長谷川は大仰に頭を抱えて見せた。
「上田、結論から言う。それ、ゼッタイ無理! 不可能!」
「アッサリ言うなよぅ。困難だからこそ、おめーにこうして相談してんじゃん。少しはわたしの身になって、知恵を絞ろうとは思わない、ん?」
「あのねえ、君だってバスケ選手なら解ってるだろ? テニスやバレーとは、訳が違うんだよ? バスケってのは、コートで互いに押し合いへし合いする競技なんだよ? そんな男子が女子を相手にするなんて、できるわけないじゃん! 非常識だよ」
「ちょうどいいじゃねーか。スケベな男子部にゃ、願ったりかなったりだ」
 長谷川、再び頭を抱える。
「だいたい、その話、女子部のみんなは承知してるの?」
「承知どころか、話もしてねーよ。だって、さっき思いついたんだから」
 長谷川、三たび頭を抱える。
「予言しよう。その提案は女子部で却下される。従って、うちの連中が鼻の下を伸ばして、スケベ根性丸出しで、不純な動機で引き受ける可能性があったとしても、俺からの働きかけは全て無駄! 無意味! そもそも、女子部の了承を得てから――得られるとは思えないけど――持ってくるべき話だよ」
「時間がねーんだ! 予選はすぐそこに迫ってる。そんな悠長なことは言ってられねーんだよ! それに、女子部のほうはわたしが何としてでも承知させる。あのビデオを視れば、必ず首を縦に振る! 振らせてみせる!
 男女がいっしょにバスケをやる差し障りぐらい、言われなくたってわかってる。そおいうのを釈迦に説法って言うんだよ。わたしだって、好きでもない男にスクリーンなんてされたくないし、したくもない。でも、そんなゼイタク言ってられない! 常識がどーだの、そんななりふり構ってる状況じゃねーんだ!」
 わたしの必死さが少しは伝わったのか、長谷川は少し黙り込んだ。
「……浄善女学院って、そんなに強いのか?」
「強い。ハンパじゃない。特に、エースの伊東ってのが凄え。ビデオに映ってたのは去年の一年チームだったけど、あいつらにだって、正直勝てるとは言い切れない」
 博は少し驚いた。過剰なまでに勝ち気で自信家のアカネがそこまで言うからには、とてつもない強敵なのだろう。
(おそらく傍目には、まるで勝ち目がないほどの……)
 少しぐらい上手の相手なら、必ず「勝つ」と断言する。それがアカネという女の子だ。
 身近に自分たちを上回る練習相手を探すなら、それは男子バスケ部をおいてほかにあるまい。その考え、気持ちはわかる。だが、そう思うほどに強力な相手ならなおのこと、そんな付け焼き刃ではどうにもなりはしないのではないか。博には、そんな思いがどうしても拭い去れないのだった。
 それに――。
(俺だって、アカネの身体にほかの男がスクリーンを仕掛けるなんて、ゼッタイ赦せない。そんなコトしていいのは、俺だけだ。俺だけなんだ)
 だが、アカネの提案を拒否する、その最大の動機を口にすることはできなかった。自分の想いを秘めているうちは。
(いっそのこと、この場で打ち明けてしまおうか?)
 客もまばらな、二人っきりの夜更けのファミレス。シチュエーションとしては申し分ない。その思いが頭をよぎった途端、博の心臓がドクドクと早鐘を打ったように高鳴り始めた。

  15

 その後もグダグダと長谷川は異議申し立てを続け、そのことごとくをわたしは粉砕したのだが、その冗長かつ退屈なシーンについては割愛する。別に読みたくないでしょ? 結局、長谷川は折れ、翌日、男子部のみんなに話を通し、女子部との臨時ミーティングを開くよう、働きかけてくれることを約束してくれた。
 ふん。議論でわたしに勝てっこないんだから、素直に言うこと聞いてりゃいいものを。ディベートでわたしが勝てないのはただひとり、“悪魔の舌を持つ女”リサ姉だけだ。

 ファミレスをあとにしたわたしたちは、夜の歩道を二人並んで歩いている。長谷川がわたしの自転車を押しながら。
 自転車だし、方角が違うし、すぐそこだからいいと断ったのだが、どうしても送っていくといって聞かないのだ。
「こんな夜中に、女をひとり歩きさせられるかよ」
 というのだ。確かに天島の治安は国内でも飛び抜けて悪い。急速な発展と人口増加に、警察力が追いつかないのだ。また、あまりにも人工的な街そのものが、住人の精神を苛立たせ、荒廃させると主張する識者もいる。真偽のほどは定かではないが、犯罪件数とともに、精神障害者の人口比率も、全国でトップであることは確かだ。
 華やかで煌びやかな高層ビル街の暗がりで、「また天島で凶悪事件が!!」と女性誌とワイドショーが悦んで報ずる、陰惨な暴力が行われている。そんなイメージを抱いていただいて、それほどハズれてはいない。
 とはいうものの、護衛(ナイト)がコイツじゃなあ。
「わたしは平気だよ。いざとなりゃあ、自慢の俊足で置き去りにしてやるからさ。それよりおめーがいると、かえって足手まといな気がするんだよなー、いざというとき」
「……それはヒドイよ」
「事実なんだから、しょうがないだろ。しっかりと見つめろ。護るべきかよわい乙女よりも、さらに自分が柔弱であるという事実をだ。長谷川ぁ、おめー百メーター何秒よ?」
「う……。16秒代」
「おっせーなあ」
「女子の平均よりは上だッ。……たぶん。お前がアスリートなんだよ。比べられたって……」
「ひとをアスリート星からやって来た、アスリート星人みたいに言ってんじゃねーよ。初めから速いヤツも、初めから巧いヤツもいねーんだよ。おれだって、歯ぁ軋らせて、血の小便流してここまで来たんだ。知ってっか? 身体を酷使するとな、死んだ赤血球が尿に混ざって、赤いオシッコが出るんだよ。初めて見たらビックリだぞー。おめーは今後も経験しねーだろうがな」
「……凄いよ、上田は。俺にはとてもそこまではできない」
「バスケは好き。だけど、バスケの鬼にはなれないってか。ハッ」
 さっき思い出した昔話のフレーズを、こんなところで使うことになろうとは。

「上田さあ。生まれながらの才能とか、素質ってあると思う?」
「そんなものは、ない。……と言いたいところだけど、認めざるを得ない部分はあるよね。努力だけで肉体が造れるんなら、わたしの背は今頃170を超えてる! それがなに?」
「そういう遺伝的肉体的な要素もそうだけど、なんていうのかな。そんな風に死に物狂いになれる、必然性? それを持ってることが、最大の才能じゃないかなって、思うんだよね」
 ふーん。と、ちょっと感心した。長谷川はたまにこういう、けっこう気の利いた口を聞いてのける。バスケットマンとしては下の下だが、もともと内省的な哲学者タイプなのだ。長谷川はおとなしいお人好しだが、決してバカではない。わたしはバカは嫌いだ。ただのバカなら、いかに古馴染みだろうが、洟も引っかけない。
「おめーにゃねえのかよ。その『必然性』は?」
「え……? 俺は……」
(だって俺は……。ただ、アカネに近づきたい一心で……)
 無論、博にそれを言えるはずもない。
「おめーは、桜木花道とは違うな」
「は? 桜木……? なにそれ?」
「なんでもない。漫画の話。大昔の」
 夜空の月を見上げて、アカネは答えた。
「なんかないのー? あんたも一応、勝負に生きる者のハシクレでしょうが? 「コイツにだけは負けたくねーッ」みたいなさー」
「いや……別に……」
 ヘナヘナと脱力。ダメだこりゃ。
「わかったわかった。訊いたわたしが莫迦だった。ま、勝負だけがスポーツじゃないやね」
「……ケイベツしてるだろ?」
「してないって。確かにそういう時期もあったけどさ。「シュミでバスケやってんじゃねー、ナメんじゃねー!」みたいなさ。でも、そんなド根性体育会系なヤツばかりじゃないって、いまはわかってる。わたしだって、少しはオトナになってるんだよ」
(そーかなー)
「あんだよぅ、その疑わしそうな眼はあ? 一年だって6人も残ってるんだぞ。4人は辞めちまったがな。でも、去年に比べりゃ、大した歩留まり率だ」
「斎藤さんと、二人だけだったもんな。残ったの」
「まったく、ありゃ「粛清の嵐」だよ。お陰でヒカルとたった二人でボール磨きと床掃除やったよ。それに引きかえ、わたしの指導の優しいこと、マイルドなこと。「ダイエットが目的」なんてフザけたヤツだって、辛抱強くバスケの楽しさを教え、スタミナの大切さを説き、弱音吐くヤツに怒鳴りたいのを我慢して、なだめてすかして励まして、今日まで育ててきたんだよ!」

「ところでさー。貴城って、どんなヤツ?」
「!……気になるのか?」
「ちょっとね」
「気になるというのは、つまり、その……」
「?」
「あいつはやめとけ! あいつは、上田が考えてるような、そんな奴じゃないんだ!」
「なにそれ? 長谷川さあ、なんかすッごい勘違いしてない?」
「え?」
「それって、焼き餅? ひょっとして長谷川ってさあ……」
 アカネはそう言いざま、博の前に回り込んだ。
「わたしのこと、好き?」
 悪戯っぽく、そう問いかける表情が、たまらなく可愛く思える。
「バ……バカ言うな!」
「冗談だよ」
 カラカラとアカネが笑い声をあげる。
「ほんッと、からかい甲斐があんのな。お前って」
(俺、バカだ……。救いようもなく、バカだ……。千載一遇のチャンスをみすみす……)
「それよりさー。貴城がわたしが考えてるような奴じゃないって、どういうことよ?」
 そんな博の内心の慟哭など露知らず、アカネが疑問をぶつける。
「……俺は、上田のことは、正直尊敬してる。プレイヤーとして。上田がどれだけ努力してきたか、知ってるからさ。でも、貴城は、俺は認められない」
「………」
「あいつは、確かに巧いよ。背も高いし、部員でダンクができるのもあいつだけだ。でも、あいつはまるでやる気がない。俺もあんまり、ひとのことは言えないけど。でも、俺の眼から見ても、そうなんだ。試合でもおいしいところだけ集中して、あとは適当に流してる。フルタイム走り回るだけの体力がないんだ。うちの部は、あまりトレーニングをしないけど、その少ないトレーニングだって、しょっちゅうサボってる。だけど、巧さでは敵わないから、誰も咎め立てしない。エースとして、放任されてる。そんな奴なんだ! だから、どんなに巧くたって、俺は認められない。きっと、上田も一番嫌いなタイプだと思う」

 アカネの家の門前で、博は自分が押してきた自転車を持ち主に返した。
「ありがと。わざわざ送ってくれて」
「どういたしまして。頼りないボディガードで、すみませんでしたね」
「そうムクれんなよ。けっこう男らしいとこあんじゃん。見直したよ」
「そう? そうかな」
 そんなアカネの一言に、先ほどの痛恨の失態も忘れて、他愛なく舞い上がる。
「じゃ、また明日ね。約束、忘れんなよ」
「そっちこそ、あっさり却下されんなよ」
「まかしとき! おやすみッ」
「おやすみ」
 扉を開けてアカネが家に入るのを見届けて、博も家路についた。今日もまた、その気になりながら、自分の想いを打ち明けるには至らなかったが、アカネの一言が博の胸中を温かいもので満たしていた。
(けっこう男らしいとこあんじゃん。見直したよ)
 その科白を反芻しては、ひとりニヤつく様子は、微笑ましいといえば微笑ましい。だが、夜道で見るその顔は、傍目にはけっこうアブない人に見えるぞ、博。

  17

 貴城(あいつ)のことが妙に気になって、練習に身が入らなかった。こんな時に限って、ほかのみんなはなかなか現れない。
 シュートしたボールを拾い集めながら、反対側のコートで黙々とシュート練習を続ける貴城を盗み見る。
(あいつはまるでやる気がない。試合でもおいしいところだけ集中して、あとは適当に流してる。フルタイム走り回るだけの体力がないんだ)
(彼、体育の授業、ときどき休んでるの。休むっていうより、エスケープなんだけど。それもマラソンとか、キツい授業の日に限って)
 長谷川とヒカルの話から見えてくる貴城の選手像はひとつだ。素質に恵まれた練習嫌い――。器用で飲み込みが早く、それゆえ飽きるのも早い。派手な技のプレイを好み、地味でキツい基礎トレを嫌う。うまい割に実戦ではあまり役に立たない。バスケとは、40分間走り回るスポーツだからだ。それに耐える体力の上に、テクニックは生きる。せいぜいが、ストバスのヒーロー止まり。別に珍しくもない。よくいるタイプだ。
 ただひとつだけ、わからないことがある。
(だったら何故、毎朝、朝練に出て来ている?)
 あらためて彼をウォッチしていて、はじめて気付いた。
 貴城(あいつ)の眼。なんだか、とても――。
(とても、寂しそう――)
 チクリ、とした痛みを覚えた。
 あれ、なにこれ? わたし、どうしたんだろ?
 なんだか、胸が苦しい……。

 わたしの頭上に、豆電球が点った。
 そうだ。なにも長谷川に全部まかせることはない。せっかく貴城とこうしていっしょにいるんだから、わたしのほうから交渉すればいいのだ。なんといっても、この妙案のキーマンは貴城なのだから。わけのわからん変なヤツだが、背が高く巧いことは間違いない。チームメイトとしては問題だろうが、特訓相手としては何の問題もない。
「あの、ちょっといいかな?」
 わたしはシュート練習を続ける貴城に近付き、声を掛けた。
「なんや」
 無愛想に応える。こっちを見もせずに。ヤな野郎だ。そりゃ友達もいねーわ。
「俺に惚れたんか?」
 こっちを向いたかと思えば、片頬だけ歪めて、唖然とする科白を口にする。
「愛の告白ならお断りや。生憎と、ロリコン趣味はないんでな」
(ぐ……)
 さっきの独白、取り消しだ! 撤回だ! 二刷で訂正だ!(そんなのありません) 恋に恋する可憐な乙女の、愚かな気の迷いだッッッ。アカネ様ともあろう者が、こともあろうにこんなサイテー野郎、デリカシーゼロを通り越して、債務超過してる男に、一瞬でも心を奪われなんてーッッッ。


 わたしは自分で自分を誉めてやりたい。それでも、目的のために耐え難きを耐え、己れを抑え、用件を伝えたわたしをだ。
「アホか」
 だが、そんなわたしの申し出に対する、貴城(ヤツ)のいらえは冷淡だった。サイテー野郎に相応しく。
「しょっぱなの相手が浄善か。気の毒にな。せやけど、そやからいうて、なんでオレらがお前らの練習台にならなあかんねん? それでオレらに、なんぞメリットがあんのんか?」
「それは……」
 さすがのわたしも返す言葉がなかった。貴城(ヤツ)には合コンの承諾は取引材料にはなるまい。自分で言うのも憚りながら、日之出男子の憧れの的『フラワー5』(誰が呼んでるんだ?)のひとり、このアカネ様に向かって「愛の告白ならお断りや」などと、超シツレイな口を叩きやがった男である。
 確かにほかの男子部の助平どもとはひと味違う。助平は軽蔑の対象でしかない。だが、これはこれで無性に腹が立つ。レディに対して、なんたるぞんざいで無礼な口の聞き方をするのか。
 さぞかし、女にゃ不自由してねーんだろうなあ。背は高いは、ワイルド系のいかにもモテそうな面してやがるもんなー。ケッ。
「決定的にくだらんのはな」
 言葉に詰まったわたしの返答を待たず、貴城は言葉を継いだ。
「わずか一週間たらずの付け焼き刃で、浄善相手にどうこうしようっちゅう発想そのもんや。どうにもなるかい。もう調整に入ってる時期やぞ? 倒す相手に浄善や天女まで見据えとるんなら、そのためにどうすべきか、そんなもんとっくに考えとかなあかんやろ。昨日ビデオ視た? 新人戦の? 県内の強豪チームの戦力ぐらい、もっと前にリサーチしとけよ。去年の新人戦のデータが、なんぼほどの参考になるっちゅうねん。それも視たの昨日の晩! アホ臭ッ。
 つまるところやな、結局お前らは、そこそこ努力して、そこそこ強うなって、それで運良く本当に強い所とは当たらんと、ベスト8か4ぐらいに行ければ、それで満足。美しい青春の一頁を飾れるっちゅう、そういう心掛けのチームやっちゅうこっちゃ。一回戦の相手が浄善とは不運やったな。不運やと思って諦めろ。以上」
 それだけ言うと、またボールを拾ってドリブルを始める。
「待てよ……」
 眼が眩むほど、怒りを覚えた。こんなにムカッ腹が立ったのは久しぶりだ。
「まだ話は終わってねー」
 それでも、おめーに言われたくねーよと言い返す気にはならなかった。なぜなら――。
「ずいぶんおしゃべりなんだな。驚いたよ。結構言うじゃねーか。痛い本質をズバズバ突いてきてさあ。返す言葉もないよ。ああ、その通りだよ。あんたの言う通りだ。ベスト4が目標なんて言いながら、浄善や天女のチーム力を分析するなんて、いままで思いつきもしなかった。そんなお莫迦なわたしたちだけど、それでも、それでも勝ちたいんだ! ……いや、そうじゃない。そうだけど、そうじゃなくて」
 腹はグラグラ煮えながらも、いざ口論になれば性能をフルに発揮するわたしの頭脳は、貴城に発すべき言葉をクールにサーチしていた。それはわたしの、ほとんど本能的な反応だった。
「なら訊くぞ? 今大会は棄てる。そのかわり、冬の選抜までには、浄善を倒す実力をつけるべく、あんたの協力を仰ぎたい。そう頼んだら、力を貸してくれるのか? どうなんだ?」
「ほお!? やっとまともなことを言うたな。それなら話はわかる」
 ニヤリと笑って貴城は振り返った。
「引き受けてくれんのか? くんねーのか?」
「さあな。ものには頼み方っちゅうもんがあるやろ」
「お願いします」
 わたしは頭を下げた。わたしを知る者が見たら、目を丸くしただろう。わたしだって、誰にも見られたくない光景だ。ここに他に誰もいないのが、せめてもの救いだった。だが、本当はやって来たばかりのモエミがいて、目を丸くしていたことは、あとで知った。
「真剣に、強くなりたいんです。だから、力を貸して。この通りです。お願いします!」
 普通に考えれば、莫迦げた話だ。いくら巧い男子プレイヤーだからといって、彼の協力が得られたからといって、どうなるというのか。ましてや、あの長谷川をして「認めない」と言うほどのサボリ魔だというのに。でも、この時は、自分でも気付かなかった、いや、気付かない振りをしていた、わたしたちの本質をグサリと貫き看破した彼の言葉に、なにかしら「本物」を感じたのだ。
 だが、ヤツのいらえは――。
「断る。お前らには、その資格がない」
 ニヤニヤしながら、そう言いやがった! 自分のこめかみが、プチンと音を立てるのを確かにわたしは聞いた。

 そのあとのことは、よく覚えていない。貴城に掴みかかろうとするわたしを、モエミが必死に止めてくれたことを、あとでモエミ本人から聞いた。これもモエミから聞いた話だが、貴城はその間も、終始ニヤニヤしていたそうだ。
 悪いけど、これ以上、一人称を続けられそうにない。あとはよろしく。


 少し遅れて体育館にやって来たヒカルを、モエミの困惑した表情が迎えた。
「ああ、ちょうどよかった。ヒカルセンパイ、アカネセンパイの様子が変なんです」
「様子が変?」
 ヒカルは見た。反対側のコートで黙々と練習を続ける貴城を半眼で凝視し、ブツブツと呪詛の言葉を呟き続けるアカネがそこにいた。

続く 18〜19

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