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「……というわけでして」
 所々どもったり、つっかえたりしながら、ヒカルがお世辞にも上手とは言えない男子部部員たちへの主旨説明を終えようとしていた。
「ぜひ、私たち女子部に、みなさんの……その、お力添えをですね、いただきたいと。あの……ご無理を承知でですね、お力添えをいただきたいと。えー、お願いにあがった、あが、あが、あがらせていただいたわけなのです」
 身体中から暑さのためではない、イヤな汗が噴き出してくる。人前で話をするのは苦手だ。上擦った自分の喋りに、全身がカッと火照るような羞恥を覚え、ますます上擦ってしまう。
 なぜ私はこんなことをしているのだろう? と、ヒカルは情けなくも、泣きたい気分になった。そもそも、アカネのアイデアに賛成というわけではない。アカネには悪いが、「冗談じゃない」と激昂したチカの意見に、どちらかと言えば近い。「好きにしな」とあっさり許可を下した、リサの態度のほうが信じられないくらいだ。おそらく、男子によって断られると高を括っているのだろう。
 だが、アカネに付き合って、実際に交渉をさせられるほうは堪ったものではない。ゼッタイにイヤ! というヒカルの拒絶などお構いなしに、例によって「そんなこと言うなよぅ」「友達じゃないかぁ」などと言って泣きつかれ、押し切られる形で、ムリヤリ交渉の相棒にさせられてしまったのだ。嫌がる友達に無理強いするのが、友達のすることか? という反駁も心の裡に湧いたが、口にすることはなかった。
 自分をお人好しだとは思わないが、アカネには妙に甘え上手なところがある。男子側のセッティングをした(させられた)長谷川君にとってもそうだろう。ならば、アカネがセールスマンタイプの口説き巧者なのかといえば、決してそうではない。彼女のペースに巻き込まれ、籠絡されるのは、彼女に少しでも好意を持つ者に限られる。でなければ、「ふさげるな!」と一喝して終わりである。今朝の貴城君のように。
 だからこそ、自分を巻き込んだのだ。常に言葉が直截過ぎ、かつ言い過ぎる傾向をアカネは自覚しており、抑制が利き、理性的なヒカルなら、交渉に当たる適任だろうと考えたに違いあるまい。
 ヒカルはチラと隣のアカネに眼をやる。先程から、苦手な喋りに難渋している相棒をフォローしようともせず、腕を組んで男子側の反応を注視するように、不気味なぐらい一言も発しないでいる。
 人の気も知らないで。と、ヒカルはちょっぴり恨めしい気分に駆られる。どうせ今の説明も、なんて下手ッピな喋りだ、ぐらいに思っているに違いないのだ。

 ヒカルってば、ほんっっっと喋りが下手だよなあ。言い直さなくていいところをわざわざ言い直して、無駄なリフレインをしたり、同じフレーズが重複したり。おまけに、「あの」だの「その」だの「えー」だのが、随所に挿入され、イライラしてしょうがない。
 もちろん、普通の会話ではそんなことはない。スピーチ的な、こうした一対多の喋りに限られる。そういえば春のクラブ説明会のときも、ヒカルはボロボロだったことを思い出す。体育館の壇上で、居並ぶ新入生を前に、あがりまくって、どもりまくって、見るに見かねてわたしが代わったぐらいだ。
「言っとくが、練習はキツいぞ」
 ヒカルからブン取ったマイクを握って、開口一番わたしはそう言った。
「トレーニングで吐くなんて、日常茶飯事。わたしなんか、最初は毎日のように吐いてたよ。だから、おめーらがいま腰を下ろしているこの体育館の床は、わたしのゲロだらけってワケだ」
 なはははは。というマイクを通した笑い声が体育館中に響き渡るなか、新入生の何人かが気持悪そうに床を見、中腰になる。
「だけど辛いことばっかりじゃない。これだけは約束してやる。キツい練習に耐え抜いたら、必ず味わえる。チンタラ楽しくボール遊びして、青春ごっこしてる連中にゃ死んでも味わえない、燃えるような充実感ってヤツをな!」
 それを知ったリサ姉に、わたしはあとでタコ殴りにされた。思い起こせば、リサ姉の説明会のスピーチときたら、偽善者という言葉はこの人のためある、って感じだったもんなあ。「未経験の方も大歓迎です。一緒に汗を流しましょう!」なんて、二オクターブ高い声出して言っちゃってさー。初心者なんて、ものの二週間で全滅したじゃねーか。
 それに、わたしの演説に心酔して、飛び込んで来たやつだっている。それがモエミだ。
「感動しました!」
 部室にやってきて、わたしの手を取るなりモエミはそう言った。
「一年三組、篠塚萌美です。センパイについていきますッ。根性では、誰にも負けません。ゼッタイ挫けたりしません。だから、味わせてください。燃えるような充実感を!」

 人選を誤ったかと思う。でも、ヒカル以外に、こんなことを引き受けてくれるやつもいない。適任、ということで言えば、こうした交渉事はリサ姉が最適者だ。あの見事な表裏の使い分けは、政治家向きでさえある。わたしにはムリだ。本心を隠し、自分で信じてもいない建前論を巧みに操って、こちらの思う落とし所に話を誘導するなんて芸当は。
 でも最適任者であるリサ姉は、反対こそしなかったものの、勝手にしろという感じで、乗り気では決してなかった。現に、交渉に当たってくれるものと思い込んだわたしは、リサ姉に「なーに甘えてんだよ」と、けんもほろろにこう言い渡されたのだ。
「お前がそうしたいんだろ? お前が男子を口説きな。ほかに誰がやるんだよ? 合コンをエサにするのは、主将権限で承諾してやるよ。チカにも文句は言わせねえ。でも、そこまでだ。これ以上、煩わす気なら却下だ!」
 そう言われては、引き下がるしかない。代わりに、友達のヒカルに白羽の矢が立ったというわけなのだけど。

「申し入れの主旨は、ヒロシからもあらかた聞いていたし、よくわかったんだけど……」
 男子部のキャプテンが、ヒカルの説明に応えた。
 蒸し暑い例のプレハブでは、長机をロの字型に並べた席に、長谷川を含む男子部全員が勢揃いしている。フケるのではないかと思っていた貴城まで出席していたのは意外だった。ただし、聞く値打ちもないとばかりに、机に両足を投げ出しているのだが。
「まあ一回戦で強豪と当たる、その事情はお察ししますよ。でも、君達もわかってるとは思うけど、我々も大会を控えてるのは同じなわけでね」
「それはもう、よくわかっています」
 本当はうちら女子といっしょに練習ができるというだけで嬉しさバクハツ、鼻の下伸ばしまくりなくせに、そんなもっともらしげなことを言う。一応そう言っておかねば、体面に関わるのか、それとも、もっと「好条件」を引き出そうというのか。
「同じバスケをやる仲間同士だし、協力できることはしてあげるのに吝かではないんだけど――紅白戦の審判とかね」
 長谷川ひとりにおっかぶせてるクセに。ま、わたしも長谷川以外に頼む気はないけどな。
「ああもう、まどろっこしぃて堪らんわ」
 机に足をあずけてふんぞり返った貴城が、シビレを切らしたように割り込んできた。
「つまりやな――。俺らがお前らの相手をしても、俺らは何も得るものがない。そこでや。代わりに、なにか別の見返りはないのかと、キャプテンはお尋ねになってるっちゅうわけや。そやろ、神代(くましろ)サン?」
「いやいや、決してそんなことは……」
 貴城にズバリ核心を突かれて、キャプテン・神代サンが狼狽える。今朝の一件で、アイツのことは「ちょっと興味がある」から「大嫌い」へとステータスを変えたが、こういうところは気持ちがいい。本音を隠した腹の探り合いはわたしも嫌いだ。
「で? 斎藤。女子部の皆さんは、俺らに何を見返りに寄越す気ィでいるのかな」
 貴城はクラスメイトのヒカルに問いかけた。
「うちの飢えた野郎どもに、一発やらしてもらえるとか?」
「……いえあの……そういうのは、ちょっと……」
 ネンネのヒカルが真っ赤になって俯く。あの野郎、やっぱり最低だ。
「貴城、それはマズいよ。そういう冗談は。そういうの、セクハラっていうか。ゴメンね。気にしないで。いまのは冗談、冗談だから! ちょっとタチが悪いけど」
 ちょっとどころじゃなく、悪すぎるんだよ!
 アッタマ来た。協力してくれるなら、日頃の熱烈ラヴコールに免じて、合コンぐらいしてやってもいいと思っていたが、やめだやめだ。今後の男子部との関係がどうなろうと知るものか。こうなったら、こっちだって本音トーク全開だ。
「見返りは、ありません」
 わたしは言った。これにはヒカルも驚いたようだった。
「こう申し上げては失礼ですが、みなさんは運が良くて一回戦突破が関の山の、弱小チームです。貴城だけはズバ抜けて巧いことは認めますが、試合が進むにつれて、彼には集中的なマークがついて、それで終わりでしょう。
 わたしたちは違います。わたしたちは去年の選抜で、ベスト8まで行きました。今年は才能ある一年も入って、決勝リーグ進出が見えてきました。それだけの実力があると、わたしは自負しています。でもその前に、一回戦の相手、浄善女学院が最大の難関なんです。それさえ突破できたら、全国だって夢ではなくなるんです!
 お願いです。わたしたちに、力を貸してください。失礼を承知で、敢えて言います。大会は、棄ててください。同じバスケをやる仲間として、わたしたちの、捨て石になってください!」

  21

 シンと静まり返ったプレハブのなかで、わたしは下げた頭を元に戻した。男子はみな、気色ばむのを通り越して、唖然としている。一人を除いて。
「ホンマ失礼なやっちゃな」
 言葉とは裏腹に、おもしろそうにヤツは言った。
「見返りはない。捨て石になってくれとよ。せめて合コンぐらいさせてもらえると期待してた皆さん、アテがハズれたな。どうするよ?」
 そいつをブッ壊したのは、テメーだろうが。
「いや……その……なんというか……」
 キャプテン・神代サンが答に詰まる。本来なら、1コ下の女子にここまでナメた口を叩かれれば、怒って席を立ち、交渉決裂――となっても、おかしくないところだ。良く言えば、争い嫌いの優しい性格。悪く言えば、事なかれ主義者なのだろう。
「悔しいけど、彼女の言うとおりだと思う」
 驚いた。あの長谷川が、立って発言したからだ。
「上田は、ズケズケとハッキリものを言い過ぎる性格で、グサグサ厭なことを指摘してくるんだけど、本人に悪気はないんだ。勘弁してやってください」
 さっきのは、ちょっと悪気、あったけどね。
「確かに俺らも試合が近いけど、でもだからって、特別に何かするわけでもないよね? いつも通りの練習をして、それで試合を迎えて。別に彼女たちの相手をしたからって、大して犠牲になるわけじゃない。だったら、協力してあげようよ。合コンを申し込むぐらい、気になる女の子たちなんだよね? その彼女たちが、自分からこうして力を貸してほしいと頼みにきてる。なのにそれを断ったら、俺達、男じゃないよ! 上田の言う通り、女子部の捨て石になろう。合コンとか、そんな下心抜きで、同じバスケ部の仲間として、いっしょに浄善を倒す、力になってあげようよ!」
 ちょっとジ〜ンときた。あんなに反対してたのに。長谷川ぁ、お前、いいやつだなー。誰かと違ってな。
「ヒロシから、こういう意見が出たんだけど、みんなはどうかな。反対意見があれば言ってほしい」
 ホッとしたようにキャプテン・神代サンが問う。いかにも調整型のリーダーらしい言い種だ。もともと、自分達も大会を控えてるからという断りたげなセリフも、キャプテンとしての体面が言わせたポーズに違いない。繰り返すが、本当はうちら女子といっしょに練習ができるというだけで嬉しさバクハツ、鼻の下伸ばしまくりなのだ。案の定、反対意見は出ない。
「貴城はどうかな?」
「別に……」
 キャプテンの問いに、貴城が答える。
「反対はしませんよ。協力もしませんけどね。気になる女の子の気を引きたいヤツは、練習相手にでも何でも、やったったらよろしいんじゃないですか? 止めはしませんよ」
「それはダメだ。貴城」
 長谷川が信じられない発言をした。
「この場で反対意見を述べるのはいい。だが、ここで決定されたことには、貴城、お前も従ってもらう!」
 なに? なんだ? どうした、長谷川? 信濃の珍味、ベニテングダケでも喰ったか? わたしは喰ったことないけどな、さすがに。

「あん? どないしたんや、長谷川。なんぞ悪いモンでも喰うたんか?」
 いつもはおとなしい博の言葉に、さすがの貴城も面食らっていた。
 次の瞬間、ピンと来るものがあったのか、貴城はチラと女子二名のほうを見やる。
(……なるほどな。そういうことか)
 胸落ちして、口元を歪めた。
「おなごの前でええカッコしたいのはわからんでもないけどな、あんまりガラにもなく跳ね返んのは、怪我の元やぞ。長谷川よ」
「関係ない!」
 博が言い放った。眼が据わっている。
「前々から、お前の態度は腹に据えかねていたんだ。ちょっと巧くて大目に見てもらえるからって、身勝手が過ぎるんじゃないのか、貴城」
 やれやれ、と言わんばかりに貴城は肩をすくめ、苦み走った笑みを浮かべる。足はまだ机に投げ出したままだ。
「なんと言われようとな――。俺の答えは変わらん。俺は女子の練習相手になる気はない。お前らのやることに口出しはせん。無駄なことはやめとけとかな。そのかわり、俺にもいらん指図はすんな。鬱陶しい干渉はな」
「そうはいかない! 俺たちはチームだ。勝手な真似は許さない!」
「許さない? 許さないやと?」
 貴城の表情から笑みが消えた。足を机から下ろし、立ち上がる。
「俺は俺のやることに誰の許しも得ようとは思わん。お前にも、チームにもな。その俺をどうすんのや? え、おい」
「………」
 眠れる虎が目を覚ました。そんな印象を博は感じた。触れれば感電しそうな、高電圧の精気が貴城の全身から迸っているかのような。
 かつて、貴城にここまでストレートな叱責を加えた者は、先輩にもいない。それは単に、巧さ故に目こぼしに与ってきただけではない。そばにいるだけでわかる、貴城の修羅場を掻い潜ってきた者のみが身に纏う凄味、それが彼との衝突を忌避させてきたからでもある。
 博が暴勇を奮って、貴城との対決に踏み切ったのは、日頃の憤懣や好きな女の子の手前ということもあるが、なによりもアカネの計画には、エースプレーヤー貴城の参画が不可欠だとわかっていたからだ。だが、そのなけなしの暴勇が、貴城の圧倒的な気迫によって、あっさり吹き飛んでしまっていた。
「退部にでもするか? その権限はお前にはないがな」
「まあまあまあ」
 キャプテン・神代が仲裁に入る。
「二人とも、そう興奮しないで」
 ビリビリとした緊張感をものともせず、にこやかに両者の間に割って入る。
「……まあその、なんだ。貴城も、ちょっとは察してやれ。ヒロシは、どうしてもお前をこの練習に加えたいんだよ。お前が一番の実力者だからだ。だろ? ヒロシ」
 争い事は最も苦手だが、他人の矛を収めさせる手腕にかけては右に出る者のいない、天性の仲裁役。それが男子バスケ部キャプテン・神代という男である。貴城がいままでバスケ部に留まり続けていられたのも、この男の存在によるところが大きい。
「いや……いま論じているのは、そういう問題では……」
「長谷川よ。お前が古馴染みの上田に肩入れしてんのは察しがつく。けど、俺にはそんな義理はない。下心もな。その俺が許せんというなら、どうとでもしてくれ。もっとも、キャプテンにその気はないようやけどな。
 神代サン。この件に関して、部の決定は、有志の自発的参加ということでよろしいんですよね?」
「うん。それでいいんじゃないかな」
「そんな!」
「ま、そういうこっちゃ。ほな、俺はこれで帰らしてもらうわ。あとはお前らで、好きななようにやってくれや」
「ちょっと待てよ、まだ話は終わってない――」
「もういいよ」
 アカネの一言が、きびすを返そうとした貴城の足を止めさせた。
「もういいよ、長谷川。お前は、よくやってくれたよ。ありがと。もう、充分だよ」
「だって上田、それじゃあ……」
「いいんだよ。……よっこらしょっと」
 アカネは机を跨ぎ、その上に腰を下ろした。
「コイツの世話にゃあ、ならねーからよ」
 アカネの眼が、真っ直ぐに貴城を突き刺す。
 貴城の眼が、真っ正面からそれを受け止める。
 二人の視線が、その間で見えない火花を散らせていた。
 その様子を見守るヒカルは、ハラハラと気を揉んでいた。今朝の一件はモエミから聞いて知っている。アカネがあのように虚仮にされて、そのまま黙って引っ込んでいるわけがないのだ。
 蒸し暑いプレハブの温度が、さらに2〜3度上昇したような気がした。博×貴城を遙かに超えるであろう舌戦の第2ラウンドのゴングが、ヒカルの心の耳に鳴り響いた。

続く 22〜26

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第1稿 2002.04.15