22

「今日はもう、お帰りかよ。優雅なバスケライフを送ってんなあ、サボリ魔のエース君?」
「………」
「デートのご予定でもあんのか? 日之出が丘男子生徒憧れの的、天下の美少女軍団・女子バスケ部に対して下心もないってか。カッコいいなあ、キシロぉ。さぞかしかあいい彼女がいるんだろうなあ。伊東真希みてーなよ」
 それを聞いた貴城は一瞬、妙な顔つきをした。が、すぐに苦笑いを浮かべて言い返す。
「……天下の美少女軍団、か。自分で言うか? 大したタマやで、上田」
「安心しろ、キシロぉ。オメーにゃ、頼まねーからよ。こっちで願い下げだい」
 貴城の冷やかしには取り合わずに言う。
「そいつはありがたいな」
 笑みを張りつかせたままで言う。
「まあせいぜい、気の済むまでやってくれや。それで浄善に勝てると、本気で思ってるんならな」
「そうさせてもらうよ。言われなくたってな!」
「今更ジタバタしても遅い言うたやろ。結局、お前には理解でけへんかったらしいがな」
「うっせーよ!」
 アカネは机から降り、貴城の正面に近寄った。
「わかってるんだよ。もう調整の時期だとか、そんな常識的なことはな。でも、常識的な練習で勝てないってわかったら、非常識なことやるしかないじゃないか!」
 少しポカンとした貴城は、やがて引き攣ったような笑い声を立てた。
「なるほどな。それは理屈や。……まあ普通は、常識的な練習で勝たれへんかったら、諦めるか、マグレに期待するかで、あんまり非常識な練習はせえへんけどな」
 そう言って、また引き攣ったように笑う。
「笑うな! ああ、その通りだよ。いちいち、ごもっともだよ。でもな、キシロぉ。お前には言われたくないんだよ!」
 アカネはここで、深呼吸をして、跳ね上がったテンションをいったん落とした。だが、本当に怖いのはここからだと、ヒカルにはわかっていた。
「確かに、わたしたちは強くなったといっても、まだ中堅クラスでしかない。専任の指導者もいないし、選手層も薄い。ベスト4を狙えると言っても、そんなチームは県内でもゴロゴロしてる。
 だけど、ここまで来るのだって、本当に大変だったんだ。三年の皆さんはご存知ですよね? ほんの二年前までは、女子部だって同好会同然の弱小チームだったって。それを先輩のリサ姉とチカ姉が、周囲の猛反撥や部員の激減にも負けずに、ここまで鍛え上げてきたんだ。ここで緒戦敗退なんて、するわけにはいかねーんだ!
 体育館の占有時間を増やすのだって、専門のコーチを招くのだって、実績が要るんだ。一回戦の相手が県下ナンバー2の強豪だからって、そんなことを一回戦負けの結果に、斟酌してくれやしない。負けるわけにはいかねーんだ。強豪・浄善だろうと、怪物・伊東真希だろうと! 今大会で引退する、リサ姉やチカ姉のためにも」
「……で?」
 一気に喋ったアカネは、息継ぎのために言葉をおいた。すかさず貴城が口をはさむ。
「負けたくない事情はわかった。というより、そんなことは聞かされるまでもないけどな。それで、そのことと俺とどういう関係があんねん?」
「うるせーな。これから言ってやるから、黙って聞いてろ! あ、サンキュ」
 ヒカルが渡してくれた、ミネラルウォーターをひと口ふくんで、アカネは続けた。
「確かにあんたは巧えよ。そいつは認めるよ、キシロぉ。背も高ぇしな。……でも、それだけだ。お前は。
 うちには、初めから巧いやつなんていない。わたしは中学時代、市大会止まりだった。おまけに、ご覧の通りチビだ。チームにも、スタメンで70を超えてる選手はいない。女子にしたって、低いチームだよ、うちは。ヒカルだってそうだ」
 アカネは側にいるヒカルを見やった。
「いまでこそ《パワーのヒカル》なんて呼ばれてるけど、入部した当時はただのかよわい女の子でさ。急に背が伸びたからって、センターにコンバートされて。それで、本当に努力したんだよ、こいつは。みんなそうだ、うちは。大袈裟でもなんでもなく、死ぬほど練習を積んで、効率の悪いことも多分いっぱいやってきただろうけど、ガムシャラにここまで頑張ってきたんだ。……そのわたしらに、エラソーに能書きコイてる、お前はなんなんだよ?
 ろくにトレーニングもしてねーそうじゃねーか? それどころか、体育の授業もキツい時はサボってるんだってな? ネタはあがってるんだよ。そうやって、恵まれた天分の上に胡座をかいて、弱小チームのエースに収まってふんぞり返ってりゃ満足か? いい気なもんだよなあッ。
 わたしたちは、小さいなりに、弱いなりに、ほんのわずかでもいい、可能性に賭けて、できる限りのことしようとしてる。そのわたしたちを大所高所から見下げて、能書き垂れて、嘲笑って。さぞかし、いい気分だろうなあッ。
 あんたの言ってることは正しいよ。だけどこれだけは言っとく。お前には――お前にだけは、言われたくないんだよ!!」

 沈黙が、プレハブの室内を支配した。アカネと貴城、その両者の対峙の間に、誰も立ち入ることは赦されない。そんな雰囲気があった。
「言いたいことは、それだけか?」
 アカネがそれ以上、言葉を続けるかどうかを待って確かめていたかのように、貴城が口を開いた。
「とりあえずはな。なんとか言ってみろよ」
 だが、次に言葉を発したのは貴城ではなかった。
「アカネちゃん……あ、いや、上田さん。それは違う。違うんだ。貴城は――」
「神代サン」
 神代の言葉を貴城が制する。その面(おもて)は穏やかだったが、眼には強い光を宿していた。神代は黙って、引き下がった。
「……別に、お前が俺をどう思おうが、それは俺の知ったことやない」
(なんて、寂しいひと……)
 貴城の表情からは、何も読み取れない。だが、ヒカルはその言葉から、貴城という少年の本質を垣間見たような気がした。無論、クラスメイトとして、彼の立ち居振る舞い、人となりに関して、ある程度知っていたからこそだが。
 絶望的なまでの孤独。他人に嫌われようと、憎まれようと、知ったことではないと平然と言い放つほどの。いったいどのような境遇が、凍てついた荒野のように人を寄せつけない、峻烈な人格、人生観を与えるのだろうか。
 おそらく、貴城の不可解さ――卓越したスキルを持ちながら、不真面目とも言える練習態度には、なにか理由があるのだ。そして、本人を除けば、神代キャプテンだけが、それを知っている。
 だが貴城は、神代がこの場でそれを言おうとするのを拒んだ。敢えて誤解を解こうとせず、憎まれるがままにしておくことをよしとする貴城の態度には、毅(つよ)さというよりはむしろ、アカネにも似た、意固地なまでの子どもっぽい倨傲をヒカルは感じた。
(もしかしたら、貴城君は――。アカネや、私たちのことが、羨ましいのでは?)
 彼もまた、尊敬し、信頼し合える仲間と、力いっぱいプレーしてみたいのではないか? でなければ、どうして毎日、独りぼっちで朝練などするだろう。それがかなわないのは、決してチームメイトの水準が低いからだけではあるまい。

 そんなヒカルの思惟など、貴城は無論知る由もなく、こう言葉を続けた。
「俺には俺の事情がある。けど、それはどうでもええ。しかしな、上田。俺も、これだけは言うとくぞ。わずかな可能性と言うが、俺に言わせれば、そんなものはない。ゼロや。
 俺はなにも、自分の負担になるのが嫌で、協力を拒んでるわけやない。言うたら、俺らは緒戦敗退必至の弱小チームや。お前の言う通りな。お前らに協力したって、別に失うものはない。得るものもないがな。ついでに言うと、お前らが嫌いだからでもない。どっちかというとな、お前のことは気に入ってるよ、上田。俺に向かって、あれだけポンポンと啖呵が切れるヤツはそうはおらん」
「ケッ」
 アカネは面白くなさそうにソッポを向いた。
「お前の提案に俺が協力せえへんのはな、そもそも何の役にも立たんからや。実際に浄善と戦ってみれば、それがようわかるやろ。いや、それ以前に、こいつらとちょっとでも練習しただけでわからないかん。それがわからんようなら――。
 俺には頼まん。願い下げやと、お前は言うたな。ひとつ言うといたるわ。俺抜きのこのチームが、もしお前らの役に少しでも立つようなら、浄善との試合に万に一つの可能性もない。浄善のベンチ入りできんメンバーを集めたチーム相手でも、こいつらはよう勝たんやろ。俺抜きではな」

  23

 とはいうものの――。
「さあ来い!」
 アカネにしても、そもそものお目当ては、やはり貴城だったわけである。
 行きかがり上、あんな啖呵を切ってしまったが、あらためて貴城抜きの男子チームを見るにつけ、頼りなく感じるのは、いかんともしがたい。
 とりあえず、同じコートに男女ともども集まったはいいが、なにをしたらいいものか。リサは予想通り貴城がいないことに苦笑し、チカはチカで不貞腐れて、隅であぐらをかいている。
 これがアカネのアカネたる所以でもあろうが、男子を練習相手にする、というアイデアを出し、実行に漕ぎ着けたまではいいが、では具体的にどういう練習メニューを立てるか、そこまでは考えていなかったのである。
 とりあえず1対1だ。そう言って、長谷川を相手に、1対1を始める。そこで、後攻ディフェンスの博が、先の科白を口にしたわけである。
 腰を落とし、腕を広げるその格好だけは様になっているが――。
(なんか、スキだらけだなー)
 アカネのドリブルから放ったボールがコートを打ち、長谷川の股を抜ける。
「あ」
 と思ったときには、アカネはすでに博の背後に回り、易々とランニングシュートを決めた。
「ハア〜」
 アカネが腰に手をやり、あからさまに溜め息をついてみせる。
(う……)
 博は、恐る恐る周囲を見渡す。
(けっこう、マズイかも……)
 博のこめかみから、タラ〜リと冷や汗がこぼれる。
 一年を含む、女子部員達のケイベツの混じった冷たい視線が、自分に注がれていた。
 だが、男子部員に、博の醜態を冷やかす者はいない。内心、彼等も危機感を覚え始めたからだ。
 可愛い女子部員たちと練習ができるということに、鼻の下を伸ばし、胸を膨らまし、依頼に応じてみたはいいものの。これはしかし、とんでもない赤っ恥を晒すことになるのではないか、と。
「いまのは、ちょっと油断してたんだ! 今度はちゃんとやるから。でも、上田、なかなかやるじゃん。さすがだね。ハハ……」
 その博を見つめるアカネの面(おもて)は、限りなく無表情だった。


 貴城はさっさと校門を抜け、スポーツバッグを肩に提げて、体育館脇の歩道を駅に向かって歩いていた。
 金網のフェンス越しに、開け放した裏の扉から、体育館のなかの様子がよく見える。アカネと博が1オン1をしている。
 やれやれ。と、貴城はひとりごちる。うちの男子を練習相手にしようなどという上田も上田だが、練習相手になると思っている男子も男子だ。毎日のように練習風景をそばで見ていて、わからないのか。とても太刀打ちできる相手ではないということに。
 上田を怒らせ、結果的に交渉決裂に運び、面子を守ってやる肚だったが、上田に気がある長谷川の行動が計算外だった。
 体育館では博を相手に、アカネが一方的にポンポンとゴールを決めている。
 しばらく足を止めて、その様子を眺めていた貴城は、くるりと向きを変えて、校門に向けて、もと来た道を戻りはじめる。
(まったく、世話の焼ける……)


 勝負はあまりにも一方的だった。
 十本勝負で、現在まで18対0。無論、18点・9本のシュートを決めたのは、アカネのほうである。
 博は焦っていた。
(マズイ。マズすぎる……)
 アカネのほうが、自分より巧いことは、わかっていた。わかってはいたが、1本も取れないのは、あまりにもカッコ悪い。
(ケイベツしてるだろうな。でも、アカネも容赦ないよな。少しぐらい手加減して、相手を立ててくれたって。……いや。そんな情けない発想をするな! 最後の1本、なんとしてでも獲るんだ。獲ってやる!)
 などと博が考えてるうちに、アカネのヒョイと伸ばした手が、彼のドリブルするボールをあっさりハジき奪う。
「あーッ」
「隙あり過ぎ」
 チカが容赦ないコメントを加える。
(くっついたら抜かれる。少し離れて……)
 すかさず、アカネがシュートを放つ。
「あーッ」
「バカ過ぎ」
 リサも容赦ないコメントを加える。
 だが、ボールはリングに当たって跳ね返った。アカネは、どちらかというとジャンプシュートは得意ではない。
「ヘタクソッ。あれでエース!?」
 チカがアカネにも、手厳しい批評を加える。
(このボール、獲る! ジャンプならこっちが上をいく)
 だが、アカネは素早くいいポジションについている。
 ボールが落下を始める。両者がジャンプ。好位置を押さえたアカネが、ボールを手中に収める。しかし、博も意地でボールを奪い取ろうとする。中空で、二人の身体が絡み合った。
「きゃっ」
 アカネのかわいい悲鳴があがった。

「あちゃー」
 チカが片手で、顔を覆う。男女混合練習の、もっとも懸念される事態が、さっそく起こってしまったからである。
 博とアカネが、上下に折り重なっていた。その姿だけ見る分には、まるでこれから、ふしだらな行為を開始しようとする男女のようだ。

 全身がペニスになったように、博の血が沸騰していた。無理もない。惚れて惚れぬいた女の子の柔らかな肌の感触を、全身で感じてしまったのだ。もし、衆人環視のもとでなかったら、彼の理性は霧と散り、一匹のケダモノとなって、アカネに襲いかかっていたとしても不思議はない。
「あいたたたた」
 博の下で、アカネが後頭部を押さえてうめき声をあげる。博はそれを見ながら、呆然とただドクンドクンと鳴り響く自分の心臓の音を聞いていた。
「ちょっとおッ」
 モエミが怒りの表情も露わに、つかつかと歩み寄ってくる。
「いつまでそうしてるんですかあッ? さっさとどきなさいよッ」
「あ……ああッ、ゴ、ゴメン……」
「いいよ。長谷川ぁ、そっちは大丈夫? おお痛て」
 頭をさすりながら訊く。
「ああ。うん、平気」
 その言葉とは裏腹に、うずくまったままだ。
「どうしたの? 足でも捻っちゃった?」
「いやそうじゃない、大したことないよ! じっとしてれば、すぐに治まるから!」
 慌てて否定する。怪我ではなく、ちょっとした生理現象ゆえに、博は立ち上がることができないでいた。
「それみろ。そやから言わんこっちゃない」
 全員が、その声に振り向いた。いつからそこにいたのか、開放された扉に背をあずけ、貴城が立っていた。
「これでようわかったやろ。これが恥ずかしながら、うちの男子と女子の実力の差ぁや。上田、これでもこいつら相手に《浄善対策》の特訓をするか?」
「………」
 アカネには返す言葉がなかった。悔しいが、また、長谷川には悪いが、何も得るものはあるまい。だが、その言葉に博が噛みついた。
「ちょっと待て。それは俺は上田に一本も取れなかったけど、俺は補欠だし、チームでなら……」
「まだそんな寝言いうてんのか」
 貴城がため息をつく。
「ええ加減、眼ぇ覚ませ。うちのスタメン連中がどう思ってるか、あとでこっそり訊いてみい。ええか、お前らでは女子部のスタメンには勝てん! ましてや、浄善のスタメン・ベンチ要員に敵うヤツなんぞ一人もおらん」
「……まるで浄善の実力をよく知ってるような口ぶりだなあ?」
「少なくとも、ここにいる者(もん)よりはな」
「やけに詳しいじゃないか、女子バスケに! ヘンな趣味でもあるんじゃないのか?」
 女子部員たちは、昼休みに視た「変態(?)バスケビデオ」を思い出した。
「……股間膨らませて、うずくまってるヤツに言われたないわ」
「バ……バカ言うな!」
 ――嗚呼。愚かにも、博はそこで反射的に立ち上がってしまったのである。元気いっぱい膨張し、盛大にテントを張った下半身も顕わに。
 ヒカルが真っ赤になって後ろを向く。
 リサ、チカ、モエミの三人が口を揃えて言う。
「サ・イ・テー」
 そして。
「イ―――イ―――」
 眼前にソレを見せつけられてしまった、アカネは。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
 耳をつんざくアカネのフルボリュームの悲鳴が、体育館を揺るがした。

  24

 蛇足の感を否めないが、必要上その後の経緯について、かいつまんで記しておく。
 非常に気まずい事態にシュンとなりながらも(幸い股間のほうもシュンとなったようである)、博は貴城との論争を譲らず、結局、男子と女子とで試合をすることになった。
 もとより、そのつもりだったリサに異存はなかった。
「うちに勝てたら、合コンに応じてあげる」とまで、彼女は言った。無論、貴城のいない男子チームに負けるなどとは、微塵も思っていないリサである。これは逆に言えば、試合で自分達に負けるようなら、分不相応な合コンの申し込みなど、二度としてくんな、という恫喝でもあったわけである。
 これに対し、“燃える合コン”(命名:リサ)神代キャプテンは、逡巡の末、この条件を付けて同意した。
「……体育館の扉、締め切らせてもらっていいかな?」

 こうして始まった、男女バスケ部マッチだが、ショック症状でうわ言を口走っているアカネは、リサが一年に命じて、隅っこに安置され、代わりに一年の阪本妙子選手が出ることになった。
「ったく、口ほどにもなくウブなんだから!」とは、辛辣なリサの弁である。

 結果については、言うまでもあるまい。具体的なスコアを書くのは、男子部があまりにも可哀想なので、次のやりとりを記すに留め、あとは読者のみなさまのご想像におまかせすることにする。
「……いやあ、強いは。キミタチ」
 試合を終え、汗だくになった神代キャプテンが、息も絶え絶え、そう口にする。
「……あんたらが弱すぎんでしょ」
 チカがクールにそう言い棄てる。
「絶対勝つ自信はあったけど……まさか、これほどまでに弱いとは……」
 怒りに震えんばかりの勢いで、リサは言い放った。
「こんな実力で、この私たちと合コンしたいだあ? ふざけんな! 比喩でも慣用句でもなく、文字通り十年早ぇ! 逝ってヨシッ!」

  25

 試合が近いこともあり、いつもより短めの練習を終えたアカネは、自転車を押してとぼとぼと自宅に向けて歩いていた。
 自宅までは、5キロも先である。普通なら、バスを使う距離だ。だが、元来せっかちなアカネには、渋滞の道路をノロノロと走る満員バスでの通学は耐えられなかった。なにより、アカネは自転車で風を斬って走ることが好きだった。
 このまま自転車を押し続けるには、ゾッとする道のりだが、どうしてもペダルを踏む気力が湧かなかった。体力ではなく精神的に、ドッと疲れてしまっていた。
 だが、後方からの声を聞いて、さっさと自転車を漕いで、走り去っていればよかったと後悔した。
「おーいッ。上田ぁ。待ってよぉ」
 そう言って走ってきたのは、博である。
 アカネは構わずに、すたすたとむしろペースを上げて歩いてゆく。
「ちょっと待ってよ。よかった、間に合って……」
 ゼエゼエ息を切らせながら、そう言う。
「こっちは、ちっとも良かねーよ」
 歩みを止めずに言う。
「バス停は反対側だぞ。歩いて帰る気か?」
 比較的近所に住む博は、バス通学である。
「用が済んだら戻るよ。止まってくれたっていいじゃん」
 そう言われてはじめて、アカネは足を止めた。
「謝りたかったんだ。その、さっきは、ごめん……」
「別に、謝ることじゃねーよ」
 無表情にアカネは言った。
「アタマの中はSEXで充満してる男の子だもんな。ああなって当たり前なんだよ。長谷川の言った通りだよ。男女がいっしょにバスケをやれば、当然ああいうことが起こる。そんなことは承知の上だったばすなのに、わたしはみっともなく悲鳴をあげた。笑えるよな。笑えよ。そら見ろ、俺の言う通りじゃないかって」
「そう自虐的になるなよ。貴城さえ協力してくれたら、もっと実のある練習になってたはずだよ」
「アイツのことはもういい。アイツのことは言うな」
「わかった。……それよりも、俺が言いたいのは、その、謝ることじゃない、なんて言ってる割に、俺のこと、ちっとも赦してないというか……」

「当たり前だろ?」
 少しの沈黙のあと、アカネは言った。
「おめーとは、いい友達だと思ってたよ。おめーという友達がいたから、男と女の友情は成立するって、自信を持ってそう思ってたよ。『男と女の友情は有り得ない』なんて、したり顔で語ってるヤツには、なにテメーの貧しい経験論でモノ言ってやがるって思ってたよ。でも、今日のことで、やっぱり有り得ないのかなって、ちょっとグラついちゃってるよ。
 わたしは平気だったよ。おめーに上に乗っかられたときも。男の兄弟はいないけど、弟とそうなったぐらいに、なんとも思わなかった。だから、モエミは怒ってたけど、いらやらしい、さっさとどいてよ、なんてわたしは言わなかった。
 でも、おめーはそうじゃなかった。わたしと密着して、ムラムラといやらしい気分になっちゃったんだよな。ショックだったよ。なんか、信じてたやつに、裏切られた気分だよ」
「それはだから……言い訳するわけじゃないけど、どうしようもない男の生理というか」
「わかってるよ。そんなことは。これでも、もうすぐ十七になる女なんだ。わかってるんだよ」
「わかってない! あれは事故だ! なにも、しようと思ってああなったわけじゃない。それに言いたかないけど、そもそも今回のことは、上田が言い始めたことで、俺はそれに協力したんだぞ? それで、そんな言われ方をされたんじゃ、俺だって立つ瀬がないよ!」
「だから謝ることじゃないって言ってるじゃないかあッッッ」
 涙目になって、アカネはそう叫んだ。
「わたしだって、わたしなりに精一杯理性的に振る舞おうとしてるんだいッ。でも、だからって、自分の感情まで、コントロールなんてできないよ……」
「……泣いてるのか?」
「泣いてるか! 泣くもんか! 泣きたいときは、コートで泣け。誰も教えちゃくれなかったけどなあッ」
「わからないよ。俺、どうすればいい? どうすれば赦してもらえる?」
「それをわたしに訊くのか」
「………」
「てめーで考えろ。わたしにだって、わかりゃしないんだ。
 ひとつ言えることは、わたしと長谷川の友情には、ヒビが入ったってことだ。悪いのが、わたしのほうだとしても」
 それじゃ。と言って、アカネはまた、自転車を押して歩き始めた。なにをどう言い繕おうと、いまは赦してもらえそうにない。ただひとつだけ、赦してもらえるかもしれない言葉を、博も思い浮かべないではなかった。だが、いままで言えずにいたその言葉をこの状況で口にする勇気は、とても彼にはなかったのだ。
 黄昏時の街中で、遠ざかっていくアカネの後姿を、博はいつまでも見送っていた。
 と、ふいにアカネは足を止め、こちらを振り返る。博がまだ去っていないことを確認すると、自転車のスタンドを立ててそこに止め、ダダダ……とこちらに向かって走ってきた。
「おい!」
「……なに?」
「今日のアレ、ずぇっっったい、オカズにすんなよ!」
(う……読まれてる)
「しない。しないよ。するわけないじゃん」
「ゼッタイだぞ。約束だからな。もし破りやがったら、ヒビはパカッと真っ二つに割れるからな。忘れるんじゃねーぞ」

  26

 その夜。
(ああ、アカネちゃん。アカネちゃぁぁぁん)
 博は、オカズにしていた。

第2Q ラバーボーイ 了 

次回予告
 約束破りを看破された博は、アカネに徹底的にシカトされる。落ち込む博を見かねたヒカルは、アカネの機嫌を解きほぐす、ある秘策を授ける。感激する博をよそに、しかし、ヒカルの胸中は複雑だった。何故なら……!?
 主人公より人気者!? 清楚で可憐なパワフルセンター・ヒカルの日常と乙女心を綴った、当サイト半径5メートル内のヒカルファンに贈る掌篇。
 次回、「HALF TIME ヒカル」。アカネ「おい作者ぁ、これ本当にスポ根だよなあ?」 作者「………」

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第1稿 2002.04.20