61

 カラスのように黒ずくめの、ひときわ眼を惹くジャージの二人組が、浄善女学院の正門をくぐった。
「ずいぶんと小綺麗な校舎じゃねーか。なあ。さすがはブルジョア私立。小汚ねえ公立校とは、えれー違いだね」
 二人組の片割れの少女が言った。切れ長の眼をした顔立ちはシャープだ。髪をショートカットにしたその風貌は、単にボーイッシュと呼ぶには、危険で挑発的な匂いを放ちすぎていた。知らない街で不良が見たら、絡まずにはいられない。そんな顔つきをしている。
「やっぱり帰ろうよ、彩ちゃん。怒られちゃうよ……」
「まあだそんなこと言ってんのか。おめーがそうやってグズグズ言ってっから、試合開始に間に合わなかったんじゃねーか」
「だってえ」
「ったく、おめーってヤツぁ、なんだってガタイはそんなにデケえくせして、気はそんなに小せえんだよ。オレ達ゃ別に練習サボって遊んでるわけじゃねー。試合を観戦に来たんだぜ。先輩も、おっさんも、別に怒りゃしねーよ」
「そうだけど……」
 二人組の、もうひとりの片割れ。この少女の特徴は、これをおいてない。とにかく、デカい。身長は190前後はあるだろうか。平均的な背丈のもうひとりの少女が、彼女と並ぶと小柄に見えてしまう。その背丈と名字から、彼女はこう呼ばれている。
“白虎のタイボク”――と。
「シロヨンが“四強”に食い込んだのは、いったい誰のお陰だよ、え? エースのオレと、天島で一番でっかいセンター、おめーのお陰じゃねーか。そのオレ達がよ、この一戦を注目のカードと睨んでんだぜ。誰も文句は言わねーし、言わせねーよ。
 おめーの一番の欠点はな、その気の小ささ、弱さだよ。いいか、おめーはな、日本を代表するセンターになる女なんだよ。天島のナンバー1を争ってる相羽だの、神宮だの、あいつらなんか目じゃねえ。おめーはな、桃花のビッグ・ヤンも超える器だと、オレは信じてるんだぜ。もっと自信を持て、ゆかり!」
 ビッグ・ヤン。日本一の強豪、愛知県の桃花(とうか)学園に籍を置く中国人留学生、揚美華(ヤンメイファ)の通称である。身長、実に2メーターと5ミリ。日本の高校女子バスケット界で、最長身の選手である。
「……おっと、んなこと言ってる間に、もう第2Qが始まっちまわあ。いくぜ、ゆかり」
「うん……」

「よお、ネエちゃん。試合会場はこっちかい?」
 小さいほうの少女(小さくはないが)が、係の腕章を付けて立っていた生徒に訊いた。
 係の腕章を付けた生徒は、大きいほうの少女の背の高さに一瞬、唖然とし、どもりながら「こちらです」と答えた。
 そんな反応は見慣れている。大きいほうの少女は中に入ろうとして、足を止めたままの小さいほうの少女にぶつかった。なにかが小さいほうの少女の気に障ったようだ。
「体育館が二つ……。バスケ専用の体育館かよ、ふざけやがって。それで、てめーの庭でてめーの試合をやるってか。金持ち学校ってな、やることは意外とセコいんだな」
 さすがにムッとして、腕章を付けた生徒の表情に現れた。
「なんだよ。文句あんのかよ。オレの言ったことに、なんか間違いがあるか? え、言ってみろよ」
 口調は静かだ。だが、彼女の眼光と合わさると、かえって凄味を帯びる。生徒の表情が恐怖に竦みあがる。
「やめてよ、彩ちゃんてば、もう。また停学になったら、どうすんのよう」
「わかってるって。なにも手ぇ出そうなんて思ってねえよ。バスケ選手として、ちょっと意見を言っただけじゃねえか。なあ?」
 ポン、と腕章を付けた生徒の肩を叩く。ビクンと生徒の身体がこわばった。

 二人が中へ入って去り、ホッと胸を撫で下ろしている腕章の彼女に、並んで立っていた、もうひとりの腕章の生徒が声を掛けた。
「突っかかっちゃダメよ。相手が悪すぎるよ」
「なにあの柄の悪い人達。信じらんない!」
「知らないの? あんなデカい女、天島で一人しかいないじゃない。シロヨンよ」
「シロヨン?」
「白虎四高。あのデカいのが“白虎のタイボク”、大木ゆかりよ」
「じゃああの、柄の悪いひとは?」
「彼女は――」
「教えてやる」
 もうひとりの生徒が答えようとした矢先、先ほどの黒ジャージの「柄の悪いひと」がまた現れた。生徒がヒッと小さい悲鳴をあげる。
「白虎四高7番、ガードフォワード、登戸 彩(のぼりあや)様だ! 決勝リーグでは、おめーらのチームを倒す女だ。覚えときな」

  62

 観客席に大木ゆかりと登戸 彩の二人が姿を見せたとき、コートでは第2Qがちょうど始まったばかりだった。ジャンプボールを相羽が叩き、田渕がキープしていた。
「同点!?」
 電光掲示板のスコアが、彩を驚かせた。
「マジかよ。……やるじゃねーか」
「調子、悪いのかな?」
 無論、浄善が、という意味である。そう考えるのが、普通だ。
「そうじゃねえよ。強えんだよ、日之出はよう。ここまでやるとは思ってなかったがな」
「彩ちゃん、買ってたもんね。日之出が丘」
「去年の選抜で、うちといい勝負をしたチームだからな。オレとゆかりは、いなかったにしてもな。あんときのメンバーが、4人残ってるんだぜ。今年の日之出は、侮れねえよ。緒戦の相手が浄善とは、つくづく不運だと思ってたがよ……」
 昨年のウィンターカップ、日之出が丘が準々決勝で敗れた相手。それが白虎四高である。だが当時一年の、ゆかりと彩は、この試合に使われることはなかった。大木ゆかりは、怪我のため。そして、登戸 彩は、前試合の暴力行為による出場停止処分のために……。
「ひょっとすると、ひょっとするかもしれねーな。眼ぇつけてたんだよ、アイツにゃよう。畜生、勝たねえかな。オレ、やりてえんだよ、アイツとよう」
 彩の視線が、伊東をマークするアカネに注がれる。ボールは伊東に渡っていた。
「彩ちゃんてば、たまってる男の子みたい」
「ああ、その通りだよ。オレが男なら、チンコぴんぴんにおっ立ててるって感じだな。喰いてえんだよ。あの上田 茜ってヤツをさ」
「やだあ。彩ちゃんてば、下品〜」
 そんな会話をしている間に、コートでは伊東が外から3ポイントのジャンプショットを決めた。相手の最もイヤなところで、最もイヤな点の獲り方をする。ここぞというポイントを逃さないのは、さすがというべきだろう。
「……やっぱムリか」
 それでも、伊東のいる浄善は、相手が悪すぎる。そう思った矢先、彩は「お!?」と声を発した。面白いものを見つけたようだ。
「見ろよ、ゆかり。どうやら先客がいたようだぜ。ちょっくら、ご挨拶といこうじゃねえか」
 彼女が「ご挨拶」などと言うと、かえって不穏な響きを帯びる。不安に表情を曇らせながら、大木ゆかりは彩のあとに続いた。

 彼女は一心にゲームをビデオカムで追っていた。三脚で固定されたビデオカムは、小型ながらプロも使用する最高級モデルである。装備が本格派なら、撮影者の技量の程も本格的だ。ゲームを追うレンズの動きはプロはだしだ。左右の動きにブレがない。ロングパスを伴う速い展開にも、ピタリとボールを追い、迷いと微調整することがない。
 さらに特筆すべきは、その撮影者の類い稀な美貌であろう。ビデオカムを覗く、その横顔からでさえ、文字通りモデルも顔負けの眉目の美しさは、観る者の眼を奪わずにはおかない。
 野生美あふれる伊東真希の容貌を輝く太陽に喩えるなら、彼女のそれは静謐な月に喩えられるだろう。そんな静かで、神秘的な、生まれながらにして高貴な血を受け継いだような、それだけで常人を畏怖させてしまうような。そんな外見をしている。

「よう」
 その彼女に、彩が近づいて声を掛けた。
「1回戦からビデオ撮りかよ。天女の控えも大変だなあ。――上原ぁ」
 上原冬花(うえはらとうか)。それがこの少女の名前である。
「悪いけど――」
 ビデオカムから眼を離さず、上原冬花が口を開いた。
「あとにしてもらえない?」
「そりゃねえだろう。相手も確かめずによ。失礼じゃねえか」
 自分のことは棚に上げて、そんなことを言った。
「その必要はないわ。緒戦突破、おめでとう。登戸 彩さん」
 昨日の試合で、白虎四高は三ケタ得点で圧勝している。
 フン、と忌々しげに、彩は鼻息を鳴らした。
「別にめでたくもねえよ。当たり前だからな。いいから、こっち向けよ」
「ごめんなさい。いま手が離せないの」
 ピクリ、と彩は眉を動かした。試合の内外を問わず、度重なる暴力沙汰で処分を喰らい、「ケンカ屋」と呼ばれ怖れられている彩である。その彼女に、平然とそんな応対ができる上原冬花も、大した剛胆ぶりと言うべきだった。
 彩はやにわに、ビデオカムを掴むと、グイと向きを変え、自分の顔をレンズに近付けた。
「ハ〜イ! 天羽サーン、お元気ィ? 白虎四高の、彩チャンで〜すッ。1回戦から浄善のビデオ撮りをさせるなんて、あんまり後輩使いが荒いと、嫌われちゃいますよぉ。どうせ浄善は、うちが決勝リーグで負かしちゃうから、1敗は確実。安心してネ。それよりも、うちを気合いを入れてチェックすることをオススメしちゃうよ。使いッ走りの上原チャンにも、よ〜く言っといてネ。じゃね〜、チャオ〜」
 冬花は顔を上げ、深く溜め息をついた。

「おい」
 声に抜き身の刃のような怒気を孕ませて、もうひとりの少女が現れた。
「私が話し相手になってやろうか?」
「おめーもいたのか、やまねこ」
 そう呼ばれた少女の顔つきが険しくなる。大木ゆかりほどではないが、彼女の背も高い。170センチを優に超えている。その名字から、「やまねこ」と呼ばれることが多いが、彼女はそれをひどく嫌っている。
 西表比呂子(いりおもてこ)。それが天女の控えセンターの、彼女の名である。
「久しぶりだな。相変わらずデケーな、タイボク」
 比呂子は、おろおろと成り行きに困惑している様子の大木ゆかりに、肩を叩いて言った。
「どうも……」
「タイボクって言うな!」
 今度は彩の表情が険しくなる。
「お互い様だろ? だったら、やまねこって呼ぶのもやめろ」
 彩と比呂子の眼光が、互いの眼を刺す。向こうっ気の強さでは、比呂子も彩に引けを取っていない。
「よしなさいよ、相手にするの」
 両者の緊張に水を差すように、冬花が口をはさむ。
「お久しぶりね、大木さん。また少し、背が伸びたんじゃない?」
「どうも……。お陰様で、192になりました……」
「お陰様じゃねえだろ! 恐縮してんじゃねえよ。だいたい相手にすんなっつっといて、ゆかりには挨拶すんのか。ムカつくヤローだな。手が離せないんじゃなかったのかよ」
「いま、ちょうどタイムアウトだし」
 浄善にポイントの連取を許した日之出が丘が、タイムアウトを取っていた。
「192!」
 ヒュ〜、と口笛を吹いて比呂子が感嘆した。
「まだ、成長してんのか」
「おうよ。すくすく成長中だぜ。来年の今頃にゃ、オーバー2メートルよ。ビッグ・ヤンを抜いてやらあ」
「やだあ。これ以上大きくなったら、ゆかり、お嫁にいけな〜い」
 これには親友の彩も、顔を引きつらせた。
(……行く気かよ。嫁に)
 無遠慮な比呂子も、この科白は心の中にしまった。
(………)
 上原冬花でさえ、頭の中を三点リーダーで埋め尽くしていた。

「あなたも見ない間に、ずいぶんと大きくなったようね。153には、とても見えないわね。登戸さん」
「そいつは去年のデータだ」
 彩は言った。
「いまは162だ。もうチビとは呼ばせねえよ。おめーのコンピュータに、しっかりインプットしときな」
 プレイヤーの名前・身長・戦績・特徴・エトセトラ。一度頭に入れたことは忘れない。その抜群の記憶力から、彼女は人間コンピュータと呼ばれている。
「ありがとう。覚えておくわ」
「ついでに言っとくけどさ」
 西表比呂子が、思い出したように付け加える。
「別に天羽さんの命令で、ビデオ撮りしてるわけじゃないからな。これはこいつの趣味みたいなもんでよ」
「趣味とは心外ね。チームには随分と貢献している筈よ」
「どっちでもいいけどよ。どうせチェック、研究すんなら、浄善なんかより、うちにしときな。浄善も決勝リーグに上がってくるだろうが、うちが倒すんだからよ」
「どっから、そんな自信が湧いてくるんだか」
 比呂子が嘲笑した。
「まあ、新人戦で負けたチームとしちゃあ、評価しないわけにはいかねえだろうがな」
 彩は怒らなかった。その口調には、自信に裏打ちされた余裕すら伺えた。
「そのチームに負けたのは、どこのチームだよ? ええ!」
 激昂したのは比呂子のほうだった。
「試合にゃ負けたが、実力じゃ負けてねえ。当たってもいねえくせに、てめーですっ転んで、ファウルもらうなんて卑怯なマネしやがって。ゆかりが5ファウルで退場さえ喰らってなきゃ、スコアはひっくり返ってたんだよ」
「ゴール下でファウルもらいにいくなんて、バスケの常識! それで審判に喰ってかかって、自分もついでに退場! ……ただのバカじゃん。そういうバカさも含めて、あんたらの実力じゃないの」

「言い訳はしねえよ」
 なおも彩は静かに言った。その態度は、これまでのケンカ屋の風評を裏切っていた。精神的に、一枚成長した。冬花にも、そう感じさせるに充分だった。
「確かにオレはバカだったよ。もうあんなバカはしねえ。だから、浄善にも、おめーらにも負けねえ。今度会うときゃ、決勝リーグだ。新人戦の借りは返すからな。言いたかったのは、それだけだ。じゃあな。いこうぜ、ゆかり」
 連れのゆかりを伴って、背を向ける。
「おっと」
 思い出したように、クルリと二人に向き直った。
「そういや、おめーら『控え』だったな。借りの返しようも、ねえか」
 カッカッカと笑いながら去ってゆく。ゆかりはおろおろと大きな身体を小さくしていた。小さくはなっていなかったが。対照的な二人だった。

「てめーらなんかな、ハナから眼中にないんだよ! いまのうちに好きなだけ吠えてろ。ベ〜ッだ」
 こめかみに血管を浮かせて、比呂子が両眼でアッカンベエをする。
「やめなさいよ、みっともない」
 冬花が諭す。雑魚の挑発に乗るな。言外にそう言っていた。
「相手になってやろうじゃん。お望み通りにさ。吠え面かかせてやるよ。
 ナミさん抜きなら、いまの二年チームは、三年チームに勝てるんだよ」
「よしなさい。大きな声で」
「聞かれちゃマズいってか? 構やしないよ。
 どうせ今大会で知れちゃうんだから。……うちらがベストメンバーだってことをさ」

  63

「それよかさあ、さっきトイレでオモシロい話、聞いちゃったんだけどさあ」
 再開したゲームを追って、再びカメラマンとなった冬花に、身を乗り出すように比呂子は語りかけた。
「君津のヤツ、鼻にティッシュ詰めてんじゃん。なんでだと思う?」
「鼻血が出たんでしょ」
「そうじゃなくてさ」
「オシャレでそうしてるの? そこまで奇抜なファッションセンスの持ち主とは思わなかったけど」
「あのさ、何度も言うけど、真面目な口調で冗談言うのやめてくんない」
「だって、鼻血じゃないなんて言うから」
「鼻血は鼻血だよ。その原因がなんだっつってんの」
「だったら、鼻にティッシュを詰めてるのは何故かではなくて、鼻血を出したのは何故かと言うべきね」
「ったく、細かいヤツだなー、お前は。わかってんだろ。私の言わんとしてることは」
「私は言葉の裏を読んだり、真意を憶測して返答はしないの。誤解の元だから。相手の言葉を正確に解釈して、応じるだけ」
「ハイハイ、わかりましたよ」
「鼻血の理由までは、推測のしようもないわね。チョコレートの食べ過ぎ、なんて理由じゃなさそうだけど」
「あの日之出が丘の7番……。アイツがスゲエんだよ!」
 プククと比呂子が笑いを噛み締める。
「だから、あなたの話には脈絡がないのよ」

 浄善女学院の医務室を発信源に、アカネの《君津監督・鼻に指突っ込み事件》は、瞬く間に試合会場を駆け巡った。そしてそれは、こうして訪れた他校の生徒にも伝播した。やがて、この事件は県下の高校女子バスケット界全体に知れ渡り、アカネを一躍――天羽七海恵や伊東真希とは違った意味で――天島の有名人にするのである。
 無論、アカネ当人は、そんなことになっているとは知る由もない。彼女らにとっては、いまはそれどころではなかったのだ。

続く 64〜67

次回予告
「平面なら負けないのにって顔してるね。ワタシに挑戦してみる? 平面で」
 怒りに燃え、アカネは伊東に勝負を挑む。だが、鮮やかにアカネを抜いてゴールを奪った伊東のプレイは、日之出ファイヴの度肝を抜いた。それは――!?
 勝てる。そう思った5人に、まざまざと見せつけられる強豪・浄善の底力。日之出が丘の得点が止まる。みるみるうちに、スコアが引き離れてゆく。点が獲れない……。次回『強敵』第十三幕、本気の虎が牙を剥いた。

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第1稿 2002.10.11
第2稿 2002.11.16
第3稿 2003.01.28
第4稿 2003.08.06