ダブルスコア   64

「クソッ、クソッ、クソッ」
 ベンチに腰を下ろすなり、アカネは足を床に踏み鳴らした。
「無駄な体力使うな」
 隣に腰掛けたリサが、そう言って窘めた。
「よーくわかったろ」
 第2Q(クォーター)、開始3分。
「あれが、伊東真希ってプレーヤーさ」
「!」
 この間、日之出が丘の得点、ゼロ。
「あいつはただの、強豪チームのエースじゃない。お前の好きな天羽七海恵が認める、ただひとりのライバルなんだよ」
 一方、浄善女学院は5本のゴールを決め、11点を叩き出した。
「天羽さんが認める、ライバル……」
 その全てが、伊東真希による得点だった。


「なにをやっとんのじゃ、お前ら!」
 時は、第1Q終了後のインターバルに遡る。
 君津監督が乱暴に自分の腰掛けていたパイプ椅子を蹴飛ばす。衝撃で折り畳まれて、床を滑ってゆく。
 監督の雷に、ベンチの一年が首をすくめる。普段から厳しい指導者ではあるが、試合での癇癪ぶりは、また格別である。もう、鼻に詰めたティッシュの滑稽さを笑うどころではなかった。
 二三年のレギュラーは、さすがに馴れている。それでも、彼女たちの表情も堅い。ノーマークの、楽勝であるはずの相手に、第1Qをイーブンに持ち込まれたのだ。ただ、ひとりの例外を除いて。
「タカシナぁ、悪い、レモンのスライス取って」
 ただひとり、伊東真希だけが、そんな戦況も、監督の激怒も、どこ吹く風。平気の平左で、後輩の一年、高科 愛に、そっとそんな耳打ちをする。
 こんなときになにを、と内心呆れつつ、恐るべき神経を尊敬しつつ、高科 愛が監督の眼に止まらぬよう、そうっと蜂蜜漬けにしたレモンのスライスの入ったランチボックスを伊東に手渡す。ポニーテールの髪が、よく似合っている。
「試合前、俺はお前らになんて言うた? 安部、言うてみいッ」
 沈痛な面持ちで、安部は答えた。
「ダブルスコアで、勝てと……」
「そう言うたな。それが最低合格ラインとも言うた。それで、このザマはなんや? お前らはあいつらと、勝敗を争ってんのか!?」
 その問いに、答える者はいない。
「伊東ッ、聞いとんのか!」
 ついに、監督の矛先が、ベンチのすみでレモンのスライスを口にする伊東に向けられた。言わんこっちゃないと、後ろで高科がハラハラする。
 それでも、伊東は動じない。「すっぱ〜」という表情をしたままだ。
「いや〜、あいつら、けっこう強いですよ」
 果肉をすっかり食べ尽くしたレモンの皮を袋に捨てながら、伊東が応える。
「秋月、斎藤、それから、大久保。あいつらだけでも、ベスト8の実力はありますよ」
「そんなことは、わかっとる!」
 君津の一喝に、さすがの伊東も首をすくめた。
「去年の選抜で、すでに日之出が丘はベスト8まで行ってる。フロックという見方が強いが、俺はそうは思わん。その当時のメンバーが、4人残っとんのや。いまのやつらの潜在力(ポテンシャル)は、翔星学園の実力に匹敵する。と、俺は見てる」
「!」
 全員が、驚きの眼で君津監督を見た。それほどまでに、高い評価を与えていたのかと。これまた、ひとりを除いて。
「なんだ。わかってんじゃん」
「タメ口はやめなさいって言ってるでしょ!」
 ベンチ中央にいる安部の怒声が上がった。伊東の隣にいたら、手が出ているところだ。
「だからこそや」
 君津は選手の無礼な口の利き方など、気にも留めずに言った。
「その程度の相手に、手こずってどうする」
「!」
「苦戦、接戦? 論外や。会心の内容で勝て。そうでなくて、天羽のいる天女に勝てるか」

  65

 ――天羽のいる天女に勝てるか。その言葉ほど、浄善の選手たちを奮起させる言葉はなかった。第2Q開始早々、伊東の3P(ポイント)で、先制点を奪った、続く二本目。
(くそっ。夏陽のやつ、急に当たりが激しくなった)
 動きの激しいスキのないディフェンスで、安部がチカのドリブル突破を阻む。
「そんなに動き回って、最後まで保ちゃいいけどね」
「………」
 安部は応えない。黙々と、ファウルぎりぎりの当たりで、攻めるようなディフェンスを続ける。うるさい安部の手を避け、身体を半身にして、ドリブルの盾にする。そのとき。
「チカ姉ッ、危ない、後ろッ」
 アカネの警告を耳にしたときには、忍び寄った須田が、後ろからボールを叩いたあとだった。
(チイッ)
「ナイスカット、メグッ」
 ボールを獲った安部が、ロングパス。伊東が速攻で、ランニングシュートを決めた。
 駆け寄る伊東が、高々と手を差し出す。
「アベっち、ナ〜イス・ディフェンス」
「伊東もね。ナイッシュー」
 安部がそれに応えて、ハイタッチした。
「イエ〜イ」
 不思議な娘だ。と、安部は思う。数限りなく叱責し、罵声を浴びせ続けてきたにも関わらず、全くといっていいほど、隔意がない。それどころか、こうして親しみすら寄せてくる。試合には、それも要求されるから? そうではない。およそ、根に持つ、ということを知らない娘なのだ。叩けばヘコむが、すぐに復元する。まるでゴム鞠のような、弾力のある毅さを具えている。
 もっとも、そのお陰で言った注意もケロリと忘れてしまうのは、頭痛の種ではあるのだが。先輩へのアダ名呼ばわりもそうだ。何度注意しても改まらず、結局これぐらいはと、大目に見てしまっている。
「アイツは、私にまかせて」
 伊東の眼を見て言った。
「伊東もしっかり抑えてよ。あの糞生意気な小ネズミ。一本もやるんじゃないよ」
「アイアイサーッ」
 伊東がニッコリと敬礼ポーズをした。本当に憎めない娘だと、安部は笑いたくなった。

「マークをチェンジする」
 激昂が収まると、声のトーンを落として、君津監督は告げた。
「伊東、大久保につけ」
「――待ってください!」
 安部が立ち上がって懇願した。
「お願いです。替えないでください」
「お前と大久保との間に、どんな因縁があるのかは知らん。
 だが、大事の前の小事や。お前では大久保は荷が重い。上田につけ」
「私を大久保のディフェンスに専念させてください。大久保を抑えれば、日之出が丘の得点は半減します!」
「……できんのか? 安部」
「やります!」
 強い眼で、監督の眼を睨む。
「そのほうがいいですよ」
 軽い口調で、口をはさむ声がした。伊東だった。
「さほど目立たないけど、あのコ、けっこうやりますよ」
 目立たないのは、自分がマークしてるからだ、と言わんばかりだった。
「動きだけなら、天島でも5本の指に入る」
「!」
「乗せちゃうと、手がつけられなくなるタイプじゃないかなあ」
「伊東――」
 キャプテン・相羽が、窘めるように口を出した。マークを替えると、安部はもっとやられる。伊東の言葉は、あからさまに言外にそう言っていたからだ。
「構わない。こんなときに、先輩も後輩もないんだから」
 無表情に安部が言った。
 君津監督が、腕組みをして思案する。伊東の言葉にも、納得するに足るものがあったようだ。
「よし。マークはこのままで行く」
「ありがとうございます!」
 深々と一礼する。
「ただし、言うた以上は、責任を持って抑えろ。ええな。もし、でけへんかったら……外すぞ」
「……はい!」
「オイラもさっき、ズバッと抜かれちゃったもんなあ」
 伊東のアカネへの高評価について、田渕が思い出しながら言った。
「でもさあ、さっき上田の名前は挙げなかったよね?」
 須田が伊東に訊いた。
「秋月、斎藤、大久保。こいつらがいるだけで、ベスト8です」
 サラリと伊東は答えた。
「上田が加われば、ベスト4ですよ」
「!」
「ま、ワタシが抑えちゃうから、カンケーないけどね」
 ナハハハ、と悪びれずに、伊東は笑った。

  66

 チカと安部の身体が、激しくぶつかる。
「オフェンス、チャージング。赤、5番ッ」
 強引に抜きに出たチカに、ファウルが下る。
(くそッ)
「落ち着け、チカ。ムキになんな」
「ああ、わかってるよ。あっちだって、ぶつかってきてんだよ、ったく」

 ゴール前。高いパスが、伊東に通る。
「届くかな〜? 高い高〜い」
 ボールを頭上に掲げて、アカネを挑発する。
(こンのヤロ〜〜〜ッ)
 怒りに燃えてジャンプし、ボールを叩きにいく。
 その一瞬速く、伊東も跳び、楽々とジャンプシュートを決める。これで、3連続ゴール。

 四本目。
「ん〜、速い速い。足の速さだけなら、うちレベルだよ。アカネちゃん」
「……うっせーよ!」
 チカへのパスを安部がカット。パスを受けた伊東の速攻をアカネが止めた。スリーポイントラインより僅かにフロント寄りといった辺りだが、伊東にとっては、十二分に射程圏だ。
「でも」
 涼しい顔で言う。汗もかいていない。荒い息をついているアカネとは対照的だ。
「こうされると、届かないんだよね〜」
 伊東の脚が、コートから浮き上がる。ジャンプシュートの体勢。
(くそッ、まるで届かない)
 アカネの視界に現れる、もう一本の腕。
「フンッ」
 ヘルプに飛び込んだヒカルのブロックが、後ろから伊東の持つボールを叩き落とした。
「あ痛て」
 主審の笛が鳴った。
「ディフェンス、赤6番ッ」
 ヒカルにファウルが取られ、伊東にフリースローが与えられた。
 それでも、ヒカルは折り曲げた腕の拳を握った。
「ガッツポーズは、フリースロー外してからにすれば?」
 ヒカルは、見つめ返しただけで、何も言わなかった。

 伊東が危なげなく、2本のフリースローを決める。これで、4連続ポイント。
 フリースローレーンのヒカルに、Vサインを突き出す。
「同じ、2てーん」
 そう口にする前に、ヒカルは背を向けて歩き出している。
「こらあッ、ムシすんなあッ」
「思いっきり、ぶつかって行こ」
 ヒカルはアカネに言った。
「私たち、挑戦者なんだから。負けても、こっちの勝ちよ」
「あ、ああ……」

 5本目。
 モエミが果敢に3Pを撃つ。だが。
(入れッ)
(かすかにボールに触れた。入らない)
「リバーンッ」
 モエミのシュートが、リングに嫌われる。そして、ここから、ヒカルの闘いが始まる。
 ガシッと互いの肩と肩をぶつけ合う、相羽とヒカル。
(甘い。そう何度も獲らせるもんですか)
 だが、相羽もヒカルを押し退けて、ベストポジションを獲ることができずにいる。
(それにしても、なんてバカ力! こんな小柄なコが)
 ふいに、相羽の感じていた圧力が消える。身体が飛び出しそうになる。
 無論、たたらを踏むような醜態を演じはしない。相羽も、強豪・浄善でセンターを務める女である。だが、わずかに生じたスキを突いて、ヒカルは反時計回りに背後から回り込んで、相羽の前を獲った!
(しまった!)
「うまい!」
 ベンチで西澤仁美が賞賛の声を上げた。
 いいポジションを押さえたヒカルが、リバウンドを獲った。

「大したもんや」
 君津がコメントした。
「163センチ。本来、センターを務める背丈やない。しかし、スタメンに自分より高い者もおらん。身長のハンデをポジション取りのパワーとスキルを磨くことで、補ってきたんやろな。西澤、あの斎藤をどう見る?」
「いいもん持ってますよ」
 監督の問いに、西澤が答えた。
「ジャンプ力もある。あれで、あともう10センチ背が伸びたら、怖いセンターになりますよ」
「『ボクみたいに』ってこと?」
 石川 雅が冷やかすように会話に割り込んだ。
「そこまで言ってねえよ」
 笑みを浮かべて言った。無論、謙遜ではなかった。

 ヒカルは自らシュートを撃つことができなかった。ヘルプに加わった伊東との二人掛かりのディフェンスに、抑えられていたからである。ピボットで、パスを出すスキを窺う。
「ヒカルッ」
 声に向けて、バウンドパスを送る。ボールがアカネに渡った。マークの伊東はいない。フリーだ。
(ここを獲って、流れを変える!)
 しかし、アカネのシュートは、無情にもリングに弾かれる。
「おっと、行かせないよ」
「!」
 両腕を広げて、伊東がヒカルの動きを阻む。
 相羽の両手が、リバウンドを捕らえた。
 それを見て取り、彼女が着地するより早く、伊東が弾丸のようにダッシュする。
「カウンターッ」
「戻れーッ」
 相羽がロングパスを放つ。首を後方にひねった伊東が、ジャンプしてパスを受け取る。着地したところへ、アカネが前に回り込んだ。ゆっくりとしたドリブルで対峙する。

 ヤマを張った。
 今度は、抜きにかかってくる。
 さっき、ヒカルにブロックされたこととは関係ない。相手の望む勝負を受けて立ち、勝つ。そうでなければ、気が済まない。勝った気がしない。そんな、自分と同じ匂いを。アカネのファイターの本能が、嗅ぎ取っていた。
 それは、正しかった。
 伊東自ら、こう持ちかけてきたからである。
「平面なら負けないのにって顔してるね。ワタシに挑戦してみる? 平面で」
「……ナメやがって。後悔すんなよ」
「しないよ」
「望むところだ。勝負しろいッ」
「オーケイ」
 唇の両端を、微かにつり上げる。
「イッツ、ショーターイム」

 伊東のドリブルは高い。棒立ち、といっていい。スキだらけ、のように見える。
(手を出すな、アカネ)
 田渕を牽制しながら、リサがアカネを見守る。
(伊東は、誘ってる。手を出した瞬間に、抜くつもりなんだ。誘いに乗って、出し抜くつもりだろうが、お前に歯の立つ相手じゃない。待つんだ)

(あからさまに誘ってやがる。罠なんだろうな、こいつは)
(獲りにいった間隙を突いて、抜く。――それがナメてるっていうんだよ)
 コートを跳ねたボールが、伊東の掌に吸いつく。
(このアカネさんの稲妻スティール)
 ボールが、掌を離れる。その瞬間。
(とくと拝め、伊東!)
 アカネの手が、空を切った。
(!)
 コートすれすれの超低空で、ボールを吸いつかせた伊東の右手が、時計回りに弧を描いた。バックロールターン。
 止めに出たヒカルの股間からボールを抜く。ヒカルが驚愕の眼で、ゴールを突く伊東を振り返る。
「二人抜き〜ッ」
 ゴール下でジャンプしたチカが、怒りに青ざめた。
(こいつ!)
「三人目〜ッ」
 大きく後ろに伸ばした右腕から、すくい上げるようにして、伊東はシュートを放つ。
 チカの伸ばした両手の遙か上を放物線を描いたボールが通過し、垂直に近い角度で、ネットをくぐった。伊東が、5連続得点を成し遂げた瞬間だった。

「イヤミなヤツね」
 不機嫌にチカは言った。
「あんたが私相手に、フック撃つ必要ないでしょ」
「負けず嫌いなんだ、ワタシ」
 バックロール→股間抜き→フックシュート。それはチカが第1Qで見せた、プレイの再現そのものだった。お前に出来ることは、自分にも出来る。伊東は自らのプレイで、まざまざとそれを見せつけたのだった。
「チャージドタイムアウト、日之出が丘ッ」
 開始3分。こうして日之出が丘は、このピリオドで最初のタイムアウトを取ったのだった。

  67

 驚くべきは、伊東の反応速度だ。
 アカネと伊東の須臾の攻防を、チカは見た。
(私のバックロールとは、明らかに違う)
 伊東は、返ってくるボールを迎えに行ってではなく、一旦手を離れたボールを追って捕らえてアカネの手をかわした。
 アカネの動きの速さも、ハンパではなかった。あのタイミングで来られたら、自分なら盗られていただろうと、チカは思う。
(あれが、伊東真希――)
 チカはチームメイトと笑顔でハイタッチする伊東を見つめた。ふと、視線に気付いて、振り向く。安部がそんなチカを、間近に見つめていた。
「なによ?」
「別に……」
 バカにするのでもなく、いい気味だというのでもなく。安部の表情からは、彼女の何の感情も読み取れなかった。

「上出来や」
 先程とは打って変わった上機嫌で、ベンチに腰を下ろした選手達に、君津は言った。
「けど、まだ問題が残ってるな。相羽、それが何か、言わんでもわかるな?」
「リバウンドです……」
「そや。大久保を止めて、ポイントは半減できる。そこで、もうあと半分をどうやって止めるかやな」

続く 67〜70

次回予告
「20点差に開けば、ゲームは決まりね」
 ビデオカムで試合を追う上原冬花が、恐ろしい予言を口にする。
「点差が十点台なら、まだ追いつこうという気力も保てる。でも、二十点以上開いたら―― 気力が、切れる。いままで意識しなかった疲労が、一気に噴き出してくる。『負け』の二文字が、頭をよぎり始める……」
 なおも無得点のまま、第2Qは時を刻む。ポイントは徐々に、「ダブルスコア」へと近づいてゆく……。そんな状況下、キャプテン・リサは、伊東潰しのための作戦をメンバーに授けた。
 冬花の予言通り、試合は決定づけられてしまうのか? 次回『強敵』第十四幕。伊東を止めろ! 彼女を止めれば、やつらのリズムも狂う。流れは、またこっちに帰ってくる!

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第1稿 2003.03.29
第2稿 2003.08.06