ダブルスコア   67(承前)

「みんな、いくよ〜ッ」
 両手のポンポンをキラキラと揺らし、チアリーダーのよく通る声が、体育館に響きわたった。
「せーのッ」
〈ジョーゼン!〉
 ダン・ダン!
〈ジョーゼン!〉
 ダン・ダン!
〈ジョーゼン!〉
 ダン・ダン!
 今度は、手拍子ではなく、ストンピング。応援の女生徒達が、一斉に床に足を踏み鳴らした。文字通り地響きを立てて、体育館が揺れた。

 フンッと客席の西表比呂子が、鼻息を鳴らした。
「よくわかってんじゃん。あのチアリーダー」
 ――タイムアウトの目的。選手に休息を与える。作戦を立てる。そして何より、気分をリフレッシュさせ、試合の流れを変える。
 そうはさせじ。イーブンの第1Qから一転、あっという間に11点差までポイントを広げられた日之出が丘に、さらにプレッシャーを加える。そんな意志を露わにした、浄善女学院生徒達の大応援だった。

「ひどい……」
 比呂子たちとは、ちょうど反対側の席にいる大木ゆかりが、顔を曇らせて言った。
「リードしてるのに。格下のチーム相手に、そこまでしなくたって……」
「ひどかねえ」
 隣席の登戸 彩が言った。
「ここぞというチャンスと見たら、徹底的に叩く。勝負の鉄則だ」
「そうだけど……」
「戦ってるんだよ。応援団だってな。あのネーチャンはよくわかってる。試合の流れってヤツをな。さすが、応援のスペシャリストだよ」
「だって、かわいそうだよ。自分とこには、ちっとも声援もないのに。もし私が、あの立場だったらって思ったら……」
「オレらは、こうはならねえよ」
 彩はそう言って笑った。
「泣く子も黙る、大応援団がついてるんだからよ。応援合戦になったら、あのネーチャンたち全員、ションベンちびって腰抜かすだろうぜ」
 白虎四高大応援団。この21世紀に、まだそんな応援団があったのか、という超硬派のバンカラ(死語)集団である。悪(ワル)の巣窟と呼ばれる白虎四高にあって、現総長・五十嵐大悟の下、鉄の掟で統率される彼らは、本職のヤクザさえ道を開けると言われるほどの超武闘派としても知られ、怖れられている。
「それにな――」
 ニヤリと笑みを浮かべて、眼下の日之出が丘ベンチを見下ろした。
「これでビビるような、ヤワな連中じゃねーよ。あいつらは。かえって、火ィつけちまうだろうぜ」

「チッ」
 スポーツドリンクのペットボトルから口を離して、チカが毒づいた。
「調子ん乗りやがって」
 浄善コールと足踏みは、四方から日之出が丘ベンチを威圧するかのようだ。
「もお〜、我慢ならねえ」
 俯いていた顔を上げて、リサが言った。
「伊東を潰す! 伊東を潰せば、やつらのリズムだって狂う。流れは、またこっちに帰ってくる!」
「ずいぶん簡単に言ってくれんじゃん」
「できる! アカネ、それにチカ、ヒカル、モエミ。おめーら、四人掛かりならな」
「!」
 リサはお盆サイズのホワイトボードを取り出した。バスケのコートのラインが描かれている。
「作戦は、こうだ!」

  68

 ボールをアカネがキープしていた。右へ、左へ。しかし、素早い伊東のディフェンスに阻まれ、突破できない。
「よこせッ」
 安部を振り切り、走り込んできたチカにパスする。
(入れさせない)
 追ってきた安部の指先が、わずかにチカのシュートボールに触れた。ボールがリングに当たって、跳ね上がる。
「おるあーッ」
(うそ!)
 信じられない高さで、伊東がリバウンドを獲った。ヒカルの眼が、驚愕に見開かれた。
(なぜ彼女が、ここに?)
 両腕でガッチリとボールを抱え、伊東がガニマタで着地する。
「カウンターッ」
 フロントコートにロングパスを投げる。受け取った田渕がそのまま走り込んで、速攻のゴールを決めた。34対21。

(伊東が、リバウンドを獲りにきた)
 リサがボールを運ぶ。ゆっくりと、センターラインを超える。
(確かに、リバウンドを獲るだけなら、そのほうが確率がいいよな)
(でもさ)
 突如ダッシュ。だが、置き去りにされる田渕ではない。ピタリとリサに張り付いている。
 急制動をかけ、自らジャンブショート。意表を突かれた田渕が、ゴールを振り向く。
(獲れなかったら、どうすんの?)
 やや低空飛行のシュートは、リングの付け根を撃ち、ボードを跳ね返った。
 ゴール下の相羽、ヒカル、伊東の三者が、低い角度でゴールから遠ざかろうとするボールに手を伸ばす。ヒカルの手が、一瞬早く届いた。
(おンや――)
 伊東が、場違いな思惟を紡いだ。
(このコ、腕、異常に長くない?)
 ヒカルの弾いたボールがバウンドした先に、アカネがいた。
「フリーだ。撃てッ」
 リサの叫びを、コートとベンチにいる全員が聞いた。君津監督以下、浄善のベンチがこの瞬間を刮目する。


「残る問題は、斎藤のリバウンドや。これをどう止める?」
 君津は、スタメンを含む、ベンチの全員を見渡した。
「西澤、お前ならどうする?」
 絶えず自分自身で戦略を立てろ。君津は常に、部員達にそう指導している。
「そうっすねえ」
 立ち上がった西澤仁美が、腰に両手を当てて答える。
「伊東、ボクと交代」
「真面目に答ええ」
(別に冗談じゃないんだけどなー)
 伊東が両眼でアッカンベーをする。今度は隣りに座っていた安部が、すかさず頭をはたく。
「シュートを撃ったら――敵味方を問わずね。伊東はゴール下へ直行。相羽先輩をヘルプ。これで、制空権は獲れます」
「フリーになっちゃうよ。アカネチャンが」
「わかってんだろ? お前も」
 面白くもなさそうに、西澤が伊東に返した。
「リバウンドを押さえるのが、第一。上田のマークは、二の次でいい。何故なら、アイツはたぶん、シュートエリアが狭い」
「!」
「そういえば、オイラの時も、撃たずに抜いてきたもんね」
「そう。田渕先輩相手なら、高さの不利はない。なのにアイツは、一度はシュートに見せかけてパス。二度目は抜いた」
「どーせオイラは、チビですよーだ!」
 長身の西澤に向かって、田渕がイジけてみせる。よしよし、と隣の相羽が彼女の頭を撫でる。
「そして、さっきのフリーのシュートを外した」
 会話を君津が引き取った。
「俺も同感や。結論を出すには早いが、その可能性は高い。伊東、西澤の言うた通り、リバウンドで相羽のヘルプに行け。それで可能性は、確証に変わる!」
「りょーかい」


 シュートモーションに入ったアカネの身体が、一瞬止まる。
 アカネの計算が外れた。誰か(=敵)が、止めにすっ飛んでくる。そうなれば、誰か(=味方)がフリーになる。シュートに見せかけて、そいつにパスを出す。
 誰も、動かなかった。アカネに、黙って撃たせる。敵の意志は、あまりにも明白だった。
「何してる、撃てッ」
 そう口にしながら、リサもほぞをかんでいた。
(畜生、あいつら――)
(見抜いてやがる)
 アカネがボールを放った。
(入れッ)
 アカネが念じた。
(頼む、入れてくれ。これが入れば、やつらの認識も変わる)
 リサが祈った。
 シュートはしかし、リングに弾かれた。
「やはりな」
 君津が眼鏡のフレームを中指で押し上げ、ほくそ笑んだ。

「おおっと、跳ばさないよ」
 伊東の腕が、ヒカルの肩を押さえ込むようにして、彼女のジャンプを阻む。
「………!」
「サオリン、よろしくッ」
「オッケーッ」
 相羽の両手が、リバウンドを押さえた。
「おっしゃあッ」
 伊東がフロントコートへ、取って返す。
「戻れッ、ボサッとすんな!」
「あ……うんッ」
 リサの怒声を浴びて、アカネが伊東の後を追う。
 パスをもらった伊東が、電光石火のダッシュでそのままゴールを決めるのをなすすべもなくアカネは見つめた。

  69

「どうした、アカネ」
 リサがアカネの頭を鷲掴みにした。
「伊東を抑えろ、つったろ。好き勝手走らせてんじゃねーよ」
「ごめん……」
「お前が、シュートが下手なのはわかってる」
「………」
「あれで入らないかねー」
 わきを通り越しざま、チカがキツい科白を落としてゆく。アカネの顔が「グ……」と屈辱で歪む。
「脚が武器のお前が、走りで負けてどうする」
「!」
「伊東の前ン出ろ。そうでないと、《アレ》ができないんだよ」
「そうだ……。そうだよね!」
 アカネの顔が、輝きを取り戻した。

 だが、続くプレイで、モエミへのパスを須田がカット。安部→田渕へと繋いで、相羽がゴールを決めた。

「これで17点差か」
 ふあ〜ッ、と比呂子が退屈そうに欠伸を漏らす。
「最初は、ひょっとしたらと思ったけどな。波乱はなさそうだな」
「期待してたの?」
 ビデオカムのファインダーを覗きながら、上原冬花が訊いた。
「心配してたの!」
 ムッとして比呂子が答えた。
「負けてもらっちゃ困るんだよ。直接戦(や)ってケリつけなきゃ、こっちだって収まりがつかないんだからさ!」
「なら、『ひょっとしたら』より『どうなることか』と言ったほうが、適切だったわね」
 苦虫を噛み潰した表情で、比呂子は言った。
「……もう、お前とは、会話しない」

「20点差に開けば、ゲームは決まりね」
 問わず語りに、冬花が口を開いた。
「点差が十点台なら、まだ追いつこうという気力も保てる。でも、二十点以上開いたら――」
「………」
「気力が、切れる。いままで意識しなかった疲労が、一気に噴き出してくる。『負け』の二文字が、頭をよぎり始める……」
「――と、言ってるうちに、19点差」
 須田のジャンプシュートが、40点目のゴールを決めた。
「マッチポイントか。勝負が決まる20点差に」

(私が、決める!)
 チカがフェイントを入れて、鮮やかに安部を抜いた。――かに見えた。
「うッ」
 安部が顔を顰めて、コートに尻餅をついた。
(夏陽!)
「オフェンス、チャージング。赤、5番ッ」
 怒りも露わに、安部を睨みつける。
「手を上げて!」
 主審に注意されて、チカが渋々手を上げた。

「あれ、当たってないよ」
 いまのファウルを見て、ゆかりが言った。
「当たってねえな。安部のヤロー、わざと転びやがったな」
「浄善も、あんなズルいプレイするんだ」
「ズルいんじゃねえ」
 無表情に、彩は言った。
「巧えのさ。やられたほうが、甘えんだよ」
(さっきは、西表さんに『卑怯』って言ったくせに……)

「なにも、あんな真似までしなくたって……」
 浄善の一年のひとりが言った。名門のやることではないと言いたげだ。見るからにプライドが高そうな少女だった。
「甘えな、緒沢ぁ」
 ポン、と緒沢真琴の肩に手を置いて、西澤が諭した。
「『勝ち』にこだわる。貪欲に、1点でも多く獲る。そのために、一番近道のプレイをする。それが、うちのバスケなんだよ」
「はい……すみません」
「その通りや、緒沢」
 コートに眼を向けたまま、君津監督が言った。
「なりふりなんぞ、構わへん。1点たりとも、おろそかにはせん。横綱相撲という言葉は、うちのチームにはない。
 安部はファインプレイや。大久保は、ファウル三つ目。これで、ますます動きが取れんようになる」

  70

 チカのファウルによって、浄善のスローイン。
 だがこれで、ついに「あの作戦」を実行に移す時が訪れた。アカネがマークする前で、伊東にパスが回ったからである。
「なに、ソワソワしてるの?」
「してねーよ」
「なんか、面白いコトたくらんでる?」
(超能力者か、コイツは!)

 ホワイトボードにペンを走らせながら、リサは言った。
「アカネは、また抜かれる」
「ちょっとお!」
「まあ、聞け。素直にジャンプシュートすりゃ無難に点が入るものを、あいつは敢えてアカネを抜いてくる。エースに真っ向勝負で勝つことで、うちの気力を折ろうって腹だ。だが、そこが付け目だ」
 伊東の進路を意味する矢印に向けて、別のもう三本の矢印を描く。
「チカ、ヒカル、モエミ。お前ら三人で、ゴール前で網を張れ」
(!)
「気取られるなよ。タイミングが肝心だからな。いいかアカネ、うまいこと伊東をこのトラップに誘導しろ。できるな」
「オッケイ」
 顔に喜悦を浮かべて、アカネが承知した。
「三枚ブロックか。面白そうじゃん」
 ホワイトボードを眺めて、チカが言った。
「でも、ブロックしたボールは、しっかり拾わないとね」
「そうだ。絶対に押さえろ。あっちに奪られちゃ、元も子もねえ」
 ヒカルの発言に、リサが応えた。
「ボールを拾ったら、私がゴールに走ってるからパスしろ」
 リサが、拳を握って告げた。
「私が決める!」

 日本刀で障害物を断ち斬るように、伊東がアカネのディフェンスを破る。
 アカネは追いつけない。かに見えて、しっかりと追走し、伊東の進路をフィックスさせる。右斜め45度の角度で、ゴールへ突進する。伊東の両手がボールを掴み、踏み切る。
(いまだ!)
 跳んだ伊東の眼前に立ちはだかる、チカ・ヒカル・モエミの三枚ブロック。
(!)

(ヨシ!)
 久しぶりに登場の博が、客席最前列から身を乗り出す。
(潰せッ)
 彩とゆかりの二人も、期待に拳を握った。

 下から上へ。伊東の右腕が、その掌に掴んだボールを放つ。いや――。
 放たなかった。右手に掴んだボールをそのままに、いったん下げた伊東の背が、猫のように丸くなる。
 そうして、三枚ブロックを過ぎたところで、再び伊東の右手が伸びた。上体を捻り、後方のリングを視界に収める。
 エビ反りになった伊東の右手から、今度はボールが放たれる。表面のラインをくっきりと見せた、無回転のボールは、一度リングに当たって跳ね、クルクルとリングを周回したのち、穴の空いたネットをくぐり抜け、コートに落ちた。

 久しぶりに登場の博が、茫然とその言葉を脳裏に浮かべた。
(ダ――)
 シロヨンの大巨人・大木ゆかりが、あんぐりと口を開けた。
 その横で、ケンカ屋・登戸 彩が、愕然と眼を見開いた。
(ダ――)
 コートの五人を含む、日之出が丘のメンバー全員が、度肝を抜かれた。
(ダ――)

「ヨッ」
 右腕を引き、左腕を突き上げる。
「シャアアアッ」
 驚愕の凄技を決めた伊東が、ガッツポーズで叫んだ。

(――ダブルクラッチ!)

続く 71〜74

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