29

 高揚した気分は、長くは続かなかった。
(倒されても突き落とされても――か)
 さすがに鈴姉ちゃんはシビアだ。そう簡単に夢はかなわないのだと、しっかり含めている。
 でも、倒されたり、突き落とされたりするわけにはいかない。ここで、決めなければならない。何故なら――。
 これがリサ姉、チカ姉の、最後の大会だからだ。
 天島はもうこんなに暑いけど、本格的な夏はまだまだこれからだ。やる気のない弱小チームだった女子バスケ部をたった二人で鍛え上げて、やっとここまで来た二人の三年間をこんなところで終わらせられるなんて、そんなの残酷すぎる。
 一回戦敗退? 冗談じゃない! わたしは、このチームが大好きなんだ。リサ姉がいて、チカ姉がいて、ヒカル、モエミがいるこのチームで、もっともっとプレイしていたい。
 浄善に勝つ! 勝って、決勝リーグで天羽さんと同じコートに立つんだ。
「BOW!」
 いつしか歩を止めていたわたしの横合いから、野太い犬の吠え声が浴びせられた。
「ラッキー!」
 ゴールデンレトリバーのラッキーが、家の鉄扉の隙間からわたしを見つめていた。
 ラッキーに近付き、鉄扉越しにフサフサした頭を撫でてやる。わたしは猫よりは、犬が好きだ。忠実なところが可愛い。逆に猫好きなのはヒカル。幼児期に咬まれたらしく、特に大型犬は苦手だという。なにかの本で読んだが、猫タイプの人間は犬好きで、犬タイプの人間は猫が好きだという。確かに当たっている気がする。
「お前の幸運、わたしにもちょうだい。――わッ」
 ビックリした。ラッキーがジャンプするように、前足を鉄扉のてっぺんにかけ、立ち上がった(?)からだ。嬉しそうにワンワン吠えてくる。ラッキーは鎖で繋がれていない。そんなことをしなくても、逃げも暴れもしない。そのくらい、しっかりと躾けられているのだ。見識と愛情を持ったご主人様のもとで、広い庭を自由に駆け回るこの子は幸せだ。
「そんなにわたしのこと好き? 可愛いなあ、お前」
 家の玄関の扉が開き、何事かとご主人様のおじさんが顔を覗かせる。
「おはようございます。すみません、お騒がせしちゃって」
「茜ちゃんか。珍しく吠えてるから何かと思ってね」
 おじさんが近付いてくると、さすがにご主人様には敵わないらしく、鉄扉を離れ、おじさんにじゃれつく。おじさんが頭を撫でると、お行儀よくお座りをする。
「この子、ほんと可愛いですね。人懐っこくて」
「人懐っこくはないんだよ。けっこう選り好みは激しい子でね。気に入らなければ、洟も引っかけないんだ。ラッキーは、本当に茜ちゃんのことが好きなんだねえ」
「ホントですかあ!? 嬉しい。わたしもお前のこと、大好きだよ、ラッキー」
「BOW!」
「今日は、試合かな?」
 わたしの格好を見て言う。
「はい。とても手強い相手なんです。だから、この子に幸運をお裾分けしてもらおうと思って」
 おじさんは笑った。
「ラッキーに触ると、ご利益があるのかな?」
「ありますよ。名はなんとやらって言いますから。それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。頑張って」
「ハイ。ラッキー、また会おうね!」
「BOW!」
 ……この子は、本当に人間の言葉がわかるんじゃないだろうか?

「……センパイ。アカネセンパイ。着きましたよ」
 モエミに揺すられて、わたしは我に返った。
 地下鉄は最寄り駅である、「浄善女学院前」に到着した。
「大丈夫かねー? ボーッとしちゃってさ、このコは」
 改札への階段を上りながら、リサ姉が言う。
「ああ、どうしよ」
 今日、デビュー戦を迎えるモエミが、胸を押さえて言った。
「ドキドキしてきちゃった」
「大丈夫だよ」
 モエミの肩をドシリと叩いてやる。
「幸運、もらってきてやったからさ」
「え?」
「さあ、乗り込もうぜ。“敵地”によお」

  30

 浄善女学院前駅、A1番出口を抜けると、眼の前に浄善女学院の堂々たる門構えの正門がそびえていた。
 校門には左右の髪をお下げにまとめた小柄な女の子が立ってい、わたしたちを見ると、こちらに駆け寄ってきた。うちとは対照的な、青と白のジャージを着ている。浄善バスケ部のそれだ。わたしたちの前で、ピシリとお辞儀をする。
「日之出が丘高校の皆さんですね。お待ちしていました。ご案内いたします。どうぞこちらに」
 お下げの女の子に伴われて、わたしたちは浄善女学院の校庭を歩いてゆく。
「アカネセンパイ、ほらあれ、校内チャペルですよ」
 モエミが耳打ちする。浄善はカトリック系の女学校だ。当然あってしかるべき施設だろう。
「誰もが寝静まった深夜、背徳の性の饗宴があそこで行われてたりしてな」
「行われてねーよ」
 小声で言ったつもりだったが、しっかりリサ姉は聴いていて、拳固を喰らった。
「バカを晒すのは、身内の前だけにしろっつってるだろーが」
「三文ポルノの見過ぎ」
 チカ姉がコメントする。
「でも、けっこうあるんですよ。生々しい噂は」
 お下げ髪の女の子が肯定的に口をはさんだ。
「女の子ばかりだと、どうしても恋愛感情を同じ女の子に向けちゃうんですよね。チャペルで罰当たりな行為をしているかどうかはわかりませんけど」
「気ぃ遣って、バカに合わせてくれなくてもいいのよ。こんなバカは、我が校でもコイツひとりなんだから」
 リサ姉がヒドイことを言う。
「そういやあ、宝塚の男役みたいな、オットコ前の女もいたなあ。アイツなんか、モテんだろうなー」
「西澤先輩ですか? あの人はうちのプリンスです。人気ならナンバーワンです。実力も凄いですけど」
「お名前、伺ってよろしいかしら?」
 リサ姉が、お下げの女の子に訊いた。ケッ、よろしいかしらと来たもんだ。
「私ですか? 新垣梢枝(あらがきこずえ)といいます。よろしくお願いします」
「新垣さんは、この大会には出場するの?」
「いえ。残念ながら、私は今回はスコアラーです」
 点を取りまくる者、という意味でも使われるが、彼女が言うのは、単にスコアブックをつける担当という意味だ。
「でも、ベンチに入れるだけ、私はまだいいほうなんです。ベンチ入りできない部員が、50人以上もいますから」
「50人以上……!」
 モエミが呆然と呟く。さすがは強豪校。全員がベンチ入りするうちとは、部員の数からして違う。ちなみに、バスケでベンチ入りできるプレイヤーは、交代要員7名を含む、12名までと決まっている。
「こちらの体育館が、試合会場です。控え室はこの中になります」
「体育館が、二つもあるの……?」
 手前と奥に、二棟並んだ体育館を見て、モエミが驚きの声をあげる。
「そう。こっちがバスケ専用の体育館というわけ。普通の学校の体育館と違って、観客席まで備わってる。本格的な試合会場仕様の体育館ね。浄善との試合は初めてだけど、ここには何度も来たことがある。大会の試合会場には、よく使われるからね。
 観客席はきっと、大勢の応援の生徒さんで埋まるんでしょうね」
「……そうですね。そうなると思います」
 スポーツ全般に力を入れている浄善女学院だが、インターハイ常連のバスケ部は、そのなかでも花形だ。スタープレイヤー・伊東真希を擁して、バスケ部人気はいま、最高潮に達している。
「こちらが、皆さんの控え室です」
 一室のドアを開けて、お下げの女の子、新垣が言う。
「蔭妻先生はすでにお見えです。コートのほうにいらっしゃいます」
「どうもありがとう」
「それでは、失礼します」
「新垣さん」
 退がろうとする彼女をチカ姉が呼び止めた。
「はい?」
「安部さんは、お元気?」
「はい……元気です。あの、お知り合いなんですか?」
「ちょっとね」

 浄善控え室に、ノックの音が響く。
「失礼します」
 そう言って入ってきたのは、さきほどのお下げ髪の少女、新垣梢枝だった。
「日之出が丘の皆さん、到着されました。控え室にご案内しました」
「ご苦労さま。ありがとね」
 ひときわ背の高い、ロングヘアの少女がねぎらいの言葉をかけた。キャプテン・相羽早織である。
「コズぅ」
「はい?」
 パイプ椅子に腰を掛けた少女が梢枝に声を掛ける。肩にタオルを羽織ったその全身から、汗が吹き出ている。たったいままで、ウォームアップしていたようだ。
「大久保千夏って、髪の長い女いなかった?」
「名前はお伺いしてませんけど、ロングヘアのひとはいました。『安部さんは、お元気?』って、訊かれました」
「そう」
 フッと彼女の口元に笑みが浮かぶ。
「安部先輩、大久保さんという方とは、お知り合いなんですか?」
「ちょっとね」
 今度は、クスリと梢枝が笑った。
「なに?」
「いえ、その方にも、お知り合いかと尋ねたんです。そしたら、同じように『ちょっとね』って、仰ってたものですから」
「別に、勿体つけるような間柄じゃないんだけどさ。あいつとは――」
 その言葉の先は、再度のノックの音で中断された。
「俺や。入るぞ。ええな?」
 女子だけの控え室に、青年の域を過ぎた男性が入室する。
 ――派手。その男の風体を一言で形容するなら、それに尽きる。縦縞入りの上下のスーツ。光沢を帯びたワインレッドのシャツ、エメラルドグリーンのネクタイ。腕にはめたゴールドのリストウォッチまで派手だ。髪は脱色し、赤茶色のレンズの眼鏡(グラス)をかけている。
 浄善女学院はカトリック系の名門お嬢様学校である。その名門お嬢様学校のバスケ部の監督が、こんな見るからにいかがわしい男であるはずがない。知らない者が見たら、誰もがそう思うことだろう。だが現実に、彼はこの浄善女学院バスケ部の監督なのである。
 この男こそ、天島女子大附属・禿哲哉監督と並び称される、女子バスケ界の名伯楽、君津紀晃監督その人であった。

  31

「全員揃ってるな? ミーティングを始める」
 それにキャプテン相羽が、おずおずと口をはさむ。
「それがその……。伊東が、まだ来ていないんですけど……」
「なんやとう!?」
「電話はしてるんですが、連絡がつきません。たぶん、いまこっちに向かっている最中だとは思うんですけど」
「またか! あのドアホがッ」
 君津が声を荒げる。
「しゃーない。ミーティングを始める」
 梢枝は、君津監督がキチンとドアを締め切っていないことに気付き、気になっていた。だが、それを指摘したり、自分で締めに行くのも気が引け、そのままにしていた。だがこれが、とんでもない騒動のきっかけなろうとは、この時はまだ知る由もなかったのだ。

「じゃあ、安部夏陽とチカ姉は、同じ中学でチームメイトだったってわけ?」
「そ。西岡中の夏・夏コンビっていやあ、地区大会ではけっこう知られた存在だったよ。だろ?」
「昔の話だよ」
 リサの言葉に、バッシュの紐を締めながらチカが言葉少なに答える。チカは自分の過去のことは、あまり語りたがらない。
「それじゃ、懐かしのチームメイトに、ちょっくらご挨拶といこうか」
 チカが紐を締め終わるのを見て、リサが口を開く。
「私はいいよ」
「そう言うなって」
 渋るチカを強引に肘を掴んで引っ張り上げる。
「アカネ、ヒカル、モエミ。あんたらも付き合いな」
「こっちから挨拶ぅ?」
 アカネの声は不満そうだ。
「なんか、うちが格下みたいじゃん」
(実際、格下なんだけどね)
 リサはそう思ったが、口には出さなかった。
「試合前にジャブをカマしとくのも、悪くないだろ?」
 アカネを納得させるには、最も効果的なセリフだった。
「だったら、アカネだけは連れていかないほうがいいんじゃないの?」
 チカが言った。事実、その通りだった。

「ええか」
 伊東真希を除くベンチ入りメンバーを前に、監督君津は言葉を続ける。
「勝つんは当たり前や。問題はその勝ち方や。無名とは言え、去年の選抜ではベスト8まで行ってる。この試合は、対天女戦の試金石になる」
「監督、お願いがあります」
 安部が口をはさんだ。
「なんや」
「私を大久保千夏につかせてください」
「伊東をつかせるつもりやったが、間に合うかどうかもわからんしな。そういえば、確か向こうの大久保とは、同じ西岡中の出身やったな」
「はい」
「大久保という選手をどう見る?」
「ムラっ気はありますが――」
 安部は答えた。
「いざという時にはいい仕事をする人でした。いまはどうか判りませんが、無名の弱小校をベスト8まで引っ張った実績は、侮れないと思います」
「よし。大久保は安部にまかす」
「ありがとうございます」
「それから相羽」
「はい」
「斎藤につけ。センターとしては背は低い。ゴール下で仕事をさせるな」
「はい」
「田渕」
「ハイッ」
 小柄なショートヘアの少女が、元気に返事をする。
「お前は秋月や。インサイドへの切り込みとパスワークには定評がある。しかし、全てのスキルでお前が上回ってる。PGマリーの実力を見せたれ」
「見せてやるピョン」
 ドッとメンバー達に笑いがこぼれる。彼女は最近、「ピョン語」に凝っている。この変な少女が、天島でもトップレベルのポイントガード、人呼んでPGマリーこと、田渕真里である。
「須田」
「はい」
「篠塚につけ。一年のシューティングガードや。徹底的に貼り付いて、外角シュートを封じろ」
「はい」
「篠塚しゃん、カワイそ〜」
 愛くるしい顔をした田渕と同じくらい小柄な女の子が、そう口にする。
「メグちゃんの納豆ディフェンス、顔といっしょでネバッこいもんねー」
 その隣の、これまた同じくらい小柄な女の子が付け加える。
「こらあッ、タゴッ、ツゲッ」
 メグちゃんと呼ばれた須田が、チビッ子コンビに怒る。初めの子が多湖亜衣(たい)、二番目の子を柘植(つげ)のぞみという。
「顔は関係ないでしょ。顔は!」
 須田恵(すめぐみ)。ディフェンス職人と言われるほどの、ディフェンスのスペシャリストである。
「残る上田やが……。西澤」
「ウス」
「伊東が間に合わんかったら、お前をスタメンで出す。上田につけ」
「いやっほうッ」
 西澤と呼ばれた、丈高い少年っぽい風貌の少女がガッツポーズをしてハシャぐ。
「いいぞ伊東、遠慮せずに遅れろッ」
「ニシザー」
 そんな西澤に、安部は呼び方こそニックネームだが、怖い眼で睨む。
「すいません」
 首を竦めて謝る。
「同じチームメイトでしょ。そんな風に言わないの」
 キャプテン相羽が、やさしく窘める。
「もう一度言うが」
 君津は安部の申し出によって、マークマンの指示にシフトした話を元に戻した。
「この試合、勝つのは当たり前や。大事なんは、この緒戦の勝ち方や。そこでお前らには、今回、課題を与える。天女と戦うつもりで、いまから言う課題をクリアしろ。その課題は――」
 浄善メンバー達は黙って監督の話に耳を傾けている。だが、これを聴いていたのは、彼女たちだけではなかった。
「ダブルスコアや。倍以上の点差で勝て。それがお前らに課せる、この試合の最低合格ラインや」

 わずかに開いたドアを隔てて、控え室の前の廊下で、秋月リサ以下スタメン5名が、ワナワナと怒りに震えていた。
 試合前の「挨拶」に来た5人ではあったが、扉の隙間から監督の話し声が漏れ聞こえた時点で、さすがに引き返そうと思った。だが、マークマンに話が移って、立ち去れなくなった。
 マークの相手は予想通りであり、それは日之出側のそれと一致していた。ただ一点、伊東真希が不在であるらしいことを除けば。
 だが、そのあとの指示は、5人を激怒させるのに不足はなかった。
(ダブルスコアだあ? 最低合格ラインだあ?)
 こめかみの血圧を増やして、リサが呟く。
(ナメられたもんよねえ、ずいぶんと)
 眼を細め、眉間に皺を寄せてチカが囁く。
(アッタマ来た。ゼッタイ勝ってやる!)
 痛いほど拳を握り締めて、モエミが小声で漏らす。
(………)
 ヒカルは何も言わない。静かに唇を噛み、眼に強い光を湛えている。
 だが、ヒカルはともかく、アカネが何も口にしないのが不気味だ。しかし、怒りに駆られるあまり、周りの4人はそのことに気付くのが遅れた。
(まずい。キレてる!)
 ヒカルが気付いたその瞬間、アカネは拳法の達人が間合いを詰めるように、スーッと前に動き出していた。あっ、と思った4人が止めるいとまも与えず、アカネは振り上げた脚で、わずかに開いた控え室の扉を思い切り蹴り開けた!

続く 32〜34

次回予告
「日之出が丘高校7番、ガードフォワード・上田茜だあッ。ダブルスコアだあ!? 上等コイてくれんじゃねえかッ」
 啖呵を切るアカネに息を呑む浄善の選手たち。だが、そのなかでただひとり、にこやかに手を叩く人物がいた。いいねえ、いいねえ。勝負の世界に生きる者はそうでなくっちゃね。そう口にする彼女の名は、西澤仁美。人気だけなら伊東真希をも凌ぐ、浄善のスタープレイヤー。アカネのマッチアップの相手は、彼女なのか? 伊東真希は間に合うのか? チカと夏陽の因縁も絡んで、騒動はヒートアップ! 次回『強敵』第三幕。期待に違わず、アカネはやってくれるぞ!

戻る

第1稿 2002.06.13
第2稿 2002.07.16
第3稿 2002.11.16
第4稿 2003.01.28
第5稿 2003.08.06