32

 爆発したような音を発して開いた扉から、突如現れた小柄な闖入者に、君津監督を始め全員が一瞬凍りついた。
「……なんや、君は?」
 わずかな沈黙ののち、我に返って君津が尋ねる。
 アカネはジャージの左右の裾を掴み、ガバと開いて己れのユニフォームとそのナンバーを見せつける。
「日之出が丘高校7番、ガードフォワード・上田茜だあッ。ダブルスコアだあ!? 上等コイてくれんじゃねえかッ。ええッ!?」
 君津を含め、誰も言い返す者はいない。いまの話を聴かれたことへの気まずさもあったが、なによりも、火を噴くようなアカネの剣幕に圧されてしまっていた。ひとりを除いて。
 パチ、パチ、パチと、ゆっくりと手を叩く音が響いた。
「いいねえ、いいねえ」
 拍手の主が、にこやかにそう口にする。
「勝負の世界に生きる者は、そうでなくっちゃね」
(む――タカラヅカ)
 一週間前に視たビデオ、新人戦・天女×浄善の試合に映り、アカネが「タカラヅカ」と名付けた少女が、そう言って近付いてきた。ビデオではなく生で見るからか、それとも新人戦から今までの月日がそうさせるのか、眼の前で見る彼女は、より少年ぽいワイルドさと、麗人風の妖しい艶を増し、磨きがかかったように見える。
「ボク、西澤仁美。伊東が試合までに来なかったら、キミとマッチアップするのはボクになるから。よろしく」
 そう言って右手を差し出す。アカネは怒鳴り込んで来たにも拘わらず、西澤の自然な呼吸につられて、つい握手してしまう。
「……伊東はどうしたんだよッ、伊東はあ?」
 不覚、と思ったのか、握手した手を振りほどくようにして言う。
「ちょっと、いつものビョーキが出ちゃってさあ」
 ニヤリと笑みを浮かべて、西澤が言った。
「病気ぃ?」
「寝坊という名の病気」
「寝坊だあ!? 試合当日にか? フザけたヤローだなあッ、伊東ってヤツぁ」
「フザけてるのは、あなたでしょ」
 驚きから立ち直った、安部夏陽が冷ややかに言った。
「どういうつもり? 対戦チームのミーティングを盗み聞きなんて、ずいぶんと立派なスポーツマンシップをお持ちのようだけど。先輩に教わったの?」
「ヘッ」
 嘲けるように口元を歪める。
「よく通る声が廊下まで響いてたぜ。そこの色メガネのオッサンのなあッ」
 親指で横手にいる君津監督を指して言う。
「い、色メガネのオッサン――」
 アカネのオッサン呼ばわりに君津が気色ばむ。
「聞かれてマズい話をするときゃあ、部屋の扉はキッチリ締めとくもんさ。言っとくがノブには触れずにドアは開いたぜ」
「………」
 そう言われて、夏陽は返す言葉が思い浮かばない。
「上田さんが仰ったことは、本当です」
 新垣梢枝がフォローするように言った。
「ドアは確かに、締め切っていませんでした。すみません。気付いてたんですけど、まさか、こんなことになるなんて思わなくて……」
「……なるほど。それは失礼をした」
 眼鏡のフレームを中指で押し上げて、君津が詫びた。
「ドアをちゃんと締めへんかったんは、俺のミスや。そのせいで君の気分を損ねたんなら謝る。申し訳ない」
「発言を訂正・撤回する気はないようですねえ、カントクさん」
「君には悪いが、その気はない」
 君津は毅然と言い放った。
「俺はうちのチームに、それだけの力があると信じてる」
「伊東は間に合わないかもしれないんだろ? そいつを忘れないほうがいいのと違う?」
「勘違いしないでちょうだい」
 アカネの言葉に、夏陽が割り込んだ。
「監督は伊東が出ることを前提に言ったんじゃないわ。ハッキリ言うけど、あなたたち相手に、敢えて伊東が出る必要はないの」
「伊東抜きでもダブルスコアで勝てるってか。ますます上等じゃんか……」
 アカネの顔に不敵な笑みが浮かぶ。その表情を面白そうに西澤が眺めている。
「無名の弱小チームだと思って、あんまりナメてかかると、足下すくわれるぜ」
「うちは対戦するどんなチームも、ナメたりはしないわ」
 夏陽は生真面目な表情で告げた。
「弱小校だと、侮ってもいない。……知った人もいるしね。あなたたちも、そんなとこに突っ立ってないで、入ってきたら?」
 夏陽は開いた扉の向こうで、止めるにも加勢するにもタイミングを外された形で、どうしたものかと立ちつくしている日之出が丘の4人に呼びかけた。夏陽は続けた。
「少なくとも、私はあなたがたを評価しているつもりよ。うちは伊東抜きでもブロック優勝はできる、ということ。どうしても伊東が必要な相手は、県内では天女だけよ」
「………」
 アカネは心中秘かに驚嘆していた。相手が興奮し、更に罵倒を仕掛けてくるなら、返しようはいくらでもあった。アカネはそういうのは、得意中の得意なのだ。だが、落ち着き払ってアカネらを評価していると言い、それでもなお自分たちが上なのだと言外に言い切る、山のような揺るぎない自信に、アカネのファイターとしての本能が、相手をただ者ではないと警告していた。
(この女が、フォワード・安部夏陽……)
「その辺にしときな」
 部屋に入ってきたリサが、アカネに言った。
「いまの言葉が正しいか、正しくないか、試合をすればハッキリする。そうでしょ、安部さん」
「その通りよ」
 夏陽はそう言って、リサといっしょに入室したチカに、ちらと眼を走らせた。二人は互いに眼を合わせたが、何も言わなかった。
「うちのバカの失礼はお詫びするわ」
「いいえ。気にしないで」
 安部が初めて笑みを見せた。
「はみ出し者の後輩たちに手を焼いているのは、うちもいっしょだから」
「『たち』ってなんですか、たちって?」
 西澤が不服そうに口をはさむ。
「それって、ボクも含まれてるってコト?」
 キャハハハハ、と小柄な二人組が嬌声をあげる。
「やーいやーい、ハミ出し者〜」
「ハミ出し者その2〜」
(ロリータちびっ子コンビ……)
「お前らもだよッ」
 新人戦のビデオでアカネがそうアダ名した、多湖と柘植の頭を掴んで、同じぐらい小柄な田渕が、ツッコミを入れる。
「ほんと、うちの二年って、面白いひとばかりで、退屈しませんわ」
(お嬢様……ホントにお嬢様みたいな喋り方するんだな)
「オメーも充分おもしれーよ」
 アカネがお嬢様と名付けた少女――同じ二年の石川 雅(みやび)に向かって、西澤がそう毒づいた。

  33

「秋月リサさん、ね。この決着は試合でつけましょ。それで、恨みっこなしにしましょ」
 夏陽はそう言って、リサに右手を差し出した。
「もちろんよ」
 リサが夏陽のを手を握り返して言う。
「正々堂々と、闘いましょ」
「ヘッ」
 和平交渉のさなかに行われるテロルのように、アカネが吐き捨てる。
「な〜にキャプテン同士で、さわやかに収めてんだよ?」
(んも〜このバカッ。折角ひとがあんたのケツ拭いて、穏便に済ますとこだったのに、このコは!)
「キャプテン、私なんだけど……」
 相羽早織が寂しそうに、自分を指さして言う。
「言っとくがなあ。取り返しも、後戻りも、つかねーし、できないんだよぅ。この――」
 アカネは君津監督を指さした。
「ファッションセンス、最悪のオッサンのせいでなあッ。なんだぁ、その格好は? ルパン三世か、オメーは!」
 田渕と西澤が、同時に口を押さえて後ろを向く。必死に笑いを堪える。普段から同じような感想を抱いていたようだ。
「ダブルスコアで、そいつが最低合格ライン。そんなひとをバカにしたセリフをこっちが耳にした時点で、この試合はもうドロドロの遺恨試合になってるンだよぅッ」
「そう思うのは一向に構わん」
 無表情に君津は言った。
「それだけの実力差があると、俺が考えてるのは事実や。それが間違いやというんなら、試合で証明してみせればいい」
 ファッションセンス最悪と言われて、多少気を悪くしたのか、最後にこう付け加えた。
「できるもんならな」
 アカネはしばらく沈黙した。芝居のセリフの「間」のように。もう、リサは止めなかった。こうなったら、彼女のやりたいようにやらせるまでだ。
「あくまで、チンピラをあしらおうって態度を崩さねえつもりらしーな。だったら、ちっとは本気にさせてやるよ。
 いいか。試合には勝つ。おめーらは当たり前のように自分らが勝つと思ってるだろーが、こっちだってそう思ってるんだよ。試合で決着? ざけんじゃねーよ。間抜けにもミーティングでドアを締め忘れ、そのせいでわたしらを不愉快にさせた発言を訂正も撤回もしないってんなら――」
 アカネは君津を指さした、その人さし指を君津の顔面に近付け――。
「その借りは、この場で返させてもらう」
 ズブリ、とアカネの指が、君津の鼻の穴奥深くまでインサートされた!
(ふが、ふが、ふが――)
 君津の口から、声にならない悲鳴が漏れる。
「ああーッ」
 さすがにこの暴挙に、リサ、チカ、ヒカル、モエミの4人が、慌ててアカネを取り押さえる。
「大丈夫ですか!」
「は、鼻血が……」
 うずくまった君津に、相羽が心配そうにティッシュを差し出す。
「ちょっと、あんた!」
 さすがに激怒した夏陽が、仲間に羽交い締めにされたアカネを睨みつける。
「なんてこと、してくれんの! 非常識にも程があるわよ!」
「これで借りは返した。用は済んだよ」
「……ちょっと額が多過ぎやしない?」
 柳眉を逆立て、夏陽は震えるような声で言った。
「おつりを返したげる!」
 そう言うが早いか、夏陽の平手がアカネの頬に疾った。
「やめてくれる?」
 夏陽の手は、アカネの頬の寸前でその腕を掴まれ、止められていた。
「ほお!」
 西澤が感嘆の声を洩らす。その抜群の反射神経に対してである。
「こんなバカでも、いちおう可愛い後輩なんだから」
「その可愛い後輩に、しつけができていないようね! チカ」
 夏陽は彼女を「チカ」と呼んだ。本名の千夏(ちなつ)をチカと名乗り、そう呼ばせていたのは、中学時代からしていたことなのか? だが、日之出が丘メンバー達が、そのことに思い至ったのは、あとになってからのことである。
「後輩のエースに、試合当日に遅刻されてる先輩に言われたくないんですけど?」
 中学時代のチームメイトにそう言われて、夏陽は肩から力を抜いた。
「相変わらず、口だけは私より達者のようね。お久しぶり」
「どうも」
「もっと気持ちよく再会したかったのに、私たちって寄ると触ると喧嘩する、運命の巡り合わせみたいね」
「そうみたいね」
 そう言った、チカの頬が鳴った。完全に虚をついた夏陽の平手が、今度はヒットした。
「旧友のよしみで、あなたの可愛い後輩は見逃してあげる。おつりはあなたに返しとくわ。これで貸し借りなし。文句ないでしょ?」
 チカが眼を剥いて深く息を吸い込む。止めなければ! とリサは思った。ここでチカまでキレたら、収拾がつかなくなる。チカは実戦のケンカで、関節技(サブミッション)を使う女なのだ!
 その時だった。
「すいませーん。遅れまして〜」
 一触即発のキナ臭いムードは、その間延びした声によって水を差された。
「……あれ?」
 眼前には、いまにも掴み合いの喧嘩を始めそうな安部夏陽と、おそらくは対戦相手の日之出が丘のメンバーであろう見知らぬ女たち。そして床にはティッシュで鼻を押さえた君津監督が仰向けに寝転がり、それを相羽キャプテンと須田、石川、一年たちが心配そうに見つめている。
 理解を超えた光景に、伊東真希の表情は、半笑いのまま凍りついた。
 そして、そんな絶妙の間の悪さで登場した伊東真希を見つめる部屋の全員も、石になっていた。
 初夏の控え室に、ヒュ〜ッと木枯らしが吹いたような気がした。

  34

 憤懣やるかたないのは、チカであった。
「あ〜もう、くそッ、伊東があんなタイミングで現れなきゃ、夏陽のヤツをフロントネックロックに掛けてやれたものを〜ッ」
「そんなことされたら、下手すりゃ暴力事件だよ」
 やれやれ、と言いたげにリサが口にする。
「だいたい、あんたのせいよ!」
 チカは鬱憤の矛先をアカネに向ける。
「なんで私が、あんたの代わりにブたれなきゃなんないわけ? 父親にだって殴られたことのない、このやわらかマシュマロほっぺを! ああもう、助けたりするんじゃなかった。アカネ、黙って私の言うことを聞いて、そこに前屈みになりなさい。憂さ晴らしに卍固めにするから!」
「やだよぉ。わたしに当たんないでよ。逆恨みだよ、それ」
 アカネはそう言って、後ずさる。
「なにが逆恨みよ」
 チカは言った。
「あんなムチャクチャしでかしてくれちゃって! あんたってコは……。前からバカだと思ってたけど、ここまでとは思わなかったわよ!」
「ヘッヘー。どうだい、おめーら」
 アカネは小さくなるどころか、胸をそびやかし、鬼のような笑みを浮かべた。
「これで勝つしかなくなったぜ」
「どっかで見たシーン」
 ヒカルがボソッと呟く。
「あんたねー」
 チカが呆れたように言い返す。
「そんな簡単に言える相手じゃないでしょ? 浄善にだって、火ィつけちゃうしさ。ああなったら、意地でもダブルスコア取りにくるよ、あいつら」
「望むところだいッ」
 啖呵を切るように、アカネは叫んだ。
「だいたい、その格下意識が情けねーんだよッ。この試合をいい思い出に、引退するつもりかよ? あんなナメた口叩かれて、悔しくないのかよ? あんなうちを見下げた連中と爽やかに握手かわして、胸を借りて『健闘』すれば満足かよ? そうじゃねーだろ! 勝つんだろ? 勝って決勝リーグに行くんだろ? だったら、なにを狼狽える必要がある。てめーの言ったことやったことの正しさを、証明してやるまでだ!
 いいか。勝負ってのはなあ、オール・オア・ナッシング、デッド・オア・アライブだ! 勝った者が全てを手にし、負けた者は全てを失うんだ。その瀬戸際の必死さが、勝ち目を呼ぶんだよ。負けて恥かかないような保険かけて、勝てる試合も勝てやしないんだよおッ」
 ガツン、とリサの拳が、アカネの頭頂に火花を散らした。
「痛ったあああ」
 アカネがうずくまって泣き声をあげる。
「可愛い後輩じゃなかったの? ああ言って助けてくれたときは、すっげえ嬉しかったのに」
「私とリサはいいの」
 チカは言った。
「よその連中に手を出されるのが赦せないだけ」
(なんか、うちの姉ちゃんたちと、おんなじこと言ってるなー)
「生意気なんだよ、お前は」
 リサがアカネを見下ろして言う。
「思い上がんじゃねーよ。はらわた煮えくり返ってんのは、みんなおんなじなんだよ。悔しくないかだと? 悔しくないかどうか、ヒカルに訊いてみろ!
 胸を借りるだと? 誰に言ってるんだい? 言っとくがなあ、あの天羽にだって、胸なんか借りる気はねーよ! 誰に言ってるんだい? え? 私を誰だと思ってるんだよ」
「………」
「私は、秋月リサさんだよ!」
 自分の胸を親指で差し、リサは言い放った。アカネをして師匠と畏怖させた、リサのカリスマ性が、久々に解き放たれた瞬間だった。
「私らがあんたと違って、耐え難きを耐え、抑え難きを抑えているのはねえ、あんたに決定的に欠けてるものを私らは持ってるからだよ。それがなんかわかる?」
 リサは問うた。アカネは答えられない。
「わかんないなら、教えてあげる。それはね、自制心と分別だよ」
「言えてる」
 チカが同意する。
「あんたももうガキじゃないんだから、いい加減そいつを身につけな。心配で心配で、引退もできゃしねーよ」
 そう言われては、アカネは一言もない。
「――以上が、日之出が丘女子バスケ部キャプテンとしての、公式の発言」
 腰に手を当てて、厳かにそう告げる。
「そして、ここからは、秋月リサ個人の、非公式な発言」
 そう言うと、うずくまるアカネの隣りにしゃがんで、首に腕を回す。
「よくやったよ。お前って、ホンットとんでもねーやつだな。羨ましいよ、その性格。代わってもらいたいぐらいだよ。アカネに指ブチ込まれた時の、アイツの顔ったらよ。あれ見たら、スーッとしたよ」
 その時の君津の顔を思い出して、大笑いする。
「あとな、控え室に帰る前に、お前ソッコーで手ェ洗いに行けよ。汚えハナクソのついた指で触んじゃねーぞ」
「ったく」
 ため息混じりに、チカがこぼす。
「なんだかんだ言って、結局あんたら師弟コンビじゃん」
 ヒカルとモエミが笑顔で眼を合わせる。日之出が丘女子バスケ部の、いつもの姿がそこにあった。

続く 35〜38

次回予告
「上田、茜さんでしょ? あなたには、会いたかった」
 伊東真希はアカネのことを知っていた!? 伊東とアカネ、二人のエースがついに相まみえる! 次回『強敵』第四幕。夏陽「なんで、予告がこうなっちゃうの? どうして? 次のパートの主役は私でしょ!?」 ……そうなんですけどね。

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第4稿 2003.01.28