39

 その大歓声は、日之出が丘の控え室にも、はっきりと届いた。
「すごい……。地鳴りみたい……」
 茫然とモエミが呟いた。
「こんなところで、やるんだ……。私たち」
「なーに震えてんだよッ、モエミぃ」
 アカネがモエミのヒップをムギュッと鷲掴みにする。キャッと悲鳴を上げさせる。
「なにするんですかッ、こんなときに。武者震いですよッ」
「ひとつ、言っておく」
 後輩の悪ふざけに取り合わず、リサは口火を切った。全員の眼が、リサに注がれる。
「さっきも言ったけど、この試合、胸を借りるつもりは、さらさらない」
 ひと呼吸おいて、全員を見渡し、言い放った。
「――勝ちにいく」

「トーゼンでしょう!」
 肩の高さに拳を握って、力強くモエミが同意する。
「あらたまって、何を言うかと思えば」
 チカが口を挟んだ。
「当ッたり前じゃん。ちょっと強いからって、ダブルスコアなんて調子こいてくれちゃってさ。勝って吠え面かかせてやんなきゃ、腹の虫がおさまんないよ!」

「大丈夫。勝てますよ」
 静かに、ヒカルも付け加えた。
「去年、うちはベスト8まで行きました。三年生が一人、二年が二人、一年がアカネと私の二人だけの、たった五人のオンボロチームでした。それでも、ベスト8まで行きました。そのメンバーが、四人も残っているんです。あの頃より、もっと強く、もっと逞しくなって。そして今年、とっておきの長距離砲が、仲間に加わりました」
 ヒカルはモエミの肩に手を置いた。
「私、自信を持って言い切れます。勝ち目はあります。私たちは、強い!」
 おとなしいヒカルが発した、自信に裏打ちされた気負わない言葉は、強がってはいても不安に揺れていた選手達の心に染みわたり、勇気を与えた。

「けっこう言うじゃん。ヒカルも」
 アカネが冷やかすように言う。肘でヒカルのわきを小突く。
「まかして」
 ニッコリ笑みを浮かべて、ヒカルが言い返す。
「な、わかったろ」
 リサがアカネに言った。
「こういうヤツらなんだよ。お前がギャーギャー騒がなくてもな。頼もしいチームメイトだろーが」
「――うん!」

「じゃ、ここで一発やっちゃおっか」
 リサが掌を下にして、右手を出す。その手の甲にチカが右手を重ね、アカネ、ヒカル、モエミが続く。
「コラ、控えメンバー。おめーらもだよ」
 遠慮がちに周りで加わらずに見ていた一年生に向かって、アカネは言った。
 面を輝かせて一年生たちが、円陣に加わる。
「大変なデビュー戦になったけど、頼りにしてるからね。長距離砲! いつも通りやってくれればいい。いつも通りやれば、入るんだから」
「ハイ」
 リサの言葉に、顔を紅潮させたモエミが応えた。
「あの大応援団、ガッカリさせてやったら、気分いいだろうね」
 チカが言った。コートの歓声はなおも、間断なく控え室に届いていた。
「チカ。うちらが三年間やってきたこと、あいつら相手に試そう。それが正しかったんだってこと、あいつらに勝って、証明しよう」
 リサの言葉に、チカは黙って頷いてみせた。
「やつらに勝てれば、全国が見える!」
(!)
「この試合は、決勝戦だ!」
「行こうよ、インターハイに。あいつらブッ倒して!」
 アカネの言葉を最後に、沈黙が支配する。コートの歓声だけが、遠雷のように控え室に響いている。合図の言葉は、必要なかった。リサの発する一声だけを、円陣を組む戦士たちはただ待っていた。
「日之出ェェェェェェェェェェッ――」
 裂帛の気合いを込めたリサのコールが、ビリビリと控え室を振るわせる。
「ファイッ」
「オゥゥゥシッ」

 控え室を出た日之出が丘の選手たちが、コートへと向かう。リサは最後尾から、前をゆくチームメイトに向かって檄を飛ばす。
「いい? 高さでは、勝ち目はない。走って走って、走りまくるからね。死に物狂いで行くよ!」

  40

「高さで劣るあいつらは、序盤、必ず走り合いを挑んでくる」
 ……鼻にモノを詰めた顔というのは、何故こうも滑稽なのだろう。
「受けて立て! 走り合い、点の取り合いなら、うちは絶対に負けんということを見せつけたれ!」
 特に、真面目な局面であればあるほど、その滑稽味はいや増す。
 鼻血のため、鼻孔にティッシュを詰めた君津監督の前で、選手全員が笑いを堪えるのに苦悶していた。伊東は言うに及ばず、真面目な安部夏陽でさえ、小鼻を膨らませ、肩を振るわせていた。
 メンバー中、一番のゲラの田渕真里が最初に陥落した。床にヘタり込み、「もおダメぇ、カンベンしてぇ」、そう言いながら、お腹を抱えて笑い転げる。それが爆笑解禁の合図であるかのように、全員が笑いの衝動を一気に解放した。
「笑うなッ、しゃーないやろッ」
 不機嫌な面持ちで、君津は怒声を上げる。
(くっそ〜、あンのガキゃ〜)
 あらためてアカネへの恨みをつのらせる、そんな監督の憤懣をおちょくるかのように、胸で掌を組んだ伊東が、乙女ちックな口調でこんなことを言った。
「ああ、哀れ、君津カントクの、“鼻のバージン”が……」
 ギャハハハハ、と更に笑いの底なしに沼に引きずり込む。
「やめて〜ッ、苦しい〜ッ、お腹痛い〜ッ」
 床をのたうち、ヒクヒクとケイレンしながら、田渕が悲鳴をあげる。
「ええ加減にせえッ。試合前やぞ! もうええ、さっさとコート行って、練習してこいッ」
「さ、真里、行くよ。いつもまでもウケてないで」
 そう言いながら、自分も目尻の涙をぬぐいながら、まだ笑いの発作が治まらない田渕に向かって、相羽が言った。
「は、鼻のバージン……」
 自ら反芻しては、また笑いの衝動に襲われる。田渕には、お気に入りのフレーズになったようである。
「ほら、あいつらもお出ましだよ。監督の大事なものを奪った連中がね」
「お願い、サオリンやめて。止まんなくなっちゃうから」

 四方を取り囲む、濃紺の制服の大軍団を目の当たりにして、日の出が丘の選手たちは、あたらめてその威圧感に圧倒された。
「ほんっっっとに浄善の生徒ばっかだなー。まさにアウェー」
 うんざりしたようにアカネが呟く。観客席はどこもかしこも、浄善女学院のオーソドックスな制服に身を包んだ、生徒ばかりである。一角だけ服装が違うジャージの一団は、ベンチ入りできないバスケ部員たちであった。あと、毛色が違うところでは、チアリーディングのチームが、きらびやかな衣装とポンポンを手に、早々とアクロバティックなダンスを披露している。しかし、いずれも浄善の応援であることに変わりはない。
「うちの応援はなし、か。……わかってたけどさー」
「そうでもないよ。ホラ見て、後ろ」
 ヒカルにそう言われて、アカネは後ろを振り向いた。
(ゲッ)
「わーッ、すっごーいッ」
「うわッ、恥ずかしッ」
 モエミとチカが、それぞれ正反対の反応を見せる。
 日の出が丘ベンチの真後ろに当たる客席で、アカネに向かって手を振る博がいた。客席のへりに、横断幕を下げている。「がんばれ! 日之出が丘の小さなエース」と肉筆で書かれている。
「いいなー、人気者は。うらやましいよ」
 ニコニコ笑いながら、リサがアカネの肩を叩く。だが、その笑いは、明らかに面白がっていた。
「……『小さな』は余計だっつってるだろーが!」
 恥ずかしさのあまり、少し顔を赤らめて、そう吐き捨てる。
「ビンボ臭い横断幕作ってきやがって。かえって恥ずかしいじゃねーか! なんだあの継ぎ接ぎだらけの布は? 布団のシーツじゃねーのか?」
 その通りであった。
「しかも、なんだあのミミズがのたくった字は? バクダン先生か、おめーは?」
 個性的な字を書く高名な書家の名を引き合いに酷評する。
「がんばれじゃねーよ! おめーががんばれよ! 言われなくても、わたしはがんばってるんだよ。おめーよりはな!」
「頑張って、作ってきたんだから」
 そんな冷たいこと言ってないで、とヒカルが窘める。
「だいたい怪しいんだよ。あいつの発想じゃねー。ヒカルぅ、お前なんか入れ知恵したんとちゃうか?」
「……まさか」
 内心タラリと冷や汗を流して、ヒカルが否定する。
(こういうとこ、妙に鋭いのよねー)
「もうほら、照れてないで。合図してあげなよ」
 内心の動揺などおくびにも出さず、ヒカルがアカネを促す。
「照れてるわけじゃねーやい」
 そう言いながらも、アカネは博に向かって、拳を突き出してみせた。それを見た博の面が輝くのが、遠目にもはっきりと判った。
(バカヤローが。やることが恥ずかしいんだよ。……ちょっぴり、カンドーしちゃったじゃねーか)
(ほんとに作ってきたんだね。凄いよ、博君。私の、思った通りのひと。ひたむきで、一途で……。アカネが羨ましい)
 そんな二人の想いをよそに、モエミが不審の声を上げる。
「貴城さんがいる……」
「ああ!?」
「ほら、ボ……長谷川さんの、右斜め後ろ」
 博の後方、客席の最上段に、壁に背を預ける貴城の姿があった。
「長谷川の付き添い、ってワケじゃなさそーだな。まさかな」
「私たちの応援?」
「なわけねーだろ、あの男が。やっぱり、アイツは女子バスマニアだったんだよ。それ以外に考えられねー。……そうか、わかったぞ。アイツ、伊東真希のファンなんだよ。それで、わたしたちへの協力を拒否したんだ! そうに決まってる」
 アカネの決め付けにも賛成はしかねたが、自分たちの応援に来てくれたとは、ヒカルにも思えなかった。疑問は残ったが、頭から締め出した。これから、大変な一戦が始まるのだ。余計な雑念を振り払って、すでにチームメイトがシュート練習を始めているコートに向かう。

  41

「いらっしゃいませ」
 カラン、と軽やかな鈴の音を鳴らして、ケーキ屋「彩紋」の扉が開かれた。
「こんにちわ」
 入ってきたのは、リピーターの母娘連れだった。
「いつも、ありがとうございます」
「この子ったら、ここのケーキ食べてから、よそのはイヤだって。もう一人前に舌が肥えちゃって」
 苦笑い気味に母親が言う。
「そう言っていただけると、嬉しいです。ありがとうね。うちのケーキ好き?」
 長沢祐子は幼い女の子に問いかけた。
「オバチャンのケーキ、大好き!」
 女の子は無邪気にそう答える。
(オ、オバチャン……)
「お姉さんでしょ! この子ったら、すみません、失礼なこと言っちゃって」
「いいええ。実際オバチャンですから」
 そう言いながら、少し傷ついていた、長沢祐子・二十八歳であった。

「こちらで、バースデーケーキは作ってもらえるのかしら?」
 会計を済ませ、ケーキを受け取った母親が尋ねた。
「はい、承ってます。一週間前までに言っていただければ」
「そう。まだもう少し先なんだけど、お願いさせてもらおうかしら」
「ありがとうございます。早めにご注文いただく分には構いませんで。……そういえば、お嬢ちゃんのお名前、まだお伺いしてなかったですね。お名前、なんていうの?」
「マキ」
「マキちゃんか。じゃあ、マキちゃんのために、オバチャンが美味しいバースデーケーキ作ってあげるから」
「うん!」

「ありがとうございました」
 かわいい紅葉のような手を振る女の子に手を振り返す。手をつないで店を出てゆく母娘を見送りながら、祐子は彼女のことを思い出していた。
 今日この日に、マキという女の子のバースデーケーキの注文を受ける。それは何か、不思議な符合を感じずにはいられなかった。
 彼女が彼女であることを知ったのも、バースデーケーキがきっかけだったからだ。


「ここって、バースデーケーキ、作ってもらえるんですか?」
 書き入れ時のクリスマスを控えた師走の初め、すでに常連だった女子高生の彼女はそう尋ねた。
「作ってあげるわよ。一週間前までに言ってもらえればね」
「ひと月先なんだけど、いまお願いしちゃおうかなー」
「いいわよ。早めに言ってもらう分には。そういえば、まだ名前は聞いてなかったわね」
「伊東真希って言います」
(イトウマキ……?)
 その名前には、覚えがあった。
「伊東温泉の伊東に、真実の真、希望の希。伊東真希です」
 字も自分の記憶と一致していた。
「……あなた、ひょっとして、バスケやってない?」
「ええーッ、知ってるんですか、ワタシのこと!?」
「天島でバスケに関心がある人で、本年度新人王、浄善のスーパールーキー・伊東真希の名前を知らない人はいないわ。そう。あなたが、伊東真希さん……」
「嬉しいなあ、感激です。大好きなケーキ屋さんが、ワタシのこと知っててくれたなんて! でも、ワタシ、まだそんなに有名じゃないですよ。インハイも、ウインターカップも負けちゃったし。ワタシのこと知ってるなんて、お姉さん、相当なバスケ通ですよ」
 ――まだそんなに有名じゃない。その言葉には、近い将来は有名になるのだという、自信と意志が感じられた。
「そりゃあ、自分がもといたクラブの後輩に、ものすごい逸材が現れれば、無関心ではいられないじゃない?」
 祐子は、悪戯っぽくそう言った。
「……え? えーッ!?」
 彼女は、祐子の口にした言葉の意味を咄嗟に認識しかねるようだった。
「挨拶がないぞ。後輩!」
 ニヤリと笑みを浮かべてそう言うと、祐子はショーケース越しに右手を差し出す。掌を下に。
「がんばっていきまァァァァァァァッ」
「ショォォォォォォォイッ」
 彼女は反射的に右手を重ね、ショイの部分を唱和した。
「これの創始者、私」
 クスクスと笑って、祐子は言った。
「まだ、受け継がれてるみたいね」
「うそーッ、すごーいッ。ワタシ、みんなに自慢しちゃいます。『がんばっていきまっしょい』を始めた大先輩に会ったって!」
「君津監督は、お元気?」
「元気です。イヤんなるくらい。いっつも怒られてます。
 ……先輩、お願いがあります」
 ピシリと気を付けの姿勢をして、彼女は言った。
「なに? あらたまって」
「今度、新人戦があるんです。次は、絶対勝ちます! そしたら、みんなを連れてきます。ここで、祝勝会をさせてください」
「もちろん、大歓迎よ。後輩特別割引にしてあげる」
「やったーッ、約束ですよ? ワタシ、必ず勝ちますから!」

続く 42〜43
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