47

 主審の笛が鳴った。
「ディフェンス、白8番ッ」
 伊東のブロックが、ファウルを取られた。
「あ痛〜」
 顔を顰めて手を上げる。
「当ッたり前でしょうが」
 安部が呆れ顔で呟く。
「格闘技じゃないんだから」

「大丈夫か?」
 アカネがヒカルに手を貸す。
「うん。平気」
「ヤロ〜、スタメン最長身のヒカルを掴まえて『チビちゃん』だとぉ」
「………」
(そんなことより――)
 リサの感慨は、別にあった。
(相羽との力比べで凌いだヒカルを、あっさり叩き落としやがった……)
(スピードでアカネを上回り)
(パワーでヒカルを圧倒する)
(伊東真希、やはりとんでもない“怪物”ね)

「ツーショット」
 ヒカルに二本のフリースローが与えられる。
「気にすんな。落ち着いていけ」
 リサがヒカルに声を掛ける。
「はい。この二本、必ず獲りますから」
「頼んだぜ」
 ヒカルの表情は穏やかだ。だが、リサにはわかっていた。リサだけではない。アカネも、チカも、モエミにも、ヒカルと苦楽をともにした仲間には、痛いほど。
 斉藤 光。個性派揃いの日之出が丘スタメンにあって、最も情緒の安定した女、と言われる。だが、その落ち着いた物腰とは裏腹な、強い負けじ魂を仲間達は知っている。だから、わかる。ヒカルの裡なる闘志がいま、キラウエア火山のマグマのように燃えていることを。

 慎重なショットで、ヒカルは一本目のスローを入れた。
 フリースローラインの手前、数度ボールをバウンドさせ、ヒカルはボールを構えた。深く息を吐き出し、呼吸を調える。
(絶対に、決める!)
 ヒカルがショットを放つ。フリースローレーンの各者が、一斉にスクリーンアウトの体勢に入るなか、ヒカルの放ったボールが一旦ボードに当たって、ネットをくぐった。ヒカルが、フリースローを二本とも決めた。
「同じ2点!」
 笑みを浮かべ、Vサインのように二本の指を、伊東の眼前に突き出してみせる。伊東の表情が、さっと気色ばむ。
(やるな、ヒカルも)
 さすがのリサも、そこまでするとは思わず、その大胆な行動に感心する。
(あー、いいなあいいなあ、わたしもやりてーなー。先を越されたよ、チクショウ!)
 伊東に煮え湯を飲まされたアカネが、親友の鮮やかな意趣返しに、悔しさと羨ましさで歯がみする。
(んなろ〜ッ)
 おとなしそうな雰囲気のヒカルにそうされた意外感も手伝って、伊東の頭に血が上る。
 伊東真希と斎藤 光。一年後の国体ではゴールデンコンビと呼ばれ、やがて、終生のライバルとなる二人の、これがファースト・コンタクトだった。

  48

「ナイスファイト!」
 相羽は敢えて伊東にそう言った。
「でも、ファウル気を付けて。叩き落とすのは、ボールだけにして」
「……はい。すいません」
 急上昇した血で熱くなった伊東の頭が、クールダウンする。
 さすがだ、と安部は思う。相羽のこうしたチームメイトの操縦術がである。自分ならこういう時、責める言葉しか浮かばない。見習わなければ、と思うのだが、伊東に関してはムリだと諦めている。
(あのコ見てると、無性にカ〜ッとなっちゃうのよねえ)

 須田が、スローイン。
 田渕に向けたそのボールを、チカがカットした!
(あっ!)
 奪ったボールを間髪入れずにショート。チカの放ったボールがリングをくぐる。
「しゃあッ」
 チカが片腕でガッツポーズを決める。
「ナイッス、チカ姉ッ」
 アカネがチカの背をどやしつける。
「おう!」

「ごめん……」
 須田が集まったチームメイトに詫びる。
「気にしない、気にしない!」
 田渕がにこやかに励ます。
「あいつ、ああいうとこ目敏いから、気を付けて」
「うん。わかった」
 安部は須田にアドバイスを与えながら、アカネの口にした呼び名をリピートしていた。
(……チカ姉?)

 ここまでの試合経過時間、3分。得点、2対6。日之出が丘、4点のリード。
 浄善の生徒で埋め尽くされた観客席が、ザワザワとざわめき始めた。
(どうなってるの? 日之出が丘って、強いの?)
(選抜ベスト8だって)
(苦戦、するのかな?)
(まさか。まだ2ゴール差じゃん。たまたまよ、たまたま!)
 不安と、こんなはずじゃない、という想いが、応援の観衆の心をひとつにした。
〈浄善!〉
〈浄善!〉
〈浄善!〉
 コールのあとに手拍子を入れる、おなじみの浄善コールが早くも四方の観客席から体育館を轟かす。
(さっそく来やがったか)
 それに負けじと、リサが声を張り上げる。
「さあ、突き離すぞ! 気合い入れろよ、おめーらッ」
「おうッ」
「みんな、あせんなくていいピョンよ。じっくり取り返そう!」
 田渕の声に不安はない。その表情には、骨のある相手と当たった、歓びすら伺える。
 その田渕に、チラリ、チラリと安部が視線を送ってくる。
(わかってるよ、アベっち。そんなボールくれくれ光線(ビーム)出さなくたって)
 リサのディフェンスをかわし、バウンスパスを出す。
 コートにバウンドしたボールが、この試合、初めて安部の手に渡った。マークのチカを背にして。
 中学時代は夏・夏コンビと呼ばれ、勇名を馳せた元チームメイトでありながら、妙に険悪なムード漂う二人の、因縁の1オン1対決が幕を開けた。

  49

 数秒前に遡る。
 パスを受けた直後、安部は田渕にアイコンタクトを送った。
(オッケイ)
 田渕も眼で合図し、わかったことを伝えた。ごく普通に、フロントコートへと進む。

(右か――)
(左か――)
 腰を落とし、背を向けた安部の素早いターンに備える。
 安部はチラと背後のチカを視界の隅で捕らえる。くっつかんばかりに、当たってきている。パスも抜かせもさせない。その強い意志が伝わってくる。
(いいディフェンスね。でも、これが止められる?)
 安部の両腕が、自らの股間をくぐる。放ったボールが、ちょうどチカの両足の間のコートを撃つ。
(――!)
 チカの股を抜いたボールを走り込んだ田渕がキャッチ。ゴール下の相羽に、高いパス。
 頭上で受け取ったボールをジャンプショート。ヒカルも懸命に跳ぶが、届かない。相羽が、チーム二本目のゴールを決めた。4対6。

 大歓声が、体育館を沸かせた。一回戦の、それも序盤とは思えないほどの。先制ゴールと連続ポイントが、それだけの不安感を与えていたという証明だった。
「下ッ品なワザ!」
 苦々しげに、チカが安部に毒づく。
「そんなに私と勝負したくない?」
 涼しい顔で安部が答えた。
「そんなに恥をかきたい?」

 ボールを運ぶリサに向けて、チカは背中の腰のあたりに回した掌をクイクイと手前に動かした。
 それを見たリサが、口元を笑みで歪める。
(ボール寄越せってか。おめーら、つくづくライバルなんだな)
(ま、顔も張られてるし、やられっぱなしってのはよくねーよな。……そらよ)
 視線をモエミに向け、眼のフェイクを入れつつ、チカにパスする。ボールを手にしたチカと安部が対峙する。

「あんた、まだチカって名乗ってんの?」
 ドリブルを始めたチカに向かって、安部がトラッシュトークを仕掛けた。
「義理堅いというかなんというか。ひょっとして、私に勝ったら、本名に戻そうなんて思ってる?」
「………」
 チカがうんざりしたような表情を浮かべた。
「後輩にエースの座を取られても、その自惚れは矯正できなかったみたいね。元エースさん」
(この……)
 今度は安部の顔が険しくなる。
 動揺の隙を突くように、右へ抜きにかかる。
 だが安部も俊敏に動き、突破を許さない。
(なら、こいつはどうよ)
 右手でドリブルするボールが、自らの脚の間をくぐる。レッグスルー。
「元エースは――」
 ドリブルを左にチェンジして逆から突破――。だが、その動きも安部は読んでいた。
「あんたもでしょ!」
 チカの左手に届く前に、安部がボールを叩いた。
(チイッ)
 安部がボールを奪ってゴールへ疾る。チカが追いすがる。
 安部のランニングシュートに合わせて、チカも跳ぶ。
(撃たすかよ)
 チカが安部のリングに向けた手に持つボールを叩く。ボールはボードに当たって、コートに転がる。シュートは阻まれた。だが、このプレイに笛が鳴った。
「ディフェンス、赤5番ッ」
(くそっ)
 チカにファウルが与えられた。

 安部は落ち着いて、フリースローを二本決めた。6対6の同点に追いつく。

 その後も、日之出が丘のシュートのリバウンドを制した相羽から安部へと繋いだボールを田渕がゴール。伊東がスティールでボールを奪い、これを須田が決めて、10対6へとその差を広げた。
 リサがベンチに指示を送る。下に向けた手のひらに、もう一方の手を垂直に当てて、「T」の字を作る。スコアブックをつけていた一年が頷き、テーブル・オフィシャルズに向かい、何事かを告げる。

  50

 モエミがリサにスローイン――するかに見せて、フロントコートにロングパスを投じた。
「あらよッ」
 アカネにボールが届く寸前、伊東がボールに飛びついてインターセプトした。
「お返しッ」
 ゲーム開始時の速攻を阻まれたお返しだと告げざま、ドリブルでダッシュする。
「くそッ、戻れッ」
 アカネが猛然と追う。並ぶ。抜く。前に回り込む。アカネが、伊東を止めた。

「けっ」
 それを見ていたベンチの西澤が、忌々しげに吐き捨てる。
「あいつ、遊んでやがる」

「肩で息してるよ、アカネちゃん」
 息ひとつ切らさず、伊東が言った。
「……うっせーよ」
 そう言い返すのにも、息も絶え絶えになるのが悔しい。
(この野郎。ナメやがって。わかってるんだよ、おめーが本気で走ってねえってことはな。抜いて恥かかせてやろうってか。上等じゃねーか)
 だが、アカネにも、伊東の敏捷さは骨身に染みている。
(くっついたら抜かれる。少し距離を取るか……)
 アカネが一歩下がった瞬間。
 ニヤリ、と口元に笑みを浮かべて、伊東が片足を下げた。伊東の両足の前に、スリーポイントラインがあった。
(あっ)
 ハッとするアカネを尻目に、伊東が悠々とジャンプショットを放つ。高く綺麗な弧を描いたボールが、ネットを揺らしてリングをくぐった。
 ――3ポイント。13対6。開始6分。早くも浄善が、日之出が丘に倍の点差をつけた。

「チャージド・タイムアウトッ。日之出が丘」

続く 51〜54

次回予告
「死に物狂いで伊東を止めろ。あんたに止められなきゃ、誰もあいつを止められねえ」
 チカは真剣な面持ちでアカネに告げた。それは気位の高いチカが、アカネが自分を超えるプレイヤーなのだと、はっきり認めた瞬間でもあった。
「点は、私が獲る! マンツーで一番が分があるのは、私だ!」
 チカの瞳が熱く燃える。チカは安部との局地戦を制し、望みをつなぐことができるのか。次回『強敵』第九幕、「技の通販カタログ」と呼ばれた(呼ぶな!)チカのテクが火を噴く!?

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第1稿 2002.09.07
第2稿 2003.01.28