51

〈イ・ト・ウ!〉
〈イ・ト・ウ!〉
〈イ・ト・ウ!〉
〈イ・ト・ウ!〉
 伊東コールが場内を埋め尽くす。その光景は、この試合会場が敵の本拠地なのだということを、改めて日之出が丘メンバー達に思い知らさずにはおかなかった。
 伊東はこの大声援に応えるように手を振っていたが、次第に調子に乗り、マッチョマンぽいガッツポーズまで見せ始めるに及んで、後ろから近づいた安部夏陽に手のひらで後頭部をはたかれた。
 ドッ、と観客席から笑いが巻き起こる。イタイイタイと悲鳴をあげる伊東の耳をつまんで、安部がベンチへと引っ張ってゆく。応援の観客達が大ウケで拍手を送る。伊東と安部のこうした掛け合いは、すでにファンにはお馴染みである。

「どや。日之出が丘というチームは」
 ベンチに腰を下ろした選手達を前に、君津監督は誰にともなく訊いた。倍以上のリードを得て、鼻にティッシュを詰めた表情もご機嫌だ。
「フロックじゃないですね、選抜ベスト8は。骨がありますよ。ゴール下では特に」
 スポーツドリンクを摂っていた鉤状のストローから口を離して、相羽早織が答えた。ゴール下では、ヒカルに立て続けにリバウンドを獲られている。
「そうやな。……斎藤 光。ポジション取りが抜群に巧い。パワーもある。ジャンプ力もな。惜しいな。あれでもう少し背があればな」
「………」
「相手は15センチも低い。これ以上はやられるな。あんなザマを大木ゆかりや神宮麗那(しんぐうれいな)に見られたら、笑われるぞ」
「はい!」
 厳しい顔つきで相羽が答えた。同じセンターのライバルの名を聞いて、温和な彼女の心に火が点った。大木ゆかりは公立校唯一の強豪、白虎四高の擁する、天島最長身・189センチを誇る二年生であり、神宮麗那は天女の三年、身長ではほぼ互角だが、巧さに秀でたプレイヤーである。

 一方。こちらは日之出が丘のベンチ。
「あのヤロー。スリーもあんのか……」
 もたれかかるように深くベンチに腰掛け、アカネがそう呟く。後ろで一年のひとり、試合中スコアブックをつけていた女の子が、団扇をあおぎ風を送っている。丸いメガネとアカネ以上に小柄な体躯が印象的だ。名を染井佳乃(そめよしの)という。この親の顔が見たくなる名前にまつわるエピソードもあるのだが、いまは先を急ぐ。
「当然でしょ。相手を誰だと思ってんの」
 冷やした濡れタオルで顔を拭いながらチカが言った。
「リサ。アカネにボールはやらないで。かなりの確率で、あいつに獲られる」
「そんなあッ、チカ姉、ひどーいッ」
「別にあんたを見下してるわけじゃない。あいつにかかりゃあ、私だってやられるよ。あいつはわね、間違いなく日本でもトップクラスのプレイヤーだよ。それほどの相手なんだよ、伊東真希って女はね」
「………」
「いい、アカネ」
 珍しく真剣な面持ちで、アカネを見据えて告げる。
「ディフェンスになったら、死に物狂いで伊東を止めろ。あんたに止められなきゃ、誰もあいつを止められねえ」
「チカ姉……」
(こいつ、とうとう認めやがった)
 チカの言葉に、リサは内心目を見張っていた。それは気位が高く、本心はどうあれ、口では決してアカネをエースだと認めなかったチカが、本人の前でアカネが自分より上のプレイヤーであることを、はっきり口にした瞬間だったからだ。
「攻撃の起点をアカネ――というか、伊東から外すのはわかった。で、どうするの? 考えはあるんでしょうね?」
「決まってんだろ」
 わかり切ったことを訊くな、と言わんばかりに、チカがリサに答えた。
「私にボールを集めろ。点は、私が獲る! マンツーで一番が分があるのは、私だ!」

  52

(そうかもな……)
 攻めるような田渕のディフェンスをかわしつつ、ボールをフロントに運びながら、リサはチカの自信過剰とも取れる言葉に、思惟を紡いでいた。
(確かに伊東は桁が違いすぎる。モエミも須田のディフェンスに攻めあぐんでる。ヒカルにしても、あの身長差だしな……)
 ふいにヒョイッと伸びる田渕の手を、ボールを両手で掴んで間一髪かわす。そのまま、モエミへオーバーヘッドパス。すかさず、モエミからチカへ。
(あぶねえッ。……私は私で、田渕(こいつ)からボール、キープすんのでいっぱいいっぱいだしよ)
(実力差が一番近いのは、お前んところか。そう言うだけの、自信があるってのか? 安部相手に。伊東の存在で影は薄れちゃいるが、あいつだって浄善で一度はエースと呼ばれた選手なんだぞ。大口だったら、承知しねーぞ)

「聞こえたよ」
 ボールが渡ったチカに向かって、安部が言った。
「マンツーで一番が分があるんだって? それはどうかしら? あなたは私のことを知ってるつもりでしょうけど、私だってあなたのことを知ってるのよ」
「おしゃべりなのは、相変わらずだな……」
 正面を向く安部に対し、左肩を前に、安部とは反対側の右手でドリブルしながら、無表情に言った。
「お互い知ってるのは、昔のことだろ?」
「その通りよ」
「そんな昔のデータなんか、問題じゃない。今日、手を合わせて解ったんだよ。私は、あんたに負けないってね」
(!)
「……あんたこそ、自己過信は相変わ――」
 チカは安部に最後まで言わせなかった。右手でドリブルするボールを自分の背中側のコートに撃つ。左手にドリブルチェンジ。ビハインド・ザ・バックドリブル。
(いかせっこないでしょ!)
 チカに張り付いて動こうとした安部の身体はしかし、何者かにドンと当たって止められた。いつの間にか彼女の後ろに接近していたアカネが盾(スクリーナー)となって、安部のマークを外す。
「残念でした」
(上田 茜!)
 フリーになって切り込むチカに、すかさず伊東がつく。チカ、その場でシュート。後方に向かって、ジャンプしながら。
(出た。チカ姉の十八番、フェイダウェイ・ジャンプシュート!)
「小癪なマネをッ。とぅあらあッッッ」
 伊東の指先が、チカのシュートボールの底をわずかに掠めた。伊東の身体能力が、チカのテクニックの上を行った。
(フェイダウェイのボールに触れた!? 信じられない。なんてジャンプ力!)
 チカのシュートが外れる。リングに当たって宙を舞う。ヒカルの闘いが、ここから始まる。
(このコ、確かにポジション取りは巧い。ポジション取りだけなら、神宮麗那と同レベルかも)
(でも、私はあなたがさほど怖くない。なぜだかわかる?)
 落下を始めたボールにヒカルが跳びつき、獲る。相羽はジャンプしなかった。
 シュートを撃つべくジャンプしたヒカルの前にが立ちはだかる、絶望的なまでの相羽の壁(ブロック)。
(それはあなたがセンターとしては致命的とも言える、「小さい」ということ)

「うまい!」
 伊東が賞賛の声をあげる。

「そや。それでええ」
 ベンチの君津監督もまた。
(慌てる必要はない。その身長差があれば、ボールを獲られたところで、シュートでブロックできる。ディフェンス・リバウンドに関しては、な)

(撃っても、ブロックされる)
(どうする?)
「ヘイッ」
 ヒカルの逡巡を断ち切るように、背後から声が届く。
 ヒカルはショットせず、落下しながら身体を捻って、チカの声がした方向にボールを投げる。ボールは再び、チカの手に渡った。
「チカ、フリーだ。撃て!」
 リサの叫びを聞きながら、チカがジャンプする。誰も阻む者はいない。かに見えた。
「誰がフリーよ!」
 走り込んできた安部夏陽の右手が、背後からチカの持つボールをはたき落とす。審判の笛は鳴らない。ボールがエンドラインを割る。
「夏陽……」
 険しい表情で、チカが安部を睨む。対する安部は、真顔で言った。
「中学時代も、結局あなたは、私に勝てなかったわよね。……いまもそう。
 あなたは、私には勝てない」

  53

 日之出が丘からのスローイン。
 サイドライン際に立ったリサは、二の腕を指で引っ掻く仕草を見せる。アカネ、モエミ、チカの眼が光る。
「ヘイ」
 チカ、手を叩いてスローインを受け取りに駆け寄る。
 同時にアカネ、須田に張り付く。
 アカネに須田のスクリーンをまかせ、モエミがダッシュ。
(スイッチ!)

(決めろ、モエミ!)
 リサのスローインが、モエミの手に渡る。
(決める。決めなきゃ……)
 焦りからか。モエミの身体は強張ったままだ。すかさず、伊東が迫ってくる。
(落ち着け。落ち着いて、モエミ。いつも通りやれば、入るんだから)
 自分にそう言い聞かせるが、身体が思うにまかせない。
「なにやってんだよ、モエミぃ!」
 アカネのじれったげな叫びが、さらに焦燥を掻き立てる。シュートモーションに入る。ギクシャクしているのが、自分でも判る。腕が、肉体が、まるで自分のものではないようだ。
 伊東が飛び込んでくる寸前、なんとかショットを放つ。だが、まるで入る気がしない。
(お願い、入って!)
 モエミの願いも虚しく、3点シュートはリング付け根に当たって跳ね返る。

 ヒカルの背が、またも相羽の侵入を阻止する。
(これだけは、お上手ね。いいわよ、別に。リバウンドは獲らせてあげる)
 ヒカルがジャンプする。相羽はコートを足に着けたままだ。
「そいつはマズいよ。サオリン」
 伊東がボソリと呟く。
 ヒカルはボールを掴まず、指先でポンと弾いて、リングに放り込む。チップ・イン。日之出が丘が、2点を返した。13対8。

「ごめん! 油断してたわ」
 相羽がチームメイトに詫びる。
「ドンマイ、サオリン」
 伊東がにこやかに先輩を励ます。
「取り返しゃいいんだから。この試合、うちは取られても、ゼッタイ取り返せるんだから」
「……そうだね。ボール、お願いね。取り返してやるんだから」
「オッケイ」

「コラ」
「ひやッ」
 アカネがモエミのヒップをいやらしい手つきで撫で、悲鳴を上げさせる。
「アカネセンパイッ、なにするんですかあ、もう」
(アカネセンパイってば、ゼッタイ変なシュミあるよなー)
「なに柄にもなく、キンチョーしてやがんだよぅ」
「………」
「思いっきり撃てよ。いつものやつをさ。入る、入らねーなんざ気にすんな。うちのセンターは、ヒカルだぜ」
 ムチャクチャで辛辣だが、温かい「師匠」の気遣いに胸が熱くなる。
「……はい!」

 ボールが伊東に渡る。
(今度は抜かせねー。来てみやがれ、伊東ッ)
 つかず、離れず。思い切り腰を落として、アカネが伊東のカットインに備える。
「いいディフェンスだねえ。
 いいディフェンスだから、パスしちゃう」
「あ!?」
 わざわざそう告げて、頭上高く、オーバーヘッドパスをゴール下の相羽に送る。
(このヤロ〜、チビだと思いやがって〜ッ)
(簡単に上を行かれる。……無理もない。ミスマッチでは、相羽−ヒカル以上なんだ)
 リサもこの様子を沈痛な面持ちで見つめる。

 そして、ヒカルもまた。
 あっさりと、相羽にジャンプシュートを許し、あっけなく2点を取り返された。15対8。

  54

「ひとつ言っておく」
 ボールがチカに手に渡った。この試合、四度目の安部との1オン1対決。
「私は、元エースじゃない」
 少しの間を置いて、安部は無表情に応えた。
「だから、なに?
 それが私に勝てない、慰めにでもなるの?」
「いまに解る」
 左へ。安部が動いて抑える。それを見越したかのように、今度はレッグスルー。
「馬鹿のひとつ覚えみたいに!」
 右手にドリブルチェンジするボールに手を伸ばす。だが、その手が空を切っていた。
 一瞬早くボールを捉えたチカの右手が、安部の手を逃れるように、時計回りに弧を描く。吸いつくようにボールに触れた右手とともに、チカの身体も円運動する。バックロールターン!
(しまった――)
 ボールを奪おうとした安部の間隙を突き、くるりと一回転したチカが左から突破する。そのままインサイドへカットイン。
 相羽が飛び出して、立ち塞がる。チカ、ノンストップで相羽の股からボールを抜いて、突っ切る。踏み切って、ランニングシュート。
「あまーいッ」
 驚くほど高いジャンプを見せ、伊東がシュートコースをブロックする。
 半身の体勢で、伊東とは反対側に伸ばした腕から、すくい上げるようにしてチカはボールを放つ。
(さすがのあんたも、これは届かないでしょ)
 山なりに舞ったボールが、伊東の両腕の遙か上を通過して、ネットに吸い込まれた。
 ――フックシュート。ディフェンスから最も遠い位置からボールをショットする、高いディフェンスに対して有効な技である。だが、成功率は低く、難易度も高い。

「凄え!」
 西澤仁美が驚嘆の声を上げた。思わず、ベンチから立ち上がる。紛れもなく、それは賞賛であった。
「………」
 君津監督もまた、そのプレイに眼を見張っていた。
(大久保千夏、これほどの選手か!)

(ヨシ!)
 チカが拳を握って、我知らずガッツポーズをとる。
(負けてない!)
(夏陽にだって、伊東にだって……私は、負けてない!)

「おもしれー」
 やられたはずの伊東の顔は、むしろ愉しげであった。
「おもしれーや、このチーム」

「チカ……」
 安部は茫然とそう呟いた。
「そう、私はチカ」
 その呟きに呼応するように、言い放つ。
「日之出が丘の、いまでもエースだ! ヨロシク」

 第1Q(クォーター)、残り2分半。15対10。日之出が丘が、スコアを5点差へと詰めた。そしてここから、チカの怒濤の反撃が始まることを、まだ誰も知らない。

続く 55〜57

次回予告
(そうだった。あいつはあの頃から、追いつめられると、とんでもない爆発力を発揮したんだ……)
 第1Q終盤、ついに君津はタイムアウトを取った。監督の叱責を浴びながら、夏陽の脳裏には、かつて夏・夏コンビと呼ばれた、中学時代のチカとの日々が甦っていた……。ついにチカの名の秘密が明かされる次回『強敵』第十幕、それは、ほんの些細な諍いがきっかけだった。

戻る

第1稿 2002.09.13
第2稿 2003.01.28
第3稿 2003.03.22