HALF TIME ヒカル

  6月X日(水)

 昨日の試合に圧勝したことで、男子部を練習相手にするというアカネのアイデアは、取り止めになりました。もともと、賛成ではありませんでしたが、こうなってみると、交渉に当たった身としては、少し複雑な思いがします。博君も、あの貴城君に楯突いてまで、私達に協力してくれようとしたのですから。
 その博君は、昨日の事件以来、バスケ部のみんなから「ボッキー君」と呼ばれ、相当に閉口していました。命名者は例によってリサさんです。男性はともかく、女の子は口にするのも憚られるアダ名だと思うのですが、うちのコたちは平気で面白がってそう言っています。私はこうしてキーボードに入力するのも抵抗があるのですが。
 博君に相変わらず紅白戦の審判を頼んでおいて、あんまりだと思うし、現に私はそう言ったのですが、聞く人達ではありません。かえって、そんな私をみんなは古風とか、清純ぶってとか言います。そうなんでしょうか? どうかしてるのは、みんなのほうだと思うのですけど。
 こんなとき、みんなと一緒になって、というより率先して、更に言うなら率先し過ぎてリサさんに制裁を受けるアカネは、この日ばかりは博君に関して、一言も口にしませんでした。さすがに、二人ともちょっと気まずい感じです。アカネがおとなしくなると、代わりにみんなの悪ノリが激化するのでしょうか?
 リサさんにしても、いままでなら、男子部と言えど部外者には、品良く接していたのですが、昨日の対戦以来、こと男子バスケ部に関しては、かぶっていたネコをかなぐり捨てたみたいです。

「いつもすまないねえ。ボッキー君」
 紅白戦の審判にと、いつものアカネに代わってヒカルに呼び出された博に向かって、リサは言った。
「お願いです。それだけは勘弁してくださいッ」
 博が弱り切った表情でリサに懇願する。
「気にしない、気にしない。かあいい顔して、けっこうイイもん持ってんじゃん。リッパ、リッパ」
 リサに肩を叩かれた博は、ただ赤面している。
「リサぁ、あんた欲求不満と違う?」
 苦笑いを浮かべて、チカがツッコミを入れる。
「暇なときにでも、お相手してあげてよ。頼むわ、ボッキー君」
 悪辣な三年生コンビの言葉嬲りに耐えながら、博はアカネを盗み見る。アカネは無関心を装うかのように、無表情であさっての方を向いていた。博はそっと深いため息をついた。

 結局、対浄善戦の決め手となる対策は見当たらないまま、通常の試合に向けたメニューをこなしました。紅白戦では、博君をイジめたり、清純ブリっ子なんて言われた鬱憤をゴール下で思い切り晴らしてやりました。みんな眼を丸くしていたけど、試合前で気合いが入っているんだと思われたみたいです。少しスッとしました。
 でも、からかわれて顔を赤らめている博君、ちょっと可愛かったな。私も、あんまりひとのことは言えないかも。

  6月X日(木)

 今日もアカネに代わって、私が博君を呼びに行きました。私はいいのですが、博君の落ち込みようが痛々しくって。ホットプレートタイプの私とは違って、アカネは花火タイプで、爆発した次の瞬間には鎮火しているのですが、今度の博君への怒りはただ事ではないようです。
 同じ女の子として、わからなくもないのですが、博君も男の子だし、しょうがないと思うのですが。ところが、アカネの怒りの原因は、どうもあの一件だけではないようなのです。

「いい加減、赦してあげたら?」
 部室で制服に着替えながら、ヒカルはアカネに言った。
「あんなに落ち込んじゃって。ちょっと可哀想」
「自業自得だよ」
 汗ばんだ身体をタオルで拭いながらアカネは言った。
「地の底まで落ち込みやがれ」
「そんな……」
「言っとくけど」
 制服の上着に袖を通しながら言う。
「別にボッキ事件を根に持ってるわけじゃないからね。事態は更に進展してるんだ」
 あの一件は、女子部員の間では「ボッキ事件」と呼ばれている。
「あいつはな、約束を破ったんだ。神聖な約束をな。あいつとはもう二度と口を利かねえ。それはあいつにも言ってある。ったく、男ってやつぁどいつもこいつも。ガサツで無神経で、おまけにド助平で。ああ、やだやだ。わたしが男嫌いの同性愛者になったとしたら、あいつとキシロのせいだ!」

 二人の間に交わされた「約束」が、何だったのかはわかりません。アカネは言わなかったし、私も訊かなかった。たぶん、エッチなことなんだろうと察しはつきますけど。
 アカネがレズビアンになるとは思えませんが、それを聞いた私のほうは少しドキッとしました。彼女は小柄な上に、ユニセックスな可愛らしさがあって、そばにいると時々、ギュッと抱き締めたくなるような、そんなアヤしい気分に駆られたりするから。私って、ちょっとアブないかな?

  6月X日(金)

 アカネの博君へのシカトぶりは、今日も相変わらずでした。三日連続でそのことばかり書いています。試合前だというのに。あとで読み返したら、試合のことなんて頭にないように見えるかもしれません。
 もちろん、そうではありません。でも、自分とも親しい人同士いがみ合うのを見るのは、とても辛いのです。いがみ合う、という表現すら正確ではありません。少なくとも博君は、歩み寄ろうとしており、一方的に取り付く島もないのは、アカネのほうなのですから。
 どのようないきさつでそうなったのか、それがわからないうちは、アカネを責めることはできません。でも、沈み込み、自分を責めてさえいる博君を見ていると、とても気の毒に思えてならないのです。

「お、おはよ」
 朝練を終え、二年の教室が並ぶ校舎の三階にいっしょに上ってきたアカネとヒカルに、博は声をかけた。偶然ではなく、アカネを廊下で待っていたように思える。
「おはよう」
 そう返したのは、ヒカルのほうである。
「じゃまたな、ヒカル」
 アカネのほうは、博などまるで存在しないかのように、ヒカルに別れを告げてすたすたと自分の教室に入ってゆく。
 博はガックリと肩を落とす。
「本格的に、ヘソ曲げちゃってるね。一日もすればケロッとしてるのに」
「長い付き合いだけど、こんなの初めてだよ。よっぽど怒ってるんだな」
「よかったら、教えてくれない? アカネに何したの? あの練習とは直接関係ないみたいなことは聞いてるけど」
「何をしたというわけじゃ。何もしていないというか、しちゃったというか……」
「よくわかんないよ、それじゃ」
「説明なんてできないよ。聞いたらきっと、斉藤さんだって俺のこと軽蔑する。俺って、最低だ……」
 そう言って博は、額を廊下の壁に押し当てた。

 とは言え、試合まで、残すところ、あと二日。博君には申し訳ないけど、アカネとの間のことは、いったん棚上げにするしかないようです。アカネに詳しいことを聞き出すにしろ、取りなすにしろ、すべては試合のあとです。私自身、そんな余裕がないこともありますが、いまのアカネには、とてもそんな些事(といっては博君には本当に悪いんだけど)を切り出せそうもありません。
 今日のアカネの気迫は、目を見張るほどでした。うちの紅白戦は普通、二三年対一年、スタメン対一年、あるいは戦力バランスを揃えた両チームの間で行われるのですが、今日のそれはアカネの申し出で、秋月−大久保−篠塚−阪本−私のチーム(敬称略)対アカネ+一年チームで行われました。
 どうやら、スピード&クイックネスのリサさん、テクニシャンのチカさん、シューターのモエミ、上背のあるタエちゃん、そして私をそれぞれ、仮想・伊東真希に見立てて、勘を掴もうとしたようです。スコアはこちらの完勝でしたが、スタメンが4人いるチームを相手に、アカネ一人で26得点は流石です。私とタエちゃんのダブルセンターで、かなりブロックしてその数字なのですから。
 動きだけで言えば、うちでは誰もアカネを止められません。リサさんとチカさんのダブルチームを突破したときは、ブロックするのも忘れそうになるほど、眼を奪われてしまいました。本当に凄い! まさに“小さなエース”です。
 1対1で彼女を封じ込められるひとが、いるのでしょうか。もちろん、いるでしょう。頭ではわかっていますが、それがいまは実感できずにいます。アカネより速く、かつ上背があり、高く跳べ、技で歯が立たない、同じ高校生のプレーヤー。そんな選手と、対外試合でしか接点がないとしたら、その人に勝つ術をどうやって身につけたらいいのでしょう。
 いけないとわかってはいるのですが、ネガティヴな思いが頭をよぎります。一朝一夕に、強くはなれませんよね。私も、強くなろう。私が強くなれば、それだけみんなも強い斉藤光を相手にできるのだから。

  6月X日(土)

 試合を明日に控えた今日、午前中はフォーメーションの最終確認のあと、軽めのトレーニングとフォーメーションの実践練習。午後からは博君が来るまでの間、3オン3を行いました。

「いただきッ」
 ゴール下に切り込んだアカネがレイアップシュートを仕掛ける。
「あまいッ」
 バレーのスパイクのようなヒカルのブロックが、ボールをコートに叩きつけた。
「ナイスブロック! ヒカルセンパイ」
 ヒカルと同じチームのモエミが賞賛のこもった声をあげる。
「クッソ〜」
 アカネが悔しさも露わに洩らす。
「敵に回すとホンッッットやなヤツだなー、ヒカルぅ」
「伊東や相羽は、こんなもんじゃないよ」
 ヒカルが言い渡す。相羽とは、浄善の178センチセンター、相羽早織のことである。強豪浄善にあって、安部夏陽と並んで一年からレギュラーを取った、天島でもトップレベルのセンターにして、浄善のキャプテンである。
「ヒカルの言う通りだよ」
 アカネのチームのリサが言う。
「周りをよく見ろ。敵も味方もな。お前のプレイはわがまま過ぎる」
 だが、その表情はどこか穏やかだ。
「秋月先輩、なんだか嬉しそうですね」
 アカネのチームにいる阪本妙子がそばにいるチカに言った。
「そりゃそうだよ」
 チカが答えた。
「あんな仲間が、ずっとずっと欲しかったんだよ。リサは。一年ンときから。
 お前も頑張れよ、控えセンター!」
 リサの手の甲が妙子の二の腕を叩いた。
「あんたが一番、背が高いんだから。ヒカルの適性は本来4番(パワーフォワード)なんだよ。あんたが一人前のセンターになれれば、ヒカルが4番の仕事に専念できる。いつまでも負けんじゃないよ」
「――はい!」
 妙子が面(おもて)を輝かせて、元気にそう返事をした。

 土日に博君を呼ぶことは、さすがに普通はありません。今日に限って博君が来ることになったのは、明日が試合であることと、もうひとつ。今日が男子の試合でもあったからです。試合は午前に行われ、それが終わってから、こちらに来ることになっていたのです。

「ボッキー君、到着ーッ」
 モエミが体育館に現れた博を見て、声をあげた。
「試合、どうだった?」
 ヒカルの問いかけに博はVサインで応えた。
「勝ったんだ! おめでとう」

「ほおお!」
 少し離れたところで、チカが驚きの小声を発する。
「いるもんよね〜。下には下が」
「ま、貴城クンがいればね」
 そばにいたリサが、同じく小声でコメントする。

「ごめんね、こんな日に。疲れてるんじゃない?」
「いやあ。俺、ベンチウォーマーだったし」
 苦笑いしながら言う。
「毎日、ありがとうね。ボッキー君」
 リサが近づいて来て言う。
「ボッキー君は我が女子部の名誉部員だよ」
「不名誉部員だったりして」
 チカのつぶやきに、アカネがブッと吹き出したのをヒカルは視界の隅に捉えていた。
「試合のあとでお手伝いに来てまで、ボッキー君呼ばわりされるんなら、帰っちゃおうかなー」
 そう言って、背中を向ける。

 博君も、女子部に揉まれて、少し逞しくなったみたいです。

「そんなこと言うんだ?」
 リサは少しも慌てない。
「言い触らしちゃおうかなあ」
 背を向けたまま、博は肩を落とした。
「……審判やります。やらせてください」
「そうそう。そうでいいのよ。このリサさん相手に駆け引きしようなんて、十年早くてよ、ボッキー君」

 でもリサさんには、さすがに太刀打ちできませんでした。
 そして、この様子を見ていたアカネの顔に、笑みが浮かんでいたのを私は見逃しませんでした。私の視線に気付くと、すぐ仏頂面に切り替えましたが。彼女にしてはよく保ったと思いますが、やっぱりアカネは、いつまでも恨みを持続させることはできないみたいです。意地っ張りなので態度を変えられないだけで、感情のほうは雪解けを迎えていたのかもしれません。なにかきっかけさえあれば、仲直りできるでしょう。
 私に、あるアイデアが閃いたのは、この時でした。


 試合前の練習時間は短い。試合当日に疲れを残さないためである。
 まだ日も高い夕刻、ヒカルは偶然を装って、帰りのバスを待つ博に近づいた。
「お疲れさま」
「あ……お疲れさま」
「この一週間、本当にありがとね。それと、ごめんなさい」
「え?」
「へんなアダ名のこと。悪い人達じゃないんだけど……。揃って悪辣な面白がり屋というか」
「あれは参ったよ。でも、斉藤さんにそう言ってもらえただけで、救われるよ。斉藤さんて、ほんと砂漠のオアシスだな」
「個性派揃いの女子バスケ部で、ひとり堅物で面白味のないヤツ?」
「そんなこと! 斉藤さんは後輩からも人望があって、それに、その、とても、可愛いし、うちの部でも一番人気で……」
「長谷川君は?」
「え?」
「長谷川君は、どう思ってる? 私のこと」
「それは、もちろん可愛いなって……」
「……アカネの次に?」
「あ、いや、その、あの、なんというか、えーと」
 へどもどする博をヒカルは好もしいと思った。同時に、チクリと胸が痛んだ。
「ねえ」
 思い切って、ヒカルは言った。
「これから時間ある? ちょっと寄り道しない?」


 運命の日の朝、アカネは自分から声を掛けてきた。
「おはよ、長谷川ッ」
「おはよう」
「オカズにした?」「してないよ!」
(しまった……)
 思いがけぬ言葉のカットインに、無防備な心やましさが反射的に反応してしまった。アカネの眼が半眼に細められる。
「したのか……」
「してないってば……」
「おめーのウソなんざすぐに判るんだよ。何年付き合ってると思ってる? 『オカズにし』のあたりで反応しやがったな。わかりやすいヤツだよ、オマエは」
「してない。してません。信じて」
「ウソはよくねーな。約束破りは最低だが、約束を破ってないとウソまでつくのは最低以下だ。もう一度訊く。正直に答えろ。……オカズにしたな?」
「………」
 アカネの表情は穏やかだ。会話の中身を聞かない限り、二人は階段の踊り場で普通に会話しているように見えただろう。脇の下にイヤな汗が滲む。なんと答えるのが、一番マシな結果に繋がるのか。アカネの決めつけも乱暴だとは思うが、現に自分は「した」のである。アカネを相手にシラを切り通せるほど、ふてぶてしくはなれないと思った。
「……ごめんなさい。しました」
 しましたの部分は、ほとんど蚊の鳴くような声で言った。
「よく言った。――お前は最低だ。
 お前は言ったよな。あれは事故だ。どうしようもない男の生理だ、ってな。私の身体の感触を思い出して、淫らな独り遊びに耽ったのは事故か? 止めようのない生理現象か? 結局お前はテメーの意志で、主体的にわたしをいやらしい妄想で犯したんだよ。違うか?」
 返す言葉はなかった。まったくその通りとしか言いようがなかった。
「長谷川ぁ。お前と口を利くのは、これが最後だ。以後、お前の姿はわたしには見えないし、お前の話す言葉はわたしの耳には聞こえない。わたしの世界に、お前はいない。だから、お前が話し掛けても、わたしは応えない。わかったな」

続く 後篇

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第1稿 2002.05.06
第2稿 2002.05.29
第3稿 2002.06.19
第4稿 2002.08.02
第5稿 2003.01.28