ダブルスコアTO    ダブルスコアTO(タイムアウト)
   ホットブラッド


  EPILOGUE−1

 情け容赦ない膝が、リサの鳩尾(みぞおち)にめり込む。一瞬、息の止まったリサに、続けて太股にまたも膝が入った。
 効いた。でっかい青痣ができるな、とリサは思った。
「素直に詫びを入れてりゃ、こんな痛い思いもせずに済むのにさ」
 鳩尾に膝を見舞った女が言った。薄笑いを浮かべていた。
「痛い思い?」
 リサも嘲笑を浮かべようとした。
「蚊が刺したほどにも感じないんですけど」
 苦痛で顔が引き攣る。失敗したかと思ったが、相手の表情がうまくいったことを教えた。
 喋り終わる前に、飛んできた掌が頬を撃つ。平手というよりは、手首の付け根を使った掌底だった。口いっぱいに渋い鉄の味が広がる。口の中を切ったようだ。左右の掌底が繰り返される。リサの顔が左右に揺れる。
「美佳、マズいよ、顔は!」
 手下格の少女が、慌てて止めに入った。
「こんだけやられて、なんでやり返さないの。腕に覚えはあるんでしょ?」
 美佳、と呼ばれたリーダー格の少女が言った。跳び箱に背を預けて、ずるずると腰を落としたリサを見下ろしている。
「おとなしくフクロにされてやるから、好きにしなよ」
 跳び箱に頭をもたせて、リサが言った。強がってはいるが、かなりきつそうだ。
「バスケ部に迷惑かけたくないってか? 健気だねえ」
「そんなんじゃねえよ」
 リサの眼は、爛と光って美佳を見返した。
「殴る値打ちもないんだよ、お前らは」
 再び、嘲笑を浮かべる。
「拳が腐る」
 スーッと美佳の顔が無表情になった。そう言ったリサの口元に、踏み下ろすように靴底で蹴りを入れた。
「生意気なんだよ!」
 仰向けに寝転がったリサに、狂ったように蹴りを入れ、足を踏み下ろす。白い制服に、靴底の跡が刻印されてゆく。
「一年のくせに! ちょっと巧いからって、いい気になりがって。その、ひとを見下したような眼が気に入らないんだよ!」
「ちょっと美佳、マズいってば、跡が残るのは!」
 なおも足を踏み下ろし続ける美佳に、周りの三人が制止しようとする。美佳は彼女らの実質的ボスだが、明らかに暴走していた。生意気な後輩を脅して、頭を下げさせる。それが目的のはずだった。これでは私刑(リンチ)そのものだ。ことが明るみになれば、ただでは済まない。
 美佳はやめなかった。それどころか、とどめにリサの鳩尾めがけて、思い切り踵を踏み下ろす。まともに入った。リサが身体をくの字に曲げて苦悶する。開いた口から血の混じった唾液が、体育倉庫のコンクリートの床に垂れる。

「少しはいいクスリになった? 素直に頭を下げたら、これで勘弁してやるよ」
「………」
 リサのいらえは、美佳の薄笑いを強張らせた。
「蚊がいるな。……痒いや」
 馬乗りになって、掌打を鼻っ柱に叩き込んだ。残忍なやり方は、確かに暴力を振るうことに馴れていた。ツーンとした渋い鉄の臭いが、今度はリサの鼻の奥いっぱいに広がった。
「くだらねえ意地張りやがって! そんな格好つけてたって、どうせすぐ惨めに赦しを乞うんだよ。お前の好きな、華南みたいにな!」
 その名前を聞いたリサに、いままでとは違う緊張が走った。
「なんだと?」
「眼の色が変わったな。そうだよ。華南だって最後には『赦してください』って言いやがったよ、泣きながらな! お前に見せてやりたかったよ。お前がまだ入部する前の話だけどな」
「てめえ! 華南先輩に何をした!?」
 美佳はもたげたリサの頭を両手で掴んで、床のコンクリートに叩きつけた。ゴツン、という鈍い音がした。
「華南には『先輩』で、私には『てめえ』か。まだ調教が足りないようだねえ。お前の身体にさ」
 リサは答えなかった。眼の焦点が合っていない。後頭部をしたたかに打って、軽い脳しんとうを起こしたようだった。
「ねえ美佳、ヤバいよ。もう充分フクロにしたじゃん。これ以上は……」
「るせーッ、指図すんな!」
 仲間の遠慮がちな制止を一蹴して、容赦ない張り手を見舞った。責めよりは、気付けのためだった。
「おら、寝てんじゃないよ。まだ話は終わってないんだよ」
 リサが眼を瞬かせたのを確認して、美佳は続けた。
「いいこと教えてやるよ。あいつの膝をブチ壊したのは私だよ。どうだい、これで少しは本気でやり返す気になったかい?」
「……なんだって?」
「そうだよ。あいつ、『もっと厳しいトレーニングをお願いします』なんて、生意気に言いやがるからさ、お望み通りにそうしてやったのさ。うさぎ飛び体育館十周。スクワット五百回。練習後に毎日やらせたら、そのうち膝が痛いなんて言い出したよ。構わずに続けさせたら、しまいに歩くのも満足にできなくなりやがったよ!」
「うさぎ飛びに、スクワットだと……」
 運動生理学的に有害でしかないと、半世紀近くも前に常識化し、廃れたトレーニングである。
「前途有望な選手を、てめえは! 畜生ッ、もっと早く知ってたら、とっくにブチのめしてやったのに!」
「ようやく火が点いたな。生憎だったな。この体勢じゃ、ブチのめせねえもんな?」
 美佳がせせら笑う。マウントを取った彼女の有利は揺るぎない。
「そうでもねえよ」
 リサはそう言うと、両手で美佳の制服の襟を掴んでグイと引き寄せると、彼女の耳にガブリと噛みついた! 悲鳴をあげて、美佳が飛び退いた。
「マウントを外す方法なんて、ゴマンとあるんだよ。客商売のリングじゃないんだからな」
「とんでもないヤツだな、お前は」
 耳を押さえて、美佳が言った。
「華南先輩のことを言ったのは、致命的なミスだったな。てめえだけは赦さねえ。――ブチのめす!」
 だが、リサの右ストレートは、無残に刃こぼれしていた。美佳にあっさりかわされると、カウンターの膝をボディに叩き込まれた。蓄積されたダメージと、とりわけ後頭部への痛打が、リサのパンチから稲妻のような鋭さを奪っていた。

「押さえてろよ」
 仲間に命じて奥に消えた。リサは三人掛かりで捕らえられ、再び動きを封じられていた。
 戻った美佳は、バスケのボールを入れた鉄籠を引きずってきた。鉄籠の蓋を開けると、ボールを手に取る。
「秋月、これからどうするか教えてやろうか? 磔の刑だ。お前の大好きな、バスケットボールでな」
 美佳の意図を悟って、リサを掴まえていた仲間達の顔が青ざめた。
 手加減なしで投げたボールが、避けることもできないリサの顔面をまともに痛打した。バスケのボールは、他の球技に比べ、硬く重い。全力で投じられるそれは、凶器そのものだ。立て続けに、二撃、三撃が襲う。だらだらと流れた鼻血が、制服の胸元を汚す。
「悪いことは言わない。謝んな。美佳はキレてる。あんたが謝るしか、もう美佳を止められない。たった一言、『すみませんでした』って言やあ、それで終わるんだよ」
 見かねて、リサの右腕を押さえていた少女が説得した。
「御免だね……」
 リサの顔は、すでに変わっていた。ハードパンチを浴びたボクサーのように、瞼が腫れ上がっていた。
「美佳、もうやめようよ。もう充分フクロにしたじゃん。こいつ強情だから、死んでも謝んないよ!」
 今度はリサの左腕を押さえていた少女が言った。
「だったら、死ぬまでやるまでさ」
「美佳!」
「いい顔になったな、秋月。美容整形だ」
「……怖いねえ。ブサイクの僻みは」
 口元を歪めて、なおも軽口を叩く。美佳の薄笑いが鬼の形相に変わる。硬いボールの強烈な一撃が、またもリサの顔面を襲う。
「……もう沢山だよ」
 背後から羽交い締めにしていた少女が、リサを放して言った。うんざりという顔をしている。
「正気じゃないよ。私は降りる。続けたかったから、好きなだけやっていればいい。私は関係ないからね!」
「逆らうの? 私に」
 美佳は冷ややかに言った。
「同じ目に遭うだけよ。行けば。行けるもんならね」
「そんなことして、ただで済むと思ってるの!?」
「チクるっての? チクれやしないよね。お前も一蓮托生なんだから。さんざんいっしょにワルをしておいて、いまさらイイ子ちゃんにはなれないよね」
「全部あんたが無理矢理やらせたんじゃないの!」
 涙目になって叫ぶ。
「厭で厭でしょうがなかった。愉しいと思ってやったことなんて、一度もなかった!」
「そんな言い訳が通るかどうか、先公相手に試してみるかい? お前だって、いい思いはしてるんだよ」
「………」
「わかったろ。私には逆らえないってね。わかったら、妙な考え起こさずに、そいつを押さえてな。どうせ死ぬまで頑張れやしねえ。いずれは音を上げるんだ」
「憐れだねえ」
 リサが言った。
「弱味を握られて、イヤイヤ言うこと聞かされてるあんたらも、弱味握ってなきゃ友達もできないてめえもだ。憐れ過ぎるよ」
「るせえんだよ!」
 またボールがぶつけられた。狙いが逸れて、胸に当たる。それはそれで効いた。グハッと肺の空気を吐き出す。
「先輩方にお説教もおこがましいけと……。良心の欠片ぐらいは残ってそうだから、この際言わせてもらいますよ。こういう手合いには、一歩も退いちゃいけないんだ。強いから、怖いから、かないっこないから。そういう理由で退いたが最後、こういう手合いはとことん付け込んでくる。結局は退いた以上の代償を払わされることになるんだ」
「強いのね。あんたは。羨ましいよ」
 そう言って、再びリサを羽交い締めにした。
「悪く思わないで。あの人には逆らえないの」
「バカ野郎! まだわかんないのか! これはあいつの支配を脱する、絶好のチャンスなんだ! 卒業まで、あいつの奴隷でいる気か? イヤなんだろ!? だったら勇気を出せ! 私を放せ。5秒であいつを制圧してやる!」
「無駄だよ、秋月」
 勝ち誇った笑みを浮かべて、美佳は言った。
「こういう奴らなのさ。勇気なんてクスリにしたくともありゃしねえ。初めから負け犬なんだよ。私のような強者の言うことを聞いて、その代わりに守ってもらう。そうやって生きていくしかないのさ。でも、お前よりは利口だよ。
 お前はバカだ。くだらねえプライドとやらがあるばっかりに、張らなくていい意地を張って、損をして、バカを見んのさ」
「違うね」
 リサが反駁した。
「目先の損得なんて問題じゃない。強い相手に刃向かえば、損をするかもしれない。痛い目に遭うかもしれない。惨めな思いをするかもしれない。でも、少なくとも胸を張って生きていける。それは何物にも変えられないんだ」
「カッコいいなあ、秋月ぃ」
 つかつかと歩み寄って、腹に蹴りを見舞う。
「カッコ良すぎて、虫酸が走らあッ。だから、お前はバカなんだよ。お前はお利口な弱者の、こうはなるまいという、バカで愚かな、悪い見本でしかないんだよ!」
 また蹴りを見舞った。リサはもう自力で立っていなかった。
「もういい。放しな」
 三人は掴んでいた手を離した。くたくたとリサが床に倒れ込む。その顔を美佳は踏みつけた。
「どうだい。この期に及んで、まだ言うことがあるかよ?」
「初めから強いヤツはいない……」
 屈辱的な仕打ちにあって、なおもリサは言葉を紡いだ。それは良心の呵責に苛まれながら、弱さ故に心ならずも美佳の手下に甘んじた、三人へのメッセージだった。
「誰だって、最初は弱虫だ。だからって、負ける喧嘩を避けていたら、一生弱虫のままだ。相手が強かろうが、勝ち目がなかろうが、向かっていく勇気を持つことが、いつか自分を強くするんだ」
「いい演説だな。熱血さんだよ、お前は。それで、お前は強くなったのかよ? え? 現にお前は私に面踏んづけられて、手も足も出ねえじぇねえか。なにが5秒で制圧だよ! これが現実だよ。いい加減、眼ぇ覚ましな。詫びを入れたら、赦してやるよ」
 これが現実だ。その言葉が、リサの胸を刺した。自分の生き方を悔やんだことはない。だが、それが周囲の人間を一人でも動かし、状況を変える役に立ったか? 熱血と揶揄され、冷笑を浴びただけではなかったか。誰ひとり、肩を組み、ともに歩んでくれようとした者はいなかったではないか。尊敬する、華南先輩さえも……。
 そして、あいつ――。部の誰よりも巧く、即エースになれるだけのスキルを持ちながら、ライバルのチームメイトに勝てなかったという理由で、あっさりバスケを棄てたあいつも――。
 なにかもが疎ましく、やりきれなかった。自分を抑え続けた最大の橋頭堡である、バスケ部の存続さえ、もはやどうでもよかった。噴き上がる怒りの矛先となるべき生贄を、リサは欲した。そしてそれは、眼の前にいた。
「イチ」
 と言ったリサの両手が、顔を踏む美佳の足首を掴んだ。
「ニ」
 足首を掴んだまま、強引に身体をひねる。
「サン」
 リサの身体につまずくように、美佳がうつ伏せに倒れ込む。
「シ」
 リサが立ち上がる。アキレス腱を挟むように肘で踵をがっちりとホールドし、もう片方の手がつま先を捕らえる。
「ゴ」
 その手に力が加わる。美佳の足首が、有り得ない方向に捻り上げてられてゆく。
 痛い痛いという悲鳴は、やがて絶叫に変わり、しまいには声も出なくなる。
「痛えか? アンクルロックって関節技だよ。ある女に仕返しすんのに研究してしてたんだけど、こんなところで役立つとはね」
 さらに力を込める。美佳の身体がのたうち、手でコンクリの床を叩く。
「客商売のリングとは違うと言ったろ。タップなんかしたって、終わらねえんだよ!」
 美佳の口がパクパクと動いた。お願い。赦して。そう言っているように見えた。
「聞こえねえな」
 容赦なく、リサは宣告した。
「言ったろ。てめえだけは赦さねえ、ってな。華南先輩も、そう言ったんだよな? でも、赦さなかったんだろ? だったら、同じ目に遭え! 同じ痛みを味わえ! うさぎ飛びにスクワットなんて、まどろっこしい真似はしねえ。この場でてめえの足首、ブッ壊してやらあッ! もう引退したんだ。構やしねえだろ! 卒業するまで、ビッコ引いてな! 明日から体育の授業は見学だ!」
「その辺にしとけば」
 有り得ない声がした。体育倉庫の奥から、その声は聞こえた。
「よっこらしょっと」
 高く積み上げられた跳び箱を乗り越えて、彼女は現れた。
「……大久保! なんで、あんたがいんの!?」
「どうも雰囲気がキナ臭かったからさ。シメるつもりなら、ここだろうと思って、先回りして待ってたってわけ。もう埃っぽいわ、嫌いなクモは出てくるわ、来るんじゃなかった」
「このヤローッ、居たんだったら、さっさと助けろよ!」
「助けて欲しかった?」
「……いや。やっぱり御免だ」
「いよいよマジヤバになったら、助太刀するつもりだったんだけどさ。まさかそっちの先輩を助けることになるとはね。しかし、おッそろしいヤツね。あんたとは金輪際、ケンカはやめとくわ」
「なんなんだ、お前は」
 すっかりしょぼくれた様子の美佳が訊いた。リサにやられた足首を押さえている。足首損傷は免れたが、当分は足を引きずって歩くことになろう。もはや戦意は喪失していた。
「西岡中出身の大久保千夏って言ったら、少しは知られてるかしら?」
「知らないね」
 ズルッと大久保千夏と名乗った女が、すべって転けそうになる。
「知るわけねーだろ。コイツが」
 リサが冷ややかに口をはさんだ。
「安部夏陽にお前のことを訊かれて、誰だかわかりもしなかったヤツだよ」
 大久保千夏と名乗った女は不機嫌な顔で、気を取り直して告げる。
「いまの面白い話は、うちの電話に記録させてもらったよ」
 手にした携帯カードフォンをブラブラさせて言った。
「そいつを学校当局に提出したら、どういうことになるでしょうね〜? 無事に卒業したかったら、この場をとっとと立ち去ってもらいましょうか。そして、こいつにも、バスケ部にも、二度と関わらないで。あんたらもう引退したんでしょ。こっちがあんたらの死命を制してるってこと、忘れないでよね」

 この女の奸智に、リサは舌を巻いた。こういう首の根っ子の押さえ方があるなどと、考えたこともなかった。しかし、好きにはなれなかった。
 いかにも、この女らしい。と、リサは思った。本名、大久保千夏(ちなつ)。だが本人は、チカと名乗っている。その理由を知る者はいない。クールで、シニック、かつスタイリッシュ。――癪に障るほどの。
 嫌いな女。なにかと反撥を催す女。そして、衝突せずにはいられない女。それでもリサは、そんな彼女を切実に欲していた。この女が自分を遙かに凌ぐスキルとセンスを有する、元バスケット選手だったからである。強豪・浄善女学院の選手として、インターハイ本戦のコートに立った一年、安部夏陽の元チームメイト。かつて安部とともに、県下に勇名を馳せた“夏・夏コンビ”の、もうひとりの片割れ。女子バスケ部建て直しのために、どうしても必要な逸材だった。
 だが彼女は、バスケ部に入部しなかったばかりか、リサの再三にわたる誘いを蹴り続けてきた。

 リサとチカ。この二人が、深い関わりを持ち、ぶつかり合うようになったのは、インターハイ予選を敗退した、約三ヶ月前に遡る……。

続く 1〜3

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特別公開版第0稿 2002.10.21
第1稿 2003.01.28