ダブルスコアTO   10

「どういうつもり? 今度はストーカーの真似?」
「………」
「私が勝ったら、もう勧誘はしない。そういう約束だったわよね。負けたら、さっそく約束破りってわけ?」
「約束は、破ってない」
 気圧されかけた体制をリサは立て直した。尾行に気付かれて泡を食ったが、やろうとしていたことが、少し予定を早めただけだ。口論なら、リサの得意とするところである。
「違う用だっての? なんだか言ってもらおうじゃない」
「用向きは、勧誘だよ。それ以外に何があんだよ」
「あのねえ!」
「勧誘は今日限り――」
 チカの言葉にかぶせてリサは言った。
「ってのが、約束だった。だから、今日それをすんのは、約束破りじゃない」
「なにそれ!? ずるッ」
 言って「しまった」という表情を浮かべたチカの顔を見て、リサはクスリと笑いたくなった。カッコつけていたメッキが剥がれ、ポロリと地金が出た。そんな感じがした。リサは眼の前の女に、少しだけ、親近感を持った気がした。
「なるほどね……。おかしいと思った」
 延長戦開始前、リサはわざわざ自分が負けた条件を念押しした。無論、「今日限り」という言葉を付け加えたのは、リサのほうだ。そのことをチカは言ったのである。
「まあ、いいわ。本当に今日限りならね。あんたの汚ッたねーサギみたいな言葉に引っかかったのは、私のミスなんだし。聞いてあげる。答えは決まってるけど」
 ひと呼吸おいて、リサは言った。
「ひとつ訊いておきたい。もし負けたら、素直にバスケ部に入っていいって、そう思ってた?」
「負けるとは、思ってなかったからね」
「でも、危うく負けるところだった。そうだろ? 最初は引き分けで、延長戦だって、ほんの1ポイント差だったんだから!」
 最初のゲームは、2点のリードをチカが土壇場のゴールで引き分けに持ち込んだ。そして延長戦も、1点のリードを守り抜こうとするリサのチームから、またしてもチカが、土壇場のシュートで、引っくり返したのである。
「あのデカいバレー部が、余計だったね……」
 思い出すように、チカが言った。

 1分経過のコールから、もうどのくらい経っただろうか。隙のないディフェンスでマークするチカの額から、玉の汗が噴き出ている。無理もない。攻守にわたって、チカが一人で走り回っているのだ。正式な試合の1Q(クォーター)にも満たない時間だが、ボクシングのワンラウンドほどにもキツいだろう。
 チャンスだ。と、リサは思った。さすがのチカも疲れている。しかも、パスをする、と思い込んでいる。抜いてやる、チャンスだ。
「臼井ッ」
 リサの声に、臼井が慌ててパスを受ける構えをする。
 チラ、とチカの視線がそちらを向く。その間隙を、リサは逃さなかった。
(こいつ!)
 チカの左わきをリサが突き破った。
(速い!)
 だが、チカのディフェンスが、その上を行った。
 ターンしたチカの手が、後ろからリサのボールを叩いた。
(チッ)
 ルーズボールがエンドラインに向かって、バウンドを繰り返していく。
「ナイスパースッ」
 エンドラインを割るかに見えたボールを、長部が走り込んで捕らえた。ゴールへと、取って返す。
 チカも追う。しかし、一歩後れをとった。
「もらったあッ」
 踏み切って、ボールを乗せた右手をリングに差し出す。レイアップシュート。
(させない!)
 駆け込んだチカが、後ろから引っ掛けるように長部の右腕を叩く。長部の手からボールがこぼれた。
 審判・服部の笛が鳴った。
「アンスポーツマンライク・ファウル! 大久保ッ」
 チカのこのプレイが、ファウルを取られた。
「てめー、わざとやりやがったな」
「だから、アンスポーツマンライク・ファウルなんでしょ」
 睨みつける長部に、チカは無表情に肩をすくめた。
 無論、チカのファウルは故意である。服部のジャッジは正しかった。そんなラフプレイの必要に迫られるほど、チカも追い詰められていた。試合の半ばを過ぎ、ポイントは同点だが、ゲームはリサのチームが押し気味に運んでいた。時間が短いぶん、1ゴールがそれだけ重くなる。
「私ならフリースローは入らねーってか? このスポーツ万能の京子サンをナメんなよ。二本とも決めてやるからな」

「どうだ、見たかッ」
 1本目のフリースローを入れた長部が、勝ち誇った笑いを上げる。
 フリースローレーンには、誰も並んでいない。アンスポーツマンライク・ファウルの場合、フリースローの成否に関わりなく、シューター側のスローインでゲーム再開となる。
「よーしよしッ。もう一本、決めていこッ」
「モチよッ。ただのトーシロだと思うなよ。見てろ、大久保ッ」
 だが、勢い込んで放った二本目のスローは、リングに掠りもせず外れた。エアボール、である。
「あら……」
 長部の口が、あんぐりと開いた。

 この後、両チームはそれぞれ2点ずつを加え、大詰めを迎えた。
「残り、10秒!」
 時計係(タイムキーパー)のカウントダウンが始まった。1点差。ボールはチカが持っている。チカがゴールを決めるにしろ、リサのチームが守り抜くにしろ、この攻防で勝負は決まる。息を呑んで、ギャラリーの女生徒達が見守る。
「来てみろッ。ぜったい抜かせねえッ」
 腰を低く落とし、リサがチカの侵入を阻む。
「ふん」
 目線も動かさず、チカがパスを出した。チームメイトの江崎が、慌てながらもなんとか受け止める。
(あッ)
 江崎もそうだが、リサも意表を突かれた。抜きにかかると思い込んでいたからだ。さっきと全く逆パターンで、チカはリサの裏を掻いたのだ。
 チカがリサのマークを振り切る。
(しまった!)
「寄越せッ」
 チカが江崎に怒鳴る。江崎がチカの突進コースに、バウンドパスを送った。チカに足を止めさせない、見事な送球だった。
「クソッ、長部、頼むッ」
 ゴール下に切り込み、シュート体勢に入ったチカに呼応して、長部も跳ぶ。真っ直ぐに両腕を伸ばし、リング前の盾となる。
(よし。シュートコースを完全に塞いだ!)
 リサが長部のブロックを確信した。
「こっちの勝ちだ。大久保ッ」
 ニヤリ、とチカが憎らしい笑みを浮かべるのを、長部は見た。
 上体を捻ったチカは、ボールを持った右腕を大きく後に伸ばし、すくい上げるように後方からボールを放った。
(フックショット!)
 山なりに舞ったボールは、長部のブロックを軽々と越え、吸い込まれるようにリングをくぐった。

  11

「楽に勝てる。あんたはそう踏んでた。でも、こうも思ってたんじゃないの? 自分を負かすほどの相手なら、自分と互角以上に渡り合える相手なら、組んでもいい。バスケ部に入ってもいいって。そうじゃないの? だから、あの条件にOKしたんじゃないの?」
「あんたって――」
 チカはフッと笑みを浮かべた。苦笑とも、嘲笑とも取れる笑みだった。
「よくよく、ひとの気持ちを創作するのが好きみたいね」
「洞察と言ってほしいね」
「なにか勘違いしてない? 私はなにも、うちのバスケ部のヘッポコぶりが気に入らなくて、それで入部しないわけじゃない。私はね、バスケをやめたの。飽きたの。厭になっちゃったの。おわかり? 同じこと、何度も言わせないでよね」
「ウソだ!」
 強い語気で、リサは否定した。
「ウソだ、それは。オメーの腕は、ちっとも錆ついちゃいなかった。むしろ、磨きがかかってた。やめてなんかいるもんか。私には判る。お前は、いまでも練習を積んでる。私だって、伊達にバスケをやってきたわけじゃないんだ」
「そう思うのは、つまるところ、あんたがヘタクソだからよ。私の腕は落ちた。だから、あんたらに、あそこまで追い込まれた」
「違うね」
 リサは静かに言った。ウソや韜晦には、決して誤魔化されない。そんな決意を漲らせていた。
「私は、中学時代のあんたを知ってる。地区優勝常連のあんたら西岡中は、私の目標だった。“夏・夏コンビ”は、私の憧れだったんだよ。
 大会では、とうとう当たるところまで行けなかった。けど、私はあんたらを追っかけて、県大会を観に行ってたんだよ。カッコ良かったよ。あんたは」
「………」
「普通に評価すれば、実力では安部が上だ。でも私は、お手本通りの堅実なプレイをする安部よりも、ムラがあって、好不調の波が激しくても、ここ一番の戦局で爆発して、何度もピンチを切り抜けてきたあんたの、型破りで、身勝手なプレイが大好きだった。
 その西岡中の大久保が、あの“夏・夏コンビ”の片割れが、同じ学校にいた。それを知った私が、どんな夢みたいな気持ちになったか、あんたにわかる? ――いや、そんな話じゃねえよな。だから、私には判るんだ。大久保千夏の腕は、落ちちゃいない。私が知ってる大久保千夏のテクも、センスも、あの頃のままだ。それどころか、さらに腕を上げてる、ってね」

 どこかから、遠くサイレンの音が聞こえた。工場の終業時間を報せるものだろう。遅い夏の夕陽が、二人を朱に染めていた。
「とんだところに、私のファンがいたもんね」
 薄い笑みを浮かべて、チカは言った。
「礼を言うべきかしら?」
「礼なんかいい」
 生真面目な表情で、リサは言った。
「なあ、頼むよ。腹割って話してくれよ。なんで、バスケ部入んないんだよ? 弱いからか? ろくに練習もしないからか?」
「関係ないっつってるでしょ。何度言わせんの? 私はバスケをやめたいからやめた。それが理由よ。あんたらが弱かろうが、強かろうが、知ったこっちゃないよ」
「いつまでそんな、見え透いたシラ切ってるつもりだよ! じゃあ訊くがな、これからどこへ行こうってんだよ? ジムか? それともボードのあるどっかの広場か? どうなんだ!」
「どちらでもない。単なる野暮用」
「だったら、その背中にしょってるモンはなんなんだよッ!?」
 眼光鋭くリサは睨み据える。チカの顔は、能面のように無表情だ。
「言ってみろよ。スイカじゃねえんだろ?」
「………」
「私じゃ不足か? 私がどれだけのもんかは見せたよな? 負けは負けだ。それは認める。長部もいた。あいつがリバウンドを獲りまくってくれたから、あそこまでいい勝負ができた。あんたと互角だって言うつもりはない。けど……けど、私みたいな部員も、バスケ部にいるんだってこと、あんたにもわかったよね。それでも、バスケ部には、入る値打ちもないの? 大久保千夏には、私も取るに足らない、雑魚みたいなプレイヤーだっていうの?」

「あんたは、グッドプレイヤーだよ」
 しばらくの沈黙ののち、夕陽を見つめてチカは言った。
「安心した? まだまだ荒削りだけど、いいもん持ってるよ。すばしっこいし、それに、ひとを使うのが巧い。私には無いもんだよ」
「………」
「意外だったよ。あのバスケ部に、あんたみたいなのがいたなんてね」
「やっぱり、知ってたのね。バスケ部の実状」
「たぶん、あんたより、ずっと先にね。私立の志望校に落ちちゃってさ。それで、日之出を受けるしかなくなった。入学前に、バスケ部がどんなか、見てきたよ。ヒドいもんだったよ。それで、バスケはやめようと思った」
「……志望校の私立って?」
「翔星学園」
「!」
「皮肉よね。もし私が合格してたら、あんたと私は、この前の予選で敵同士だったんだから。……もっとも、あの試合に出ていたとまで言う気はないけどね。さすがに」

「やっと本音を吐いたな」
 リサの顔に喜悦が浮かんだ。チカの韜晦を剥ぎ取り、本心を言わせたことの歓びだった。
「よく知ってんじゃねーか。やっぱり、無関心じゃなかったな。翔星なら続けるはずだったバスケを、うちに来てやめた。その理由を教えてくれないかな」
「二人で駆けっこをしてた……」
 チカは、夕陽を見つめ続ける。
「ずっと、そいつの背中を見て、走ってきた。走っても走っても、追いつけなかった。追いついた、と思ったら、捲られる。その繰り返しだった。もともと走ることが好きだった私の目的は、いつの間にか、そいつに勝つことにすり替わってた」
「………」
「ゴールまで、とうとう勝てなかった。そして、次のレースのスタートラインで、そいつはごっついエンジン積んだバイクに乗って、走り去った。私んとこには、オンボロ自転車が転がってた……」
「安部夏陽のことを言ってるのか」
「あんたならどうする? オンボロ自転車に跨って、バイクを追いかけてみる?」
「追いかけるよ。決まってんだろ」
「………」
 チカがリサの顔を向いた。
「なにくだらねえ泣きごと言って、自己憐憫に耽ってやがんだよ。どうするもこうするもねえよ。追いかけりゃいいんだよ。バイクだってガス欠になるかもしれねーし、自分だってバイクをゲットできるかもしれねー。やってみなきゃ、わかんねーじゃねえか。戦わなきゃ、勝てねーんだよ!!」
「……なるほどね。あんたって、そういうヤツなんだ」
 俯いて、言葉を継ぐ。
「だから、あんなバスケ部にいて、浮きまくって、煙たがられても、強くしようって頑張ってるんだ……」
「バスケはやめたと言ったな」
 リサはチカの言葉には取り合わずに言った。
「安部に勝てなきゃ、続ける意味はないってか? 笑わせんなよ。お前はバスケが好きで好きで堪んねーんだよ。やめられねーんだよ! だから、マイボール持って、どっかでコソ練やってんだろーが。でもなあ、これだけは言っとくぞ。たった独りで、ボードに向かって、どんな凄技マスターしたって、そんなのは本物のバスケじゃねえ。バスケってのは、5人でやるもんさ。5対5で競い合うのが、バスケなんだよッ。
 変な意地張ってないでさ、バスケ部においでよ。私といっしょに、バスケやろうよ。ね?」

「あんたの、言う通りかもしれないね」
 チカは背中のナップザックを下ろすと、ボールを取り出し、両手に掴んだ。二〜三度、ドリブルをする。
「部にも入らず、ひとりで練習してるなんて、中途半端よね」
 リサの面が輝いた。
「そうだよ! その通りだよッ」
「中途半端は、終わりにするわ」
 チカは手にしたボールをリサに投げた。リサが受け止める。
「あんたにあげる。バスケは、きれいサッパリやめることにする!」

  12

「な……」
 踵を返して立ち去るチカの背中を、呆然とリサは見つめた。
「なんで、そうなっちゃうんだよおッッッ」
 ボールを叩きつけて、地団駄踏む。
「バカバカバカアッ、この、おたんこなすッ、唐変木〜ッ」
 夕陽の逆光に照らされ、足を運ぶチカは、振り向きもしない。
 リサはアスファルトの地面に、両膝をついた。
「頼むッ、この通りだ!」
 切迫した声に、さすがのチカが振り向いた。
 リサが地面に手と頭をつけていた。苦い表情で、チカが足早に引き返す。
「馬鹿ッ。気安く土下座なんかすんじゃないよ!」
「気安くなんかしてるか。こんなことすんのは、生まれて初めてなんだ」
 頭を地につけたままで言った。
「欲しいんだよ、お前が! お願い。何も言わず、私のもんになって」
「同性に言われたくないよ。そんなセリフ。いいから、頭上げな。通行人が面白そうに眺めてるから」
「頼み、聞いてくれるか?」
 リサが顔を上げた。
「それより、私にも聞かせて。なんで私の入部に、そこまで執着するわけ?」
「決まってるだろ。強くするためさ、バスケ部を」
「甘いわね」
 冷ややかに言う。
「たった二人で、なにができるっていうの? あんた言ったよね。バスケってのは、5人でやるもんだって。二人でやるもんでもないよ」
「ほかにもいるよ。キャプテンの華南先輩。故障で休んでるけど、熱心で、巧いひとなんだよ。復帰すれば、戦力になる」
「それでも3人……」
「しょうがないじゃん。いきなり巧いヤツ5人は揃わないよ。いまいる部員だって、もっと練習すれば、きっと巧くなる。そうして、少しずつ強くなっていけば、いい後輩だって、きっと入ってくる。いっしょにバスケ部を強くしようよ!」
 チカは、静かにかぶりを振った。苦笑いを浮かべていた。
「……いまどき、熱血なんて流行んないよ」

 日が没するにはまだ間があったが、リサの眼の前は真っ暗になった。
 これほどに頼んでも、聞いてくれないというのか。卓越したスキルを持ちながら、いまなお消えぬ情熱がありながら、強豪校に進学したライバルに開けられた溝に、はじめから勝負を諦めている。クールぶってスカしているが、リサに言わせれば、自己憐憫の泣き言である。強豪私立に落ち、弱小公立校に進んだ我が身の不幸を嘆き、そのくせ、お高くとまって、弱いなりに必死に努力する者を「熱血」と揶揄し、嘲笑う。
 赦せない。殴ってやりたい。殴らずにはいられない。殴ってやる。その腐った根性を、文字通り叩き直してやる。リサの思考は頭を巡るほどにヒートアップし、こめかみの血管が「プツン」と音を立ててキレるイメージとともに、真紅に染まった。
「この、わからず屋ァァァッ」
 テレフォンパンチではなかった。ふいを突いて放たれたリサの右ストレートは、稲妻の鋭さをもってチカの頬めがけ火を噴いた。
 それでも、間一髪かわしたのは、チカの人並み外れた動態視力と、反射神経の賜物だった。
「この――」
 リンボーダンスのように仰け反った体勢から、驚くべきことに、チカは反撃に転じた。
 リサの空を切った右腕の手首をしっかりと両手で掴むと、逆上がりのようにポン、と地面を蹴って、両脚を跳ね上げる。太股の間にリサの二の腕を挟む。
 両手両脚で右腕を絡め取られたリサが、腕一本でチカの全体重を支えきれるはずもなく、バランスを崩して尻餅をつく。脚で押さえつけられるように、仰臥させられる。その途端、伸び切った右腕から、この世のものとは思えない、激痛が疾った!
「痛デデデデデデデ」
 悲鳴が、濁音で出た。
 腕ひしぎ逆十字固め。それがチカがリサに極めた、技の名称である。
「ギブギブギブギブッ」
 堪らず叫んでタップする。この痛みの前に、怒りも、面子もなかった。夕陽に染まった真っ赤な空が、まるで自分が流した血のようだと、場違いなことを考えた。

「とんでもねえヤツだな、オメーは。ケンカで関節技つかうか、ふつう?」
 右腕を曲げ伸ばししながら、顰め面でこぼす。
「とんでもないのは、アンタでしょ」
 頬をさすりながら、チカが言った。リサの拳がわずかに掠めたチカの白い頬に、赤い擦過痕があった。まともに食らっていれば、ただでは済まなかったろう。
「ったく、なんでクラブに入らないだけで、殴られなきゃなんないのよ。冗談じゃないよ!」
「情けねえことばっかり、言ってっからだよ。倒してえライバルが、浄善に行ったからって、なに諦めてんだよ。うちのバスケ部を浄善に負けないくらい強くしようって、なんで思わねえ?」
「本気で言ってんの?」
 呆れた口調で言う。
「そのおめでたい性格、羨ましいよ。……そおいうとこ、なんか似てるよ、あいつと。全然タイプは違うのにさ」
 問わず語りに、チカは続けた。
「あいつ、私にこう言ったよ。浄善でもエースになってみせる。ってね。……現実は、ベンチ入りもできなかった。そんなもんよ」
「わかんねーよ。これからエースになるかもしんねーだろ」
「相羽早織に、田渕真里。知ってる?」
「知らん」
「これだもんね。浄善のスタメンも知らないくせに、なんだって負けないくらい強くなろうなんて、あっさり言えちゃうわけ? ――知らないからか。
 相羽は北海道、田渕は神奈川からスカウトされた、センターにポイントガード。期待の新人と呼ばれて、二人ともインターハイ予選でスタメン出場してる。浄善のレギュラーはね、そういう全国から集められた、選りすぐりのプレイヤーで占められてるの。地元中学のエースなんて、いいとこベンチ入りがやっと。レギュラーなんて夢。エースなんて、夢のまた夢よ」
「その夢、安部がかなえちまったらどうするよ? それを知った時に、完璧に敗北感に打ちひしがれることになるんだぜ? 大久保さんよ」
「言いたいことは、それだけ? 用が済んだんなら行くけど」
「行けよ、どこへでも。行っちまえよ。お前なんか、こっちで願い下げだ。どんなに巧くたってな。負け犬に用はねえや!」
 チカの眼が、底光りを帯びた。
「……いま、負け犬って言った?」
「言ったよ。文句あるかよ?」
「何にせよ、しつっこい勧誘から解放してもらえるんなら、文句はないわ。でも、その負け犬に、あんたはバスケでもケンカでも負けた。それだけは忘れないで。それじゃ」
「負け犬ってのは、敗者を言うんじゃねえ……」
 再び去ってゆくチカの背を向けて、リサは告げた。
「聞いてるか? 次やるときは勝つ! そう思ってるうちは負け犬じゃねえ。負け犬ってのはな、勝てっこないと諦めて、勝負投げちまった奴のことを言うんだ。――お前みたいな奴だよ!!」
 チカは足を止めなかった。振り向きも。
「聞いてんのかッ、このヒョウロクダマーッ」
(いつの時代の人間だよ)
 チカは苦笑いを浮かべようとして、その顔を強張らせた。
 ――負け犬。咽に刺さった魚の小骨のように、リサの言葉が、チカの胸に刺さって、いつまでも離れなかった。


 制服とカバンを取りに、部室に戻った頃には、日もすっかり暮れてしまっていた。スイッチを入れ、明かりを点けると、ただでさえ虫の居所の悪かったリサを、さらに激怒させるものが、眼に飛び込んできた。
(あいつら――)
 運動部の部室には、場違いな窓際の丸テーブル。そのわきに落ちていた、それ――。明らかに床で揉み消された、タバコの吸い殻。
 リサも、決してくそ真面目な堅物ではない。カラオケボックスで級友が飲酒するのを平然と認める女である。酒もタバコも、やりたいヤツはやればいいと思っている。ただし、アスリートに限っては、タバコは別だ。肉体に与える悪影響は、はかり知れないからである。喫煙の習慣を持つこと自体、アスリートとして論外だ。
 なにより赦せないのは、部室の床で揉み消したことだ。穢された、とリサは感じた。リサにとって部室は、コートと並ぶ、神聖な場所だったからだ。
(お茶すんのだって、いい加減腹に据えかねてたがよ……)
 吸い殻を拾い、拳の中で握り潰す。
(とうとう、このリサさんを本気で怒らせたな)
(華南先輩の顔を立てて、我慢に我慢を重ねて来たが、これだけは赦せねえ)
(私の眼の前でやってみろ。“地獄の鉄拳”と呼ばれたこの拳、いやってほど味わせてやる)
 こうして、穏健派のキャプテン、華南里奈の願いもむなしく、リサと前田以下三年グループの確執は、最悪の事態を迎えるのである。

続く 13〜16

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特別公開版第0稿 2002.12.12
第1稿 2003.01.28