ダブルスコアTO   13

 波乱に満ち満ちた一学期が過ぎ、夏休みを迎えた。暑く、気だるく、平和で、長い。それでいて、ダラダラ過ごしていると、いつの間にかお盆を過ぎ、手つかずの宿題に焦りを覚え始める。そんな夏休みの、終盤。
 リサにとっては、ウソのような平和な日々が続いていた。ストレスの種であった三年グループも、さすがに夏休みにまで部室を訪れ、あれこれ用を言いつけては練習の妨げをすることはなかったからである。三年グループとは一度、一触即発の緊張を迎えたことがあったが、すんでの所で駆けつけた華南里奈の仲裁によって、事なきを得ていた。
 ――だからといって。リサにとって、いまが充実した毎日とは、お世辞にも言えなかったのだが。
「もうダメ。ちょっと休憩……」
 リサの1オン1の相手をしていた一年が音を上げて、フラフラとすみの床に腰を下ろす。
「………」
 リサが次の相手をしてもらおうと顔を向けると、同じように腰を下ろした三人が、いずれもあさってのほうを向く。
(どいつもこいつも……)
「体力ねーなー、おめーらは。あいつの爪の垢でも煎じて飲めや」
 後ろ手に親指で、長部を指さす。
 体育館は真ん中をネットで仕切った形で二分されている。その向こう側のコートでは、長部京子が先輩達のブロックをものともせず、豪快なアタックを決めていた。
「すっごーいッ」
「パワフル〜」
 床にへたり込んだ一年部員が、感心したように漏らす。
「全国に行けなかった鬱憤を晴らしてるって感じ」
 バレー部は県大会準決勝で惜敗し、全国大会出場を逃していた。

「どーだあッ」
 着地した長部が相手チームの先輩達に向かって、両腕でガッツポーズを取った。
 パイプ椅子に座って試合を観ていた顧問の服部久美子が、ツカツカと長部に歩み寄り、履いていたスリッパで長部の頭をはたく。パコーン、といういい音が、体育館に鳴り響いた。
「あ痛て」
「やめろっつってんだろ、それは!」
「練習だけですよう」
「本番で出るんだよッ、そうゆーコトやってっと! 罰として、いますぐグラウンド十周ッ」
「いますぐですかあ?」
「いますぐだよッ。とっと行け、このアホッ」
「ちぇ」
 不承不承、体育館の外に出る。
「やーい。怒られてやんの」
 グラウンドに向かう長部を、体育館の出入り口から、リサが面白がって冷やかす。
「るせーッ」
 長部が右手の中指を立ててみせる。

 グラウンドへ走っていく長部を見て、なにを思ったか、リサはバッシュを脱ぎ、スニーカーに履き替えて、長部のあとを追った。
「付き合うよ。ランニング」
 長部に追いついたリサはそう言った。
「なんだよ」
「あいつらのペースでやってっと、トレーニングにもなんないからさ」
「お互い悩みには不自由しねーな、違った意味で。どう思う?」
「なにが?」
「さっきの。知ってるか? バレーってさ、敵に向かってガッツポーズもしちゃいけねーんだぜ?」
「そうなんだ。言われてみれば、そんな光景、見たことないね」
「紳士のスポーツだとさ。勝った負けたの勝負の世界に、紳士もクソもあるもんかよ。なあ?」
「そうだね……」
「ときどき、バスケが羨ましくなることがあんだよ。バレーってさ、ネットであっちとこっちが区切られてるじゃない。だからかな、妙にお行儀が良くってさ。バスケは違う。攻めるほうも守るほうも入り乱れて、互いに押し合って、ぶつかり合って。格闘技だよ。女子のスボーツとしては、一番ワイルドな球技なんじゃないかな」
「……そこまでバスケの魅力が解ってて、なんでバレーを選んだのさ?」
「決まってんだろ。お前も見てたろ。――アタックだよ」
 長部が、ふいに足を止める。リサが立ち止まって振り返る。
「仲間が拾って、上げてくれる。その球を、私が撃つ!」
 スパイクのジェスチュアをする。
「そいつが相手コートに突き刺さった時の、痺れるような快感。何物にも変えられねーよ」
 再び走り出す。リサが追って並ぶ。
「やっぱ、引き抜きはムリか」
 冗談ぽく口にする。
「悪りぃな。助っ人もお断りだ。中学ではやってたけどな。専念したいんだよ、バレーに」
「わかってるよ」
「大久保との一件も、アレは私の負けでいい。やっぱり、モチはモチ屋だ。あいつとの借りは、オメーが返しな。私は私で、倒さなきゃいけねー敵が、ゴロゴロいやがるからよ」
 長部の眼が、真剣になるのをリサは横目に見た。
 バレー部は、バスケ部のような弱いチームではない。国体出場経験もある元セッター、服部久美子を監督に得て、年々その実力を伸ばしている。全国出場も、夢ではないところまで来ているのだ。
 そのバレー部で、将来を嘱望され、一年でレギュラーを獲り、エースアタッカーの座を約束された長部にしても、悔しさで歯がみさせる強敵がいるということなのか。世間は広い、とリサは思った。
 1対1では、チカに敵わないと思う。そのチカが、安部夏陽には勝てなかったという。その安部をして、ベンチ入りもできなかった浄善女学院で、一年でレギュラーを獲った選手がいる。世間は広く、「上」は果てしなく高い。気が遠くなるほどに。そして、思う。
(私は一体、どこまで行けるんだろう――)

  14

「ダンクができりゃあ、な」
 そんなリサの想いも知らず、長部は話を元に戻した。
「ダンクができれば、迷わずバスケを選んでたと思うよ」
「ダンクね……」
 高校女子には、ちょっと不可能なプレーである。まして、身長150そこそこのリサには、夢想することすら有り得ない。
「女子のリングって、あれでも低くなったらしいな。『女子にもダンクを』ってさ。だったら、もうちょっと低くしてくれりゃいいのにさ。あと20センチほど」
「そしたら、ミニバスになっちゃうよ」
「あと20センチ、いや15センチ足りねえ。身長173センチ、垂直飛び80センチを誇るこの私がだぜ? バスケのリングは高すぎらあ」

「いるのかな……」
 しばらく黙々と走って、ぼそりと長部が呟いた。
「ダンクのできる女子高校生」
「いることはいるよ」
 リサが即答した。
「桃花学園、知ってる?」
「ああ、あの女バス日本一のな」
「あそこに、今年入学した揚美華(ヤンメイファ)って、中国人留学生がいる。彼女のダンクは、雑誌に写真が載ってた。身長、198センチだって」
「そいつはスゲーな……」
 呆れたように呟く。
「見てえ。見てみて〜」
SCA(スカ)なら、いま放送してるんだけどね。桃花対浄善女学院」
「じゃ、観てみよ」
「ウソッ、SCA加入してんの!?」
「スポーツマンの常識だよ」
「いーなー。うち入ってくんなくてさー」
 SCA――スポーツ・チャンネル・アマシマ。天島に拠点を置くスポーツ専用チャンネルで、全国放送が扱わない天島のローカル大会などを放映している。全国大会での天島代表校の試合を追うのも、主要なメニューのひとつである。高校野球の春夏甲子園などは、露骨に天島代表贔屓の放送がなされ、地上波よりも高いシェアを稼いだりする。
「うちに来いよ。いっしょに観ようぜ。手土産は酒と夏休みの宿題でいいや」
「ちゃっかりしてんなー」
「どうせもう終わらせたんだろ。この優等生」
「わかった。宿題は提供する。その代わり、交換条件。ね、長部。あんた、格闘技くわしい?」
「愚問だね。バレーに次ぐ得意ジャンルよ。頭でっかちのオタクとは違うぞ。私は実戦派だからな。立ち技、寝技、なんでもござれよ」
「じゃあさ、教えてくれない? ――関節技」

 長部とリサがランニングから戻ってくると、華南里奈が体育館前に自転車を止め、スタンドを立てているところだった。私服である。地味な自転車のフレームには、「華南酒店」の文字が書かれている。
「こんちゃーっス」
 長部が大きな声で、リサの先輩に挨拶する。
「お疲れさま。ちょうど良かった。これ運ぶの、手伝ってくれない?」
 里奈が自転車の荷台に括られたクーラーボックスを叩いて言う。長部が顔を輝かせる。
「差し入れっすかあ? さすが華南キャプテン、気が利くぅ」
「おめーらにじゃねーよ」
 現金な長部に、リサがツッコミを入れる。
「ケチケチすんなよ。どうせお前ら、5人しか来てねーじゃん」
「たくさん持ってきたから、バレー部のみんなにも、お裾分けしてあげて」
「そーれみろ。華南キャプテンはそういう、やさしいお方なんだよ」

 クーラーボックスを荷台から下ろしたリサは表情を凍りつかせた。
「こんな重いものを!」
 強い眼差しで里奈を睨む。
「そんな怖い顔して睨まないでよ。その程度の荷物、配達でいっつも運んでるんだから。膝、もう治りかけてるし、リハビリよ、リハビリ」
「………」
 リサは黙って、クーラーボックスの肩紐を担ぎ、体育館へと運んだ。里奈の言葉を、額面通りに受け取ることはできなかった。

「ラムネだ〜」
「なんか懐かしい〜」
「いただきますッ」
 よく冷えたラムネにはしゃぎながら、バスケ部とバレー部員達が、口々に礼を言う。
「なんだ、ビールじゃないのか」
 そう言った長部に、服部が「あったりめーだろッ」とまたもスリッパで脳天をはたいた。

   15

 駅前商店街の酒屋に入り、手頃な値段のテーブルワインを手に取ると、リサはレジの前のおばさんに挨拶した。店の看板には「華南酒店」とある。
「こんにちわ」
「あらリサちゃん、いらっしゃい」
 ほころばせた顔をすまなそうにして言った。
「ごめんねえ。いま里奈、配達に出ちゃってて」
「いいんです。今日は買い物に来ただけですから。これ、ください」
「ご家族が?」
 一応、尋ねた。自分で飲むのではないでしょうね、という確認である。無論、形式的なものだ。高校生が少しばかり酒を飲むことに、法律以外の差し障りは感じていない。娘の里奈も、酒屋の跡取り娘に相応しく、いける口である。酒を嗜むには資格がいるが、それは年齢ではないと思っている。
「家族じゃないんですけど、ちょっとしたホームパーティに招かれまして。その手土産に」
 とりあえず、ウソはついていない。そのあるじも、未成年の同級生なのだが。
「そう。ちょっと待ってね」
 そう言うと、奥へ消えた。戻ってくると、和紙でくるまれた一升瓶を手にしていた。
「こんな安物のワインより、これにしなさい。どんな料理にも合うのよ」
 その銘柄を見て、リサは眼を丸くした。
「こんなの、とても買えないですよ!」
「勘定は同じでいいから。リサちゃんだから、大サービスしちゃう」
「そんな……とても釣り合わないですよ」
「いいから持ってきなさい。里奈のことで迷惑かけてるから、お詫びのしるし」
「迷惑だなんて……」
「うちのダンナ、入院しちゃってね」
「入院!? そうだったんですか」
「配達中に事故に遭っちゃって。ひと月ほど前から。歳を取ると治りが悪くってね。もうそろそろ、退院はできそうだけど、仕事に戻れるのは、だいぶ先になりそうでねえ」
「そうですか……」
 保険が下りるから、お金の心配はないこと。しかし、人手の都合上、娘に負担をかけざるを得ないこと。そんなことをおばさんは語った。

「先輩に、よろしくお伝えください」
 テーブルワインの代金を払い、高級日本酒をありがたく受け取ったリサは、礼を言って店を辞した。
 店を出てすぐ、後ろで自転車のブレーキの音が聞こえ、呼び止められた。
「リサちゃん」
「先輩――」
 華南里奈が、配達から戻ってきたのだった。

 高級日本酒を安く譲ってもらった礼を言う。里奈は優しく頷いただけだった。
「治りが、遅いですね」
 リサはズバリと切り出した。
「リハビリどころじゃないですね。ムリしてるんじゃないですか?」
 重い荷物を積んだ自転車のペダルを踏む。それを持って、階段の上り下りをすることもあるだろう。膝に負担でない筈がなかった。
「バイクはあるけど、それ使うわけにはいかないしね」
「事情は、伺いました。家庭やお店のことに立ち入りつもりはありませんけど、できるだけ、ムリはしないでください。先輩の復帰、待ってますから」
 失礼します。そう挨拶して、立ち去ろうとするリサの背中に、里奈が言った。
「この間のこと、怒ってる……?」
 足を止めて、振り向いた。
「気にしてたんですか? 怒ってなんかいません。私のほうこそ、大人気なかったって、反省してます」
 リサのなかで、あの一件での里奈に対するわだかまりは、すでになかった。あわや喧嘩沙汰だったところを止めた、里奈の行動は正しかったと、いまでは思っている。元来、根に持つ性格ではない。
 だがあの時、里奈に対して、怒りを覚えなかったといえば嘘になる。三年グループに勝る、烈しい怒りをである。味方だと思っていた先輩が、三年グループに平謝りで、むしろ自分を叱責さえしたことに、裏切られたような憤りを感じたのだ。

 この間のこと――それは、夏休みを目前に控えた、一学期の終わりに遡る。
「なんだって?」
 三年の前田美佳が聞き返した。
「いま信じられない言葉を聞いたような気がするね。空耳かな」
 小指で耳の穴をほじりながら言った。
「空耳でも、幻聴もありませんよ、前田先輩。用がないなら出ていってくださいと言ってるんです」
 平静な表情で、リサは言った。それがかえって、彼女の断固たる決意を伺わせた。そこに居合わせたもう一人の一年が、そおっと部室を抜け、静かに引き戸を閉じると、一目散に廊下を駆けだした。
「ここは女子バスケ部の部室です。練習をする部員が、着替えるための場所です。汗臭いのは当たり前で、そうでないほうがどうかしてるんです。ここはそういう場所で、そのための場所なんです。引退した元部員が、お茶したり、お菓子食べたり、ましてやタバコ吸う所じゃありません。そういうことがしたいんなら、どこか別の場所へ行ってください」
 パイプ椅子に腰掛け、丸テーブルに頬杖をついていた前田の眼が、ゆっくりとリサの眼を射た。リサはその刺すような視線を避けなかった。
「おい……」
 静かに前田が言った。
「誰に向かって言ってんだよ?」
 型どおりのセリフに、リサは笑いたくなった。一年に噛みつかれて頭に血が上ったのなら、さっさと怒鳴り返すなり、手を上げるなりすればいい。侮辱に敏感で、復讐心が人一倍強いくせに、実際に喧嘩をするのは怖いのだ。だから、鷹揚ぶって凄んでみせて、相手が恐れ入って引き下がれば、それが一番望ましいのだ。生憎と、引き下がるつもりはリサにはなかった。前田の凄みようなど、お笑い種でしかない。
 前田が体面を保ったまま、争いを回避する方法はあった。それはリサの言うことの正当性を認め、自発的にこの場から去ることだった。そのために先輩を立てて、丁寧な物言いをしたのだ。
 その機会を、前田自らブチ壊しにした。彼女は恫喝によって、リサを退けることを選んだのだ。そうなるだろうと予想はしていたが、そっちがその気なら、リサもそれに応じた態度に出るまでだった。
「お前だよ」
「!」
「出てけっつってんだよ。血の巡りの悪い、お前の頭にも解りやすく言やあな」
 前田が立ち上がりざま、丸テーブルのコーヒーカップをリサの顔面めがけて投げつける。首を振ってかわしたリサの背後で、壁に当たったカップが派手な音を立てて砕け散った。
「どうせ話し合いでケリはつかないと思ってたよ」
 不敵な笑みを浮かべてリサは言った。
「いいよ。相手になったろうじゃん。サシでも四人掛かりでも、かかってきなよ。引退した分際で、この部室を好きに使いたいなら、今日から私をブチのめしてからにするんだね。ちょっとばかり、骨が折れるだろうけどさ」
「しばらく練習見に行かないうちに、ずいぶんと生意気な口を利くようになったもんね。……少しお仕置きが必要みたいね」
「能書き垂れてないで、さっさとやんなよ。こっちはさっさと済ませて、練習行きたいんだよ」
「無事に済むと思ってんの! その減らず口、叩けなくしてやろうか」
 そう言って、リサの制服の胸ぐらを掴み上げる。
「バーカ」
 そう言って、リサは両手を前田の後頭部に回した。指と指をしっかりフックする。
 素人だ。リサはそう思った。不良ぶってはいるが、喧嘩の経験などないのだろう。本当の喧嘩上手は、相手の胸ぐらを掴んだりしない。何故か。それは、こうされるからだ。
 前田の鼻っ柱に、頭突きを食らわせるつもりだった。相手は逃げられない。鼻を強打されれば、戦闘不能に陥る。前田を倒せば、残りの腰巾着も戦意を喪失するだろう。リサの意図を悟った前田の表情に恐怖が疾った。
 いままさに、頭部の最も堅い部分を前田の顔面に叩き込もうとした矢先、引き戸を乱暴に開ける物音が、それを妨げた。
「なにしてるの……!?」
 驚愕に顔を引き攣らせた華南里奈が、茫然とそこに立ち尽くしていた。

  16

「軽蔑してるでしょうね……」
 蒸し風呂のようなプレハブの窓を開けて、里奈は言った。体育館わきのプレハブ。パイプ椅子に長机、それに学校行事用の大道具などが収納されている。スペースに余裕があるため、しばしば部活のミィーティング等にも使用されるが、夏場は耐え難い天然の蒸し風呂となる。そこに、華南里奈とリサはいた。
「なにを言って聞かせてくださるんですか?」
 ブスッとした表情で、パイプ椅子に腰掛けたリサが言った。
「ぶったことは、謝るわ。ごめんね。でも、ああするしかなかったの。前田さん達の矛を収めさせるためには」
 里奈は部室に入るなり、リサの頬を平手で打った。呆気にとられる前田ら三年に、よく言い聞かせておきますからと詫び、深々と頭を下げたのだった。
「あいつらに、フクロにされてもよかった……」
 俯いて、静かに口にした。
「向こうは四人だし。それでも、負ける気はしなかったですけどね。
 もちろん、私だってただでは済まない。覚悟はしてました。それでも、それだけの代償を支払っても、あいつらを叩き出すメリットのほうが、ずっと大きいんです。あいつらだって、ただでは済まない。部室を喫茶店代わりに使うのに、毎回私と殴り合いをしないといけない。そうなったら、あいつらだって懲りてよそへ行くでしょうよ」
「リサちゃん、私は――」
「先輩が、争い事が嫌いなのは、よくわかってます」
 里奈の言葉を遮るように言う。
「先輩の、そんなところが、好きでもありました。意見が違う部分も、ありましたけど……。でも、味方だって思ってた! あのどうしようもないクラブで、ただひとりの。あいつらにフクロにされたって、そんなの屁でもない。でも、先輩にぶたれたのは、ショックでした。心が、痛いです。親に見捨てられた、子どもみたいな気分ですよ」
「リサちゃん……」
「平手打ちだけで済んだんだから、めっけものじゃないか。感謝してほしいぐらいだ。――そんな風に思ってるんだとしたら、先輩は思いやりってものを勘違いしてます。私は、先輩に味方でいてほしかった。先輩だけは、私の気持ちを解っていてほしかった。なのに……」
「リサちゃんに酷い仕打ちをしたことは、承知してるわ」
 長机を挟んで、リサの向かいのパイプ椅子に腰を下ろす。
「それについては、謝ることしかできない。赦してはもらえないかもしれないけど。でも、言い訳するつもりはないけど、敢えて言うけど、あなたの考えは、とても浅いと思う」
「なぜですか!?」
 背けた顔を戻し、里奈の顔をキッと睨みつけた。
「私、なにか間違ったことをしましたか? だいたい、事のいきさつだって、まだ聞いてないじゃないですか。あいつら、私になんて言ったと思います? 『あんまり練習すんな。汗臭くなるだろうが』ですよ! どこだと思ってるんですか。挙げ句に、タバコを吸うから見張ってろですよ! 問答無用でつまみ出したって、どこからも文句を言われる筋合いはないですよ!」
「あなたのやろうとしたことが、きっと正しいのだろうということはわかってたし、聞くまでもないことよ。でも、それでは済まないこともある。……前田さんは、危険なひとよ」
「……そうですかね?」
 里奈は過剰に前田を怖れている。リサにはそう思えた。前田など怖れるに足りない。ワルとしても雑魚だ。
「単にあなたの身を心配しているだけじゃないの。確かに、腕力では負けないかもしれない。でも、そうなれば、あの人は別の報復の手段を講じてくる。たとえば、あなたに暴力を振るわれたと学校当局や連盟に申し出て、バスケ部を潰させるとか……」
「そんな!? あいつらだって、曲がりなりにも元バスケ部員なんですよ?」
「元バスケ部員だからよ。あの人はもう引退していて、バスケ部がどうなろうと、知ったことじゃない。それほど、部に愛着があったわけでもない。ためらう理由はないわ。あの人は、そこまでやる人なの。目下の者が、自分に逆らうことを絶対に容赦しないし、怨みは決して忘れない。蛇のように執念深くて、冷酷な人……」
 ごくり、とリサは唾を飲み込んだ。淡々と語る里奈の顔が、心なしか青ざめて見えた。彼女が一年の時代に、一体なにがあったのか、想像せずにはいられなかった。


 結局、そこまで前田を怖るべき人物だと評価させるに至った、具体的な過去について、里奈は語らなかった。
 いずれにしろ、暴力沙汰を隠すことはできないだろう。そうなれば、バスケ部は非常に危うい立場に立たされることになる。ただでさえ活躍が期待されるバレー部と、体育館を分け合う、厄介者的存在なのだ。
 バレー部にもっと優先的に体育館を使用させたい学校当局は、そのことをいい口実にして、バスケ部を廃部、もしくは体育館の無期使用禁止といった措置に踏み切ることを遠慮しないだろう。顧問のハゲヅラこと蔭妻という教師も、しょうがなく籍を置いているだけで、まったく頼りにならない。
 そうしたことを里奈に諭され、リサはいまでは理解している。無論、理解したからといって、事態がなにひとつ改善されるわけではない。むしろ、新たに枷をはめられただけだ。夏休み中のいまはいいが、もうすぐ始まる新学期のことを考えると鬱だった。
(あいつらの卒業まで、ガマンの子でいなきゃいけないのかな……)
 冗談ではない。引退までのガマンでさえ、すでに限界を超えていたのだ。しかし、そうは言っても、リサにはなんの解決策もないのだった。
(今日は飲むか!)
 気分を切り替えて、そう考えた。手には、入手も困難といわれる、極上の銘酒があった。
 前向きな性格のリサに相応しく、とたんにニンマリとして、彼女の書いた大雑把な駅からの地図を頼りに、長部京子の住まいへと向かった。

 たどり着いた長部京子の住まいは、安普請のアパートだった。錆びついた鉄階段を上って、205号室のチャイムを押す。
(はーい)
 中からの声は、長部京子ではなかった。ガチャリと扉が開く。
 出てきたのは、女の子と見紛うばかりの、可愛らしい男の子だった。
「秋月さんですね? 話は聞いてます。どうぞ、お入りください」
 リサは危うく、手にした一升瓶を落とすところだった。彼の顔は、三年前に付き合い、弄ばれていたと知り、そしてグーパンチで殴って別れた、かつての恋人のそれだったからだ。
「トシ……」
 リサは茫然と、そう呟いた。

続く 17〜19

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特別公開版第0稿 2002.12.24
第1稿 2003.01.28
第2稿 2003.02.27