ダブルスコアTO   17

「そんなに僕、元彼に似てます?」
 玄関わきの小さなキッチンで、甲斐甲斐しく料理の支度をしながら、優(ゆう)、と名乗るその男の子は、可笑しそうに尋ねた。
「いや、よく見たら全然違ってた」
 座布団に正座したリサは、バツが悪そうに言った。
「パッと見の雰囲気が、ちょっと似てたから。でも、考えたら、あいつだって三年分歳を取ってるはずだし、あの頃のままってことはないよね」
「でも僕も、1コしか違わないんですけど」
「中三? ひっどいなー。受験生にこんなことさせて!」
「いいんです。たまの息抜きですから。珍しいんですよ。あのひとがここに誰かを招待するなんて」
 あのひと、という言い方に違和感を覚えながら、リサは訊くまでもないことと思いながら問うた。
「弟さん――よね?」
 彼は含み笑いをして、こう応えた。
「やっぱり、そう見えちゃいますよね」
 つまり、そうではないということだ。では、長部京子と彼の関係はなんなのか。まさか――と、さらに尋ねようとした機先を制された。
「足、崩して楽にしてください。かしこまるような場所じゃないですから」
 そう言って、ニッコリ笑う。作った料理を座卓に並べる。出来立てのチキンの唐揚げが、美味しそうな音と湯気を立てている。
「そうだね」
 つられてリサも笑った。あれ以来、美形の男には用心するようになったが、そんな警戒心を解きほぐす物腰の柔らかさがあった。エプロン姿がよく似合っている。抱き締めて頬摺りしたくなるような、そんな衝動をリサに覚えさせた。

 結局、彼と長部の関係については訊けないまま、世間話をして時間は過ぎた。時計に眼をやり、「もうそろそろ、帰ってくる頃だと思います」と男の子は言い、その言葉通りに、しばらくして、扉が開いた。
「よう。早かったな」
「おめーが遅えよ」
「このアパート、西日当たりが良好でよ。あんまり日が高いうちに帰りたくねーんだよ」
「こういうひとなんですよ」
 男の子は苦笑して、客人より遅く帰宅したこの部屋の住人、長部京子をそう評した。
「一人暮らしって聞いてたのに、男の子が出てきたから、びっくりしたよ。先に言っといてよ。……で、このコとは、どういうご関係なワケ?」
「弟かって言われた」
 面白そうに男の子が言った。
「弟はいねーよ。フーテンの兄貴がいるだけでよ。どういうご関係って言われてもな。ま、こういうご関係」
 ふいに長部は男の子に唇を重ねた。丈高い彼女が、小柄な男の子をまるでベアハッグするように腰を抱き寄せる。唇を奪う、という形容そのままのキスだった。
 リサの手前、最初、男の子は抵抗したが、腕力で長部に敵うはずもなく、次第にうっとりと脱力するように、なすがままにされた。エビ反りの姿勢で、男の子の顔が天井を向いている。性差が完全に逆転していた。
 ねっとりと舌まで絡ませるに及んで、リサは唖然と見つめていた二対の唇から眼を逸らした。顔が熱かった。耳まで紅潮しているだろう。美少年趣味がなくなったわけではないが、年下だけは性愛の対象外だった。二つ違いの弟を連想してしまうからである。近親相姦のような禁忌と、生々しさを感じずにはいられなかった。

「うおッ。《天桜》じゃん!」
 リサの手土産を見て、さすがの長部も眼を丸くした。
 天桜(あまざくら)。十五年前、北陸の若手杜氏が、自ら完成させた新しい酒を、その年、新しい県となった天島にちなんで、そう名付けた。高い人気に醸造が追いつかず、入手も困難といわれる銘酒である。
「全国制覇の祝いに、取っておこうかな」
「おい!」
 リサが怒気を発した。
「どうせムリだってば」
「あんだとおッ!?」
 長部が男の子にヘッドロックを見舞う。
「全国制覇じゃないよッ。お酒を取っておくことだったら!」
「……言えてらあ」
 そう言って、ヘッドロックを解く。
「まあいいや。前祝いだな。全国制覇の」
 豪快に笑う。彼女がそう言っても、大言壮語に聞こえなかった。
「いっつも、こんなこと、されてんの?」
 可哀想になって、リサが訊く。
「怒るとすぐこうなんですよ。ヒドいんですよ、このひと」
 涙目で訴える。
「ウソつけ。顔にバストが当たって、ちょっと嬉しかったくせに。チンポ、ボッキしただろ」
「してないよ! やめてよ、人前で」
「あんたも一応、女の子なんだからさ。**ポはやめようよ、**ポは。せめて、**コって言おうよ」

  18

 長部が男の子を軽々と抱き上げ、ベッドに横たえた。顔を茹で蛸のように真っ赤にして、寝息を立てている。天桜三杯で、ノックダウンしたのだ。
「おいしい!」
 日本酒は苦手だという彼が、「騙されたと思って、飲んでみろ」と長部に強引に酌をされ、渋々ひと口飲んだ感想がそれだった。湯飲みに注がれたそれを、下戸らしからぬハイピッチで飲み干すと、おかわりをせがんだ。無論、止める長部ではない。見かねて、リサが注意した。
「口当たりがいいけど、あんまり飲むと、倒れちゃうよ」
 そして、倒れたのだった。

「あんたがこういうご趣味とは思わなかったねー」
 意識がないことを見て取ったリサは、長部の可愛い彼氏の寝顔を眺めてそう言った。
「マッチョ好きって、思ってた?」
「うん。でも、なんか解る気がする。長部が女になれる男って、滅多にいそうもないもんね」
「兄貴と比べちゃうんだよねー、そっち系はどうしても。『男らしさ』を売りにする男って、例外なく大したことないし。私って、ブラコンなのかもね」
 リサはその兄のことを尋ねた。本物の男だと、長部は言った。
「登山が好きでさ。アルピニスト、つーの? 私もよくついていったよ。筋がいいって言われた。誉められるのが嬉しくってさ」
 リサは胸騒ぎがした。長部が遠い目つきをしていたからだ。
「でも、バテてヘタり込んでも、絶対おんぶはしてくんなかった。ペースダウンするだけでさ。兄貴からすれば、じれったかったと思うよ。もう動けないって泣く私に、兄貴、こう言ってくれたんだ。『奥歯をギュッと噛み締めてみろ。それができるうちは、まだ立ち上がれる』ってね。私の胸に、いまでも刻まれてるよ」
「いい言葉だね……」
 バレーを始めて、登山には付き合えなくなった。それでも、もう一度、一緒に峻険な山々に挑みたくなることがある、と長部は言った。いまなら、足手まといにはならない。逞しく成長した自分を見てほしい、とも。
「私と違って、文武両道でね。頭も良かったんだよ。長部さんちの自慢の長男ってわけ。証券会社に就職したんだけど、突然辞めちゃってさ。ヒマラヤに登るっつって」
「………」
「親、カンカンよ。母親なんて、寝込んじまってさ」
 自分の母親を「母親」と呼ぶのは妙だったが、リサはそれを気にとめるどころではなかった。ますます、いやな予感が高まっていたからだ。
「それをどっから報せてきたと思う? ネパールからだぜ。事後承諾にも程があるよな」
 そう言って、長部は笑った。リサは黙って聞いていた。
「ところが、現地人パーティのベースキャンプを離れて、いよいよてっぺん目指して登っていったところで、それっきり消息を絶っちまってな……」
 そこまで言って、長部はリサの顔を覗き込んだ。まさに固唾を飲んで、耳を傾けていた。ニッ、と長部が笑う。
「死んだと思うだろ。ところが、生きてたんだよなあ」
 相好を崩して言った。ホッと胸を撫で下ろしたリサが文句を言う。
「驚かすなよー、お前はあ。遠い目なんか、しやがってさー」
「フーテンの兄貴がいるっつったろ。死んでたらそうは言わねえよ。こっちだって、大変だよ。なにしろ葬式の準備までしてたんだから」
「それで、お兄さんは? いまどうしてるの?」
「結局、日本には帰ってこなかった。カトマンズで料理屋の娘と結婚して、跡を継いでるよ。子どもが二人いる」
「いかにも、あんたのお兄さんらしい人生だね」
 長部は兄一家の写真を見せた。エアメールの封筒に入れっぱなしなのが、彼女らしかった。小柄で優しそうな妻と、腕白そうな男の子を傍らに、幼い女の子を肩車した長部の兄が写っていた。長部の兄にふさわしい巨漢で、無精髭を生やした、はにかんだような笑顔が印象的だった。名前を東(あずま)という。兄妹で、東男に京女、というわけだ。東男はともかく、京女ってガラじゃないよな、と言って長部京子は笑った。
「私には会いたがってるんだけどね。向こうだと、なかなか日本まで往復する銭は稼げないらしくってさ。そのうちオリンピックに出て、世界中に私のことを放映させてやるから観てろ、って言ってやったよ」
「両親とは、うまくいってないの……?」
 長部も込みの問いであった。長部の実家は県内にある。通学には遠い距離だが、そもそも学区が異なる。日之出が丘高校は、天島のごく普通の公立校であり、親元を離れ、一人暮らしをしてまで入学する学校ではない。そのこと自体が、なにか仔細を伺わせた。
「兄妹ともども、親とは折り合いが悪くってさ。もっとも、兄貴は可愛がられてたけどね。ヒマラヤ行くまでは」
 そう言って、長部は笑った。
「これでも小っちゃい頃は、病弱でさ。よく夜中に熱を出したんだよ。そんなとき、私をおぶって、町医者駆けずり回ってくれたのは兄貴さ。そんな時に、うちの母親ときたら、どうしたと思う? タクシー呼んで実家、帰っちまうんだぜ」
「なにそれ。信じらんない!」
「いるんだよなあ、世の中には。親になる資格がないくせして、親になっちゃうやつがさ。世間知らずのお嬢様でさ。事態に対応しきれなくなると、すぐ現実を拒否すんのな。父親は父親で、根っからの仕事人間で、おまけに愛人宅に入り浸りで、しょっちゅう家を空けてるやつだったしな」
「……絵に描いたような、崩壊家庭だね」
「グレずに済んだのは、兄貴のお陰さ。そんなわけで、兄貴のいないあの家からは、とっとと出たかったし、親も止めなかった。内心、ホッとしてたんだろ。それで中学を卒業して、ここに転がり込んできたってわけ。
 ここも元は、兄貴が借りてたんだよ。いい給料もらってたはずなのに、こんなボロアパートに住んでさ。全部ヒマラヤにつぎ込んでたんだな。おかしいと思ってたんだよ。証券マンなんて、ガラじゃないのにさ。案の定、性に合わなくて、ヒマラヤなんて行っちまったと思ってたけど、あとになって、最初からヒマラヤ行きの資金稼ぎだったんじゃないかって、気付いたんだ。それなら、すげえあいつらしいって、納得できるんだよ」
 寂しくないの? とリサは訊いた。
「別に。遠い空の下で兄貴が生きてる。それだけで充分だよ。一度は死んだって聞いたんだからさ。それに、いまはこいつがいるから」
 ベッドに腰を下ろし、眼を細めて優という男の子の頬を撫でる。
「可愛いだろ。こいつのお陰で、どんなに辛いこととか、悔しいことから救われてるか、わかんないよ」
 こんなに穏やかな、優しい長部の表情を初めて見た、とリサは思った。本当に好きなのだ。便利で都合のいいお稚児さんではないらしい。たとえ、受験期に料理を作らせ、リサの持ってきた夏休みの宿題を「写しとけ」と命じたにしてもだ。

「このコにやらせんの!? ひっどいなー。優クンも、イヤなことは断ったほうがいいよ。腕力では敵わなくても」
 リサはそう言ったが、本人はそれほどイヤでもなさそうだった。
 さらに長部は、怪しまれないよう、適当に間違えておくことまで要求した。
「こいつ、けっこう頭いいからよ。だいたい、この時期に宿題を終わらせてるってのが、信じられねーよ」
「一週間で片付けちゃったよ。イヤなことは、先にやっつけたほうがいいじゃん」
「そうですよね! 僕もおんなじです」
 優少年が、嬉しそうに同意する。
「アホか、お前ら。次の日、天島が沈没したら、どうすんだよ」

  19

 ラヴレターを寄越してきたのだ。と、リサに馴れ初めを訊かれて、長部は答えた。練習試合に赴いた中学校の生徒で、コートでの彼女を見るなり、一目惚れしてしまったのだという。
「京子、京子」
 練習を終え、部室で着替えている最中、先に帰った同じ三年部員の陽子が、戻ってきて声を掛けた。
「来てるよ。例の男の子」
「へえ」
 彼から手紙を預かり、長部に渡したのは彼女だった。
「自分の眼で見て確かめてみ。もおホンッッット、可愛いから!」

「キミが、木下 優くん?」
「は、はい……」
 カチンコチンに緊張して、彼は答えた。
「じゃ、行こっか」
 彼の肩に手を置いて言った。
「は……? あ、あの……」
「なんだよ。惚れたんだろ? 私に」
「そうですけど……」
「なら、いいじゃん。私も気に入ったよ。キミのこと」
 男の子の肩を抱いて、歩いてゆく二人の後ろ姿を、校門の陰からバレー部員数名が覗いていた。そのひとり、陽子が唖然と呟いた。
「……さっそく、お持ち帰りかよ」

「で、そのトシとかいう元彼とは、別れてから、顔合わせなかったのかよ?」
 長部は自分の馴れ初めを話したかわりに、優の顔をリサに一瞬見紛わせた、中学時代のオトコの話を聞き出した。
「夏休みが終わったら、どっかへ転校してた。逃げ出したのか、家庭の事情かはわかんないけど」
「まあ手ぇ出した女に、腕力では手も足も出ませんでしたじゃ、プレイボーイも形なしだもんなー」
「ガッカリだよ」
 リサは湯飲みに残った酒をあおった。叩きつけるように座卓に戻し、大きな音を立てる。
「ふてぶてしく居直るぐらいの悪党なら、そういうワルに遊ばれたんだって、思い出にもなるけどさ。あれじゃ、あんな男に唇を許した、自分まで惨めになっちゃうよ」
 長部が注いだ酒を、また一気にあおる。
「酔い潰れるなよ。まだ、バスケの試合を観んのが残ってるからよ」
 そう言いつつも、リサの杯に天桜を注ぐ。
「お前も案外、女なんだな。自分だって、優と見紛う美少年とチュッチュチュッチュして、さんざ愉しんだんだろーが。お互い様よ」
「そんな風には、思えないよ……」
「キスもセックスも、フィフティ・フィフティなんだよ。唇を奪われるとか、処女を捧げるとか、女がそんなこと言ってるうちは、22世紀になっても、男女は平等になれねーよ」
 感心したように、リサは言った。
「長部って、芯から男らしいんだね」
「誉め言葉として、受け取っとくよ」
『トシ』のセリフを真似て、そう返した。
「自分でも思うよ。私の魂は男なんだってね。だからって、男に生まれたかったとか、女が好きとか、そんなビョーキみたいな連中とは違うぞ。このでっかいオッパイだって、自慢だしな」
 両手に抱えるようにして、誇示する。
「バレーには、ちょっと邪魔っけだけどな。これで顔をはさんでやると、コイツよろこぶんだよ。股間のトンガラシがバズーカ砲に早変わり。コイツのさ、普段は見かけ通り、こんな小っちゃいくせにさ、ボッキしたら信じられないぐらいビッグマラーなんだぜ」
「わかった。もういいから」
 指でサイズまで説明する、長部のセックスライフに関する告白を遮る。当の両人を眼の前にして聴くには、あまりにも刺激が強すぎた。
 ベッドで底なしの性欲と体力で腰をグラインドさせる長部と、その下で切ない表情で喘いでいる優少年の図が、リサの脳裏に浮かぶ。それがあまりにヴィヴィッドで生々しく、リサは頭を振って、その映像を掻き消した。


 長部の家を出る頃には、すっかり夜も更けていた。
 結局、男の子は酔い潰れたままだった。あのまま、泊まらせるらしい。彼の家には、長部から電話をしておくと言っていた。親も公認の仲らしかった。
(かなわないなー)
 リサは思った。性的にも、精神的にも、そして、アスリートとしても。
(全国制覇に、オリンピックか)
 ハッタリではない。彼女は真面目に、それを目標として見据えているのだ。リサには確信があった。長部京子という女がいずれ、ひとかどのプレイヤーとして、バレー界にその名を馳せるであろうことを。
 また、同じことを思う。
(私は一体、どこまで行けるんだろう――)

 長部の家で観た、浄善×桃花戦は、収穫多い観戦となった。レベルの高さもさることながら、圧巻は198センチを誇る中国人センター、揚美華(ヤンメイファ)の豪快なプレイだった。さらに、彼女を上回る衝撃をもたらした、あの一年生。そして、もうひとつ。

(大久保、いまどうしてる……?)
 親友のドラマティックともいうべき生い立ち・家庭環境。結果、培われた彼女の強さ、成熟ぶりを知り、そして、想起するのは、あの女のことだった。
 長部は、徹底した大人だ。己れが何者で、何処に向かおうとし、そのために何をすべきか、はっきり見定め、突き進んでいる。
 それに比べれば、リサもチカも、まだまだ頑是ない子供に等しかった。自分のことさえ知らず、惑い、彷徨っている。
 リサには判っていた。たとえ口ではどんなに否定しようと、チカがバスケをやりたくてやりたくてしょうがないのだということを。
(くだらねー意地張りやがって。そういう子供っぽさで、あいつは、遙かに私に近い)
(お前は観たのか、あの試合を? 安部は出たぜ。ベンチ入りどころじゃない。全国ベスト8、日本一の桃花学園相手のコートに、一年の安部は立ったんだぜ。どうするよ、大久保!)

続く 20〜23

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第1稿 2003.01.28