ダブルスコアTO   24

 そして、夏休みが終わり、二学期を迎えた。
 学期初日の今日は、授業はない。体育館での全校集会で、校長ほか幾人の退屈な訓辞を聞き、各クラスで長めのホームルームを開き、昼前には下校となる。
 無論、クラブ活動、ことに運動部に所属する者は、その限りではない。この日から、さっそく練習が始まる。めいめい昼食を摂り、午後を目一杯、クラブの練習に充てる。
 華南里奈が、リサを体育館に探し当てたとき、彼女はバレー部の長部京子と、片隅に敷いたマットの上で、なにやらレスリングのように、組んずほぐれつしていた。
「……なにしてるの?」
「コンチャーッス」
 リサに脇固めを極めた体勢のまま、長部が元気に挨拶をする。
「いや、ちょっと関節技の手ほどきを……」
 エヘヘ、とリサがテレ笑いして説明する。里奈は表情を曇らせた。
「くどいようだけど、暴力で物事を解決しようとするのだけは、しないでちょうだい。火で火を消すことは、できないのよ」
「へ〜。華南先輩って、詩人だなあ」
「ただの受け売りよ」
 感心する長部に、笑って応える。
「やだなあ、そんなんじゃないですよ。これは純粋な、格闘技への興味で。な、長部?」
「どうだか」

 長部がバレー部のランニングにグラウンドへと去っても、バスケ部の面々は、なかなか集まらなかった。
「今日は前田さん達には、遭わなかった……?」
「部室にはいませんでした。真っ昼間の部室は暑いですからね。あいつらも、エアコンまで持ち込むわけにはいかないし」
「そう……」
「今日は練習、見てもらえるんですか?」
「ええ。二学期初日だし、これでもキャプテンだからね。病院に行くから、途中で失礼させてもらうけど」
「やったあッ。夏休み中、いろいろと、身につけた技があるんです。見てもらいたくって」
「リサちゃんは、とっくに私なんか超えてるわよ」
「そんなこと!」
「大久保さんは、どう?」
 里奈は大久保千夏の件を既に知っていた。彼女の実力に関しては、キャプテンの里奈としても、無関心ではいられなかった。
「あいつのことは、いいです。今日も朝礼で顔合わしたけど、あいつ、なんにも言わなかったし」
「………」
「それに、巧いヤツを入れてチームを強くしようなんて虫が良すぎるし、後ろ向きだって気付いたんです。それより、自分達が強くなればいいんです」
「そうね……」
「それで結果を出せれば、あいつだってうちを見直してくれると思うんです。だから私、あいつのこと、別に諦めたわけじゃないですよ。ネタは上がってるんです。あいつが本当は、バスケをやりたくてやりたくてウズウズしてるってことは」

 だが、二学期初日を、爽やかに終えることはできなかった。
 例によって、一番遅く練習を上がり、ひとり部室で制服に着替え、戸締まりをしたリサを、彼女達が待ち伏せしていたからである。
「相変わらず、遅えな」
 三年グループを従えた前田美佳が、リサの背中に言った。
「待ちくたびれたよ。まあ、周りに大勢いられたんじゃ、それはそれで不都合なんだけどさ」
「んなこったろうと思ってたよ」
 クルリと向き直って、リサは言った。不敵な顔つきをしている。
「この間は、華南にうまいことはぐらかされたからね。あんなお上品なビンタ一発で帳消しにされたんじゃ、こっちの腹の虫はおさまらないんだよ。
 聞いたぜ。乱暴はイケナイんだって? 尊敬するキャプテンの言いつけは、守らねえとな、秋月」
「尊敬しない元キャンプテンの言うことも、聞いて差し上げますよ。聞くだけならね」
「なら、付き合いな」
 無表情に、前田が言った。前田グループの二人が、両側からリサの肩を掴む。校舎の玄関に向かう、前田のあとに続く。

 その様子を、廊下の角から、伺っていた女生徒がいた。チカであった。
 彼女がそこにいたのは、偶然ではない。チカもまた、ある決意を胸に、練習を終えたリサとの、接触の機会を伺っていたからである。
 部室の並ぶ一階で、前田達とすれ違ったとき、彼女らもまたリサに用があることをチカは直感した。それも、穏やかでない用だ。バスケ部の内情は知っている。前田ら、三年グループとリサとの確執についても。
 それで、彼女らに気付かれないよう、様子を伺っていたのだった。案の定、というわけだった。
(――体育倉庫)
 チカは瞬時に、あたりをつけた。階段を駆け上がる。前田らの向かった玄関とは、逆方向だ。2階の廊下を突っ切り、非常階段から降りて先回りする。距離では、こちらが長い。急がねばならない。
 決意は固まっていた。しかし、どんな顔をして彼女と向き合い、どう言って話を切り出したものか、今日一日、考えあぐねていた。朝礼以来、いくらでも機会はあった。だが、躊躇う気分のままに、ずるずると放課後まで先送りにしてしまった。ウブな少女の恋の告白のように、ギクシャクした醜態を演じてしまうのが怖かった。
 その、なにもかもが吹っ切れた。チカの顔は、知らず喜悦の表情を浮かべている。全力疾走で、2階廊下を駆け抜けてゆく。

 そして――。

  EPILOGUE−2

「アイテテテテ」
 腫れた瞼を消毒するチカに、リサが悲鳴を上げる。
「我慢しなさいよ。あんだけ殴る蹴るのバイオレンスに耐えといて」
「痛みの性質が違うんだよ。お前ももちっと、優しくしろよ」
「あのねー。保健室からこんだけかっぱらってくるのに、どれだけ苦労したと思ってんの。あんたこそ、少しは感謝しなさいよね」
「はいはい。感謝してますよ。アイテテテテ」
 リサの顔は無惨に腫れあがっていた。陽のあるうちに外へ出るのは、差し障りがあった。そこでチカは、リサを体育倉庫に残し、保健室から消毒液や絆創膏などを失敬してきたのだった。

「私の顔、どうなってる? ヒドイことになってんだろうなあ」
「前よか、可愛くなったよ。アンパンマンみたい」
「ケッ」
 体育倉庫に鏡はなく、手鏡を持ち歩く習慣は、リサにも、チカにもなかった。
「あ〜あ、家族になんて説明しよ」
「グラウンドでランニングしてたら、運悪くサッカーボールが顔面にヒットした」
「一回じゃ、こうはならないよ。ムリがあるな〜」
「物凄く運悪く、それが五回続いた」
「ムリあり過ぎ!」

「そいつで冷やしてれば、少しは腫れも引くよ」
 リサは冷凍庫でジェルを凍らせるタイプのアイス枕を顔に当てていた。これもチカが、保健室から持ってきたものだ。
「ありがと……」
 リサは静かに言った。
「礼はまだ言ってなかったからね。もういいよ。あとは日が暮れるまで、ここで時間潰すから。最悪、長部ん家にでも泊めてもらうよ。あいつ、独り暮らしだから」
「そう言うなよ」
 チカは高跳び用のマットに、寝っ転がって言った。
「付き合ってあげる。どうせヒマだし」

「バカだって、思ってるだろ?」
「どうして?」
「詫びさえすりゃ勘弁してもえらる相手に突っ張って、ボコボコにされ、まるっきりその気のないヤツに土下座までして、袖にされる。自分でも、そう思うよ」
 マットに寝転がったまま、チカは言った。
「あんな連中、私だって死んでも頭なんか下げたりしないよ。もっとも、あんたと違って、私ならもう少し頭を使って、うまくやるけどね」
「だろうよ!」
「しかし、あいつらもアッタマ悪いよねえ。ちょっと確かめてみりゃいいのにさ」
 チカはポケットから取り出した携帯カードフォンの二つ折りを開き、水戸黄門の従者が差し出す印籠のように、リサに見せつけた。
「これ。いまバッテリー切れてんのよ」
 リサは、あんぐりと口を開けた。文字通り、開いた口が塞がらなかった。

「それに、私の勧誘に土下座までするのも、見合わない行為じゃない。あんたの、人の値打ちの判断は正確だよ」
「ヘッ! 自分で言うか?」
「どう。もう一度、土下座してみる? あなたが必要です。力を貸してくださいって」
「ごめんだね!」
「………」

 しばらく思案して、チカはこう切り出した。
「でも、キレて逆襲に転じたのは、うまくないわね。無思慮にも程があるんじゃない?」
「うるせーよ!」
 チカのその一言が、リサをカッとさせた。
「親切には礼を言うが、お前のそういう人を見下げた態度は大っキライだ。外野からエラソーに批評くれやがって。だいたい、余計なお世話なんだよッ。なんで止めたッ。あのヤローの足首、ブッ壊してやるとこだったのに! そうだよ。あいつが華南先輩にやったことを思えば、それぐらいして当然の報いなんだ!」
「ホッとしてるくせに」
(グッ……)
「それで、あのキャプテンが、喜ぶと思う?」
「聞いた風なことを言うんじゃねえ。バスケ部がどうなろうと、お前にゃ関係ねえだろッ」
「それが、関係あるのよねえ」
 チカは自分の描いたシナリオ通りの展開に、ニンマリとした。
「だから、止めたの。困るのよ、バスケ部に潰れてもらっちゃ」
 チカは立ち上がった。リサに背中を向けて。いざ、そのセリフを口にするとなると、気恥ずかしさと、照れが生じた。口調が、妙にぶっきらぼうになった。
「――付き合ってあげる。あんたの熱血に」

 リサの、反応はなかった。チカはリサに向き直る。
「入部届けは、誰に出せばいい? ……ハゲヅラ?」
 リサは、ポカンとした表情を浮かべている。耳には入っても、まだよく頭に染み通っていないようだった。徐々に、言われたことの意味を理解する。それでも、素直に喜ぶ気にはなれなかった。この間のことは、骨身に染みている。糠喜びは、もう懲り懲りだった。
「本気で言ってんの……? くだらないオチをつけて、からかわれんのは、もう沢山だよ」
「オチはないよ」
 苦笑いして言う。
「よっぽど信用されてないのね。無理もないか。なら、こう言えば、信じてもらえる? ……効いたよ。あのビデオは」
「や――」
 リサの表情の変化は、まるで蕾が花開くようだった。
「やったあッ」
 破顔して、チカに抱きつく。
「強くなる。うちら、ゼッタイ強くなるよ! あんたと私が組めば、もう怖いもんなんてないよッ」
「やめろよ。そおゆーシュミはないよ」
 されるがままに、そう言った。
 怖いもんなんてない。あの試合を観て、よくそんなことが言える、とチカは思った。よほどの大物か、まだ怖れを知らぬヒヨッ子なのだ。なまじ実力があればこそ、味わねばならぬ苦悩や悔しさはあるのだ。
 チカは安部に想いを馳せた。――桜井まどか。同学年の異常天才、名将・桜井監督の娘を目の当たりにして、彼女はなにを思ったのだろうか……?
 勝利の歓びにひたっていられるのは束の間だ。ウイナーの玉座は与えられても、そこに安穏と座すことは赦されない。まるでテレビゲームのように、倒せば倒すほど、より強力な、新たな敵が出現する。いずれこの女も、そのことを知るだろう。チカの瞳が、険しい光を帯びるのを、抱きついているリサは、むろん気付くはずもなかった。

「ほらもう、ひとがせっかく持ってきたアイスノン、落っことしちゃってえ。知〜らない」
「あちゃ〜、きッたな〜」
 歓びのあまり、コンクリートの床に落としたそれをつまみ上げると、拭き掃除をした雑巾のように、真っ黒な汚れがベッタリと付着していた。
「悪い。洗ってきて」
「あのねーッ」
「だって、まだ明るいし、この顔じゃ出ていけないじゃん」

 ブツブツ文句を言いながら、汚いものをもつようにアイス枕の角をつまんで、鉄扉のノブに手をかける。
「大久保――」
 リサが呼び止めた。ありがとう。そう言おうとして、口がこわばった。いまのいままで反感を抱き、敵視していた女に、素直にそう口にするには、あまりにも照れ臭く、抵抗があった。
「チカでいいよ」
 そんなリサの気持ちを知ってか知らずか、チカは悪戯っぽく笑ってそう言った。
「ひとつ、訊いていいか」
「ナイショ」
「まだなんにも言ってねーよ!」
 悪戯っぽい笑みのまま、チカは鉄扉を抜けた。


(ったく、世話の焼ける……)
 先が思いやられる。そう思いながら、チカは夕陽の眩しさに眼を窄めて、水洗いしたアイス枕を手に、体育倉庫に向かう。
 九月の日差しは、赤く大地に没する前になっても、容赦なく強い。
 夏の太陽――夏陽。
(結局、あんたの言う通りになっちゃったねえ)
 夕陽に重なって、安部夏陽の顔が浮かぶ。不敵で、生真面目な。来るなら来なさい。相手になってあげる。とでも言いそうな、そんな顔をしている。
(全国ベスト8。ずいぶん遠くまで、行ってくれちゃってさ)
(なれるかもしれないね。エースに。あんたなら)
(夏陽、あんたは、私の――)
 夕陽に手を伸ばし、それを掴もうとするように、拳を握り締める。
 無論、夕陽を掌中にできるはずもない。握った拳の向こう側で、夕陽は強く眩しく、輝き続けている。それは、自分がやろうとしていることの、皮肉な象徴なのだろうか……?
 そんなことを真剣に考えている自分のオカしさに気付いて、チカは自嘲的に苦い笑みを浮かべた。止まった足を、再び動かす。
 戦うのは苦しい。だが、戦いを下りても、苦しいことに変わりはなかった。だったら、戦っているほうがマシだ。戦い続け、挑み続け、そして、勝つ。それ以外に、この窒息感から、逃れるすべはないのだ。
(オンボロ自転車で、追っかけてみるか)
 チカは、体育倉庫の鉄扉のノブを回した。
 新しい相棒が、顔を腫らして待っている。

FIN 

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