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   DUNKRESS −雄叫び−


  プロローグ

 神様、あなたは不公平です。

 いつもと違う時間、いつもと違う場所にいると、いつも突き刺さってくる。
 好奇の視線。
 忍び笑い。

 気付かない、とでも思っているのだろうか。
 でも私は、まるでアレルギー患者のように、それに敏感なのだ。
 そして、まるでアレルギー患者のように、それが、堪らなく、辛くて、苦しい。
 いまでも。

 この身体のせいで、みんなから馬鹿にされた。
 この身体のせいで、みんなからいじめられた。
 好きで、こんな身体になったわけじゃないのに。

 中一の時、そんな私にも、ひとりだけ親切にしてくれる男の子がいた。
 思いやりがあって、格好良くて、クラスの人気者。
 ありったけの勇気を振り絞って、彼にラヴレターを渡した。
 彼は、信じられないくらい冷たい眼で、読みもせず、それを破って、投げつけた。
 悲しすぎて、涙も出なかった。

(勘違いすんなよ)
(お前と付き合う物好きが、この世にいると思ってんのかよ)
(人並みに、色気づいてんじゃねーよ)
(お前はプロレスでもやってのんが、お似合いなんだよ)

 それが、私の初恋。
 そして、初めての失恋。
 私だって、女の子なのに。
 なのに、恋もしちゃいけないの?
 殴ったり、殴られたりするの、大嫌いなのに。見るのもイヤなのに。
 なのに、プロレスとかしなきゃいけないの?
 ――デカいから?

 好きで、こんな身体になったわけじゃないのに。

(お前は、バスケをやるために生まれてきたんだ)
(ゆかりのその大っきな身体は、そのためにあるんだ)

 彩ちゃんは、そう言ってくれた。
 彩ちゃんと出逢って、私はバスケの楽しさを知った。
 呪わしいこの身体を、心から誇れる瞬間もあるのだと教えてくれた。
 勝つことの歓びを。負けることの悔しさを。
 争い嫌いだと思っていた私の胸に、燃えるような情熱があることを。

 練習は辛い。けど、それまで、ひとから馬鹿にされ、嘲笑われるだけだった、あの頃の惨めさに比べれば、身体をいじめる辛さなんて、どうってことはなかった。
 こんな私にも、少しずつ自信がついてきた。
 こんなふうに生まれて良かったのだと、少しは思えるようになってきた。
 なのに……。

 伊東真希さん。
 全身が野性のエネルギーの塊のようなひと。
 それでいて、お人形のように、綺麗なひと。
 もし、生まれ変わりがあるのなら。今度は、彼女のように生まれてきたい。そう思い、憧れ、羨まずにはいられないひと。
 彼女なら、告白した男の子から、あんなふうに残酷な仕打ちを受けたりはしないだろう。
 それ以前に、振られたことさえ、きっとないのに違いない。
 幸せを、保証されたひと。

 その彼女が、バスケのトッププレーヤーとして、君臨している。
 卓越したセンス。華麗なテクニック。そして、彩ちゃんを凌ぐスピード。
 不器用な私には、とても真似はできない。
 私にできるのは、ゴール下からゴール下へと走って、ブロックして、リバウンドを獲って、シュートを入れるだけ。それでいい。それが、私の領分。私の役割。
 そう思っていた。
 そう思っていたのに……。

 彼女は、なにもかも持っているのに。
 私が求めても得られないものを、全部持っているのに。
 それなのに、なぜ彼女は、ダンクまでできちゃうんですか?

 こんな私にしか、できないと思っていた。
 こんな私だからこそ、できるのだと思っていた。
 なんにもない私に、たったひとつだけ与えてくれた宝物。
 それを、なぜ彼女にもあげちゃうんですか?

 神様、あなたは不公平です。

  1

 驚くほど間近に見える米軍機の機影が、雑居ビルの群を掠めるように眩い空を切り裂く。ジェットの爆音が鼓膜も裂けよと、煤けた街を振るわせる。ここから白虎基地までは、目と鼻の先だ。ここでは日常の騒音に、まばらな人影は耳を塞ぐこともない。ひときわ丈高い長身で眼を引く彼女もまた、そのひとりだった。
 まだ六月初旬だというのに、容赦なくアスファルトを焦がす真昼の太陽が、陽炎を立ちのぼらせていた。雑居ビルの谷間の陰のそこかしこで、段ボールを敷いた浮浪者たちが、死んだように横たわっている。
 米軍銀座と呼ばれる猥雑な活気に満ちた繁華街のメインストリートを一歩外れると、くすんで無気力な、そのくせ一瞬も気を抜けない、あやしげで危険な香り漂う街が広がっている。

「よお。ゆかりちゃんじゃないの」
 店先で打ち水をする、たばこ屋の老婆が声を掛けた。老人性の染みが覆う干からびたその顔に、相貌の放つ眼光だけは強い。くわえ煙草が煙をくゆらせている。
「こんにちは」
 ゆかりと呼ばれた際立って長身の彼女は、この街の住人に相応しい空気を身に纏った老婆に挨拶した。
「これから練習かい? 日曜だってのにさ」
「インターハイ予選の、真っ最中ですから」
 いったいこのお婆ちゃんは、一日何カートン煙草を吸っているのだろう? 遭う度にそう思う。くわえ煙草でなかった試しが、ここの高校に通って以来、ただの一度もないのだ。
「今年は行けそうかい? インハイ」
 そんな略語がサラリと飛び出す。その問いに彼女は押し黙り、そして深刻な顔つきで、こう口を開いた。
「……簡単には、行かせてもらえないと思います」

 この老婆と初めて出会ったのは、入学して間もない頃だった。
「シャンとしな」
 登校途中、この場所で、いきなりそう一喝されたのだった。
「胸を張るんだよ! 立派なガタイしてんだからさ」
 並外れた背丈を気に病んでいる彼女は、日常的に猫背気味に歩くのが癖になっていた。
「いいかい。この街じゃあね、そんな風にオドオドしてるヤツから、真っ先に喰いモンにされちまうんだ。どこだって、同じだけどね。……お前さん、バスケ部のひとだろ?」
「どうして、知ってるんですか?」
「権藤の小倅が、そりゃもう嬉しそうに言ってたからさ。天島で一番大っきい女子が、うちに来るってね。ひと目見てわかったよ」
 五十過ぎの厳めしい風貌の権藤監督も、この老婆にかかると「小倅」らしかった。
「この街は、怖いかい?」
 老婆の問いに、ゆかりは素直に頷いた。
「そのうち馴れるさ。馴れてみりゃあ、満更でもない街だって思えるようになる。特に、お前さんみたいなコにはね」
 その意味が、最初は解らなかった。この時はただ、こんなお婆ちゃんがいる街なら、そうなのかもしれないと思った。
「大木ゆかりと言います。お婆ちゃんは?」
「あたしかい?」
 両の鼻の穴から、勢いよく紫煙を吹き出して言った。
「あたしゃ、ただの“たばこ屋の婆あ”さ」

 どんな煌びやかに繁栄した都市にも、暗い闇の吹き溜まりのような場所はできる。
 東京湾沖百キロの洋上に浮かぶ48番目の県――天島県。その形状からオーシャンズクロスとも呼ばれる、十字型の人工の島。その西側に伸びた半島を行政区画とする白虎市は、まさにそんな街であった。
 ゴミ処理場に原発。そして、米軍基地。忌み嫌われる施設のほとんど全ては、ここ白虎に集中している。
 また、そんな土地に余儀ない事情、あるいは好きこのんで住まいする者もまた、まっとうな中流階級とは、お世辞にも言い難い人々である。
 都市環境の汚れ役を一手に引き受け(押しつけられ)た市(いち)と、その住人達が醸し出す独特の風土を、他の地域に住まう人々はこう呼び、忌避した。――天島の《西の魔窟》と。

 それでも。ゆかりは、ほどなくこの街が好きになった。“たばこ屋の婆あ”の言った通りだった。
 汚い街だった。怖い街でもあった。だが、ゆかりにはすぐにわかった。あまり立派でない人々、社会の敗残者、はみだし者が屯するこの街には、彼らを受け容れるやさしい温もりがあることを。
 不躾な視線は、驚くほどなかった。異様な風体の人間で溢れたこの街は、ゆかりの異常な長身さえ、のみ込み、溶け込ませてしまうのだった。そして、良くも悪くも、みな他人に無関心だった。

 そんな与太者の街に、与太郎高校生の巣窟と呼ばれ、怖れられた学校があった。

 西の白虎の最果てに
 地獄と呼ばれた高校(ばしょ)がある

 生徒達にそう謳われ、受け継がれている。
 学力最低。しかし、喧嘩をさせれば天島一。
 風に潮の香り薫る、西の白虎の西の果て。夕陽町(まち)。そこに、白虎四高こと天島県立白虎第四高等学校はある。通称、シロヨン。公立校で唯一“四強”に名を連ねる、バスケの強豪。
 それが、大木ゆかりの通う高校だった。

OPENING THEME : Bad Medicine (BON JOVI)

続く

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第1稿 2004.01.28
改題 2004.08.27