ダブルスコアTO   2

 彼女は、異相の持ち主だった。
 練習着の胸の膨らみを見なければ、誰も彼女を三人称で「彼女」とは言わないだろう。
 不細工、というのとは違う。ただ、美少女と呼ぶには、その顔はあまりにも精悍すぎた。だが、彼女を異相たらしめているのは、もっと違うところにあった。

 バッシュの床を擦る音が部員達の声に混ざって、体育館に響き渡っている。
 ゴールを背に、パスを受け取った少女は、そのすぐ後ろに、ぴったりとマークマンに張りつかれていた。強引にターンし、ゴールに切り込もうとする。肩をぶつけられた、マークマンがよろめく。
 ホイッスルが鳴った。
「西城」
 笛を唇から離して、異相の主が近づく。
「何回言わせんの」
 異相の主が言う。西城と呼ばれた少女が首をすくめる。
(怖い、怖すぎる。二ヶ月経っても、まだ慣れないよ。この顔は……)
 アグレッシヴなプレイそのままに、勝ち気な性格の一年生、西城愛美(まなみ)は、すっかり彼女の面相に恐れ入っていた。
 彼女には、頭髪がなかった。スキンヘッド、である。きれいに剃り上げられた肌色の頭皮が、きらりと光沢を放っている。
 加えて。もともとそうなのか、手入れをし過ぎているのか、細く薄い眉が、さらに凄味を効かせていた。
「闇雲に突っ込んだって、ファウル取られるだけでしょ。何回退場する気? お前らも」
 さらに矛先を、周囲のチームメイトにも向ける。
「ボサッと突っ立ってないで、パスもらいに来る! 特に根来ッ」
「ハイッ」
 西城のそば、ローポストに位置していた同じく一年生、根来真実(ねごろみ)が、甲高い声を発してしゃちほこばる。
「そのポジションにいて、なんでヘルプしないの。ボール!」
 異相の主がボールを受け取り、さきほどのプレイを再現する。

「後ろをぴったりガードされてる。根来ッ、ここでスイッチに来る」
「ハイ」
 根来真実が近づいてマークマンに張りつく。
「そう。そうやってマークの動きを封じたところで……ゴールを奪う!」
 彼女の動きは、ゆったりと滑らかで、それでいて素早かった。彼女なら、味方のスクリーンなしで、あっさりマークを抜き去っただろう。
 レイアップシュートを決めるそのフォームは、彼女の凶悪な面相に反して、舞踏の舞いのような女性美を見る者に感じさせた。一年生数名の口から、溜め息が漏れる。
 大神素子(おおがみもとこ)。それが彼女の名である。白虎四高女子バスケ部・副キャプテン。陰で「オオカミ男」とアダ名されているのは、いうまでもない。

「しっかりしてよ」
 一・二年の後輩達に向かって、大神が言った。
「シロヨンで怖いのは、スタメンまで。そんなふうに言われて、悔しくないの? タフな試合になるほど、控え(ベンチ)の強さが問われるんだからね。――西城」
「はい」
「あんたには、期待してる」
「え、そーすか」
 エヘヘ、と頭を掻いて、てれ笑いする。
「少〜しね」
 大神は付け加えた。
「けど、いまみたいなプレーをしてたんじゃあ、ベンチ入りも考えもんよねえ」
「そんなあ!」
「自分が目立つことばかり考えてないで、周りをよく見る。ほかのみんなも、どうすれば仲間を生かせるか、よく考える。ベンチウォーマーのつもりで、気ぃ抜いてるヤツがいたら、ソッコー外すからね。返事は?」
「ハイッ」
「わかったら、ゲーム再開」
 そう言って手を鳴らした。
「ハイ!」
(一・二年も世話が焼けるけど……)
 紅白戦の審判を務めながら、大神素子は思う。
(肝心のスタメンは、なにをしてんのよッッッ)
 大神自身と、もうひとりを除いて、他のスタメン三名は、いまだ姿を見せていなかった……。


 大神がひとりシュート練習をしている。
 体育館に、ほかに人影はなかった。午前の練習を終え、遅い食事休憩に入っていた。正確に言えば、もうひとつ、人影はあった。ネットで区切られた、反対側のコート。そこに、身長190前後はあろうかという大柄の男子バスケ部員が一名、じかに寝転がっていた。漫画雑誌を開いて顔に乗せている。昼メシあとのひと寝入りというわけらしい。
 と、後ろから声を掛けられた。
「風吹、来たぁ?」
「来てない。登戸も大木も来てない!」
 振り向きもせずに答える。
「彩とゆかりは、じきに来るよ。さっき電話があった。試合観てきたんだって。浄善×日之出が丘戦。研究熱心なとこあるじゃない。感心、感心」
 フンッ、と鼻息を鳴らす。
「サボる口実でしょ。ったく。力の差があり過ぎる。余力残した試合見たって、参考にはなんないよ」
「そーかなー。私は日之出が丘、けっこう善戦すると思うんだけどな」
「……善戦すると思うって、あいつら試合観終わったんじゃないの?」
 当然の疑問を口にして振り返った大神は、彼女の服装を見て気色ばんだ。
「ちょっと、結花。なにあんた、制服に着替えてんのよ!?」
「それがさー、なんか変なのよー」
 大神の詰問に取り合わず、制服姿の彼女が言った。
「ゆかりってば、試合の途中で抜けてきたみたいでさ。彩をおいてよ? 信じられる? ケンカでもしたのかなー? なんか心配でさ」
「ケンカ? 大木が? 有り得ないよ(もうひとりはともかく)。って、そうじゃなくて、私の質問に答えなさいよ」
「前から言ってんじゃーん。日曜の午後は予備校があるから、抜けるって。そおゆーことで、あとはヨロシク。お疲れ!」
 制服姿の彼女は、そう言って大神の肩を叩いた。
「まったく……主将がこれじゃあ、後輩に示しがつかないよ」
「言っときますけど、権藤先生の許可は、ちゃーんと取ってますから」
「勉強すんなって、先公はいないよ。けど、こんな《馬鹿の最後の砦》に来といて、大学受験とはね……」
 この高校において、進路指導とは、就職の斡旋を意味する。進学する生徒は皆無に等しい。
「だって、しょうがないでしょ。ちゃんと大学行くからって約束で、ここに来んの許してもらったんだから」
「確かにあんたは、ここに来るような人間じゃないよ。初めから毛色が違ってたもんね。――委員長」
 どんな学校にも、なぜ彼(彼女)がこの学校に? という場違い、不釣り合いな生徒の一人や二人はいるものだ。そのいかにも学級委員長的風貌から「委員長」とアダ名される――事実、幾度か委員長も務めた――女子バスケ部キャプテン・御厨結花(みくりやゆいか)もまた、そんな生徒だった。彼女は地元の中学校で、中の上クラスの学力がありながら、本校教諭にしてバスケ部顧問、権藤次敏監督を慕って入学した、変わり種である。
「親の嘆く顔が、眼に浮かぶよ」
「大神のヘアスタイルも(ヘアスタイルっていうのかな? どうでもいいけど)、相当親泣かしてると思うけどね」
「うちの親は、泣いたりしないよ」
 バスケをやるのに、髪の毛は要らない。その信条から、中学時代からすでにスポーツ刈り、高二でとうとうスキンヘッドにしてしまった。
「私のことではね……」
 だが、それだけではあるまい。家庭環境などの複雑な要因が、大神の精神形成に陰を落としているように、結花には思えた。

  3

 午後の練習が始まると、にわかに体育館は活気づき、その騒々しさのデシベルを上げた。
 床の地響きに起こされるように、女子部の反対側のコートで昼寝を貪っていた男は、むっくりと上半身を起こした。アイマスク代わりの漫画雑誌が床に落ちる。表紙でバストの谷間を強調しているビキニのアイドルが、挑発的な笑みを浮かべていた。
 盛大な欠伸とともに、伸びをして起きあがると、あらためてその体躯の大きさが浮き彫りになった。
「熱心だね〜、女子部は」
 女子部のコートを眺めてそう呟くと、そばに転がっていたボールを拾う。
「さてと。こっちもそろそろいくかい」
 首を左右に曲げ、コキリ・コキリと肩を鳴らすと、ドリブルでゴールへと歩を進める。ゴール下でボールを両手に掴むと、腰を溜め、高々とジャンプした。ライオンの鬣(たてがみ)のような長髪が瞬間、フワリと逆立つ。
「噴ッ」
 両腕で叩きつけるようなダンクをブチ込む。ビリビリといつまでも、リングが震え続けていた。
 三年、八代大樹(やつしろたいき)。身長190・5センチ。男子バスケ部のセンターを務める男である。

「あの……」
(ぬ……)
 聞き覚えのある女子の声に、不審げに首を巡らせる。どうしたって忘れようのない姿が、八代の眼に映った。女好きの彼が、パスを決め込む女だ。校内男子最長身の彼が、校内最長身でないのは、この女子が在校するためである。身長は現在、192と聞いている。
「なんでえ」
「お話が、あるんですが、いいですか……」
「おう」
 この女子――大木ゆかりは緊張していた。普段から無口な彼女が、自分から異性に話し掛けるなど、およそ考えられない事態だった。中学時代、好きな男子から手酷く傷つけられたことは、いまなおトラウマとして引きずっている。だが、敢えてそうしなければならない事情が、彼女にはあった。

「おおッ、大木が恋の告白かあ!?」
「いいなあ、八代ぉ」
「大樹と大木で、お似合いだよ」
「ヨッ、超高層カップルッ」
「ヒューヒューッ」
 周囲の男子部員が冷やかす。
「おめーら、免疫のねえ女からかうんじゃねーよ。真っ赤になってんだろーが」
「惚れてる証拠だよ」
 男子部員達が笑う。
「で、俺になんの用よ。まさかこいつらの言う通りじゃねえんだろ?」
「ちちちちちちちちちちち違いますッッッ」
(……そこまで力強く否定しなくてもいいだろ)

「あの、お、お話といいますのは……」
(………)
「お、お願いがありまして……」
(………)
「その、ひ、非常識なお願いで、アレなんですけど……」
(………)
「も、もしよろしければで、いいんですが……」
(……ああああッ、イライラする!)
「あのさ、能書きはいいから、さっさと言ってくんねえかな?」
「すみません……」
 ひとに報告をしたり相談したりするときは、まず結論から言いなさい。御厨キャプテンからも、いつも注意されていたのだった。
「はっきり言います。……1ON1(ワンオンワン)の、相手してもらえませんか?」
 その申し出に、さすがの荒くれ者揃いの男子部員達も眼を点にした。
「はあ〜ッ!?」


 その少し前に遡る。
「遅れて、すみませんでした」
 午後の練習開始ほどなくして、姿を見せた大木ゆかりは、結花の前で頭を下げた。
 特に叱責もせず、頷いただけだった。
「さ、早いとこ、練習練習!」
 大木の広い背中を叩いて促す。
「あの、そのことなんですけど……」
「ん、どしたの?」
「私、違う練習をしたいんですが、ダメでしょうか……?」
「なに言ってんの!」
 聞き咎めた大神が、歩み寄ってくる。持っていたボールを手近な後輩にパスする。
「自主トレがしたいんなら、みんなと同じメニューをこなしてからよ。遅れて来といて、なに勝手なこと言ってんの」
 それを結花は掌で遮るように制止した。大神を射るその眼は、このチームの主将に相応しい芯の強さが伺えた。
「いいよ。私が許可する」
「ちょっと」
「……ありがとうございます」

「少し甘やかし過ぎと違う? 委員長」
 バッシュの紐を結んでいるゆかりには聞こえない程度に声を落として、大神は言った。
「あのコが練習サボりたくて、あんなこと言うわけないでしょ。理由があるのよ」
 なにか言い返しかけた大神を、彼女の登場が邪魔した。
「うーす」
 練習中の部員達が、一斉に挨拶を返す。
 丈高い――大木ゆかりには劣るが――少女が体育館に姿を現した。
「くぉらあッ、風吹ッ。遅いッ、どこほっつき歩いてたのッ」
 後輩を震え上がらせる大神の怒声も、彼女は気にする風もなく、無表情に答える。
「美容院」
 シャープな顔立ち、そしてなにより、その深い紫色に染め抜かれた髪が、見る者に鮮烈な印象を与える。
 冴島風吹(さえじまぶき)。三年。175センチ。大木ゆかりとのコンビは、ゴール下だけなら県内最強と言われている。白虎四高のインサイドを支える、もう一方の柱である。
「わあッ、風吹、すごいイイ感じ!」
 結花が風吹の髪を激賞した。
「前の明るい紫も良かったけど、その昏いのも素敵。シックで」
「……この大事な時期に、チャラチャラと髪なんか染めてんじゃないよ!」
「いいじゃないの。髪は女の命なんだから」
「死にやしないよ。髪の毛なんかなくたって」
「それで生きていけるのは、あんたが女捨ててるからよ。アスリートだって、おしゃれにも気を遣わないと。カッコいいじゃない、レッドマンみたいで」
 ジャニス・レッドマン。米女子プロリーグWNBAのスター選手である。その名の通り、真っ赤な髪と、名前の響きが似ていることから、女ロッドマンの異名を持つ。
「なーにがレッドマンよ」
「コイツがレッドマンなら、私なんてバスケの神、マイケル・ジョーダン様だ!」
 スキンヘッドをキラッときらめかせ、見得を切った。
「……ご冗談でしょ」
 それまで黙って聞いていた冴島風吹が、ボソッとやり返した。ケラケラと結花が笑う。
「風吹うまいッ。座布団一枚ッ……あれ、そういえば、ゆかりは?」
 いつの間にか、大木ゆかりの姿が消えていた。
「あそこ」
 男子コートのほうを向いて、風吹が言った。
(ん……?)
 大木ゆかりが男子部の八代大樹に、何ごとか話し掛けている。その奇妙な光景を見て、結花と大神が顔を見合わせた。

続く

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第1稿 2004.02.02