ダブルスコアTO   4

「いいじゃねえか、やってやれよ」
 男子部のひとりが野次るように言った。
「こっちも忙しいんだよ」
 八代が言い返す。
「女子のお相手なんぞ、してられっか」
(お相手が、彩ちゃんならともかくよ……)
 その言葉は、腹のなかにしまっておいた。
「ダメですか……」
 ゆかりの表情が曇る。その顔を見ると、妙に八代の胸が痛んだ。
「あのさー、なんかよっぽどの事情はあるんだろうな。けどよ、こっちも決められたメニューで練習してるわけよ。勝手なことやったら、おやっさんにドヤされらあ。わかってくれよ、な」
 それが口実でしかないことは、誰が聞いても明らかだった。
「………」
「構わん。やってやれ、八代」
「熊谷ィ」
 坊主頭の男子部主将の言葉に、ゆかりの表情が輝いた。
「俺が責任を持つ。おやっさんには、俺から言っておく。心配すんな」
 おやっさん。権藤監督は男子部員達から、そう呼ばれている。
「つーかよ、俺も見てみてえ。お前と大木の対決がな」
 主将・熊谷 基(くまがいもとき)はそう言うと、ニヤリと笑みを浮かべた。

 そんなわけで、二人の1ON1対決が、幕を開けたのだったが――。
「なんなんだ、この人だかりはッ。おめーら、練習しろよ、練習!」
「しょうがないでしょ」
 八代の言葉に、大神素子が不機嫌に言い返した。
「みんなこっちばっか見て、身が入らないんだから」
 男子部・女子部ともに練習を中断して、この注目の巨人対決を観戦すべく、群がっているのだった。そのなかに、御厨結花の姿がない。そして、もうひとり。――冴島風吹。彼女だけは、離れたボードで独りシュート練習をしていた。この対決には無関心らしい。不熱心なわけではないが、極めてマイペースなのだった。

「始めて、いいですか?」
 ボールを手にしたゆかりが訊いた。
「おうッ。いつでも来い!」
「……その前にひとつ、お願いしていいですか?」
「なんだよ!」
「……いやらしいコト、考えないでくださいね」
「誰が考えるか!」


 身体と身体がぶつかる音、金属音。そして、歓声。
 ゆかりの両手が、リングを掴んでいる。その足下では、茫然とした表情の八代大樹がコートに転がっていた。
(なんだ、コイツは……)
「どうした八代ォ、やられっぱなしだぞ〜」
「情けね〜」
「るせーッ。ちょっと油断しただけだ」
「あんまりナメないほうがいいよ」
 不敵な笑みを浮かべて、大神が言った。
「けっこう怖いよ。本気になった大木は」
「ちゃんと、本気、出してください」
 八代を見下ろして、ゆかりが言った。先程までとは、まるで目つきが違っていた。
「こんなんじゃ、練習になりません」
(………)
 八代の形相が変わった。すっくと起き上がる。
「手加減は、要らねーようだな」
「……お望み通り、本気でやってやる。今度は俺がオフェンスだ」

「これが――届くかあッ」
 ボールを掴んだ八代の腕が、女子用の高さに設定されたリングの、遙か上に伸びる。
「!」
 高々と、まさかりのように振り下ろすダンクを決められると、悲鳴をあげてゆかりがゆろめいた。
「どうだ! 男ナメんじゃねえよ」
「大人げね〜」
「どっちだよ!」
 2010年のルール変更により、男子と女子とでは、リングの高さが異なる。男子のリングの位置がコートから3・05メーターであるのに対し、女子のそれは2・85メーターと、20センチ低くなっている。これによって女子プレーヤーにも、ダンクが決して不可能な技ではなくなった。それでも、日本の高校女子でそれができるのは、超長身の大木ゆかりのような、ごく一部のプレーヤーに限られたのだが。
「……ありがとうございます」
 ゆかりの口から出た言葉は、八代をさらに戸惑わせた。
「こういうのを、やってほしかったんです。その調子で、お願いします」

「なあ、大神」
 熊谷が大神素子に話し掛けた。
「大木は何がやりたいんだ? いや、やろうとしてることは解る。自分と同等以上の、高さと、パワーを持った相手を想定した特訓だ。けど、そんなヤツがいるか、女バスに?」
「さあね」
「わかんないよ。あのコの考えてることは。来るなり、いきなり言いだしたんだから」
「少なくとも、県内にはいないよ。大木よりパワーがあって、デカい女なんてね」

 ジャンプが頂点に到達するより速く、ゆかりの手が八代のボールを叩く。
「巧い!」
 熊谷を賞賛させたバレーのスパイクのような、ゆかりのブロックが、ボールをコートに叩きつけた。
(………!)
 いかに大木ゆかりが、天島女子バスケ界の巨人と言えど、相手は体格で引けを取らぬ男子。それも、同じ監督の指導を受ける一年上の三年生である。まともな勝負で敵うはずはなかった。
 だが、その勝負に、ゆかりは互角に渡り合っていた。むしろ、八代が押されていた。ゆかりの尋常でない気迫に、巨漢・八代大樹が気圧されていた。八代のこめかみから汗が一筋おとがいへと伝い、コートに落ちた

「なにをやっとるかあ!」
 落雷のような怒声が、全員の心臓を一瞬飛び上がらせた。
 ごつい怒り肩の上に、いかつい角刈りの顔が乗っている。実年齢は五十を過ぎているが、そこらの若者には及ばぬ精気を漲らせている。社会科教諭で、教務主任。札付きのワル揃いの本校生徒が、怖れおののく生活指導担当。そして、男女バスケ部を兼任する顧問でもある。
 闘将・権藤次敏監督が、傍らに御厨結花を伴い、姿を現したのだった。

  5

「すみません! 私が、無理を言ってお願いしたんです」
 ゆかりが権藤に向かって、深々と頭を下げた。
「俺が許可しました」
 熊谷が言った。
「お前がついていながら、なんたるザマだ!」
「お言葉ですが、監督」
 腹に力を込めて、熊谷が言った。怒気を孕む権藤に口答えするのは、並大抵のことではない。胆力のある証拠だった。
「大木なりに、考えがあってやったことかと」
「馬鹿モン!」
「誰が大木の練習を怒るものか。俺が怒っとるのは、お前らが練習もせず、それを見物しとることだ!」
「は……それは、その……興味深い対決だったものですから」
 苦笑い気味に、熊谷が答えた。本気で怒っているわけではないと、わかったのだ。
「しょうのない奴らだ。全員、整列ッ」
 サッ、と男女バスケ部員たちが、それぞれ3列に整列する。ひとりシュート練習をしていた冴島風吹も、女子最前列に加わる。

「大木」
「はい」
 権藤に呼ばれたゆかりが、最前列から一歩前に出た。
「おおよその話は、御厨から聞いた。浄善の試合を観に行ったそうだな」
「申し訳、ありません」
「責めているのではない。必要だと思ったから行ったのだろう? それはいい。俺が訊きたいのは、何故試合の途中で帰ってきたかということだ。なにがあった? お前を八代相手の特訓に駆り立てる程のなにが。お前はあの試合で、なにを見たのだ?」

「伊東さんが、伊東真希さんが……ダンクを決めました」
 ザワザワと、並んだ部員達の列にざわめきが生じた。
 冴島風吹が初めて関心を持ったように、一歩前のゆかりを見つめた。
「ほお」
 眼を見開いて、権藤が感嘆の声をもらした。
「そうか。伊東君がダンクを……。そういうことか」
「伊東真希って、あの伊東真希ちゃんかよ? あんな可愛いコがダンクだって? ウソだろー」
「あの女がどんだけ可愛くないか、同じコートで戦(や)ってみりゃわかるよ」
 大神が八代に言い返す。浄善女学院のエース・伊東真希の名は、男子の間でも知らぬ者はいない。
「でも伊東って、そんな背ぇ高かったっけ? 急に背が伸びたとか?」
「今大会の資料によると、彼女の身長は168センチだ」
 結花の疑問に、権藤が答えた。
「私より、小さい」
 一年の西城愛美が呟いた。彼女の身長は170ジャストである。
「それでダンク? 信じらんない!」
「信じられないのは、当然です。私だって実際に見なければ、信じられなかったと思います。でも、本当にこの眼で見たんです。チャージング取られましたけど、伊東さんがリングの上からボールを叩き込んだのは、事実です」
「お前が作り話を口にしていると思う者はおらんよ」
「かつてNBAに、スパッド・ウェッブという、170足らずの身長で、ダンクを撃つプレーヤーがいた。伊東君の跳躍力は、女子のウェッブと言っていい。まさに“怪物”だな」

「先生……」
「なんだ」
「天才って、いるんですね……」
「………」
「天は二物を与えず、なんて言葉があるけど、本当は、神様に愛されたひとは、いくつでも与えてもらえるんですね……」
「天は人の上に人を乗せて、人を作る。ともいうな」
 八代の言葉に、男子部員たちが笑う。福沢諭吉の格言ぐらいは知っているらしい。
「馬鹿者が。くだらんことを抜かすな」
「サイッテー」
 結花が軽蔑しきった表情で言った。

「だから、なんだ。世の中は不公平だとでも言いたいのか、大木」
「神様がいるなら、神様って、とても不公平だと思います」
 フン。と鼻で笑うように、大神が苦い顔つきで横を向いた。
「不公平なものだよ。世の中というものはな」
「教育者には、あるまじき発言かもしれん。だが、いかにきれい事で誤魔化そうが、現実は変わらん。もって生まれた才能を持つ人間は、確かに存在する。お前がそうだ。お前も天才なんだよ、大木」
「天才……? 私が?」
「そうだ」
 権藤は見上げるように、大木の両肩に手を置いた。
「お前のこの背だよ。どんなに努力したって、この背は手に入らない。……《天賦の才能》だ」
 その言葉を聞いたゆかりは、がっくりと肩を落とすと、再び顔を上げて、権藤を睨み据えた。
「そんなの……そんなの、なんの慰めにもなりません! だって私、こんな身体になりたくてなったんじゃないもん!」
「大木ッ」
「ゆかり、やめなさい!」
 大神と結花が同時に声をあげた。
「構わん」
「この際だ。思う存分、言ってみるがいい」
「私から、高さを取ったら、何も残りません……」
 トーンを落として、ゆかりは続けた。
「彩ちゃんや、先輩達のような巧さは、私にはありません。高さだけが、私の武器、拠り所でした。先生の言う通り、才能かもしれません。私自身が望んだものじゃなくても……。この身体のせいで、ずいぶんイヤな想いもしました。いまでもです。でも、それがバスケの役に立つなら、当たり前の女の幸せと引き替えでもいい。そう思っていたんです。
 なのに、あんな普通の背丈で、バスケセンスも抜群で、おまけにあんなに綺麗で、可愛くて、私にないもの、なにもかも持っているあのひとが、ジャンプひとつで私と高さでも並ばれたら、私っていったい何なんですか?
 ダンクは――、神様が私にくれた、たったひとつの贈り物だと思ってました。なのに、なんであんな恵まれたひとにまで、私の大事な宝物をあげちゃうんですか? ……愚痴だってことはわかってます。でも、どうしても、心が納得しないんです……」

「かーッ」
 辟易したように、八代が声をあげた。
「とんだ自己愛の塊だね」
「八代君、あなたは黙ってて」
「へい、へい」
 結花は咎めたが、大神は八代に全く同感だった。泣き言もたいがいにするがいい。勝利の歓びに比べれば、男にチヤホヤされるのがなんだというのだ。服と食い物と男に血眼になる人生など、クソだ。もし神でも悪魔でも眼の前に現れて、お前に2メーターの身長を与えようというなら、喜んで受け取り、見返りに魂でも差し出すだろう。……そこまで考えて、あまりのバカバカしさに、大神はひとり苦笑いした。

「俺は宗教家ではない」
 腕組みをして、ゆかりの言葉に耳を傾けていた権藤は、静かに口を開いた。
「だから、神様のことは知らん。それと、もって生まれた才能だけで、栄光を掴んだ人間も、俺は知らん」
「お前の考えには、いくつもの間違いがある。が、いまは大事なことだけを言う。伊東君は、確かに類い稀れな資質の持ち主だろう。だが、彼女のダンクが、まるで神様からプレゼントされたように、簡単にできたとなぜ言える? 血の滲むような努力の末に、自ら掴み取ったものでないと、なぜわかるんだ?」
「………」
「もうひとつ訊く。お前が初めてダンクを決めたのはいつだ?」
「……中二の時です」
「思い出してみろ。お前は恵まれた背丈にものを言わせて、試しにやってみたら、楽に決められたのかね?」
「いえ……」
「いえ……」
 権藤監督の言う通りだった。忘れるなど、どうかしていた。自分のダンクもまた、初めから易々とできたものではなかったのだ。
 大木ゆかりの脳裏に、あの特訓の日々がフラッシュバックした。それはチームメイトで無二の親友、登戸 彩との運命的な出逢いの記憶でもあった……。

続く

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第1稿 2004.02.02