ダブルスコアTO   9

〈このカードはな、こう使うんだよ――変身!!〉
 駅前街頭ビジョンの大画面に、毎週日曜の朝に観ているヒーローのお兄さんが映るのを、その幼い男の子は見逃さなかった。
 縦2メートル×横3・6メートルのスクリーンの中で、お兄さんの掲げたカードが眩い光を放つ細長い帯へと変わる。それは新体操のリボンのように、お兄さんの身体の周囲に螺旋を描くと、みるみるその輪を狭め、ミイラ男の包帯のように、お兄さんの身体に纏わりつく。光の帯で覆われたお兄さんの腕が、脚が、白いエナメル質の戦闘用スーツを装着したそれへと変化する。〈変身〉である。
 主なキャストやスタッフのテロップが、変身シーンに重ねて挿入される。
〈主演/神山 明〉
〈監督・脚本/坂本U作〉
〈原作/ジョー・トキオ〉
〈製作総指揮/金村ミツル〉
〈カードマン〉。変身を終えたヒーローの全身像とともに、劇場版映画のタイトルが大写しにされるのを見て、幼い男の子は歓声を上げてはしゃいだ。手を繋いだその子の母親が、また連れて行けとせがまれるのかと、忌々しげな眼を頭上の特撮ヒーローに向けた。
 視線をその親子から離し、駅前広場の片隅に移す。こちらは見るからに垢抜けない風体の男ぱかりの集団が、特報スポットを見上げていた。皮肉っぽい笑みを浮かべながら、賢しげな批評に興じている。
 だが、街頭ビジョンを視座に見下す雑踏の中で、彼らのようにそれに注視を向ける人間は僅かな例外といえた。煌びやかなイルミネーションと雑多な音の洪水のなかで、街頭ビジョンの映像が特撮ヒーローだろうと、よしんば中東の紛争を伝えるニュースだろうと、それはこの街を彩る音と光のピースのひとつでしかなかった。
 いまや日本で最大といわれる歓楽街(プレイタウン)、天島県朱雀市。東西南北に伸びる十字島の、南の半島をエリアとするこの市(まち)の特色は、享楽、その一語に尽きる。駅前広場から通りを一本横切れば、そこに歌舞伎町に並ぶ日本有数の風俗店街が広がっている。特例によって認められたカジノさえ蔵するその一角は、薄皮一枚剥ぎ取れば、暴力団と大陸系マフィアが絶えず暗闘を繰り広げる犯罪多発地域でもある。
 ホテル街では密入国の売春婦たちが大っぴらに往来で客を取り、ゲームセンターでは店内で非合法ドラッグの売人が未成年相手に取引する。そうした状況に、治安は追いついていなかった。白虎とは違う意味で、洋上の小ラスベガスと呼ばれるこの街も、繁栄と頽廃がもたらす、天島の《南の魔窟》といえた。
 だが、そんな街にも人は住み、住人の子女が通う学校はある。大木ゆかりが通い、登戸彩が転入した、朱雀光陽中学は、この朱雀市にある。街頭ビジョンのある駅前広場から、歩いて十分ほどの場所に、その中学はあった。

「どうすんのさ」
 ファーストフード店のテラス席の丸テーブルから、ペーパーカップを手に取り、ストローをくわえる。ゴロゴロと空気を吸う音がむなしく響く。磯辺は不機嫌に、カップをテーブルに戻すと、隣の小城のアイスティーをぶん盗り、自分のストローを刺して吸った。カップの水位が半分ほど下がる。「あ」という表情を後輩の小城は浮かべたが、文句は言わなかった。
「どうするって?」
「とぼけんなよ。あいつらに決まってるだろ」
「ああ」
 気のない返事で、街頭ビジョンに眼をやる犬飼カヲリを磯辺は苛立たしげに睨んだ。
「どうするかは、もう決めたことさ」
 遠く街頭ビジョンを眺めながら、犬飼は言った。
「一週間後に2オン2。そいつに勝って、あいつらは退部。それで問題はなかろうよ」
「だからさ」
 磯部がさらに小城のアイスティーを飲む。
「いいのかよ。なにか手ぇ打っとかなくて」
「不安なのか?」
「あれから一週間、あいつら、朝、昼、放課後、猛特訓してますよ」
 少しは危機感を持っているらしい小城が、先輩二人の会話に口を挟んだ。
「知ってるよ。大木のシュートが一向に入らないのもね」
「大木は問題じゃないよ」
「でも磯辺サン、あのブヨブヨの脂肪が全部筋肉になって、テクもなにも関係なしに、上からダンクとか決められたらどうします? とても止めらんないですよ」
「アホか」
 小城の懸念を磯辺が一蹴した。
「中学の女子で、ダンクできるヤツがどこにいるよ」
「少なくとも、中国には一人いるけどな」
 犬飼が先程から眺めていた、街頭ビジョンに顎をしゃくった。磯辺と小城が、それに眼をやる。
 十人の選手(プレーヤー)のなかで、ひときわ大きい彼女が画面の中心にいた。
「凄いですよね、あの人。あれでまだ中学生なんて、信じらんないですよ。中国代表チームたって、相手は中学生なのに、あの桃花学園が苦戦してますよ」
「桃花も最近は落ち目だからなー」
 小城の賞賛を、磯辺はミもフタもないコメントで片づけた。
 街頭ビジョンが映しているのは、来日した中国ジュニア代表チームと桃花学園による、女子バスケットボールの親善試合の模様である。中学三年にして身長193センチ、揚美華(ヤンメイファ)を擁する中国ジュニア代表チームは、日本の中学生相手では勝負にならないとして、高校チーム、それも女子バスケ日本一の名高い、桃花学園を対戦相手として、指名したのである。
 街頭ビジョンのなかで、ヤンが豪快なダンクを決めた。実況のアナウンスは遠すぎて内容までは聞き取れないが、軽薄なアナウンサーが無駄に大声を張り上げていることだけはよくわかった。
「!」
 その映像に揃って感嘆の溜め息を漏らしたのは、さすがに三人ともバスケ部員というべきだった。
 アジアのダンクレス! 街の喧噪越しに、アナンウンサーの言ったそのフレーズだけが、三人の耳にはっきりと聞き取れた。

  10

 DUNKRESS。この言葉が生まれたのは、公式女子バスケットのリングの高さが、男子のそれより20センチ低い、2メートル85センチと定められた、2010年のルール改正以前に遡る。
 そもそもの発端は、日本の運道具メーカーが、高さを自由に調節できる、可変式ボードを開発したことに始まる。
 当初の目的は、公式バスケとミニバスのボードをひとつで兼用させることだった。それがいつしか、自由な高さで“ダンクのできるバスケ”に興じる女子プレーヤーが、アメリカのストリートを中心に、急増していったのである。彼女たち、そのリングにボールを叩き込むことのできる女性を、男のダンカー(dunker)に対し、ダンクレス(dunkress)と呼ぶようになった。
 変則リングを用いた女子のゲームは、もっぱらストリートか、非公式のエキシビジョンマッチに限られた。だが、女子がダンクをすることの魅力に取り憑かれた人々の狂熱は、やがて公式ルールさえも変える、大きな気運となるのである――。
 が、それはバスケの本場、アメリカでの話だ。昔に比べれば伸びたとはいえ、日本人の平均身長はまだまだ低く、欧米人のようなバネもない。日本の女子にとっては、2・85メートルもリングも、手が届かないという点では、それ以前と大して変わることはなかった。ダンクは頭上遙かな輪(フープ)と同様、高嶺の花だったのである。
 それだけに、日本人でダンクレスの称号を得ることは名誉であり、滅多に見ることのない女子のダンクシュートを決められるプレーヤーは、それだけで注目の的となったのである。

「跳躍力ってのは、一番伸ばすのが難しいんだ」
 犬飼が独り言のように解説した。
「大木がもし本気でトレーニングに打ち込む気なら、将来的にああなれる可能性もないわけじゃない。だからって、あと一週間でどうなるもんでもない。それともうひとつ。大木にはスポーツ選手に大事なものが、決定的に欠けてる」
 それが何かわかるか、と犬飼は小城に問うた。
「やっぱり、体力とか、運動神経とか……」
「闘争心だよ」
 予想通りのハズした回答に、さほどがっかりした様子も見せず、犬飼は答えた。
「この野郎、負けてたまるかって気迫だな。気が弱すぎるんだよ。あいつは従順で何でも言いなりだが、それはそうすんのが一番楽だからさ。言いなりがしんどいとなったら、話は別だ。懸けてもいい、あいつは音を上げる……」
 犬飼はそれだけ言うと、手元のイチゴシェークのカップを手に取り、ストローを啜った。


「異議あり」
 一週間前のことである。
 翔星学園中等部との練習試合のスタメン発表に、登戸 彩が文句をつけた。
「紅白戦の結果さ。自分が選ばれなかったことが、そんなに不服かい?」
「ああ不服だね。大いに不服だよ」
 キャプテン・犬飼カヲリの問いに、彩は当然のように答えた。
「味方がパスひとつ寄越しゃしない。そもそも勝つ気がない。出来レースじゃん!」
「………」
 スタメン選抜の紅白戦。それは新入部員の登戸 彩と復帰した大木ゆかりをスタメンに入れない口実として仕組まれた、まさに出来レースだった。彩とゆかりの味方であるチーム三名は、彩にパスを渡さないばかりか、故意に手を抜き、犬飼、磯辺ら、現スタメンチームに勝ちを譲ったのだった。本来スコアラーである彩は、相手ボールをスティールして、ワンマン速攻でゴールを奪いはしたが、ただ一人の味方であるゆかりは戦力として役立つレベルではなく、実質独りで戦うゲームに勝ち目はなかった。
「勝ちたくないわけ?」
 無言で応じる犬飼以下部員たちに、挑発的に言った。
「翔星とは、以前は地区優勝を争ったライバルなんでしょ?」
「昔の話さ。いまじゃあ逆立ちしたって勝ち目はないよ。もっとも、伝統だけは引きずってて、いまでも練習試合が組まれるんだけどね。そのうち向こうも、愛想を尽かすだろうよ」
「誰がこの部をダメにしたかは、ハッキリしてるのにねえ」
「てめぇ、何が言いたい……?」
 蔑むような彩の目線を怖い目つきで磯辺が睨み返す。
「パパさんが市議会議員で本校理事長。だぁれも逆らえないわけだよねえ」
「短い間に、ずいぶんとお勉強したじゃないか……」
 口元を緩めて磯辺が言った。だが、眼は笑っていない。
「ついでにこの学校で上手に生きていく心構えも学んだらどうだい。なんなら教えてやろうか?」
「翔星に勝つ方法、知りたくない?」
 彩は磯辺の言葉を無視して、犬飼に向き直った。愚劣な議論に付き合う気はない、と言わんばかりだった。
「自分を出せとでもいうのかい?」
「惜しいッ。半分だけ正解」
「………」
「正解を、発表します」
 彩は部室の壁にかかった、ネームプレートに歩み寄った。主将の犬飼を筆頭に、ナンバー順に並べられている。
「まず、ガードの小城を私にチェーンジ」
 彩の手が、小城のネームプレートと自分のそれを入れ替えた。小城の顔が面白くなさそうに歪む。
「つぎに」
「………」
「センター、磯辺先輩をゆかりにチェーンジ。これが、うちが翔星に勝つ布陣」

  11

「ハッ」
 しばし唖然とした沈黙ののち、磯辺が吐き捨てた。
「バカくせえ。友達びいきもたいがいにしな」
 磯辺に睨まれて、ゆかりはビクリと首をすくめた。生来控えめで、彩によって強引にバスケ部に戻された当のゆかりは、試合に出るなどとんでもないといった顔つきで、ばつが悪そうにモジモジするばかりだった。
「こいつがただデカいだけで、どんだけ役立たずが、おめーだって知らないとは言わせないよ。それを私と交替? ふざけんじゃないよ!」
「ろくに練習もさせなかったからねー」と、彩は言い返し、
「誰かさんが」と、さらに付け加えた。
「試合は、再来週でしょ」
 彩は席を立つと、つかつかと歩み寄って、着席しているゆかりの両肩に手を置いた。
「それまでに、鍛え上げてみせる。少なくとも、理事長の七光でレギュラーやってる、いまのセンターよりは戦力になる。二週間後、証明してみせるよ。……受けて立つ度胸があればの話だけど」
「やってやるよ……」
 わなわなと震える、とはこういう状態を言うのだと、磯辺の全身は語っていた。
「けど、勝てなかったら、どうしてくれるんだい? ダメもとなんて、虫のいいこと考えちゃいないよねえ?」
「……退部ってのはどうだ?」
 犬飼の提案は、彩に突きつけた刃物の切っ先だった。
「退部ね。そりゃあいいや」
「登戸、お前もだ。勝ったら、レギュラーをくれてやる。そのかわり、負けたらこの部を去れ。先輩に喧嘩を売ったんだ。それぐらいのリスクを背負う覚悟はできてるんだろう?」
「……望むところですよ」
 彩が応えた。その面に、好戦的な笑みを浮かべて。
「よし、決まりだ。登戸・大木でペアを組め。2オン2だ。磯辺と、私が相手をする。二週間後にな」
 退部というのは気が利いている。さすが犬飼というべきだった。大木と登戸、二人まとめて追い出せるなら御の字だ。しかし、磯辺には不安があった。大木は問題ない。こいつの身長は将来的には脅威だが、短期間の付け焼き刃ではどうにもなるまい。だが、紅白戦で垣間見た、登戸 彩の実力は底が知れない。生意気な大口はムカつくが、ハッタリではない。犬飼には、なにか策があるのだろうか……?


 大木は問題じゃない、つってんだろ。そう磯辺は言った。
「問題はあいつだよ」
「登戸か」
 大木など、もともと問題ではない。それよりはっきりさせなければならないのは、登戸をどう潰すか、その方策だった。
「確かにドリブルは巧い。本物だよ。けど、気付かなかったか? 紅白戦で得点したのは、レイアップかゴール下だけだ。ローポストから外のシュートは全部はずしてる。典型的な、ボール運び屋だな。本式のゲームならともかく、パートナーが大木なら、ゴール下さえ堅めてりゃあ、点は獲れないさ」
「ずいぶん楽観的じゃないか。いつもは慎重なあんたがさ。らしくないね」
「お前こそ、やけに心配性じゃないか」
「気に入らないんだよ。あいつの自信たっぷりな態度が」
 またしても、小城の飲み物に手を伸ばす。とうとう中身が空になった。小城がこっそりしょげた顔をした。
「あのヤロー、こっちを油断させるために、三味線ひいてやがんじゃないのか?」
「らしくないのは、お前のほうだよ。ずいぶん疑り深くなったもんだ」
 もし仮に、と犬飼は問うた。
「登戸がヘタな振りをしていて、実はシュートも巧かったとしよう。それで何が問題なんだ? 結構じゃないか。ここんとこ負け続けの翔星のやつらに、一泡吹かせてやれるかもしれねえ。ま、小城。お前はスタメンから外れるだろうけどな」
「そんなあ!」
「困るね、忘れてもらっちゃ」
 磯辺が立ち上がり、両手をテーブルについた。息がかかるほどの至近距離に、顔を寄せる。
「私はあいつがヘドが出るほど大嫌いなんだ。巧かろうが戦力になろうが、関係ねえ。私はあの女に私の目の前から、さっさと立ち退いてもらいたいんだよ。スタメン? レギュラー? 冗談じゃないよ!」
「そうだったな――」
 深く、息をついて言う。
「ボスはお前だ。どうするのか、言ってくれりゃあ、お前さんの意志に従うよ」
「そんな言い方はやめろよ。友達じゃないか。私たちは」
 お前は子分だけどな、と言って、小城の頭を叩く。
「要は、今度のゲームに負けないための、保険をかけておくってことだな」
 湿った話が嫌いな犬飼は、磯辺の言葉に取り合わず、用件を詰めにかかった。
「あの、審判は私がやりますんで、さじ加減はなんとでも……」
「頼りにしてるよ」
 わかりきったことを言うな。という代わりに、思い切り無表情な顔で磯辺が言うと、唇を舐めてこう切り出した。
「その保険なんだけどさ、実はうちで使ってる興信所に、登戸のことを調べさせてる」
 オヤジにはナイショだけどね。と磯辺は付け加えた。
「さすが市議会議員の娘、やることがエグいっスね」
 磯辺の裏拳が小城の鼻にめり込んだ。
「それでさ、今夜これから報告を持ってくることになってんのよ。いつものゲーセンに。いっしょに行こうよ。あいつのネタをあげて、それで作戦を練ろうよ。新しく入ったゲームでもやりながらさ。知ってる? シンクロン・マックスっていうんだけどさ」



第1稿 2004.08.29
第2稿 2006.02.20
第3稿 2006.03.05
第4稿 2006.04.30