ダブルスコアTO   18

 日が没し、夜の帳(とばり)が空を覆いはじめるとき、街は人工の銀河に変わる。歓楽街、朱雀の時間が幕を開ける。
 煌びやかな地上の星々とは対照的に、夜空の星は、ただの一点もその輝きを見せない。夕刻までの好天は一転し、分厚い雲に覆われている。予報では、今夜は雷雨であった。
 その先触れを告げるような雨粒を、大木ゆかりは頬に感じた。
 駅前広場の噴水のへりに腰掛けた彼女は、空を見上げた拍子に、街頭ビジョンを視界に捕えた。国営放送のスポーツニュース番組を映していた。
〈イブニングスポーツの時間です。本日は予定を変更して、K・南城さんのバスケコーナーを拡大してお送りいたします。その前に、まずはプロ野球の話題から……〉
 眼には入っているが、頭には入っていない。ゆかりの頭は、自責の念と、自己嫌悪で充満していた。

(ちゃんと言えたじゃん)
 鬱積した感情が迸るまま口にした自らの残酷な言葉に、ゆかり自身が凍りついていた。彩はどう思っただろうか。怒るだろうか。悲しむだろうか。こんなとき、どう接し、どんな言葉をかけてよいかわからぬゆかりに、顔を上げた登戸 彩の表情は意外なほど朗らかで、その言葉はやさしかった。
「やればできるじゃん。そんな風に、ちゃんと言えばいいんだよ。いやなものはいやだって」
「………」
「ごめんね、無理強いしちゃって。私、ゆかりの気持ちなんて、ちっとも考えてなかった……。勝手だよね。やりたいことも、やりたくないことも、それぞれ違うのにね」
「彩ちゃん、私……」
 謝りたかった。ひどい言葉で傷つけたことを。だが、その思いだけが空回りし、口に出てくるのは、無意味な呟きばかりだった。
「でも、誤解しないでね。私、ゆかりのこと、大好きだよ。バスケの資質に、目を付けただけじゃない。それだけはわかってほしい。だから、ゆかりがバスケをやめても、私たち友達だよ。だからこれからもお昼ご飯、いっしょに食べようね」
「でも、あの、今度の試合は……?」
 ゆかりの言う試合とは、一週間後に行われる、犬飼・磯辺との2オン2のことだ。この試合には、彩のレギュラー入りだけでなく、バスケ部の進退が懸かっていた。
「そんなこと、心配しなくていいの!」
 彩の小さな手が、ゆかりの大きな手を取った。
「それよりも、いやなことを命令されたり、押しつけられたりしたら、ちゃんといまみたいにハッキリ断るんだよ?」
 心配しなくていいから、と彩は念を押した。それでもまだ、なんか言ってくるようだったら――。
「私が守ってあげる。あいつらには、手は出させない!」

 彩と別れたあと、ゆかりは校庭でひとり泣いた。
 彩の優しさが、胸に滲みた。その優しさに、ただ甘えていただけの自分が情けなかった。
(自分がちょっと辛いと、あんな乱暴な言葉を吐いちゃうんだ――)
(手までついた彩ちゃんに、あんなひどいことを言って――)
(自分勝手で、弱くて、根性なしで……)
(私は、ダメな人間だ……)
 頬を伝う涙が、丸い粒となって、校庭の地面に落ちた。

 雨が本降りになりだした。
 噴水のへりから、ゆかりは立ち上がり、駅の改札の屋根の下で、雨をしのいだ。
 悲しみや挫折に見舞われた人間が、傘もささずに雨に打たれるシーンが、ドラマではよくある。そんなのは嘘だと、ゆかりは思う。どれほどの懊悩に苛まれようと、雨が降り出せば、ひとはそれを避けようとする。結局、自分の苦悩など、雨に濡れることの前には雲散し、雨宿りに小走りさせる程度のものでしかないのだ。その思いに自分で言い訳している自分に気付いて、ゆかりの気分はさらに沈んだ。
 帰れないのは、雨のせいではない。帰りたくなかった。誰もいない家に。スナックを経営する母は、夜働いている。学校から帰ると、ラップで包まれた夕食がテーブルに置いてある。母の帰宅を待たずに寝る。朝起きると、隣の布団で母が寝ている。テーブルには、ラップで包まれた朝食がある――。そんな生活を、もう何年も続けてきた。
 父はいない。実の父親は、顔を見ることもなく、交通事故で死んだ。再婚した二人目の父も離婚して、いまはどこにいるかも知らない。
 どこか遠くへ行ってしまいたかった。このまま自分という存在そのものを消してしまいたかった。だが、遠くへ行くだけのお金も、自ら死を選ぶほどの自棄も、ゆかりには持ち合わせがないのだった。
 行く場所もなく、やることもなく、ゆかりはぼんやりと、街頭ビジョンが流す国営放送のスポーツニュース番組に意識を向けた。

〈……では、K・南城さんのバスケットボールコーナーです。本日は時間を拡大して、お送りいたします。南城さん、よろしくお願いします〉
〈こんばんは、K・南城です。よろしくお願いします〉
〈さっそくですが、南城さん。今日は、大変なことがあったそうですが〉
〈そうなんですよ。あの桜井前監督――昨年、松芝を辞任した桜井前監督が、高校女子バスケの王者、桃花学園の次期監督に就任するというFAXが、今朝マスコミ各社に届きました〉
〈今日、その発表記者会見があったそうですが〉
〈ええ。それだけでも大変なニュースなんですが、実はその記者会見で、さらに驚きのニュースがあったわけです。まずは、その記者会見の模様をご覧ください。文字通りのビッグニュースです!〉


 週刊バスケットボール記者・三原朋香(みはらともか)は、記者会見の壇上に、桜井修造とともに現れたその人物を見て、我が眼を疑った。
――なぜ、彼女がここに!?
 彼女がいま、ここ名古屋に滞在中なのは知っている。中国ジュニア代表チームの一員として、彼女は来日していた。今日も当の桃花学園と、親善試合が行われたばかりだ。問題は、彼女が桜井とともに、この席上に現れた理由だった。
 カメラのフラッシュとシャッター音の嵐が、彼女をハッと我に返らせた。
 殺到する記者たちの群れが、桜井と彼女に着席する暇も与えず、矢継ぎ早に質問を浴びせる。それを桜井は手振りで制した。記者たちは口をつぐみ、彼の言葉を待った。
「私のことより、気になるのは彼女のほうだと思うので、先にご紹介しておく。来年、日本に留学し、そして、我が桃花学園バスケ部の一員となる、楊美華(ヤンメイファ)くんだ」
 桜井の勝ち誇った笑みを、国営放送のカメラはつぶさに捕らえ、それは数時間後、日本中のテレビ画面に映し出された。

  19

 そして時を超え、距離を超え、悪戯好きの神の手があやなす運命の糸は絡み、結ばれる。結ばれた者同士さえ知らぬままに――。

「お父さん、早く早く!」
「なんなんだ、一体」
 湯船につかっていたところを娘の節子に引きずり出された。身体を拭く暇もあらばこそ、手首を掴まれ、権藤はテレビのある居間に強引に引っ張り込まれる。節子に似た、しかし遥かに年かさでふくよかな女性が、お茶を啜りながらテレビを眺めていた。
「修ちゃんが、桃花学園の監督になるんですって」
 桜井修造を「修ちゃん」呼ばわりできる女性は、彼女ぐらいであろう。彼女は桜井の、学生時代の想い人であった。そしていまは、桜井とは学生時代の同期で、白虎四高の教師でバスケ部顧問、権藤次敏の妻であった。
「それだけじゃないのよ、ほら見て見て!」
 節子が指さすテレビの画面に、権藤はバスケに関心を持つ者なら知らないはずのない、極めて長身の少女の姿を認めた。
楊美華(ヤンメイファ)じゃないか!」
「そーなの! 桃花学園監督就任が決まった途端、東洋の巨人・楊美華をいままさに来日しているさなかに口説き落として、入学を決めさせるなんて、ホンっトにやり手よねえ。切れ者って感じ」
「バカな! 彼女は中国バスケ界の至宝と呼ばれる秘蔵っ子だぞ? 下手をしたら、日中間の新たな火種にだってなりかねん! 国際問題だ!」
「お母さんも、どうせならこの人と結婚すればよかったのに?」
 父の心配をよそに、母と桜井の関係を知っているのか、節子はそんなことを言った。母・良恵は、ただニコニコと笑顔を娘に向けただけだった。
「ふん。そうなったら、お前だって生まれてはおらん」
「うーん、そーかあ」
 だが、そんな娘との軽口の応酬をよそに、権藤の内心は憂慮で満ちていた。
(桜井、まったく貴様という奴は……)
(いったい、どこまで敵を増やせば気が済むんだ……)
(その全てを蹴散らすつもりか? そんなことができるとでも思っているのか、貴様は!? その傲慢は、いつか貴様自身を滅ぼすぞ!)

 マスコミ以外の人間では、いち早くこの事件を知った禿哲哉は、情報を提供してくれた三原朋香に電話を入れた。繋がらないかと思ったが、彼女は出た。たったいま羽田に着いたということだった。
「いま、君が目の当たりにした記者会見を見ているよ」
(得意満面でしょう? 桜井さん。名古屋くんだりまで出張った甲斐がありましたよ。でも、あとが怖いですよ。中国当局が、このまま黙ってヤンを手放すはずがありませんもの)
「あの人のことだ。手は打っているだろうさ」
(そうでしょうね。ところで、先生――?)
「先生はよしてくれ。僕はもう、きみの先生じゃない」
(チームを卒業しても、先生は先生です。でも、お気に召さないなら、監督と言い替えます。――監督、この件について、君津さんはどのように思われると、お考えですか?)
「それは本人に直接訊いてくれよ」
 禿は笑ってそう答えた。
(そのつもりです。その前に、先生――禿監督のご意見を伺っておきたくて。虎の尾を踏んでしまいそうで)
「そうだね。爆弾の信管を除去するぐらい、慎重に尋ねたほうがいいだろうね。きみの無事を祈っているよ」
(そんなに脅かさないでくださいよ)
 これからどうするの? と禿は尋ねた。
「たぶん、お礼の食事に誘うような暇は、ないんだろうね」
(……お受けしたいのは山々なんですけど、残念ながらこれから社に直行です。巻頭は全面差し替え、入稿まで社に寝泊まりですね)
 それを聞いた禿の顔が曇った。
「レディのやる仕事じゃないね」
(自分で選んだ仕事ですもの。泣き言は言えません。それに――)
(先生のきつ〜い練習に比べれば、まだマシです)
 参った、一本取られたよ。禿が苦笑いして言うと、電車が来たというので、挨拶を交わして電話を終えた。
 さて――。と禿は思う。
 君津くんは今頃、どんな顔をしてこれを見ているのやら……。

「お弁当は温めますか?」
 いや、ええ。
「お箸はお付けいたしますか」
 ああ、頼むわ。
 近所のコンビニで弁当を買い、マンションの一室に帰宅する。明かりをつけ、テレビの画面をともす。チャンネルを国営放送に合わせる。イブニングスポーツ、という旧態依然とした番組名は、この局ならではだ。
〈さっそくですが、南城さん。今日は、大変なことがあったそうですが〉
 けっ。と腹の中で唾を吐く。大袈裟に騒ぎよって。要はプロバスケを干された男が、女子高に拾われただけやろが。そう考え、それが自分自身のことだと気付いて、ますます気分が悪くなった。
 レンジでチンしたコンビニ弁当をちゃぶ台に広げる。家具らしい家具ははほとんどない。フローリングの床がなおさら寒々しい。
 妻はいるが、ここにはいない。しばらく別居生活が続いていた。これで、何度目かになる。不思議といままで、離婚の話が持ち上がったことはなかった。しばらく別々に暮らし、またよりを戻す。そんなことを繰り返してきた。よりが戻り、妻が戻ると、家具も戻ってくる。だから、家具は買わない。どうせ大して、なくて困るものはない。ここには寝に帰ってくるようなものだ。テレビも持っていかれてしまったが、さすがにこれはないと困るので、安物を買った。
 割り箸をパチンと二つに分けたところで、あらためてテレビに注意を向ける。記者会見のVTRが始まっていた。その映像を見た眼が、真ん丸に見開かれた。
〈――来年、日本に留学し、そして、我が桃花学園バスケ部の一員となる、楊美華くんだ〉
 桜井の勝ち誇った笑みがアップで映った瞬間、君津の両の拳の間で、割り箸が音を立ててへし折れた。

  20

 そして、ここにも一人。
 偶然か、それとも必然か。神の悪戯はここに彼女を楊美華に出会わせた。それは彼女――大木ゆかりの運命を大きく変えることになる。
〈ヤン選手、中国に比べれば、日本はまだまだバスケ弱小国です。その日本に、次代の中国を担うと言われるあなたが、敢えて留学しようとする動機はなんなのでしょうか?〉
 記者の質問を通訳がヤンに伝える。ヤンは母国語で答え、それを通訳が記者たちに告げた。
〈日本がバスケ弱小国だとは思いません。プロリーグが発足し、NBAを始め、国外で活躍する日本人プレーヤーも、いまでは珍しくありません。日本のバスケのレベルは、飛躍的に向上していると思います〉
〈しかし現実に、今日あなたは桃花学園と親善試合を戦い、高校生相手に圧勝しました。自分が入るチームとして、物足りなくはありませんか?〉
〈仰るとおり、今日対戦した桃花学園は弱敵でした。現在の監督から誘いを受けたとしても、私はお断りしたでしょう〉
〈おお……〉
 記者団から漏れたどよめきをマイクは拾い、それは音声として街頭ビジョンからも流れた。
〈私がこの話をお受けしたのは、来期の監督が、この人になるからです。桜井氏は日本のプロリーグで、チームをトップに育て上げ、その地位を守り抜いた名監督であり、桃花学園を強力なチームに変えてくださると確信しています〉
〈おおッ……〉
 さらに大きなどよめきが記者団から漏れた。
〈そして、私の留学の目的は、バスケだけではありません。私はかねてより日本の文化に興味を抱いており、この国でそれを学ぶことは長年の夢でした〉

「失礼ですが、いま言われたことは、信じられません」
 発言したのは、週刊バスケットの三原記者であった。あとで禿から「現役時代のカットインを見るようだった」と評された。
「ヤン選手と、中国ジュニア代表の郭(かく)監督との間には、確執があると噂されています。本当の動機は、その辺にあるのではありませんか?」
 通訳からいまの質問を聞いた彼女は、睨み据えるように三原記者の眼を見た。
「私は、訊かれたことに正直にお答えしています。それを信じるか信じないかは、あなたがたの自由です」
 本当に彼女は15歳の中学三年生なのだろうか。大人相手に、この堂々たる受け答えはどうだ。体躯のみならず、彼女は精神さえも「怪物的」だと、三原は思った。
「ですがお疑いでしたら、いま、その証拠をご覧に入れます」
 通訳が話し終わるのを待って、ヤンは自らの口で言った。
「皆サン、コンニチハ。私ガ、やん・めいふぁデス」
 その程度なら、来日した外人ミュージシャンでも言える。三原がそう思う間もなく、ヤンはさらに続けた。
「憧レノ国デ学ビ、ぷれいデキルコトヲ嬉シク思イマス。ちゃーむぽいんとハ、誰ニモ負ケナイ背丈デス」
 掌を頭頂にかざして言うと、どっと記者団から笑いが起こった。
「身長ハ訊カレレバ、オ答エシマス。デモ、すたいるニハ、アマリ自信ガナイノデ、ドウカすりーさいずト、体重ニツイテハ、質問シナイデクダサイ」
 また記者団が笑った。どうやら、日本語は一夜漬けではないらしい。それにしても大したタマだと三原は思った。
「ではお言葉に甘えて、身長はいまお幾つですか。こちらのデータでは、193センチということですが?」
 記者のひとりが訊いた。
「ソノでーたハ、半年前ノモノデス」
 ヤンは通訳を介さず、直接返答した。
「今ノ私ノ身長ハ、195せんちデス」
 またしても、記者団がどよめいた。半年で、さらに2センチも伸びたというのか。弱冠15歳、まだ成長期にあるとすれば、彼女はいったい、どこまで大きくなるのだろうか……。

(195センチ……!)
(私より大きい。10センチも……)
 ゆかりはいままで、同年代で自分より大きい女子を実生活はもとより、マスメディアにおいても、見たことがなかった。
 ゆかりはいつしか、雨に濡れるのも構わず、駅の屋根の下から足を踏み出した。もっとそばで彼女を見たいと思った。もっとそばで彼女の言葉を聞きたいと思った。自分よりたった一つだけ歳上の、自分よりも大きい彼女を――。

〈ご覧いただいたように、主役の桜井次期監督をそっちのけで、ヤン選手一色の記者会見となったわけですが、これは本当に大変なことなんです〉
〈これについて、中国ジュニア代表の郭監督は何か言っているのでしょうか?〉
〈郭監督に取材陣がコメントを求めたところ、ノーコメントと、大変険しい表情で口にしたということです。またこのことはすでに中国でも報道されていまして、『日本は親善と称して我が国の宝を横取りした』と、強く非難しています〉
〈このあとヤン選手は、中国選手団とともに、帰国するんですよねえ〉
〈そうなんです。当然、強い慰留への働きかけがなされるはずですが、なんといっても日本でプレイしたいというのは、ヤン選手が自ら望んでいることです。ぜひ、その意志を貫いて、こんなプレイをもっともっと、我々の前で見せてほしい! この試合で見せた雄叫びを、再びニッポンのファンの前で聞かせてほしいッ〉

 映像はVTRに変わる。BGMが流れ、彼女の練習風景に、記者会見での談話が重なる。母国語で語られる彼女の言葉に、日本語訳がテロップで表示される。
〈郭監督は厳しい人です。生活の全てをバスケのみに集中することを求め、それ以外のことに興味を持つことを許しませんでした。そのことでぶつかったことはあります。しかし、それは競技の指導者として当然のことです。私は郭監督に感謝こそすれ、恨む気持ちなどありません〉
〈子供の頃、化け物と罵られ、泣いていた私に、バスケを教えてくれたのが、郭監督です。誰よりも背が高いということ。それはどんな宝石にも勝る宝なのだと、監督は言ってくれました。郭監督は背を丸めて生きていた私に、堂々と胸を張って生きる道を教えてくれた恩人であり、この世で誰よりも尊敬する人です〉

 雨はいよいよ豪雨となって、ゆかりの全身を叩きつけた。濡れることを気にする段階は、とう過ぎた。ただ、容赦なく眼潰しのように襲う雨粒に、眼を開けるのを邪魔されるのが鬱陶しかった。

 映像は桃花学園との親善試合に変わる。ヤンのプレイのみが編集されている。
 ――リバウンド。こぼれたシュートをヤンがことごとく奪う。
 ――ブロックショット。相手の放ったシュートをヤンが空中で掴み獲る。叩き落とす。
 ――そして。
(ゆかり――。ダンクって、知ってる?)
(シュートってふつう、下からボールを入れるでしょ。それをリングよりも高くジャンプして、上から叩き込むんだ。カッコイイんだよ。女子でそれができる選手を、ダンクレスっていうの)
 ゴール下から高々とジャンプし、両手で掴んだボールをまさかりを振り下ろすように、リングにブチ込む! ブチ込む! ブチ込む!
(これが――)
(これが、ダンク――!)
 東洋の巨人・ヤンが吼える。拳を握り、天に向かい。
「OHHHHHHHHHHHHHHHHHHッ」
 そのとき、まるで何者かが演出したように、空に稲光が走り、はじめにベニヤ板を裂くような、続いて戦艦の大砲が火を噴くような雷鳴が大地を揺るがした。

 ゆかりの心にも稲妻が落ちた。ヤンのダンクは、彼女が心の奥底に閉じこめた、古い記憶の鍵を解き、その扉を開けた。
 セピア色に褪せた、父の写真。大事な大事な、自分が生まれたその日にこの世を去った、父の写真。
(見たこともない父親が、そんなに好きか!)
(こんなもん、後生大事に持ってやがって!)
 新しい父親に、無惨に引き裂かれた。
(いいか、ようく聞け。いまの父親は俺だ。俺がお前の父親なんだよ! 言え! お父さんって呼んでみろ。呼べったら、呼べよ!)
 手を上げる父親に、掴みかかる。腕を掴み、噛みついた。怒りに震えた。憎かった。その想いがビビッドに甦って、自分にこんな感情があったのかと、ゆかりは戦慄した。
 滝のような雨に打たれ、ゆかりのなかで、なにかが変わろうとしていた。それはその存在すら自覚しなかった、心の暗がりに棲まう獣が、永き眠りから醒め、ゆっくりと瞼を開けた瞬間だった。
 身体が熱い。燃えるようだ。身体を打ちつける豪雨が、シャワーのように心地よかった。ゆかりの全身から、もうもうと湯気が上がっていた。



第1稿 2006.04.01