『エミール』 ルソー著 今野一雄訳 岩波文庫(3分冊) 青−622


 教育の話をするのなら、先ず『エミール』でしょう。と言う訳で、近代教育学の祖、ルソーの『エミール』の紹介です。こういう古典的名作は、あちこちの出版社からいろいろんな形で出版されているんでしょうが、一応私が読んだものと言う事で、岩波文庫版を紹介します。

 「消極教育」。これがルソーの教育論の根本理念です。と言っても、ルソー自体がこの言葉を使っている訳ではありません。ルソーの思想を理解しようとする後の研究者が、ルソーの教育理念をこのような言葉で表現した訳です。

 『万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。』(上巻P23)こういう書き出しでこの本は始まります。よく、教育や躾について話す時、性善説とか、性悪説とか言うんですが、ルソーは性善説です。彼は性善説の教育論の創始者と言って良いと思います。

 彼によれば、人間がいつ何を学ぶべきかは、予め自然によって決められています。自然は変えようがないので、教育者は子どもの中の自然に合わせて、何を何時どう教えるかを決めていかなければならない訳です。

 ここで注意しなければならないのは、自然と社会の関係を、ルソーは対立的なものととらえているという点です。そして、自然の要求に反する形で社会的な教育が為された時、教育は人間を悪くする、堕落させる、と言うのがルソーの見解です。

 それでは、教育者は何をすべきか。余計な事はしないのがよろしい。そして、子どもが内なる自然に導かれて伸びようとする時、何かを学ぼうとする時、彼の成長が歪められないように見守ってやるのです。そして、少しだけ手助けをしてやるのです。これが「消極教育」と言う考え方です。 

 もう一つ、彼の優れた考え方として、「早期教育の否定」と言うのがあります。彼はいわゆる早期教育を指して、『不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷な教育』(上巻P101)と定義します。

 縁起の悪い話ですが、あなたの子どもは明日死んでしまうかもしれません。そうすれば、その子は未来の幸せを少しも享受する事も無く、ただ未来の為の我慢、未来の為の努力という苦しさしか体験していない事になるかもしれません。

 ですから、教育者は子どもの現在の幸せを第一に考えるべきなのです。そうしたとしても、彼の中の自然を大切に育んでいけば、立派に成長していく筈ですから。

 どうです。良い事が書かれているでしょう。一度読んでみようという気が起こりませんか。ですが、もし、読まれる方は注意して下さい。この本は、200年以上も前に書かれた本だという事を心に留めておいて下さい。

 この本は、エミールという少年を筆者が育てていくという形式で書かれています。少年のそれぞれの時期に従って、何をどう教えるべきか、細かな考察が為されています。

 ですが、18世紀のフランスの「社会」と現在では状況が全く異なります。発達心理学的な研究もまだ為されていません。ルソーの提唱する具体的な教育技術は、今日の視点から見ると首を傾げざるを得ないものが多くあります。

 それは仕方の無い事です。彼は当時のフランス「社会」の為にこの本を書いたのですから。200年も先の、未来社会の住人の為に書いた訳ではありませんから。

 細部にこだわらず、根本の理念の新しさを味わって下さい。私達は彼に追いつくのに200年もかかったのですから。あるいは、200年経ってなおかつ、まだ追いつけないでいるのかもしれないのですから。


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