『魂の殺人』−親は子どもに何をしたか− アリス・ミラー著 山下公子訳 新曜社


 アリス・ミラーは自分とルソーの思想の関連性を否定します。自分の考え方とルソー流の考え方の間には何一つ共通の要素は無いと言い切ります。ですが、ルソーの「消極教育」という理念が無ければ、彼女がこの著書の中で主張する「反教育」などという大胆な考え方を生み出せたかどうか疑問ですし、また、一般の人間にしても、彼女の「反教育」の主張を「消極教育」の理念の延長線上で理解する事無しに素直に受け入れることは出来なかったでしょう。私はやはり、アリス・ミラーをルソーの後継者と考えたいのです。

 全ての教育は有害である。ある特定の教育だけが有害なのではなく、教育と名付けられるもの全てが有害である。

 これが彼女の結論です。ですが、ここでは敢えて有害な教育とそうでない教育の区別を付けておきましょう。いかにアリス・ミラーとはいえ、文字を教えるなとか、足し算を教えるなとまでは言っていないでしょうから。

 彼女の言葉の中で教育という言葉が出てきた場合、それは恐らく、「躾(しつけ)」とか、「徳育」とかいう意味だと思います。教育は有害だ、というのは、躾は有害だという意味でしょう。これでも、余りに予想外の結論で驚かれる方も多いと思います。

 彼女に言わせると、教育とはさまざまな種類の大人の側の欲求の現れでしかありません。その意味で、ルソーもまた例外ではありません。彼女は、ルソーの教育を操作的教育観と断じます。(そして、確かにこの批判は当たっています。)

 教育とはつまり、子どもに対して何かを要求する(命令・禁止する)ことですし、その要求を子どもが受け入れなかった場合、あるいは受け入れるのに失敗した場合、当然、何かの罰を与えなければなりません。

 罰を与えられることによって子どもは傷つきます。特に、親から受けた罰は子どもを傷つけます。子どもは、親の愛情を失っては生きていけない存在だからです。

 親の愛を失うかもしれないという恐怖感は、何物にもまして子どもを不安にします。ですから、子どもはあらゆる犠牲を払って親の愛をつなぎ止めておこうとします。自分の自由意思や活力を放棄し、親から受ける屈辱や苦痛を甘んじて受け、親から愛される自分であろうとします。そして、親から受けた不当な扱いについても、子どもは全て許してしまいます。そうしなくては、子どもは生きていけいないからです。

 次に、子どもは親から受けた心の傷を忘れようとします。幼い頃の自分にとって、親の愛は必要不可欠のものだからです。自分の子ども時代の記憶と、両親に対する記憶は理想化され、対して親から受けた扱いによって受けた心の傷と、親の愛をつなぎ止める為に葬り去った本当の自分を、深層心理の奥に封印してしまいます。

 ですが、これらのものは心の奥で常に生々しい傷として疼き続けています。その疼きを和らげる為に、かつての子どもは、子ども時代の自分と親のモチーフを何度も繰り返し演じ続けます。

 ある時は、誰かを子ども時代の自分に見立て、親がかつてそうしたように相手を傷つけようとします。ある時は、誰かを親に見立て、親から罰せられる子ども時代の自分を再現しようとします。また、かつてぶつけようとしてぶつけられなかった親に対する怒りを他の何かにぶつけようとする場合もあります。

 教育もまた、このようなメカニズムの内にあるものとアリス・ミラーは考えます。即ち、(親も含めて)教育者は、自分と親の関係を生徒と自分の関係の中で再現しようとします。教育者の教育観は、理想化された自分の子ども時代と両親の関係を保持したいという欲求の現れですし、教育者が生徒に対して禁止することは、自分が子ども時代に許されなかった、そしてその為に深く傷ついた記憶の再現です。

 逆に、生徒を親に見立てて、子ども時代の感情を相手にぶつけてしまうこともあります。教育者が抑圧して忘れてしまいたい記憶を呼び覚ましてしまいそうな生徒に対しては、自分の中の忘れてしまいたい記憶と共に抑圧しようとします。

 教育を受けた子どもは教育を学ぶだけだとアリス・ミラーは言います。それは恐らくこういう意味です。教育とは、かつて心に傷を受けた大人が、自分が受けたと同じ傷を目の前の子どもの心に植え付けようとする行為なのだと。

 教育というものに対して、アリス・ミラーの視点は厳し過ぎると感じる方もおられるでしょう。それには理由があります。この本の中で彼女が扱っている一番の問題は、「教育とナチズム」の関係なのです。

 この本の中で、アリス・ミラーは、何度もナチズムの問題に帰ってきます。ドイツをナチズムに走らせる精神的土壌を作った教育について。恐ろしい独裁者ヒットラーを生み出した家庭教育について。ナチズムの支配下に於いて行われた扇動教育について。そして、第二次世界大戦によってトラウマを受けたユダヤ人やドイツ人のトラウマがその子どもや孫に及ぼした影響について。

 ドイツで伝統的に行われた教育を、彼女は「闇教育」と呼びます。それについての詳細な記述が、この本の約3分の1を占めています。それはどうも、ドイツだけでなく、欧米では一般的だった教育観のように思われますが、それは又、今現在、日本人の半分の人が支持している、言う所の厳しい教育と非常によく似ています。恐らく、我々日本人はこの教育観を、どこかの時点で欧米から輸入したのでしょう。

 アリス・ミラーは、この「闇教育」がナチズムの精神的土壌を作ったと考えています。又、ヒットラーが受けた教育も、この闇教育によるものです。

 ヒットラーの生育歴と、その後の彼の人生との関連性は、この本の大きなテーマの一つです。詳しくは、この本を読んで頂くしかありませんが、一箇所だけ、特に私の印象に残った所を引用します。孫引きになりますが、許して下さい。

 『 …… 夜になって少年は天窓から逃げだそうとしたのだが、隙間が窮屈だったので着物を全部脱いでしまった。ところがちょうどそこへ父親の階段を上ってくる足音がしたため逃げ出すのをあきらめ、大慌てで裸の体をテーブルかけで隠した。老紳士は今回は鞭に手を伸ばさなかった。その代わり彼は大笑いをして妻を大声で呼んだ。上がってきてこの「ローマ人みたいな格好をした子」を見てごらんと。しかしこの嘲りは息子にとってどんな体罰よりもこたえるものであった。ヒットラーは後にヘレーネ・ハンフシュテングルに「この出来事を忘れるのにはかなり時間がかかったと打ち明けている。 …… 』
J・トーランドの文章(アリス・ミラー『魂の殺人』P203、204よりの引用)

 この文章が特に印象に残ったのは、裸で嘲られる子どものイメージと、偽りのシャワー室の中で裸で虐殺されるユダヤ人のイメージが、私の中で余りにも鮮明に重なってしまったからです。

 勿論、ヒットラーは、ユダヤ人を裸にしたのは彼等の衣服や所持品を効率よく集める為だと言うでしょうし、自分でもそう信じ込んでいるでしょう。しかし私には、かつての自分と父親の関係を無意識の内に再現しているとしか思えないのです。

 最後に一つ断っておかなければなりません。私はこの文章の中で「深層心理」という言葉を使いましたが、これは私自身が補った言葉で、アリス・ミラー自身はこの言葉を使っていません。


 戻る 前へ 次へ ホームへ