『永遠の仔』 天童荒太著 幻冬社刊


 ベストセラー小説、『永遠の仔』についてです。ネタばらしになる話も出てくると思いますので、まだ読んでいらっしゃらない方は、先に元の本を読んでからいらして下さい。

 作家が、ある社会性のあるテーマでもって小説を書く場合、二つのやり方があると思うのです。一つは、はっきりテーマ性を全面に打ち出し、一種のプロパガンダとして小説を書くやり方。もう一つはテーマは物語の中に織り込んでしまって、はっきり表面に出さないやり方。

 私個人の意見としては、後者のやり方の方が正統であると思います。テーマを読者の理性に働きかけるのであれば、小説よりも論文や評論などでやれば良いのですから。小説という形式を取る限り、読者の感覚、感性に働きかける形で、テーマを展開するべきだと思うのです。

 ですが、書き手の側の強い信念に裏打ちされている場合、プロパガンダ小説の嫌いな私が認めざるを得ない力作が生まれたりするのです。『戦争と人間』や『人間の条件』を書いた五味川純平さんがそうでした。『永遠の仔』の天童荒太さんも、そんな作家さんの一人です。

 『永遠の仔』というと児童虐待を扱った小説ということになっていますが、もう一つ、老人介護の問題も主題の一つです。天童荒太さんのうまいところは、子どもの保護の問題と、老人福祉の問題を一つに捕らえている点ですね。もし子どもの問題だけを扱っていたならば、今ほどのビックヒットにはならなかったかもしれません。勿論、ベストセラーにはなっていたでしょうが、六十万部までは売れなかったかもしれない。
 
 そもそも、『永遠の仔』とはどういう意味か。子どもの時代、愛に満たされなかった子ども時代をずっと引きずったまま生きていく大人の時代、そして子どもに還ると言われる老年時代。この三つの時代を生きていく存在が、つまり『永遠の仔』なのでしょう。そうすると、『永遠の仔』という言葉は、殆ど「人間」という言葉と同義とさえ思えてきます。

 それはそうなのですが、やはりこの場では、児童虐待に限ってこの本を読んでいきたいと思います。

 長期に渡る綿密な取材に裏打ちされた作品です。一つ一つのエピソードが生々しく、心を打ちます。素晴らしい作品です。他に言葉がありません。

 この作品の中には、性的虐待も、体罰も、育児放棄の問題も、全て扱われています。そして、話の中心にあるのは性的虐待の問題なのですが……

 ですが、私が特に心を動かされたのは、言葉の暴力に関する記述です。その他の虐待に関する描写もすばらしいのですが、心理的な虐待に関する記述の生々しさに比べれば、いささか精彩を欠く嫌いがあります。

 その他の虐待については取材によって書かれたが、心理的な虐待に関する部分は作者自身の体験かもしれない、と、私は勝手に想像しています。

 心理的な虐待に関する部分、具体的には、母親の志穂と、優希や聡志との会話の部分、そして母親のまり子と笙一郎との会話の部分です。今現在、『永遠の仔』はテレビドラマ化されていますが、このドラマの中ではこの心理的虐待に関する部分が骨抜きにされている。非常に残念です。

 実は、この二人の取り扱い方で、私はこの作品を読みながら随分とイライラしていた面があります。もしかすると、天童荒太さんは、自分自身の虐待体験(?)を乗り越えてはいないのではないかとさえ思ったものです。そう思わざるを得ないほど、この二人の女性は特別扱いされているのです。

 先ず第一に、志穂とまり子は断罪されません。この物語に出てくる児童虐待者は、殺されるとか、物語の中から追い出されるとか、なんらかの形で罰を受けています。ですが、この二人の虐待者、志穂とまり子だけは最後まで断罪されません。

 第二に、志穂とまり子は許されます。志穂は優希が父親にレイプされるのを結果として黙認する訳ですが、その父親を殺すことで、そして最後には自殺することで、全ての罪を許されています。まり子は息子笙一郎を様々な形で虐待しますが、時を経て現れたまり子は老人性痴呆の状態であることによって、全ての罪を許されます。

 第三に、二人の息子たちは、母親の手によって殺される道を選びます。聡志は、母親の自殺を偽装するために親殺しの嫌疑を受け、それを晴らすことのできないまま、いや、嫌疑の晴らされることを拒否したまま、自動車事故に遭い、死亡します。笙一郎は、母親の医療費の為に順風満帆であった自分の弁護士としてのキャリアを壊し、そして最後には入手した拳銃によって、母親に撃ち殺してもらう道を選びます。

 様々な類似点から、私は、志穂と聡志、まり子と笙一郎の二組の母子関係は、作者の母親と作者の関係が投影されているのではないかと思ったりします。そして私は、寺山修司が映画『田園に死す』の最後で語ったこんな言葉を思い出したりするのです。「だが、たかが映画の中でさえ、たった一人の母親も殺せない私自身とは、一体誰なのだ!?」

 あくまで私の勝手な想像です。天童荒太先生、間違っていたら御免なさい。

 怨みがましい話になりましたが、私がこの作品に感動しているのは事実です。特に、少年期の、ジラフ、モール、ルフィンの下りは、何度読んでも涙が出ます。

 その他の子ども達も良い。愛媛県立双海小児総合病院児童精神科の子ども達は、みんな健気で、純粋で、透明で、何度読んでも涙が出てきます。青年期の物語が感動的なのも、この少年期の物語が余りに美しいからです。

 本当は、この小説のドラマ化は、少年期と青年期を分けてドラマ化して欲しかったんです。そして、少年期のドラマの監督は大林信彦監督。あの透明な世界を映像化出来るのはこの人しか居ないと思っていたのですが……。まあ、私の勝手な思い込みかもしれません。

 因みに、青年期のイメージ・キャストは、優希・本上まなみ、ジラフ・木村拓弥、モール・真木蔵人だったのですが、今のドラマの配役も良いですね。毎週、楽しみに見ています。

 今回は思い入れが強すぎて、取り留めもない文章になってしまいました。


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