作家であるということ


 シナリオ学校に一年間通って一番役に立ったのは、作家とはどういう仕事なのか、知ることができたということです。

 それまで、私の中での作家のイメージというのは、テレビドラマなどで見るこんな生活でした。

 子ども達が学校に出かけた後で起き出してきて、奥さんが掃除洗濯をしている間、新聞を読んだり、寝ころんでテレビを見たり、犬を散歩に連れていったりしている。ある時、はっとひらめくと書斎に飛んでいき、猛然として原稿用紙に文字を綴り始める。

 つまり、作品の構想を練ることと、作品を書くことが、作家の仕事の全てだと思っていたのです。

 でもそれは、作家の仕事のごく一部でしかなかった。作家が小説を書くというのは、例えて言うならば、プロ野球選手が野球の試合をするようなものだったのです。

 プロ野球選手は、試合をして観客に見せるのが仕事です。だからといって、年中試合だけをしている訳ではありません。レベルの高い試合を見せるために日々の修練が必要です。その修練がプロ野球選手の生活の大半であって、試合が占める割合は仕事全体の一割にも満たないのではないでしょうか。

 作家も同じことで、作品の構想を練って書き上げるというのは最後の結果に過ぎません。それ以前の仕事の占める部分の方が、圧倒的に大きいのです。

 そこで、作品の構想を練って書き上げること以外の作家の仕事というのを、ここで書き抜いてみます。私が気が付いた範囲でということですので、それ以外のものもあるかもしれません。

1.読書

 作家と呼ばれる人の読書量はやはり半端ではありません。で、講師として出講なさったプロ作家の先生に、プロデビューの時点で、蔵書は何冊位持っていたかという質問をしてみました。結論としては、三千冊から四千冊というところでした。

 平均で三千冊から四千冊ではありません。多い人は、七、八千冊というケースもありました。プロとアマの境界線が、大体それ位かなということです。それ以下の数字を答えた方は居なかったという意味です。

 この三、四千冊というのも、読んで処分した本や、人から借りたり図書館を利用した本は計算に入りませんから、実際の冊数はもっと増えるでしょう。個人的に、五、六千冊と考えています。つまり、プロとしての文章センスを養うには、その程度の読書が必要だということです。

 もし仮に、今まで一冊も本を読んでいない人がプロ作家を目指したとします。平均、二日のペースで本を読んだとして一年約百八十冊。このペースで読んでいくと、約三十年前後掛かります。逆に言えば、全くの素人でも、三十年読書にいそしめば、プロ作家に迫ることが出来るということです。

 時々、二十歳そこそこでプロデビューとか、十代でプロデビューという人が居ますが、こういう人は、プロ作家として最低限必要な読書量を、二十年前後でこなしてしまったということなのだと思います。

 今現在プロ作家を目指している人は、一般の人よりも当然沢山の本を読んでいるはずです。ですが、もし五、六千冊の本を読んでいる自信が無い人は、原稿用紙を埋めるのに忙しくて読書の時間が取れないような生活を続けるよりも、読書に重点を置いた生活を考えた方が良いように思います。

 勿論、五、六千冊のラインをクリア出来ればもう本を読まなくてもよいという意味ではありません。プロ作家は本を読み続けています。ベテランの中には、蔵書何万冊という方もざらにいらっしゃいます。物書きで生きていくつもりなら、一生読書人ということでしょう。

2.資料集め

 アマチュアとプロの意識が一番ずれているのはこの点だと思います。小説を書くのは好きだが勉強は嫌いで、そして資料集めというのは勉強の部類に入ると思っている人が多いです。

 私も、作家の資料というのは、作家の要望に応じて編集者が集めてきてくれて、場合によっては整理までしてくれて、作家はそれを利用するだけという印象を持っていました。いや、実際にそうしていると確信していたわけではありませんが、少なくとも、作家がそういう作業に振り回されている様は想像できなかったのです。

 ですが、現実の作家さんは、みんな自分の足で資料を集めて回っています。ベテランは知りませんが、取材旅行なんてものも結構自腹のようです。コピー代なんかも全部自腹で、ある作家さんなどは、デビュー前の小遣いの大半は、資料集めのコピー代に消えたと話しておられました。もちろん、デビューした後の今も、自腹でコピー資料を集めて回っておられます。

 どのジャンルだから資料集めは必要無いということはありません。とにかく、作品に深みや厚みや正確さを加えるために、資料集めは絶対に必要不可欠な作業です。

 ある意味で、プロとアマチュアを分ける一つのハードルがこの資料集めであるように思われます。作家を目指した時点で原稿を書く作業に没頭する覚悟は出来ている。でも、資料集めに奔走するのは、ちょっと面倒臭いという人は、なかなかプロのハードルを越えられないように思います。

 最後に、原稿を書く時間が取れないので、仕事を辞めて文筆一本の生活に飛び込もうかと迷っている方、絶対に辞めてはいけません。仕事場での経験も、一種の取材ですから。他の業種の人には分からない業界内部の事情を書き込むことによって、少なくとも一本、プロ並みの取材力に裏打ちされた作品が書けるはずです。

3.豊かな経験

 いかに文章技術を磨こうとも、書くことが無ければ文章は書けないということですね。色々な体験をして、恋をして、失恋をして、人を傷付けて、傷付けられて、そういうことの積み重ねが、作品として反映されていく訳です。

「細部に神が宿る」という言葉があるそうです。小説の煌めきというのは、大きなプロットの組み方の中に反映されるものではなくて、小さな一場面のわずかな描写とか、ちょっとした台詞回しなどの中に表れてくるものなのだそうです。

 そしてそういったものは、文章作法やテクニックで補うことができない。結局は、作家が生きてきた人生の蓄積によって、作品の魅力が決まっていくということです。

 あるベテランの作家さんの弁です。若くしてプロデビューした天才型の作家が、行き詰まるのがここだそうです。余りにも若くして物書きの世界に飛び込んでしまったために、それ以前の人生経験が余り無い。そのために、書くべきことが無くなってしまったり、どこかで頭打ちになってしまって伸び悩んだりすることもあるそうです。

 ということは、この豊かな経験という奴は、デビュー後ではなかなか補充が利かないもののようです。執筆というのは孤独な作業ですから、それに時間を取られている分、人よりも経験の蓄積の機会が減るのかもしれません。

 にも拘わらず、書き続けていくことによってストックはどんどん減っていく。

『全一冊』というシリーズがあるのですが、明治の文豪などの生涯の作品が本当に一冊に纏まってしまうことに驚きます。今の作家は一体、明治の作家の何倍の仕事をこなしているのか、ちょっと想像できません。例えば、『司馬遼太郎全一冊』とか、『京極夏彦全一冊』なんてとても出版できませんし、できたとしても買いたくありません。

 今の作家は、それだけ多くのものを書くことを要求されていますし、当然、それに見合うだけの引き出しの多さが要求されています。デビュー前の生活の中で、色々なことにチャレンジし、自分の感受性を磨いておくことが、デビュー後の自分の作品の質を保証してくれる保険になるのでしょう。

4.スタイルの確立

 この点については、一言では言えないので、また、別の機会に。

5.営業

 一部の売れっ子作家を除いて、多くの小説家は自分の作品を売り込みに回ったりもするようです。編集者との顔つなぎとか、結構そんなことも大切なことと教えられます。

 小説家というと霞を食って生きている仙人のような人種と思われていますが、本物の仙人は作家になれないということのようです。

 まあ、ざっとこんなところでしょうか。四番と五番はデビューしてから後のもんだいですが、一番から三番については、デビュー前のアマチュアにも要求されるものと考えていくべきでしょう。

 こんなに沢山のこと、とてもこなしていけない。どれか一つ、そんなに必要でないものを削ってくれと、もし頼まれたとしたら……

 それは、書くことでしょうか。

 だって、世の中には、それまで一本も小説を書いたことが無くて、生まれて初めて書いた小説を応募したら賞が貰えたという人が沢山居るのです。

 ということは、沢山の本を読み、豊かな経験と感受性を持ち、たまたまその時に選んだ題材に対して充分な知識を持ち合わせていたならば、小説を書く訓練を全くして居なかった人でもプロになれる可能性が充分にあるということになります。

 プロとして要求される能力を高めるための基礎を磨くこともせず、ただ試合ばかりをしたがる人は、しょせん草野球の器です。プロになるためには、試合をする前にするべきことの方を大切にしていくべきであろうかと思います。

 このコラムは、自分自身に対する戒めとして書いています。



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