自由と責任・権利と義務


 自由には責任が伴い、権利には義務が伴う。よく言われる言葉ですね。今の若者は自由だけ欲しがる。権利ばかりを主張する。自由には責任が伴い、権利には義務が伴う事をもっとしっかり教えるべきである、と。ですが、こういう言い方を好む方に限って、責任には自由が伴い、義務には権利が伴う事をご存じ無かったりする訳です。

 責任には自由が伴う。つまり、誰かに責任を取らせるからには責任を取る人間の自由にさせろという事ですね。やり方の段取りだけは一々細かく指示して、結果の責任は相手に押しつける。これこそ、自由と責任を取り違えた人間の典型です。事の段取りを自分の自由裁量で決定したのであれば責任も自分が負うべきです。相手に責任を取らせるのであれば、その段取りも彼の自由裁量に任せるべきです。

 こんな事を言うと、きっとこんな返事が返ってきます。「勿論、自分の下した判断に対する責任は自分で取る。しかし、与えた命令を正確に遂行する責任は相手にある。」ですが、この言い方は筋が通りません。自分自身の取る責任には自由が伴っています。ですが、命令された相手は一方的に責任ばかりを負わされています。これは命令者の単なる我が儘です。

 自分が段取りを決めて誰かに命令を下すとすれば、命令を下した部分までの責任を負うべきです。責任者は、命令される側の能力に見合った命令を出しているか、日頃から命令を下される人間と円滑な人間関係を結べているか、そういった所まで含めて責任を取るべきです。それができないのであれば、最初から相手に全権を委ねるべきでしょう。

 学校という場所でも同じ事が言えます。学校行事の運営に関して、学校は自由裁量権を持ちます。ところが、それが円滑に行かない場合、えてしてその責任を子どもやその親の責任にしたがります。自分は一方的な命令者。親と子どもは従順な命令遂行者。そんな関係が当たり前だと思っている教師がいまだに沢山居ます。

 学校行事を学校の自由裁量の範囲で運営していこうとするならば、学校と生徒の関係や生徒の能力の見極めも含めて、全ての責任を学校が取るべきです。結果について、特定の生徒や家庭に押しつけるべきではありません。もし責任が取れないのであれば、学校はその点についての自由裁量権を親や生徒に返すべきです。責任も取れないのに自分の自由だけは主張する。まさに今の大人や教師が批判する行動パターンの典型ではありませんか。

 権利と義務の問題も同じです。相手に義務を負わせるならば、それに見合うだけの権利が与えられなければなりません。権利も伴わず、一方的に義務だけ負わされる。そんな関係を納得する人間は居ません。

 私の子どもの校外学習の話をしましょう。この日の校外学習は親も参加できるという事でしたので、私も参加しました。現地は子どもの為の科学館といった趣旨の施設なのですが、子どもは館内では自由行動です。但し、行き帰りの行程も含めて、班別に団体行動という事になっていました。

 行きの電車の中での班別行動は比較的スムーズにいっていました。ところが、館内ではどんどん色々なものを見たがる子どもと一つのものをじっくり見たがる子どもが居て、次第に班からはぐれる子どもが出てきます。実は私の子どもも仲の良い子どもと二人で班からはぐれてしまったのですが、学習時間が終わる頃には可成りの数の子どもが個別行動で動き回っていました。

 これはどういう事でしょうか。班別行動をしろという指示に従えなかった子どもは社会性、協調性に欠けているのでしょうか。いや、そもそもの始めの班別行動の指示に問題があったのです。

 行きの電車の中での班行動は円滑にいったと言いました。実は、帰りの電車内での班行動も殆ど問題無く行われました。子どもに班行動する能力が無かった訳ではないのです。科学館内で班行動しなさいという、指示の出し方の方の問題だったのです。つまり、これは子どもの側の問題ではなく、教師の側の問題だった訳です。

 では、何故生き帰りの電車の中の班行動が円滑に行われたのでしょう。子ども達の中には、不慣れな電車の中ではぐれてしまったら大変だという不安があります。班行動で団体で行動する事によって、彼等は安全という権利を得る事ができます。権利に裏打ちされた義務が円滑に遂行されるのは当然の事です。

 館内の班行動はどうだったでしょう。この場所は元々子どもの利用を前提に建てられたもので、見通しが良くて迷子になるような入り組んだ通路は一つもありません。集合場所も分かりやすい場所にあり、つまり、この建物自体が子どもの安全に充分な配慮が為されたものだった訳です。とすれば、この建物の中での班行動は権利の充足感の無い、義務の為の義務になってしまいます。

 同じような事は学校の中で幾らでも行われています。例えば、朝礼の為の整列の義務。この義務を果たす事によって子どもはどんな権利を満たされるのでしょう。何もありません。ではなんの為に整列するのでしょう。雑然と生徒が集まって先生の話を聞いているという形式でも何の問題も無いように思うのですが。壇上で演説する教師の満足感の為。集まった生徒を管理する便宜の為。色々と理由を考えても、利益は一方的に教師の側にあり、生徒は一方的に義務を果たすだけの存在です。

 今仮に、銀行に対する援助の為に新たに増税の計画が為されたとすれば、どうでしょうか。受益者は一方的に銀行、国民は一方的な義務の遂行者、このような関係の中で納税の義務を果たす事に馬鹿馬鹿しさを感じないでしょうか。その上に、納税の義務を果たさない人間は社会意識に欠ける駄目人間などと言われたとします。あなたは納得できるでしょうか。ところが、学校という場所では生徒は一方的な義務遂行者、教師は一方的な受益者というような馬鹿気た義務があちこちで飛び交っているのです。

 生徒に義務を負わせる場合、これを果たす事によって生徒はどのような権利を保証されるのかと、常に問いかける姿勢は必要でしょう。そしてもし義務の為の義務を生徒に負わせなければならない時は、その結果に対してとやかく言わない事です。

 権利と義務の教育について二つほど留意すべき事があります。一つは、その権利は原則として全ての生徒について保証される権利でなくてはなりません。特定の生徒の我が儘の為に残りの生徒を我慢させるのは子どもの権利の保障にはなりません。第二に、先ず権利の充足感が先行していなければなりません。今はただ我慢させらせているだけのように思えるかもしれないけれども、今に分かりますよというのは教育としては下の下です。先ず権利の充足感がある事。そしてその権利の充足感を守る為に、一人一人の生徒が自然と義務を果たす事を覚えていく。これが正しい教育の姿ではないでしょうか。

 自由を与えられる事によって責任を学び、権利を与えられる事によって義務を学ぶ。そんな環境を整えてやれない大人が子どもに対してどんな批判ができるというのでしょう。自らの自由裁量権を振り回して子どもに責任ばかりを押しつける教師、自らが受益者となるように、子どもに対して自分に都合の良いような義務ばかりを押しつける親、そんな親や教師が、今の子どもは権利や自由ばかりを欲しがるとぼやきます。子ども達は、彼等が自ら示した手本に従って行動しているだけですのに。

 ところで、権利と義務の教育は、幾つかの段階を追って為されるべきでしょう。最初に示した、義務の遂行がそのまま権利意識の充足になるケースは最も指導しやすいでしょう。次に、例えば何かの目的の為に一日幾らの貯金をさせるとか、自分の鉢植えを育てるといった、義務の遂行と権利の充足が時間的にずれているもの、但し、自分の果たした義務が自分の権利の充足感に繋がるものも比較的早く学べるでしょう。一つの遊具をみんなで順番に使うなど、ルールを守る事によってお互いの権利が保障される、という感覚も早い時期から学べます。

 学校を休んだ子に宿題を伝えてやる、などの世話は、義務を果たす者と受益者がその時々でずれていきます。休む事が少ない子は義務を負う事が多くなり、休む事が少ない子は受益者になる事が多くなります。ですが、それぞれの回数の多い少ないは重要な問題ではありません。問題は、自分が何時休む立場になったとしても権利が保障されているという事で、大人が一度も役立てた事の無い災害保険に金を払い続けるのと同じ事なのです。このような権利と義務の関係になるといささか抽象的で、理解できるには子どもの側にもそれなりの成熟が必要でしょう。子どもの成熟度が追い付かない状態でこのようなシステムを導入しますと、損だ得だといった意識が子どもに生じがちです。

 音楽の器楽演奏の練習などで、早くできた子が遅い子の上達を待ってやる。この場合、楽器が得意な子が受益者になる事は先ず殆どありません。ですが、全ての授業についてこういうシステムがしっかり確立されていれば、何かの授業でその生徒も受給者になるかもしれません。もし勉強も運動も音楽も美術も、どんな科目でも人並み以上にできるスーパーマンのような子どもが居たとしても、例えば怪我や病気になった時にその子どもが受給者になる可能性はあります。こうして、目先の利益の追求から権利の保証へと、より抽象的な段階に子どもの意識を成長させていかなければなりません。

 子どもの自由意識の未熟、権利意識の未熟を指摘するのは簡単です。ですが、そういったものを健全に育てる努力が、日本の社会でどれだけ為されてきたのでしょうか。少なくとも、私の子ども時代には何一つ為されていませんでした。

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、自由権も含めて、自らの権利意識が満たされていない人間に義務や責任といった意識が芽生える筈がありません。それでも義務の為の義務を教えろ、責任の為の責任を負わせろと主張する人はもう一度冷静に考えてみて下さい。あなたは、自分の我が儘を子どもに押しつけようとしてはいないでしょうか。


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