短大のゆくえ


 少子化の波が、次第に日本の教育産業の地図を塗り替えていきつつあります。最初の波は予想通り専門学校に押し寄せて来たようです。英会話学校の倒産が相次ぎ、授業料のトラブルが結構あったのは周知の事実です。その他にも、以前はよく新聞広告などを目にしていた学校で、最近聞かないというものが結構あります。

 そして第二派が、短大に押し寄せています。各短大は生き残りを賭けて、共学四大へと姿を変えつつあります。中には、四大になっても短大の頃の感覚から抜けきれずに、学内上履き、出欠完全チェック、校門で服装チェックなどという大学もあるそうです。何れにせよ、短大と呼ばれるものは此処ニ、三年のうちに姿を消す事でしょう。

 何故短大から消えていくのか。私が大学入試に関わっていた頃の例で説明します。

 私が大学入試に関わっていた最後の時期というと、まだ、第二次ベビーブームの子ども達が溢れかえっていた頃です。その頃の子ども達は可哀想でした。可成りの力を持っている子どもでも、行ける大学が殆ど無いのです。偏差値50を切ると行ける大学が無いという時代でした。

 では、その頃の短大のレベルはというと、大体偏差値40から45というラインに全ての短大が並んでいる感じです。偏差値40を切るとさすがに短大でもしんどい。逆に偏差値45以上であれば、四大なら最底辺の大学でも苦しいが、短大なら選び放題という階層になります。

 第二次ベビーブームの時代、単純計算で、男子生徒の二人に一人は浪人していた計算です。偏差値50というのは平均点と同点であるという意味です。ですから、全国の受験生の平均点レベルを取れない生徒はみんな浪人していたという感じです。但し、これは男子生徒の場合。女子の場合、短大に入学する事で、大半の子は浪人せずにすみます。つまり、現代に於ける短大の役割というのは、女子生徒に浪人をさせない為の受け皿としてのそれという事になるでしょう。

 女の子は得、と言えない事もありません。ですが、短大志望の子の場合、浪人は許されません。もし短大に現役で合格出来なければ、高卒の資格のままで就職という事になります。短大入試は、そういう厳しさもあるのです。

 短大を支えるもう一つの価値として、就職の問題がありました。以前は、女の子は25才を過ぎると退職というのが一般的でした。それを過ぎるとお局様扱いで、後輩OLに煙たがられ、結局退職せざるをえなくなるのです。

 「結婚までの腰掛け」などと揶揄された時代もありましたが、もし四大を卒業してOLになった場合、22才で就職して上限25才で退職していく事になります。研修期間が半年から一年あると考えると、四大卒の女子OLは殆ど戦力にならないという事になります。そこで、企業の側も短大卒の女子の方を優先的に取るという事情がありました。

 ところが、時代が変わってきます。結婚適齢期が25才から30才まで上がり、また、結婚せずに仕事に生きる女性も増えてきました。勤続10年、20年のOLというのも当たり前になってきたのです。そうなると、短大生と四大生の間の勤続年数2年の差は、余り問題にならなくなってきました。

 第二次ベビーブームの子ども達が就職の時期を迎えた時、女子学生の就職難が問題になりましたが、この時、特に就職難だったのは短大卒の学生でした。四大と短大を分けた資料を見ると、四大卒の学生の就職の落ち込みは言われる程でもありませんでした。これは、就職難の風に追われて、四大卒の子が短大卒の子の就職先を侵略し、結局その分短大卒の子の就職率が余計低下してしまったという事だとは思いますが、何れにせよ、短大は就職に有利という神話がこの時崩れたのです。

 就職有利の神話が崩れ、しかも少子化の影響で浪人回避の受け皿の必要性も無くなってきました。まさに、短大の社会的ニーズ自体が無くなってきているのです。短大消滅は今や時代の必然となりつつあります。

 年輩の方は嘆かれるかもしれません。かつて、短大を含めた女子大、女子高は婦女子の情操教育の為に不可欠な存在でした。今でも、共学で育った女の子ははしたない。やはり女子大、女子高でなければと考えている人も居るようです。

 ですが、私の感覚から言うとこれは間違いです。私は女子大の教壇に立った事はありませんが、女性対象の専門学校などで教えた事があります。彼女達のマナーは凄まじい。教科書も出さずに週刊誌を読んでいる子、今日はデートというので頭にカールを巻いた状態で授業を受ける子、一寸考えられないマナーの悪さでした。大学で教鞭を取る友人に聞くと、短大の授業もこれに近い状態のようです。

 また、こんな話も聞いた事があります。電車の中を、通学途中の女子大生が占拠している。大声で話し、笑い、車内でのマナーも可成り酷い。ところが、ある駅に近付くと急にどの子も静かになり、先程とは打って変わって大人しくなってしまった。その駅とは阪急千里線の関大前駅です。関西圏意外の方には分からないでしょうが、関西の私立大学ではベスト4に入る有名大学です。その関大の男子学生が梅田方面への移動の為にどっと乗り込んでくる。その男の子達を意識して、女子学生達は急にしおらしくなったのです。

 女の子を淑女に育てる為には、女子ばかりを集めて情操教育を行うべきだという説は、人間の心理を知らない者が考えた妄想です。女性を女性らしくするのは、異性の視線です。その異性の視線から全く隔離された少女達が、共学育ちの少女達よりもお行儀が悪くなるのは、私の感覚からすれば当然の帰結です。本当に女の子らしい性格に育てようと思うのならば、常に同年代の男の子の視線に晒されている、共学校に通わせるべきでしょう。

 そんな訳で、私は短大も四大も含めて、余り女子大というものに価値を感じていません。短大が消えた後は今度は女子大が減っていくのではないかと、期待を込めて状況を見守っています。

 そもそも、なんで女子大などというものが必要だったのか。私が想像するに、元々は男の側の処女願望だったのではないかと思います。年頃になる前に男性から隔離して、結婚するまでなるべく男と接する機会が少なく育てる。その為に作られた女の園が、例えば女子大だったのだと思います。女子大の校門前にアッシー君のお迎えの車が並ぶ現代で、既にそのような処女願望が満たされているとも思えないのですが。

 私は、女子中も、女子高も、男子中も男子高も、全部ひっくるめて無くなってしまえばよいと思っています。男女を分けて育てるという育て方はやはり不自然です。少なくとも、私は自分の子どもを共学校以外にやる積もりはありません。


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