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受容するということ(2) 子どもを受容するという話で時々聞くのが、子どもが問題行動を起こして、で、専門家のアドバイスに従って子どもを否定しないという態度に改めたら、今までうるさかった親が急に何も言わなくなった、自分はとうとう、親から見捨てられたと子どもが思い込むという話です。で、そういう例をとって、子どもは親から叱られたり、叩かれたりすることで愛情を感じる生き物なのだ、子どもを叱らないというのは、一種の虐待なのだなどと言う意見があったりするようです。 でも、きっとこういうケースの場合、保護者の「受容」の仕方に問題があったのです。私は、そう思います。 子どもと話す時、小言や説教の形でしか話せない、不幸な保護者というは居るものです。例えば、子どもがテストで良い点を取ってきても、 「ほらみろ。お前はやれば出来る子なんだ。俺はいつもそう、言っているだろう。それをなんだ、お前は。いつもいつも……」 ここから先は延々と、お小言の嵐になったりします。途中から聞いている人間は、この子はまた、どんな悪いことをして叱られているんだろうと思うでしょう。 そんな保護者が子どもを否定するなと言われると、何も言えなくなってしまいます。それで、何も言わない。言えば否定的な言葉になってしまうので、子どもと口を利かないということになってしまいます。子どもが見捨てられたと思うのは、そのためです。 「受容」というのは、相手を理解しようとすることだと思うのです。否定しないことに意味があるのではなくて、否定したい心にブレーキを掛けて、相手のありのままの姿を理解しようと努めることに意味があるのです。相手を否定することと、相手を無視すること。どちらも、相手を理解しようとする姿勢が欠けていることに、変わりはありません。 例えば、自分の子どもの付き合っている友達が気に入らない。だから、その友達が来ると邪険に扱ったり、あんな友達と付き合ってはいけないなどと指図したりする。 でも、「受容」しなければいけないと言われた。否定してはいけないと言われた。それで、気に入らない友達が来ても気付かない振りをする。気に入らない友達が出入りしていても、見て見ぬふりをする。それは、受容していることにはならないんですね。 うちの子があんなに付き合いたがっているんだから、この子たちにもきっと良いところがあるに違いない。一体、この子たちのどこに、自分の子どもはそんなに惹かれているのだろう。そう考えて、我が子が付き合っている友達の良い所探しをしてみるというのが、正しい受容の仕方であろうと思います。別に、我が子と同じように友達と親しくする必要はありませんが、少なくとも、友達の来訪に最低限の好意と礼儀は尽くすべきだと思います。 我が子の聞いている音楽は聴いてみる。我が子の好きな番組は見てみる。そして、少しでも子どものことを理解しようとする。それが、「受容」するということなのです。 もちろん、相手を百%理解することは難しいでしょう。大切なのは、理解しようとする態度であって、正解に辿り着けたかどうかが問題ではありません。もちろん、少しでも正解に近付ければそれに越したことはありませんし、そのために努力し続ける訳なのですが。 話は少し変わりますが、女性解放運動、フェミニズムで、女性のことはなんでも認める、誉めそやすという感覚の発言をする人が居ますが、あれも逆の意味で、女性を「受容」していないと言うことができます。大切なのは女性を認めること、肯定することではなくて、理解することなのだという意味では。 前提としての肯定は、無条件の否定と全く同じです。相手のことを見ずに結論が先に出てしまうという意味では、相手を全く無視しているのとなんら変わりはありません。これは、「受容」していることにはならないでしょう。 私は、フェミニズム関係の本を積極的に読み漁っている訳ではありませんので、話半分に聞いておいていただければよいのですが、少なくとも、私の周りのフェミニスト達から推薦された本で、なるほど、この筆者は女性という存在を「受容」していると思える本は殆どありませんでした。 私の読んだ本の中で、この本はフェミニスト達に読んでほしいなと思えるのは、コレット・ダウリングの『シンデレラ・コンプレックス』(但し、柳瀬 尚紀翻訳のもの)、J. スウィガートの『バッド・マザーの神話』、金盛浦子の『甘え上手は幸せ上手』、岩月謙司の『女性の「オトコ運」は父親で決まる』の四冊。どの本も、女性を「受容」していく姿勢がしっかりしているという点で、お奨めです。真の女性解放は、こういう視点からのアプローチから始まるのだろうとも思っています。 まあ、全ての内容が正しいと言っている訳ではないです。でも、どの本も、出発点としては間違っていない。どの本も私の推薦図書で紹介していませんが、おいおい載せていきます。 話が少しそれましたが、子どもを「受容」することは、子どもに目を凝らすことだ、話に耳を傾けることだ、そして、興味を持つことだというのが、今回の結論です。 大学受験生は、「ゆかし」という古文単語を思い出してみてください。子どもに対して、「ゆかし」と思う心が、つまり「受容」なのです。 戻る 前へ 次へ 『言いたい放題』表紙へ |