<<学校という場所>>


 しつけは家庭でという割に、文部省がしつけの方針に口を出す事が多い。

 学歴社会のきっかけを作ったのが文部省である事を考えると、今の文部省が学歴偏重主義を批判するのはお門違いという感じがする。また、最近では、過干渉のしつけは問題だが、放任主義も問題である、などという事も言い出した。

 この文部省の言説を聞いて、私は首をひねった。日本人のしつけを厳格主義、学歴主義、童心主義の三つに分けて考えてみると、学歴主義は学歴偏重主義だから駄目、厳格主義は過干渉だから駄目、童心主義は放任主義だから駄目、結局、どの子育て観に立っても、学校という場所では駄目親のレッテルを張られる事になるのである。

 此処にも、現代の先鋭化した躾け観の問題が現れている。学校には、様々な価値観を持つ家庭の価値観が流れ込んでくる。それらの最大公約数的な所をとって整理した文部省の方針が、結果として厳格主義者・童心主義者からの学歴主義者に対する批判の観点、学歴主義者・童心主義者からの厳格主義者に対する批判の観点、そして厳格主義者・学歴主義者からの童心主義者に対する批判の観点の三者を鼎立させる形で列記している所に、地域社会の教育と同じ困難を学校という場所が抱えている事を感じるのである。

 学級経営に関しても、同じ事が言えるだろう。

 多くの教師が批判されているその中には、正真正銘掛け値無しの問題教師も居る。特に、体罰教師やセクハラ教師は無条件に教育の場から追放して貰いたいと思う。だが、正真正銘掛け値無しの問題教師を全員追放した所で、学級運営は円滑にいくのだろうか。

 教師もまた、厳格主義、学歴主義、童心主義の三つの立場のいずれかのスタンスに立っている。そして、その担任教師のクラスには、大抵の場合、三つの子育て観の家庭が全部揃っている。担任教師がどの子育て観に立って学級運営を行っても、教師の子育て観と対立する保護者からは不満が出てくる事になる。

 先鋭化し過ぎた子育て意識は、地域の教育も、学校の教育も、学級の運営も不可能にしてしまっているのである。


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