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 人工芝の敷きつめられた屋上では、設置されたスプリンクラーが小気味よい音をたててまわっていた。霧状の水滴が陽射しを浴びて小さな虹をいくつもつくりだしている。その虹にかこまれるようにして、カラフルなビーチパラソルが立っていた。
「よう、遅かったな」
 折りたたみの寝椅子に寝そべっていた男が言った。派手なアロハにバミューダパンツ、ビーチサンダル。かたわらにはクーラーボックス。真夏の完全装備だ。
「あんたを探しまわって校舎じゅうをうろうろしてたんだよ。屋上にいるならいるでメモでも残しとけよな。おかげで汗だくだ」
「芝生に水をやるのも、用務員の仕事だ。おろそかにはできんよ」
「ずいぶんと態度のでかい用務員もいたもんだ」
「ほんとう言うと、用務員は仮の姿。その正体は学園にはびこる悪を人知れず葬り去る隠密同心なんだぜ」
「それならおれはどこからともなくあらわれて窮地の美少女を助ける、正義と愛の伝道師ってわけだ」
「そんじゃま、学園の平和に乾杯といこうか」
 クーラーボックスからビールを取り出すと、威勢よくプルタブを開けた。おれはひと息に半分ほど飲み干して言った。
「しかし、昼間から堂々と学生に酒をすすめるやつがよく給料もらえるよな」
「アルコール度三パーセントなんてのは酒のうちにゃ入らんよ。それに、おまえはとっくに二十歳こえてるだろうが。よくそれで学生っていえるもんだ」
「誰のせいでこうなったと思ってるんだ。いいかげん卒業して、こんなとことはおさらばしたいね」
「卒業するには、まず授業に出席しないとな。授業に出席するってことは担任に会わなきゃならんてことだ。担任に会うのを拒んでる限り、おまえは卒業できやしないよ」
「べつに拒んでるわけじゃない。それに、いまさらまっとうに卒業しようなんて気もないさ」
 スプリンクラーがゆっくりと回転を止めた。虹はどこにもなかった。
 残りのビールを飲み干し、内ポケットのなかに入っていたものから写真とメモ用紙を取り出しておやじの前に差し出した。おやじはそれをちらりと一瞥しただけで尻ポケットに押し込んだ。
「ひと月か。おまえにしちゃ、ずいぶん手間取ったな」
「家族ぐるみでかくまわれていてな。親戚じゅうたらいまわしにされたあげく、見つけてみればダミーだった。当人ははじめからホテルに閉じこもってたんだ。まんまとしてやられたよ」
「どうやって見つけたんだ」
「母親のクレジットカードの明細。持ち出した金には手をつけずに、親のカード使って宿泊していたんだ。実家のゴミ箱あさったら出てきた」
「ぼんぼんのやりそうなこった」
 おやじは鼻で笑ったが、おれは思いだしただけでげんなりした。潜伏していたホテルは一流の折り紙つきだったが、それにしても見つけた明細に書かれていた金額はべらぼうなものだった。調べてみると、奴の投宿していた部屋にはほぼ日替わりといっていいほどさまざまな女が出入りしていた。きらびやかな衣装を身にまとい、宿泊しているわけでもないのに我が物顔でホテルに入り浸る女たち。母親のクレジットカードを使い、高級コールガールを呼ぶ男の神経が知れなかった。それを払う母親の気持ちも。
「あいつ、どうなるんだ」
「さあな。こっちは居所探してくれって頼まれただけだからな。あの生徒会のことだ、内々に処理するつもりだろう。いまの生徒会はたしかにやり手だが、なにごとも秘密主義なところがいけねえ。権謀術数張りめぐらせるのもいいが、やりすぎると自分たちががんじがらめなんてことにもなりかねねえ。今回の会計監査役の持ち逃げだって結局はそういうことだろ」
「おれにはそれが腑に落ちないんだよな。おつむの出来はさておいて、あいつの学生証は純金製だ。金で入学してきて、金で生徒会の役職を手にいれたような男が、なぜ横領なんてまねをする必要があったんだ。たしかにクラブ予算は大金だが、そもそもあいつは金に困るような家柄じゃない。自分の自由になる金が欲しかったにしても、身を隠すのに親のカードを使うくらいだ、その可能性は薄いだろう」
「動機のつじつまがあわんことはおれも考えた。それに、居場所の確認だけで金の所在はもちろん、当人への手出しは一切無用ってのもおかしな話だ。生徒会の言い分は、どう聞いても苦しい。だが即金前払いで金を受けとっちまった以上、こちらとしても質問するわけにはいかなかったんだよね」
 大まじめに言うおやじを見て、おれはため息をついた。ようするに、生徒会がなにを目的としてあの男の捜索を依頼してきたのか、皆目見当がつかないということだ。
「仕事は選べよな」
「だからこそおまえに頼んだんじゃない。黙ってても動ける人材はそう多くはねえ。ましてやそれがもらった給料分以上となりゃあ、なおさらだ」
「こっちはそのおかげで一学期期末を受けそこねた」
「もともと受ける気なんかないだろ。で、なにかわかったか」
 長いつきあいになるが、いまだにこの男と知りあったことを後悔することがある。いまがそうだった。仕事を請け負い、金をもらう。それだけのつながりだと割りきってきたからつきあってこられたのだろう。それは向こうも同じはずだった。そうでなければ、いまごろはお互い五体満足に過ごせてはいないはずだ。
「若生功夫。知ってるか?」
「知ってるもなにも、おまえが所属する丑寅の教師だ。知らんのか?」
「ぜんぜん知らなかった」
「学校くらい通え。それで、若生がどうしたんだ」
「潜伏してる部屋からかけられた外線電話を調べたんだが、この学園宛てに三度かけている。内線番号を確認してみたら若生功夫という名につきあたった。通話記録は一度目が五秒、次が二秒、最後はつながったと同時に切れている。どう思う?」
「不安に駆られてかけたものの、相手にされなかった」
「そんなところだろうな。今回の持ち逃げ事件に、この若生って男がかんでるのはまちがいないよ。何者なんだ?」
「若生ってのは一昨年この学園に赴任してきた若手でな、今年度から丑寅校舎の三年九組で担任受け持ってる。やってきた当初から教師の復権運動に与してる改革派の急先鋒だよ。口先だけじゃなく、目端のほうも相当効くキレ者って噂だ。始末に負えねえことに頭だけじゃなくて身体のほうも切れる野郎でな、空手部の顧問なんぞやってた」
「やってた? いまはやってないのか」
「やろうにも、部自体がいまはねえ。赴任してきた当時、若生自身が発起人となって新設した部だったんだけどな、練習のあまりのきつさに部員全員がとんずらこいたんだ」
「そのまえによく部員が集まったな」
「まあなんていうのかな、若生って男はいろいろとギャップのある奴なんだよ。優顔のいい男でタッパもある。一見するととてもじゃねえが空手の猛者なんぞには見えねえ。そこがよかったんだろうな、もの珍しさもあってそこそこの人数が集まった」
「なんだか、うっとうしい野郎だな」
「ああ、おれもそう思うよ。もとからあった空手部の連中もそう思った。さっそく、腕に自信のありそうなのが五、六人ばかり、あわよくばヤキをいれてやろうと待ちかまえたよ」
「当然だろうな。こけにされたも同然だ」
「部活の初日、どっからかマネージャーの女の子まで連れてきて喜色満面で挑んだ若生は、道場の片隅でようすを見てるやつらの前にいくと、君たちの実力をみたいとかなんとかぬかして全員まとめてかかってこさせたんだ」
「アホだ」
「衆人環視のまえだ。空手部の連中、ひきさがるわけにもいかず、やけになってつっこんでいったよ」
「結果は」
「一撃。あっというまに全員のされた。若生は息ひとつみださなかったよ」
「おっかねえ」
「それを見て、おれはずいぶんと派手な手をつかう奴だと思ったよ。この学園でのしあがっていくつもりがあるのなら、これ以上ないってくらい見事に、自分の実力をしめしたわけだからな」
「敵対勢力を叩きつぶし、同時にその拳を見せつけることで部員を信奉者に仕立てあげる。一石二鳥ってわけだ」
「ここまではな。だがそのあとが悪かった。あいつ、自分は強いってところを見せたあと、新入部員たちにも同じように強くなるよう求めたんだ」
 おれはわけがわからないといった表情をして、おやじに先をうながした。
「懇親の意味もふくめてさっそく合宿練習がはじまったんだが、参加した奴によるとその合宿たるやすさまじいもんだったらしい。朝四時半に起床、朝飯の前にまず六キロのロードワーク。午前中はひたすら筋トレ。腕立て、腹筋、スクワットはいうにおよばず、股裂きなどの柔軟運動、滝にうたれて突き千本、すねを鍛えるって砂袋まで蹴らせられたって言ってた」
 あきれてかえす言葉がなかった。
「昼飯のあとは一時間の休憩をはさんで、こんどは乱取り。この乱取りがまたすげえんだよ。若生自身が部員ひとりひとりと組むらしいんだけどな、若生の野郎、最初は相手がへとへとになるまで打たせるんだと」
「そのあいだ、若生はいっさい手出ししないのか」
「ああ、いくら強く殴ろうと顔色ひとつ変えなかったってさ。で、相手がもうだめだって顔をするとおもむろに打ちこんでくるんだそうだ。おれんとこに話にきた生徒は、あの瞬間がいちばん怖かったって涙ながしてたよ」
 怖い。それは怖い。おれは笑いをこらえることができなかった。
「陽も暮れて生徒たちがくたばりそうになってるところにさ、若生だけがにこにこしながら、さあめしだってでっかい鍋持ってきてな、全員でカレーライスつくらされるんだと。そいつ、それ以来いまだにカレーが食えないらしいんだ。泣ける話だろ」
「アホだ。正真正銘のアホだ」
「合宿が終わったあとには誰も残らなかったそうだ。それっきり、若生の空手部は消滅。本人だけがいまだに顧問って名乗ってる。救いようがねえ」
 おれとおやじはしばらくのあいだ口もきかずに笑いつづけた。
「なんだか、それだけ聞いてるとキレ者どころかネジがゆるんでるとしか思えないがな」
「言ったろ。いろいろとギャップのある奴だって。だが要注意人物であることにはちがいない」
「なるほど。てことは、今回の持ち逃げは教組連が生徒会に対して仕掛けた転覆計画の一環であると、そういうことかな」
「速断は禁物だが、おおかたそんなとこだろう」
「案外つまらんオチだったな。で、若生のこと、生徒会には報告するのか?」
「まさか。そこまでしてやるだけの金はもらってねえよ。それに、若生の存在を特定していたかどうかはともかく、話を持ってきたときの感じからみても生徒会ははなから承知のうえだったと考えるのが妥当だ。いまさらおれたちが御注進およんだところで、煙たがられるのがおちだよ」
「フリーの請負業ってのは肩身がせまいな。じゃあ、若生の追跡調査もする必要はないか」
「そんなもんは生徒会にまかせときゃいいさ。さっきも言ったように、若生は改革派の急先鋒として学園でもいまじゃちょっとした顔だ。当然、生徒会でもマークしている。おれたちが無駄な手数を踏むこともあるまい。まあ、いざとうとき火の粉を浴びずにすむよう、動ける準備だけはしておくがな」
「ともかく、依頼された仕事は達成したわけだし、これにて一件落着。ひと月に及ぶおれの尾行調査も終わりってわけだ」
 ふたりして缶ビールをもう一本ずつ取り出すと、祝杯をあげるように掲げてみせた。


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