義経千本桜【歌舞伎】

歌舞伎鑑賞記 [2003.2.23]
 義経千本桜が初演されたとき、舞台に桜はなかったそうです。演劇評論家の渡 辺保さんは著書「千本桜・花のない神話」(東京書籍)の中で、義経千本桜は梅 の咲くころの話であり、桜いまだ開花せずの季節にもかかわらず、何故千本桜と いう題名がつけられたのかを推理しています。その説によれば、吉野には畑の横 に植えられている桜の木のまわりに無数の卒塔婆が建っているそうです。大和地 方には、死者を埋葬した墓を早々と捨て去り、別の地に石塔墓を立てて死者を弔 う両墓制の風習があります。埋葬墓には桜の木を植えることが多かったので、そ れが捨て去られた後も、卒塔婆がたくさん桜の木のまわりに残っているわけで す。京都の町を南北に走る大通りは東側から白川、東大路、川端、河原町、烏 丸、堀川、千本、西大路と続きますが、この中の千本通りも、名前の由来は義経 千本桜と同様だそうです。平安時代、船岡山の近くの蓮台野と呼ばれる墓地へ至 る道が千本通りで、仏を供養するため千本の卒塔婆が立てられたことから、その 名がついたそうです。それゆえ千本桜は千本卒塔婆であるというのが渡辺氏の主 張です。
 作者の意図は知るよしもありませんが、源平の盛衰の中ではかなく散った人々 の供養には満開の桜こそが相応しく、「平家物語」の世界を覆う無常感を癒して くれるのだと江戸時代の庶民は考えたのかも知れません。そんなのは考えすぎ で、桜なしの吉野なんて考えられない!!というほうが単純かつ素直で、説得性 がありそうですね。
 さて、「義経千本桜」というお芝居、義経が頼朝に追われて都から吉野へ落ち のびていく過程でのお話ですが、題名とは異なり義経が主役をつとめる場面があ りません。独立したエピソードをつなげることにより芝居が展開していきます が、舞台の主役は静御前、平知盛、いがみの権太、源九郎狐と、場面が変わるた びに入れ替わっていきます。五幕目の「すし屋」などは、義経ではなく頼朝(登 場するのは頼朝の代理人である家来の梶原景時ですが)と平維盛の話になってい ます。にもかかわらず、義経のイメージが各場面をしっかりとつなげていますの で、義経の哀れさが切々と観客に伝わっていきます。「菅原伝授手習鑑」もしか り、「仮名手本忠臣蔵」もしかり、歌舞伎にはこのようなストーリー展開のもの が数多く見うけられます。多くの役者さんが自分の得意とする役どころで、しか も主役として演じられるわけですから、なかなかよくできたシステムだと思いま す。
 「道行初音の旅」では、まず「恋と忠義は何れが重い、かけて思いははかなり や」と始まります。封建時代の重要なテーマがストレートに庶民感情を刺激しま す。江戸時代の庶民の洒落心には常々感心しておりますが、重いと思い、秤と計 りの掛詞、このような遊び心を大事にしてしっかりと受け継いでいきたいもので す。